第二十二話
その後、私と祖父は長い時間話し合い、一緒に警察へ行くことを決めた。父を殺した罪悪感に私が耐えられなかったのだ。
父は自殺であるという先生の推理は間違っていたが、人は罪悪感のあまり命を経つこともあるという点だけは、正しかったのだと実感した。
祖父は私の証言と、祖父自身の自白によって逮捕された。
放火、死体遺棄、死体損壊。
祖父の犯した罪は重かったが、情緒酌量の余地ありとみなされ、執行猶予がついた。
私自身はなんのお咎めもなし。父の死は事故として処理された。
しかし当然のことながら、これまで通りの生活を続けられるわけもなかった。私は故郷を離れて、県外に住む母方の親戚と暮らすことになった。
塞ぎ込む私に、親戚の家族はとてもよくしてくれた。決して短くない距離にもかかわらず、祖父母も頻繁に会いに来てくれた。
新しい家族と祖父母の献身によって私は立ち直り、新しい日常を送ることができた。
寂しさは感じなかったが、冬になるたび故郷のことを思い出す。
故郷には一度も帰ることなく、それから10年たった。
「ただいま」
そして私は、10年ぶりに故郷へ帰ってきた。ガラガラと家の扉を開けると、すぐに祖母が出迎えてくれた。
「かっちゃん、おかえり。本当久しぶりやね」
記憶の中よりもずっと小さくなった祖母は少し鼻声だった。
「さ、入って。じいちゃんにただいまって言ったげてや」
「わかった」
そのまま仏間へ向かう。
「ただいま、じいちゃん」
祖父の棺に手を合わせ、帰ってきたことを報告する。
祖父が死んだと知らせが入ったのは、つい先日のことだった。
ほんの1ヶ月前に会いにきてくれた時は、以前と変わらずに元気だった。
だから、祖父の訃報を聞いたときは呆然となった。
祖父が病気をしたところ見たことがない。私は祖父が100まで生きるものだと本気で思っていた。
突然の死に悲しみが追いついてこない。
しかし、棺の中で眠る祖父の顔を見ることでようやく、祖父がもういないことを実感した。
「じいちゃん」
胸が締め付けられる痛み。隣で静かに泣く祖母の手を握りしめた。
祖父の葬儀には大勢の人が集まってくれた。
実家の仏間では間に合わず、地元のセレモニーホールで式が執り行われた。親戚と友人、地域の人、祖父の会社で働いていた従業員、さらにたくさんの人々。
これだけの数の人が祖父の死を悼んでくれるのかと思うと、私はなんだか祖父が誇らしく思えた。
式の後、私は知った顔を見つけて、声をかけた。
「松さん」
「お前。勝か」
祖父が逮捕された後、会社は松さんが引き継いだ。今もまだ現役で働いているらしく、以前と変わらずよく日に焼けていた。
「勝、お前えこうなったな」
「お久しぶりです、松さん」
「いっちょ前に敬語なんか使うようなって。なんや、すっかり大人やな」
記憶の中と変わらない赤ら顔が綻んだ。
「少し話せますか」
「ええで」
親族の控え室で私は松さんに向き直り、頭を下げた。
「松さん、すみません。僕のせいで迷惑をかけて」
言葉足らずだったが、それだけで松さんは父のことを言っているのだとわかってくれた。
「なんも、気にせんでえ。俺は社長が庇ってくれたおかげで警察に話聞かれただけやったしな」
「それでも」
「ええ言うとるやろ。俺が今まで社長に受けた恩と比べたらなんでもない。それに、お前のためやったしな」
そう言って松さんはため息をついた。
「正直に言えば、あん時は血の気引いたで。英は小屋ん中で死んでるし、車ん中には知らん男の死体があるし、名前何やったか」
「植村です」
「ああ、ほやったな」
遠い目をしながら呟いた。
「あの事件、お前はなんも悪ない。悪いのは殺しなんてやった英と、英を突き放した社長と、後は二人止められんかった俺もやな。俺ら大人が全部悪い。お前のせいやない」
あの時の祖父と同じように、私は悪くないと言ってくれる。二人の優しさは嬉しかったが、私はどうしても罪悪感を捨てきれなかった。
「英ごと休憩所燃やしたこと、お前のためやと思えば後悔はないが、それが本当にお前のためになったんかは今でもわからん。結局全部バレてもうたしな」
ガリガリと頭をかいた。
「社長に聞いたで。俺らがやったこと全部解き明かしたのはお前やってな。全く、勝、お前誰に似たんや」
苦笑される。
「俺にまで探り入れてきよって。生意気なやつやった」
意地悪そうに笑う松さんに、私も少しだけやり返した。
「松さんには騙されましたよ。お父さんが合鍵のこと聞きに来たなんて、よくも咄嗟にあんな嘘を」
おかげで随分と苦労させられた。
「なかなか演技派やったやろ」
松さんはニヤリと笑った。
祖父の火葬が終わり、私は祖母と共に家へと戻ってきた。
式の間は慌ただしかったが、これでようやく一息つける。
祖母は夜まで寝ると言って部屋に篭った。祖父が死んでからまともに眠れなかったのだろう。
一人暇になった私は家を出た。
外は雪が降っていた。記憶の中と変わらない灰色の空から、静かに降ってくる。私は傘を差さずに10年ぶりの故郷を歩く。新しい家が建っていたり、逆に昔はあった家がなくなっていたりと、随分と様変わりしていた。
しかしいくら姿を変えていようが、ここが私の故郷であるという確信は変わらなかった。
真っ先に向かったのは、幼い私が冬を過ごしたあの小屋だ。
小屋はまだあった。随分と長い間使われていないらしく、中に入ると埃が舞っていた。しかしそれ以外はあの時と変わらない。壁に積まれた薪、天井まで伸びる煙突、中央に置かれた薪ストーブ。
記憶の中と寸分違わぬ光景のはずなのに、不思議と小さく思えた。
まだ使えるだろうか。少し思案するが、やめた。今日は別の目的がある。
私は小屋を出て、目の前の家に向かう。
「いらっしゃい、勝彦くん。久しぶりですね」
懐かしい穏やかな笑顔で先生が私を迎えてくれた。
「先生、お久しぶりです。お変わりないようで」
「君はすっかり大きくなりましたね。さあ、入ってください」
先生に招かれ、家の中へ入る。部屋の中は暖かすぎるほど。寒がりは変わっていないようだ。
ソファに座った私に、先生は紅茶を淹れてくれた。先生の好きなハチミツとレモンの紅茶だ。
「これを飲むのも久しぶりです」
すでに何も入れなくても紅茶が飲めるようになっていたが、私はあえて子供の時と同じように角砂糖を入れて飲んだ。先生と過ごした思い出が鮮明に蘇る。
「先生。じいちゃんの式に出ていただいてありがとうございます。すみません、ご挨拶もほとんどできなくて」
「いえいえ。お忙しいのはわかっていましたから。おじいさんのこと、私も残念です」
先生とは村から離れた後も何度か手紙でやり取りをさせてもらっていた。しかし、こうやって顔を合わせるのは10年ぶりだ。あの時はお別れも言えないままだった。
先生としばらくの間近況を語り合った後、話はあの事件のことに移った。
「先生。先生はお父さんが自殺だと推理していましたけど、本当はあの小屋で死んだんだとわかっていたんじゃないですか」
私は兼ねてから抱いていた疑問を先生にぶつけた。
「お父さんが死んだ原因が僕にあると気づいて、わざと間違った推理を聞かせてくれたんでしょう」
先生は少し目を伏せ、頷いた。
「君のお父さんの死因が一酸化炭素中毒だと知って、嫌な予感はしていました。そして英信さんががかつてあの小屋で過ごしたことがあると君から聞いた時、事件の全貌が見えたんです」
確証はありませんでしたがね。と先生は呟く。
「勝彦くんが犯人を捕まえたいと言った時、私はそれが少しでも慰めになるのならと思い、手を貸しました。今だからこそ白状しますが、本当に犯人が見つけられるなんて思っていなかった。ただのごっこ遊びのつもりでしたから」
「探偵ごっこですね。僕も少しだけワクワクしたのを覚えてますよ」
「ですが君は、私が思っていた以上に賢かった。君が植村の死の謎を解き明かした時、このままでは英信さんの死の真相に辿り着いてしまうと危惧した」
「だから父が罪悪感で自殺したなんて嘘を」
「ええ」
あれは先生が私のためについた優しい嘘だった。
「私は君を見誤ってたんですよ。子供だと思い、過小評価していた。勝彦くんは真実に辿り着けない。その真実に耐えきれない。しかし私の予想に反し、君は真実に自力で辿り着き、その真実を受け入れ、前に進んだ」
先生は目を細め、私を見つめる。
「君をもっと信じていればよかった。君は子供でしたが、私なんかよりずっと立派だった」
「僕はそんなーー」
先生よりも立派な人間なわけがない。そんな言葉を咄嗟に飲み込んだ。
「ーー前に進めたのは、周りの人のおかげです。じいちゃんとばあちゃん。僕を受け入れてくれた親戚に、新しくできた友達。もちろん、手紙を送ってくれた先生も」
本心から、私はそう言った。
「そう言ってくれると、嬉しいですね」
先生は優しく微笑み、私の肩に手を置いた。
「本当に大きくなった。身長なんて私を抜いてますね」
「背丈はそうかもしれませんが。先生、僕は大人になれましたかね」
「さて、どうでしょうか。苦手なもの、食べられるようになりましたか」
懐かしい話題に思わず苦笑いを浮かべる。
「梅干しは食べられるようになりました。コーヒーも砂糖とミルク入りなら。レバーは、まだ苦手ですね」
「おやおや。なら、まだまだこれからですね」
もう私は子供ではないが、大人になれたかと言われるとまだわからない。だけど子供の頃抱いていた、早く大人になりたいという思いは無くなっている。このままゆっくりと、なるようになるだろうと思っている。
この心境の変化も、少しは大人に近づいた証拠だろうか。
「そうだ先生。もう一つ聞きたかったことが」
今日先生の家を訪れたのは、これが目的だった。
「先生が書いてる本。ぜひ読ませてもらえませんか。子供の時からずっと気になってて」
紅茶を飲んでいる先生の手が止まる。
「もう少し大人になったら読ませてくれるって、言ってましたよね。僕はまだ子供のままですか」
目が泳いだり、顰めっ面になったりと、先生はまま百面相を披露する。
「その言い方は、ちょっと卑怯ですね」
そして仕方ないと言わんばかりにため息をついた。
「正直なところ、そう言われるんじゃないかと思い覚悟していました。待っててください、持ってきますから」
そう言って立ち上がった先生は書斎へ向かう。そして一冊の本を手に戻ってきた。
「これが私が書いた中で、最も売れた小説です」
先生に本を手渡される。
小説の表紙を見て、私も固まってしまった。
官能小説だった。
「こ、これは」
私を揶揄っているのかと思ったが、先生の表情に冗談を言っている様子はない。
「僕、先生は推理小説を書いているものだとばかりーー」
「言い訳をさせてもらうと、推理小説も書いています。ハードボイルドな探偵小説をね」
先生は少し目を逸らしながら答えた。
「ですが私には、どうも推理小説よりもこちらの方が才能があるみたいで。依頼されるのはこの手の小説ばかりなんですよ。昔、君にどんな小説を書いているのか尋ねられた時は焦りましたよ。推理小説を書いていると言っても良かったのですが、その作品を読ませてくれと言われたらと思うと。そうなるとペンネームから私が官能小説を書いているのがバレてしまう。流石に子供の君にはそんなこと言えませんからね」
今でも顔から火を吹きそうです。先生はそう言った。
まだ事実を受け入れられず唖然とする私に、先生はこう告げる。
「この小説はプレゼントします。読んだ感想はそうですね、聞かないでおきましょう。こればかりは読んだかどうかも含めて、君の胸の内に秘めていてください」




