第十七話
「そろそろお昼ですね。行きましょうか」
「うん」
私たちは競艇場を後にする。
車の中は少し静かだった。言葉少なく、目的地まで移動する。
およそ30分。ついたのは、父と訪れた焼き鳥屋だった。
「よかった。焼き鳥屋と聞いてランチはやっていないかもしれないと思っていましたが、開いてますね」
人気店なのだろう。駐車場はほぼ埋まっていて、かろうじて端っこの方に車を停めることができた。
「いらっしゃいませ」
店内も混み合い、数人並んでいた。先生が予約の紙に名前を書いて、二人で椅子に座って待つ。
ふと、あることに気づいた。
「あ、僕お金持ってない」
今持っている現金は上着のポケットに入ってる小銭だけ。それももう残り少ない。青ざめる私を見て、先生は朗らかに笑う。
「大丈夫ですよ。ご馳走しますから」
「でも」
「こう見えて私、稼いでるんですよ。勝彦くん、今日くらいは子供らしく遠慮しないでください」
「えっと、うん。先生ありがとう、ご馳走になります」
しばらくして先生の名前が呼ばれて席に案内される。
「さて勝彦くん。何かおすすめはありますか」
「うん。任せて」
父と一緒に来た時に頼んだものを、その順番通りに注文する。待つ間、私は先生に以前から気になっていたことを再び聞いてみた。
「先生って、何を書いてるの」
先生の表情が少しだけこわばった。
「それは、内緒です」
前と同じ答えだった。
「なんで教えてくれないの。先生の本読んでみたいのに」
「知り合いに自分の書いた本を読まれるのは存外恥ずかしいものなんですよ。それも同じミステリー好きなら尚更ね」
「書いてるのはやっぱりミステリー小説なの」
「さて、どうでしょう」
笑ってはぐらかされる。
「それにしても、ここは煙がひどいですね」
「誤魔化した」
「いえいえ、本当に。匂いが服に染み付きそうだ」
炭火の匂いもそうだがタバコの煙も充満している。先生は隣の席でタバコを吸っている客を見て、不愉快そうに眉を顰めた。
「先生はタバコ吸わないの」
「吸いませんね。匂いがどうも」
「お父さんも僕と一緒に暮らしていた頃は苦手だったんだって」
「大人になってから苦手を克服することもありますからね。まあ、タバコを吸えるようになることがいいことなのかはわかりませんが」
「僕も大人になれば吸えるようになるかな」
「個人的には吸ってほしくないんですがねえ」
先生は苦笑いを浮かべた。
しばらくして、焼き鳥と飲み物が届く。
先生はウーロン茶を、私は以前と同じくオレンジジュース。
「美味しそうですね。どれがどれだかわかりませんが」
「えっとね。これが純けい、若どり、たん、砂肝、シロ、ぼんじり、レバーだよ」
「物知りですね」
「お父さんに教えてもらったんだ」
父と来た時のことを思い出す。私も父が大変な物知りだと思って、なんだか嬉しかった。
「お父さん、いろいろ教えてくれたんだ。焼き鳥のこともそうだし、昔の思い出も。鮎を捕まえたこととか。休憩所で遊んでじいちゃんに怒られたこととか。あ、僕が使ってる小屋。お父さんも昔はそこでお餅焼いて食べたんだって」
父との思い出を共有できるのが嬉しく、私は思わず早口になってしまった。先生は静かに微笑みながら耳を傾けてくれた。
「じゃあ、食べよっか」
「ええ。いただきます」
先生と一緒に焼き鳥をいただく。父と来た時と変わらず、どれも美味しかった。
「このシロって、どこの肉ですか」
「豚の腸だって」
「え」
少しびっくりした表情を浮かべる先生がおかしかった。
シロを小皿のタレにつけて食べる。
「美味しいよ」
先生が恐る恐ると言った様子で口に含んだ。
「本当ですね。思っていたよりも癖がない」
「でしょ」
次にぼんじりを食べた。やはり私はこれが一番好きだ。
そして、少し躊躇いながら次の串を手に取る。
「おや勝彦くん、レバーが食べられるんですか」
「ううん、苦手。前にお父さんが頼んでたから」
レバーが食べられるようになったら大人。父の言葉を思い出しながら思い切って食べるが、やはり無理だった。
血を舐めた時のような鉄臭さと生臭さが一緒になった風味、ざらざらとした奇妙な食感がどうにも不快に感じる。
「やはりダメでしたか」
「うん」
先生が笑いながら私が残したレバーを口にする。
「うん、まあ大人の味ですね」
大人ってすごいや。
そう思いながら、口の中をスッキリさせるためにオレンジジュースを飲む。父と来た時と同じように。
そして、衝撃のあまり固まった。
全身が硬直し、目を見開く。
「どうしましたか」
先生が怪訝な視線を向けてくる。
その視線を無視して、私は先生の持っているレバーの串を無理やり奪い取って一口かじり、再びオレンジジュースを飲んだ。
「か、勝彦くん」
ギョッとした表情を浮かべる先生。串を持っていた手が宙を彷徨う。
「違う」
「えっと、何がですか」
オレンジジュースを一口飲む。
口の中に含んだオレンジジュースの味を何度も確かめるが、やはり違う。
「お父さんと来た時と、オレンジジュースの味が全然違う」
焼き鳥屋を出た後、来た道を逆に辿る形で村へと戻る。
車内は無言だった。私はずっとオレンジジュースの味が違った理由を考えていた。
まさかと思い、店員にオレンジジュースの銘柄を変えたのか聞いたが、当然そんなことはなかった。
父と来た時に飲んだオレンジジュースは奇妙に苦かった。その時はレバーの後味の悪さと、オレンジュースの酸味が混ざり合った味なのだと思っていた。
しかし、その時と全く同じ順番で焼き鳥を食べ、レバーの後にオレンジジュースを飲んでも、あの時と同じ苦味は全く感じなかった。
窓の外を流れる景色を見ながら、納得のいく理由を考えていた。いや、正確には頭の片隅にあった最悪の可能性について、矛盾点が存在しないかの答え合わせを、ずっと行っていた。
その間、先生は一人黙り込む私を気遣わしげにチラチラと見ながらも、声をかけることなく静かに運転していた。
「ここでいいんですね」
「うん」
今日の最後の目的地。父が帰り道に寄ったというショッピングモールに辿り着く。
距離は、焼き鳥屋から30分ほど。つまり競艇場から1時間の距離にある。
このショッピングモールから村まで1時間なので、村と競艇場のちょうど中間あたりに位置することになる。
前に来たのは年が明けてすぐ、祖父母と一緒に初売りのセールを目当てに来た時だった。本のひと月ほど前の出来事なのに、その時から随分と経った気がする。
車から降りて、周りを見渡す。この辺りで一番大きなショッピングモールだ。当然駐車場は広い。
先生に頼んで、建物から遠い場所にわざわざ停めてもらった。この付近だと他に停まっている車はない。
「先生」
「はい」
「この駐車場、監視カメラとかはないのかな」
「監視カメラですか」
先生は付近を見る。
「お店の近くにはあるでしょうけど、この広い駐車場全体をカバーできるほどの監視カメラは設置してないでしょうね」
「だよね。ここは人気がないし、ここで何をしても他の人にはバレないよね」
「勝彦くん、一体何をーー」
「中に入ろう、先生。少しだけ見てみたい」
先生の返事を待たず、私はショッピンモール内へと向かう。中へ入ると、私は足早に目的地へ向かう。
「おもちゃ屋ですか」
「うん」
このショッピングモールには大きなおもちゃ屋がある。おそらく県で一番大きいだろう。
「僕が初めてここに来たのは、まだお母さんが生きてた頃なんだ」
父と母に連れられ、このおもちゃ屋に初めて来た時の衝撃と言ったら。広い店内は子供達の笑顔で溢れていた。何列にも並ぶ棚には、上から下までおもちゃが飾られていた。
好きだったウルトラマンのソフビ、変身セット。よくアニメで見ていたポケモンの人形、カード。レゴブロック、パズル、サッカーボール、ゲーム、プラレール、ミニカー、かっこいい自転車。
私の好きだったものが全部そこにあったように思えた。
「僕、興奮しちゃって。一人で店内を走って回ったんだ」
父と母の呼び止める声が耳に入らなかった。
夢中でおもちゃ屋の中を駆け巡った。どこまで行ってもお宝だらけで、人生であれほど我を忘れたことはない。
「気がつけば僕一人で。お父さんとお母さんがいなかったんだ」
子供も大人もごった返す広い店内だ。両親が私を見失うのも無理はない。
「それまですごい楽しかったのに、一人ぼっちになったのがわかった途端急に心細くなってね」
私は人生で初めて迷子になった。
その時のことは軽くトラウマになった。それからしばらく、おもちゃ屋が怖くて中に入れなくなるほどだった。
「その場に佇んでわんわん泣いてると、お父さんが慌てて走り寄ってきたんだ」
父は私を探し出すのに苦労したのか、息が乱れ汗ばんでいた。
「お父さんに抱きついてもっと激しく泣いたよ。お父さん、困った顔してたんだろうな」
泣きじゃくる私を宥めようとしたのか、父は私の頭を不器用に撫でた。力加減が下手だったせいで、痛みでさらに激しく泣いてしまった。
「僕の記憶の中で、初めてお父さんがお父さんらしいことをしてくれた瞬間だったよ」
「勝彦くん」
「ごめん、先生。実は今日確かめたいことはもう全部確認したんだ。今日はありがとう。帰ろっか」
そのままショッピングモールを出て、先生の車で村へと帰る。
道中、再び無言。
私は先生に今日の結論をどう伝えたものかと、頭の中の考えを整理しながら車に揺られていた。




