出会い 5
冷んやりと冷たい何かが身体を弄る感触が、少し火照った身体に気持ちが良い。いつもの固いベッドではなく、身体が沈み込む程の柔らか過ぎるベッドに男はハッとした。
「ッ!!」
いつもの様に枕の下に手を入れ、置いてあるはずの懐剣を探すが見当たらない。そして誰かが居る気配にギクリとする。
「あら?目が覚めたのかしら?」
聞き覚えのない声に一瞬だけ動きを止めるが男はすぐいつもの笑顔で対応した。
「………これは失礼しました。貴女が私を助けてくれたと言うフェリア嬢ですか?」
男が振り向いた先には、窓辺で椅子に座り寛ぎながら本を読む彼女の姿。真っ青な青い長い髪に深海を思わせる様な黒から青緑色のグラデーションのかかった服から覗く真っ白な肌、こちらを見る瞳は薄い空色。まるで海の精霊がそこにいるのでは?と思わせる様な容姿と姿に男は驚いた。
「いいえ。私こそ勝手に部屋に入り込んでしまって失礼したわ。私はフェリア・グレイス。この屋敷グレイス家の長女です。貴方はマーカスと伺ったのだけど合っているかしら?」
フェリアは本を閉じ、椅子に座ったまま顔だけを男の方に向け挨拶をした。男はベッドから立ちあがろうとしたがフェリア嬢からそのままでと言われ、上げかけた腰をそのままベッドに下ろし2人は対面した。
「ええ、名乗りが遅れましたが私の名はマーカスと言います。傷を負った私を助けて下さったのがフェリア嬢だとお聞きしました。ありがとうございます。本来なら私が」
「ストップ!!」
「……すとっぷ?」
マーカスは突然の制止にいつもの笑顔のまま首を傾げた。これからツラツラとつまらない貴族の口上を述べようと思っていた所で、聞き慣れない言葉により止められ。
「そう形式ばった言葉はいらないわ。それより貴方……」
フェリアは腕を組み立ち上がる。ツカツカと男に近づき上から下までジロジロと見る瞳は不審者かいなかを判断している目そのもの。男は笑顔のままゴクリと喉を鳴らした。
「貴方、本当にマーカスって名前なの?」
「えっ?」
一瞬、言われた意味が分からなくて素の返事がでてしまったがすぐに笑顔で。
「私の名前、どこか変ですか?」
反対に聞き返す。確かにマーカスと言う名前は知り合いから少々借りてはいるが、良くある一般的な名前だったはずだと男は認識している。
(……こちらでは『マーカス』は珍しいのか?そんな事はなかったはずだが)
「変……て言うより、しっくりこない?のが正しいかしら。貴方のその綺麗なオレンジ色の髪に金の瞳、まるで獅子のよう……」
フェリア嬢は人差し指を顎に添え首を傾げている。『マーカス』と言う名が納得いかない様だ。
(獅子、か。あながち間違ってはいないが……それにしても初対面で、どう見ても不審者そのものの私に対し最初に気になるのはそこなのか?)
「では、貴女はどんな名前が私には合っていると思いますか?」
マーカス本人には悪いが、拘りのある名前ではないのでもし彼女が自分に名前を付けるならどんな名前だろうか?と、些細な興味を惹かれそう聞いてみた。
「どんな名前?そうね……その髪、少し触っても良いかしら?」
一瞬だけキョトンとした顔で男の顔を見た後、フェリアは少し考え男にそう尋ねた。
「……どうぞ」
彼女が触りやすい様に頭を下げる。下げた視線の先にフェリアの靴の先が視界に入ると、小さな手が自分の頭を触る感触はとても新鮮だと感じる。
「失礼するわ。……うん、見た目の印象より柔らかくて………何だか良い匂いがするわ。甘くて美味しそう」
初対面であるはずの、しかも廃屋敷で倒れていた男の頭を触るのもどうかと思うが匂いまで嗅がれてしまった。
(……甘くて美味しい?どう言うことだ?)
「でもくど過ぎずに上品で落ちつく匂い……」
(???彼女は私の頭の上で甘味でも食べているのか?)
「…………」
しばし彼女の好きにさせ、満足したのか男の視界から彼女の足元が消え男は下げていた頭をあげる。
「そうね…アッサム…いえ、ダージリンかしら?」
「ダージリン……私は紅茶なのですか?」
彼女の感想から何か甘いスイーツにでも例えられるのかと思ったら、まさかの紅茶。
「そうよ、一見獅子のように見えるけれど貴方はどちらかと言えばゆっくりした時間に飲みたい上品なお茶ね」
腰に手を当てて少し背を反らす様に立つフェリアに、男は不思議な生き物でも見るかの様な視線を向けた後。
「フッ……くっ……」
男は俯き震え出す。フェリアは何事かと驚いて近づこうとしたが。
「ハハハッ!……ク、フッ……私に紅茶の名前……フフフっ」
何が面白かったのか男は笑い出した。ダージリンに例えたのが不服だったのか?もしかしてアッサムの方が好みだったのだろうか?フェリアは少々ご機嫌斜めな表情で男が笑い終わるまで胡乱な瞳で見下ろした。
「ハァ、ハァ……失礼。久しく声を出して笑う事なんてなかったから、笑うのがこんなに大変だとは思わなかったよ」
目尻に涙を浮かべる男は、姿勢を正しフェリアに向き直る。
「そう……貴方を笑わせる為ではなかったのだけど……楽しんでくれて良かったわ。それでどうするの?」
どうするとは?名前のことだろう。
「マーカスと言う名に違和感があるのなら、貴女のつけた名前で呼んでくれて構わないよ?もちろん紅茶の名前で呼んでくれても構わないけど?」
「でも貴方、笑ったじゃない」
笑ったことに対し怒っているのか少しだけ頬が膨らんでいる様に見える。見た目とは違い案外子供みたいな表情をする彼女に男は笑顔を浮かべた。
「ごめん、そんなつもりじゃないんだ。ただ私にそんな優しい呼び名を付けてくれる人が居るとは思わなかっただけで、けして嫌だからってわけではないから」
男の突然の優しい笑顔に驚きつつフェリアはそれならと考える。その様子を楽しんで見ている男は終始ニコニコしていたがフェリアは気づかないフリをした。
「いいわ!貴方の名前は『リン』!貴方が何でも構わないって言ったのだから拒否はなしよ!当分、その怪我が治るまではこの屋敷にいるのだからその間は宜しくねリン!」
言いたい事だけ言って去っていったフェリアを見送ったマーカスことリンは。
「プッ……アハ、アハハハっ!!変な子っ!!私に紅茶の名前とは!」
ベッドに身体を投げ出し笑っていた。ひとしきり笑った後リンはふと大事な事を思い出す。
「……しまった。背中の傷の事聞くの忘れた」
その頃。
足取り荒く歩くのはフェリア。リンと名付けた男の部屋を出た後、その足で厨房に向かっていた。ただ、頭の中は食べ物のことではなくあの男の事だ。
(あの男……私が部屋を出た後も笑っていたわね!)
扉の向こう側で笑っていた男の声をフェリアは聞き逃さなかった。やはり名前がいけなかったのだろうか?野良猫を拾って来た時、名前をつけたのはフェリアだった。その時の家族の反応はセンスがない!だ。ちなみにその時拾った猫は、白と黒のハチワレと言われる子で口元には立派な髭模様のある猫で名前は……はち丸?だったはずだ。フェリア自身は見たままで名付けたのだが家族から却下された。最終的に男爵と名付けられたその猫はいつの間にかどこかに行ってしまった。
目的地に着いたフェリアは厨房に入るなり、仕込み準備をしていた料理長に一言。
「いつものをお願いするわ!!」
ババン!と急に現れたグレイス家の長女フェリアに驚きつつも良くある事なのだろう、作業の手を止めフェリアの元に走り寄る。
「わっ!お嬢様!?危ないからここに来ては駄目だ…えっ?い、いつものですか?」
「そう!いつものをお願い!」
そう言うフェリアに、料理長は困った顔で。
「……すみませんお嬢様。今、例のモノを切らしてまして……次の食料を積んだ馬車が来るのが2日後なんですが……」
「2日後?……そう……それならしょうがないわね」
すまなそうな顔の料理長と困った顔のフェリア。そんな2人の間に。
「こんな所でどうされたのですか?お嬢様」
現れたのはこの屋敷の執事長の爺だ。
「あっ、爺。今ね料理長にいつものを頼もうと思ったら材料がないんですって。だから何か他のがないかしらと考えていたところなの」
困ったわ、といった表情で爺を見上げる。この屋敷の1番の年長者であり知識も豊富な爺であれば何か良いアイデアが出てくるかもしれないと、若干の期待を込めてフェリアは見上げていたのだが。
「……そう言えば、いつも食材を運んでくる御者の方からこの様なチラシを頂きましたが。行かれますか?」
爺の懐から一枚のチラシ。それを手に取り書かれていたモノを見たフェリアはガバリと面を上げキラキラの瞳で爺を見上げた。
「行くわ!!」
爺は白髪の混じる眉を下げ、頭を下げる。
「かしこまりました。只今準備いたします」
ぼんやりと窓辺に座っていたリンは屋敷から出て行く馬車に気づいた。
(馬車?フェリア嬢かな?さっき学院の制服を着た子が訪ねて来ていたし彼女もこれから学院に向かうのかもしれないな)
そんな事を思いながらリンは手元に視線を戻す。朝、フェリアがこの部屋に忘れていった物だ。時間潰しには丁度良いと思いその忘れ物の本を読み始めたのだが意外と面白いとリンは思った。
その本の背には―。
『廃屋敷図鑑』
何度も読んでいるのか所々に小さな丸がついている。
「これは……私が連れてかれた屋敷かな?」
そのページには屋敷の絵とその屋敷が廃屋敷になるまでにおこった出来事が書かれていた。
「成る程……あの屋敷ではそんな事があったのか……だから地下には大量の瓶があったんだな」
フェリアがモアスに話したこの屋敷の出来事には続きがあった。嫉妬と復讐で怒り狂った夫人が旦那である伯爵を食べた後、その伯爵と関係のあったメイド達も1人ずつ夫人への食卓にあがったとされている。だが、その際、大量の血の一部を瓶に詰めて保管していたらしいと書かれていた。つまりあの地下にあった大量のワイン瓶らしき物の中身はそう言うことだ。
「どおりで割れた瞬間血生臭いわけか……」
リンは更にページを捲り読み進めていく。そこまで分厚くないこの本は今日、明日で読み終わってしまうがどうしよう?とは思わなかった。フェリア嬢は怪我が治るまで休めと言ってくれたが背中の傷は治っている。少しだけ様子を見て、この屋敷に迷惑がかからないうちに出る予定だからだ。
「………本当、聞いた通り変わった子だね」




