第十八話
家について、先生はすぐさま紅茶を淹れてくれた。
二人揃って熱い紅茶を飲む。疲れた体に驚くほど染み渡った。
「勝彦くん。それで、何がわかったんですか」
しばらくゆっくりした後、先生が質問を投げかけてくる。その目にどこか心配そうな雰囲気があるのは、おそらく気のせいではないだろう。
「前に、植村がなんで村に来たのか、どうやってこの村にきたのか。それがわからないって話したよね」
「ええ」
父の死で、最も謎だったのがこの植村という男の存在だ。彼はなぜ父と同じく燃えた休憩所で発見されたのか。
その理由が先生との調査でわかった。
「植村を村に連れてきたのは、お父さんだと思う」
私の言葉に、先生の目が僅かに見開いた。
「証拠は何もない。全部僕の推測だけど。先生、聞いてくれる」
「続けてください」
言いたいことはあるが、まずは話を聞こう。そんな表情だった。
「お父さんがタバコを買いに競艇場から出て行ったのは嘘だった。じゃあ、その間一体何をしていたんだろう」
ずっと頭の中にあった可能性。
「植村のアパートは競艇場から近いって刑事さん言ってた。お父さんは植村のアパートに行って、車に乗せて競艇場に戻ったんだ」
刑事が疑っていた通りのことが起きていたのだろう。
「待ってください。君とお父さんが乗っている車に、植村も乗っていたということですか」
「うん。僕は気づかなかったけど」
「そんな、いくらなんでも気づかないわけないでしょう。まさか座席の下に隠れていたとでも言うんですか」
「ううん。それは流石に僕でも気づくよ」
そう、植村はそんなところに隠れていたんじゃない。
「植村がいたのは、車のトランクの中だよ」
先生は唖然とする。
ずっと頭の中にあった可能性。
借金をして、返済の目処が立たない人が取るであろう最後の手段。
父は決してそんなことをしないと自分に言い聞かせていたが、それでも捨てきれなかった最悪の仮説。
「お父さんは、植村を殺したんだ」
口にして、自分の心が冷たくなっていくのを感じた。
悲しいとか、怖いとか。そう言った感覚が不思議としない。前に先生が言っていた、自身を守るために心を閉ざしている状態なんだろう。どこか他人事のようにそう考える。
私の仮説を聞いた先生は、険しい表情を浮かべる。
「そんな、まさか。君のお父さんが植村を殺しただなんて」
「先生、もういいよ。本当は先生もそうかもしれないって思ってたんでしょ」
幼い私が思い至ったこの考えに、私よりずっと賢い大人の先生が気づかないわけがない。気づいた上で、私を思ってその考えを口にはしなかったのだろう。
「いいでしょう。君のお父さんが植村を殺したと仮定します」
私に気を使い、まだ仮定であることを先生は強調する。
「つまり、英信さんは競艇場で君と別れた後、植村のアパートに行き、植村の首を絞めて殺害した後、その死体をトランクに乗せたと言うことですか」
「ううん、違うと思う。それだとあまりにお父さんが怪しすぎるから」
父は植村に借金をしていた。その上、事件前日に植村の住むアパートのすぐ近くまで出かけている。
本来であれば、植村を殺した犯人として一番怪しいのは父だ。今回の事件では父も被害者となっているため、私は無意識のうちに植村殺しの容疑者から父を外していた。
警察も、植村を殺した犯人は父であると考えていたのかもしれない。事実、植村を村まで連れてきたのは父であると疑っていたのだから。
「ただ植村を殺すだけじゃ、お父さんが犯人だとすぐにバレてしまう。だからお父さんは自分が犯人の候補から外れるよう、あるトリックを使ったんだ」
そのトリックこそが、父が私を連れ出した真の目的。
「植村の死体からは睡眠薬が検出されたって、刑事さんが言ってた。お父さんは植村のアパートに行った後、なんらかの方法で睡眠薬を飲ませて、眠った植村をトランクに入れて競艇場に戻った」
だからこそ父は1時間もの間私を一人ぼっちにしたのだ。
「この段階では当然植村は生きてる。植村を殺したのは多分、帰りに寄ったショッピングモールの駐車場。駐車場の端っこに停めれば監視カメラはないし、人目にもつかない。誰にも気づかれることなく、トランクの中で眠っている植村の首を絞めて殺害できる」
「待ってください」
先生が話を遮る。
「確かに人気が少ない場所であれば犯行が可能です。ですが、英信さんの車には君がいたでしょう」
そう。先生の言う通り、駐車場での犯行は同じ車に乗っている私に気づかれないことを前提としたものになる。
「確か君は帰りの間ずっと眠っていたと。しかし、君が眠る保証はどこにもない。ずっと起きていたら殺害なんてできないですし、万が一殺害途中で君が目を覚ましでもしたら目も当てられない。そんな一か八かの犯行は不可能です」
「そうだね。お父さんがこの方法で植村を殺すには、僕に確実に眠っていてもらう必要がある」
ふと、ため息をつく。今日1日の疲れが急に襲ってきた。
「今日飲んだオレンジジュース。甘かった」
「えっと、焼き鳥屋の話ですか」
訝しげに眉を顰める。
「前に飲んだ時は、なんだか苦かったんだよね。なんか薬っぽいて言うのかさ」
「まさか」
先生がハッとした表情を浮かべる。
「お父さん、僕のオレンジジュースに睡眠薬を混ぜたんだ」
その事実に思い至った時、不思議とショックはなかった。
むしろ納得できたような気がした。
なぜ数年ぶりに現れた父が私を遊びに連れて行ってくれたのか。その理由がようやくわかり、スッキリした気分になれた。
ただし、父と過ごしたあの記憶の暖かさがすっかり冷めてしまったように思えた。
「お父さんの考えたトリックはこう。まず、眠らせた植村を車のトランクに入れて連れ出す。そして焼き鳥屋で僕を眠らせてそのままショッピングモールへ。そして植村の首を絞めて殺害。この時お酒とお惣菜を買って、自分が確実にショッピングモールに居た証拠を残しておく」
父の目論見通り、レシートと店内のカメラの映像が残っていた。
「あのショッピングモールまで、植村のアパートから大体1時間くらいの距離かな」
「おそらくは」
競艇場からショッピングモールまでが1時間ほど。競艇場の近くに植村のアパートがあるのなら、そこまで距離は変わらないだろう。
「多分本来であれば僕を家に送った後、植村の死体を元のアパートに戻そうとしたんだと思う。犯行現場はアパートだと思わせようとしたんだろうね。そうすれば植村の死亡推定時刻には、父は車で1時間離れた場所にいたことになる。それも、自分の子供と一緒に。まさか息子のすぐそばで父親が人を殺すなんて、誰も思わないでしょ」
「勝彦くん」
先生が悲しい顔を見せるが、私はそれに気づかないふりをした。
「でも想定外のことが起きた。雪がひどくて、僕を家に送り届けた時には村から出ることができなくなっていた。もし無理やり村から出ようとして事故でも起こしたら大変だ。トランクの中には人の死体があるんだから。だから休憩所で一晩過ごすことにしたんだ」
その後どうなったのか、説明するまでもない。
「以上。僕の推理終わり。休憩所に火を放って、お父さんを殺した犯人はわからないままだけど、少なくとも植村がなんでこの村にいたのか、どうやって来たのか。そして植村を殺した犯人が誰なのか。その謎は全部解決したね」
「勝彦くん」
先生が私の肩に手を置き、じっと見つめてくる。その目はどこか痛ましいものを見るような、そんな悲しい感情が宿っているように見えた。
私に向かって何度も言葉を口にしようとするが、何かを言う前に口をつぐむ。そんなことを数回繰り返していた。
言いたいことはあるが、どう声をかけていいのかわからない。そんな様子だった。
やがて一呼吸おいた先生は、ゆっくりと口を開く。
「紅茶を淹れてきます。その後、少しだけ考えさせてください」
すっかり冷めてしまったカップを下げ、先生は新しい紅茶を淹れてくれた。
角砂糖を入れて一口飲む。いつも通り美味しい。どこかホッとする味。
しかし一口飲んだ後、私はそれ以上飲む気にはなれなかった。
紅茶を淹れた先生は向かいの安楽椅子に座り、口に手を当てて考え込んでいる。
眉間に皺を寄せ、視線は鋭いが、何かに向けられているわけでもない。虚空を見つめ思索に没頭しているようだ。
今までで一番長い沈黙。私はその間、ただぼうっと紅茶から漂う煙を見つめていた。
やがて漂う煙が消え、紅茶から再び熱がなくなった頃、先生がゆっくりと視線をこちらに向けてきた。
「おそらくですが。勝彦くんの推理は正しい」
慎重に言葉を選ぶように、重々しく口を開く。
「英信さんが植村を殺したという推理に矛盾はありません。いくつかの疑問点も解消される。それを踏まえた上で、私の考えを聞いてください」
「考えって、なんの」
「英信さんの死の真相です」
ハッと息を呑んだ。心臓が早鐘を打つのを感じる。
「犯人がわかったの」
先生はこくりと頷く。
「まず、ここで問題となる謎をおさらいしておきましょう。なぜ英信さんが殺されたのか。なぜ休憩所が燃やされたのか。なぜ植村が休憩所の焼け跡から発見されたのか。なぜ車が燃やされたのか。なぜ合鍵が物置に置かれたままだったのか」
一つ一つ、確かめながら口にする。
「重要なのは、なぜ植村が休憩所の焼け跡から発見されたのか。勝彦くんの推理が正しいのなら、植村は死体となって英信さんの車のトランク中にいたはずです。それをわざわざ休憩所に移動させて火をつけたのはなぜか」
「そっか。植村の死体を燃やすことが目的なら、わざわざ移動させなくても、車と一緒に燃やせばいいだけだもんね」
成人男性一人を運ぶのはかなりの労力が必要だろう。それが死体であればなおさら。
「そして、植村の死体を休憩所に移動させて火を放ったのなら、なぜ車が燃やされたのかが謎です」
「確か先生、前に車の中に犯人につながる証拠があって、その証拠を隠滅するためだって言ってたね」
「ええ。その証拠がなんなのか、ずっと考えていましたが答えが出なかった。しかし、勝彦くんの推理を聞いてようやく思い至りました」
その証拠とは。
「車のトランクに残された、植村の死体があった痕跡です」
「えっ」
思いがけない言葉に、一瞬固まる。
「トランクの中には植村の皮膚片や髪の毛。首を絞められたのなら尿が残っているはず。その痕跡を消そうとして、火を放ったのでしょう」
「ちょっと待ってよ」
先生の推理を遮る。
「植村の死体があった痕跡を消そうとしたって。その痕跡があって困るのは、植村を殺したお父さんだけでしょ」
「ええ、そうです」
混乱する私とは対照的に、先生の言葉は冷静なままだった。
「つまり、車を燃やしたのは英信さんということです」
私は息を呑んだ。
「そんな、だって、車を燃やしても、意味ないでしょう」
車を燃やして植村がいた痕跡は消すことができても、肝心の植村の死体が残っている。死体を人目に触れないよう移動させる手段を失うデメリットの方が大きいはずだ。
「そんなことしたら、逃げられない」
「逃げる必要はなかったんですよ」
先生がわずかに目を伏せて言う。
「君のお父さんは、自ら命を絶ったんですから」
先生が何を言っているのかわからなかった。
足元が音を立てて崩れるような感覚を覚える。ソファに座っているはずなのに、そのまま落ちていきそうだった。
「そん、な。お父さんが、じ、自殺」
言葉がうまく出てこない。体が震える。
「そう考えると辻褄が合うんです。元々、なぜ犯人は放火という不確かな方法を選んだのか疑問でした。逃げられる危険性があまりに高い」
以前も話に出た疑問だ。
「お酒を飲んで熟睡していたから、という考えには無理がある。犯人が灯油を室内に撒くため忍び込む時、そして植村の死体を室内に運び込む時は当然扉を開けます。そうなれば極寒の風が室内に流れ込む。冷気にさらられれば、熟睡していようが誰だって目覚めますよ」
首筋を冷たい空気が通り抜ける感覚を思い出す。
「しかし、自殺となれば話は別。一度覚悟を決めてしまえば、逃げる必要がないのですから」
淡々と、先生はそんなことを口にする。
「な、なんで。なんで自殺なんか」
必死に言葉を紡ぐ。
「だって、お父さんは借金を帳消しにするために植村を殺したんでしょ。それって、この先の人生を考えての行動でしょ」
最悪の選択ではあったが、それは生きるための選択だったはずだ。
「なのにどうして自殺なんて」
父が命を絶つ道理なんてない。先生の推理がどうしても受け入れられなかった。
「おそらく、罪悪感が生じたからでしょう」
感情を殺した表情で、先生はそう言った。
「英信さんが勝彦くんを連れ出した目的は、植村を殺した時のアリバイを得るため。殺人のために自身の子供を利用するなんて、とても恐ろしい行為です。しかし英信さんは実行した。この先の人生を良いものとするため、悪人になる覚悟をしたのでしょう」
しかしーー。そう先生は続ける。
「しかし、君と一緒にいる中で、父親としての心を取り戻した。君に影響され、本来の善い人間に戻ったのです。だから人を殺し、そのために息子を利用した罪悪感で自らの命を絶った」
握る拳に力が入る。
「ですが、ここで植村の死体が障害となります。このまま命を経てば植村の死体や痕跡から、自身が殺したことがバレてしまう。勝彦くんを殺人者の子供にしたくない、勝彦くんを利用して人を殺してしまったことを知られたくない。だからこそ、英信さんは殺人の証拠を消そうとしたんです」
「だから、燃やしたの」
「ええ。死体からは死亡推定時刻が。車のトランクからは植村の痕跡が。この二つが揃うとどうやって植村を殺したのかがわかってしまう。車を燃やすことで植村をトランクに入れていた証拠を消し、死体を燃やすことで死亡推定時刻を有耶無耶にしようとしたんです。さらに、自ら放火で殺された被害者を装うことで、事件の容疑者から外れようとした」
そのために休憩所ごと火を放った。
「事件がどのように起きたか整理しましょう。松さんから合鍵の存在を聞いた英信さんは、車で休憩所を訪れた。物置から合鍵を取り、休憩所の鍵を開けた後、トランクの中の植村の死体を休憩所の中に運び入れる。その後、物置へ火を放つための灯油を取りに行く」
「まさか、合鍵が物置の中にあったのは」
「そうです。再び物置に入った時に戻したのでしょう」
先生は頷く。
「灯油を車、さらに休憩所内に撒く。車に火を放った後、自身は休憩所に入る。死の苦痛を和らげるためにお酒を飲んで酩酊状態になり、そして休憩所に火を放つ。これがあの日に起きたことだと思います」
その話を聞いて、私は呆然としていた。
「お父さんは殺人に罪悪感を抱いたから自殺した」
信じられない先生の言葉を、ゆっくりと一つ一つ飲み込んでいく。
「お父さんが罪悪感を抱いたのは、僕と過ごしたから」
そして、その意味を完全に咀嚼した時、私は血の気が引いた。
「つまり、お父さんが死んだのは僕のせいなんだ」
間接的に父を死に追いやった。その事実を思い知らされた時、私は目の前が真っ暗になった気がした。
「違いますっ」
焦りの混じった先生の声。勢いよく立ち上がった先生は私の両肩を掴んだ。
「勝彦くんそれは違います。いいですか、よく聞いてください」
私の目をじっと見つめ、必死に言葉を紡ぐ。肩を掴む手に力が入り、少しだけ痛い。
「殺人は許されない行為です。悪意を持って人の命を奪うなんて、まともな人間ができることじゃない。はっきり言わせてもらいますが、君のお父さんはまともな精神状態ではなかった。借金の返済に追われ、心がすり減っていたのでしょう。しかし、君と一緒に過ごしたおかげでその心が癒え、元の英信さんに戻った。君の存在が、お父さんを救ったんですよ」
「本当にそうなの。だって、死んじゃったんだよ」
死んでしまったら意味がない。それが救いだと、果たして言えるのだろうか。
「私も、自ら死を選んだ英信さんの選択が正しかったのかはわかりません。もしかすると、他にもっと良い選択肢があったかもしれない。ですが間違いなく、英信さんは自身の選択が正しいと信じていた。後悔はなかったはずです」
全身から力が抜ける。先生の言葉を何度も頭の中で繰り返す。
自らの命を絶つ選択。父は本当に後悔しなかったのだろうか。
先生の言葉が正しいのか、私にはわからなかった。
すっかり冷えてしまった紅茶を一口飲む。
味なんて全然しなかった。




