第二十話
祖父が父を殺した。
その疑惑が私の中にずっと残り続けていた。
祖母に聞いて、あのタバコの箱を供えたのは祖父で間違いないことを知った。そして祖母の知る限り、父が家に帰ってきたのは時計を取りに帰ってきた時と、遊びに連れて行った私を送った時だけだと言う。
やはり、その時に父がタバコを吸っていた記憶はない。タバコの箱を懐から取り出してすらいなかった。
やはり祖父が。
ありえないと、何度も自分の考えを否定する。
祖父が父のタバコの銘柄を知っていたのは、私も祖母も知らない時に祖父が父と会っていたからだ。父が私を送り届けた時私は眠っていた。その間にタバコを吸おうとした父を見たに違いない。
否定するための可能性をいくつも考えるが、一度生じた疑いが消えることはなかった。
先生に相談することはできなかった。
先生が私の話を聞いた結果、祖父が犯人で間違いないと言い出したらと思うと、とてもそんなこと聞けない。怖くて仕方がなかった。
祖父を問いただして確かめることなんてできるわけがない。
結局私は自分の考えを誰にも明かすことなく胸に秘め、何事もなく日常を送るよう振る舞うことしかできなかった。
そんな日々を送ることしばらく、私は祖父に一緒に出かけようと誘われた。
「誕生日プレゼントまだやったやろ。本買いに行こうや」
「うん」
祖母は用事があるため、祖父と二人きりであった。
気まずさはあったが、私は祖父の誘いに乗った。
祖父の車に乗り込んで出かける。村にある小さな本屋ではなく、街の方まで行くと言う。
「あっちの方が色々あるからな。たくさん欲しいんやろ」
「ありがとう」
祖父はドライブ好きだ。旅行に行くときは大抵、祖父の運転で出かける。一人で何時間でも運転するような人だった。
先生や父の時以上に安定感のある運転で車を走らせる。
「ばあちゃんと昔熱海行った時も車で行ったんやぞ。その時はカーナビなんてなかったから、ばあちゃんに地図帳見てもらいながら運転してたんや。あん時は道が混んで混んで、えらい大変やったわ」
「その話、何回も聞いたよ」
「そやったか」
祖父はそう言って笑う。私が知る祖父の笑い顔と何も変わらない。それを見ると、祖父が父を殺したのなんて信じられなかった。
「ばあちゃんとは熱海だけじゃなくて、いろんなとこ行ったぞ。長野までスキーしに行ったし、香川までうどん食べに行った。九州まで行ったこともあったな。福岡までフェリーが出ててな、車ごと乗せて移動するんや。あそこで食った水炊きは美味かったな」
「そうなんだ」
祖父の話に耳を傾けながら、何度も聞いた話が混じっているなと考える。そう思うと少しだけ笑えた。
「その旅行ってさーー」
質問しようとして、途中で言い淀む。
「ん、なんや」
前を見て運転する祖父が、こちらを見ることなく聞き返してくる。その横顔を見ながら、私は思い切って問いかけた。
「お父さんとも、旅行に行ったことあるの」
祖父の表情が険しいものに変わった。
少しだけ考えるそぶりを見せた後、祖父は私の質問に答えた。
「ある。あいつがちっちゃい頃はよくな」
硬い声の祖父。私はそれに気づかないふりをして再度質問する。
「どこに行ったの」
「色々や」
「色々って、例えばどこ」
しつこく詰め寄る私に苦い顔を見せるが、祖父はため息をつきながら答えてくれた。
「俺とばあちゃんは温泉やらが好きなんやが、あいつはそんなとこ行っても退屈や言うてな。遊園地やら、水族館やら、動物園やら。そういう遊べるとこばっか行きたがってな。よお連れてってやったわ」
「そうなんだ」
父が遊園地で遊ぶイメージなんて全然できなかった。
「昔っから落ち着きのないやつやったわ。遊園地なんて人の多いところ行くと、毎回一人で走り回って迷子になってた。俺らが見つける頃には泣きじゃくってて遊ぶどころやなかったわ」
呆れたように話す祖父だが、その声色に何処か懐かしそうな響きが含まれていることに私は気づいた。
「俺が運転して、ばあちゃんが助手席におって。で、英信は後ろの席で寝転がってた。車の中暇やからって、本やら漫画やら読んで、その度に車酔いしてたわ。酔うから読むなって何回も言ってたんやが、聞きもせんかった」
「なんか、お父さんらしいや」
父のことはそれほど知らないのに、そう感じた。
「そや、あいつは昔っから俺の言うこと全く聞かん奴やった。ほんとアホやあいつは」
そう吐き捨てる祖父だが、突き放したような冷たさは感じない。
私には、父とどうしようもないまま別れることになった悲しさを秘めているように思えた。
本当に祖父が父を殺したのか。
祖父が父を殺したいほど憎んでいるとはとても思えない。
祖父が人を殺すような人物だとは信じたくない。
だからこそ私は、祖父の疑いがただの勘違いであって欲しいと思いながら、祖父に問いかけた。
「ねえ、じいちゃん」
「なんや」
私の声は震えていないだろうか。自信がなかった。
「お父さんが家を出てから、この前帰ってくるまで、お父さんと会ったことあるの」
祖父の顔がこちらに向けられる。質問の意味がわからないといった表情だ。慌てて視線を前に戻した。
「なんでや」
「なんとなく」
祖父はしばらく考え込んで、重々しく口を開いた。
「いや。あいつとは全然会っとらんかった。どこにいたのか、何してたのかも知らん」
「そうなんだ」
つまり、父がタバコを吸うようになったことを、祖父が知る機会はほぼなかったと言うことになる。
祖父への疑いが一気に強くなった。
「そうなんだ」
これ以上踏み込むことはできない。このまま進めば祖父の疑いが確信に変わってしまうかもしれない。私にはその事がとても恐ろしかった。
その後、祖父との会話は少ないまま目的地に着いた。
「3冊だけでええんか」
「うん。買ってくれてありがとう」
じっくりと本を選ぶ余裕なんてなかった。新刊コーナーにある、店員のおすすめと書かれたミステリー小説を適当に取り、それを祖父に買ってもらった。
そのまま帰宅する流れになる。長い移動時間に反して、本屋での滞在時間は15分もなかった。
帰りの車の中でも、私は祖父に話しかける事ができなかった。
会話をしないための言い訳にしようと、カーナビのテレビをつけた。適当につけて出てきたのはニュース番組だった。番組ではまだ、県での雪の被害について報道していた。
「最近こればっかだね」
無意識にそんな言葉が出る。
「そらな。自衛隊まで出動する騒ぎやからな」
番組は、車の立ち往生によって死亡した一家の話題に移った。
すると、祖父がそのままチャンネルを変えてしまった。
「このニュースは嫌いや」
類を見ない痛ましい事故。死んだ家族には私とほぼ歳の変わらない子供もいた。
世間はこの事故の話題で持ちきりだった。事故が起きてから、テレビのニュースはこればかりが報道されていた。
「お父さんの事件って、テレビで出ないよね」
新聞の端っこに乗ったのが、私の知る限りだった。
「騒がれるよりはええやろ」
「そうだけどさ。なんか、なんか嫌なんだよ。立ち往生で死んだ人たちのことは皆悲しいって言ってくれてるのに、お父さんが死んだことは誰も知らないなんてさ」
理不尽な子供のわがままだ。しかしこの時の私には、父の死を悲しんでくれる人がいないことの方がよっぽど理不尽だと思えた。
祖父は何も言わず、ただ車を走らせる。
テレビからはバラエティ番組の賑やかな音楽が調子外れに響いていた。
父の死は自殺だったということで納得しよう。私はそう決心した。
先生の推理以上に納得できる答えはない。祖父の疑いなんて、なんの証拠もないただの妄想に過ぎない。きっと私の知らないところで、父がタバコを吸っているのでも見たのだろう。
自分に言い聞かせながら日々を過ごした。
その間に祖父に買ってもらった本は読んでしまった。存外面白かったが、もう少し買って貰えばよかったと後悔した。
先生にまた本を借りに行こう。私が持っている本を貸して、そのことについて紅茶を飲みながら感想を語り合うのもいいかもしれない。
そうやって日常を取り戻そうと振る舞っていると、不思議と父のことを思い出す頻度が減っていった。
父が死んで感じた理不尽や、祖父に抱いた疑念と恐怖。そんなものがだんだんと薄れていくのがわかった。
このまま父と過ごしたあのわずかな時間が、大切な思い出へと変わっていくのだろうか。
そんなことを考えながら、私は休日の昼間からぼんやりとテレビを見ていた。
今日は祖父がいない。またしても除雪作業の要請があって、現場に駆り出されている。祖母も出かけていた。おそらく近所の人とお茶でも飲んでいるのだろう。
「何しようかな」
読む本もなく、テレビは退屈なニュースばかり。すっかり暇を持て余していた。
そうだ小屋に行こう。
祖父が煙突を修理してから結局一度も訪れていない。なぜ思いつかなかったのだろう。冷凍庫から餅をいくつか見繕って、それがじっくり焼けるのを待っていよう。出かけるには少し雪が厳しいかもしれないが、ここで退屈しているよりはいいはずだ。
そう思って立ちあがろうとすると、ニュースはまたして車の立ち往生で死亡した一家について話していた。
「またか」
リモコンを探す。
テレビを消そうとした時、ニュースキャスターのセリフが耳に入った。
『それでは、事故はなぜ起こったのか。専門家をお招きして、そのメカニズムについて説明していただこうと思います』
テレビを消さず、そのまま専門家とやらの話を聞く。
全身から血の気が引いた。
「えっ」
気がつけば、食い入るように番組を見ていた。
事故のメカニズムを淡々と説明する専門家。その説明を聞いて、父の死に、先生の話した推理とは全く別の仮説があることに気づいた。
「違う。ありえない」
その仮説は、私には到底受け入れ難いものだった。
仮説について検証すべく、私は急いで事務室へと向かう。
誰もいない事務室は外と同じくらい冷え込んでいたが、暖房をつけることすらせずにパソコンを立ち上げた。立ち上がるまでの数分が、私には永遠に思えた。
どうか私の考えは間違いであってくれ。そう願いながら文字を打ち込む。
しかしその願いは虚しく、私の思いついた仮説は十分な可能性があることがわかった。
体が震え、歯の根がガチガチと鳴る。寒さのせいではなかった。
「嘘だ。そんなわけない。そんな、そんなの、なんの証拠もない」
本当に証拠はないのか。
私は上着を着ることもせず、外に飛び出した。降る雪も、肌を突き刺す寒さも、一切無視して走り出した。
そして小屋に辿り着く。
祖父が修理したおかげで、煙突の先には以前と同じ円筒型のトップがクルクルと風に回っていた。
中に入る。全然変わらない木の香り。私の好きだった香り。
しかし私はその直後崩れ落ちた。
「ああ、嘘だ」
叫び出したくなる衝動を抑え、小屋内の箪笥の前へ這うように進む。
震える指先で箪笥を開ける。
私の目の前が真っ暗になった。
「ああ、そうだったんだ」
気がつけば体の震えは止まっていた。
全身の感覚が麻痺したみたいだった。体だけでなく、心まで。そうしなければ、幼い私の心はきっと耐えきれなかっただろう。
父の死の真相。
父はなぜ死んだのか。
誰に殺されたのか。
私は、そのおぞましい真実に辿りついた。




