出会い 3
ホーホーと梟が夜の闇夜の森の中で鳴いている。遠くない場所で時折ガサガサと何かが森の中を歩いている音が微かに聞こえて来るが、そんな事よりもフェリアは今、悩んでいた。
「これは一体……どうしたら良いのかしら?」
明かりは手に持ったランタンのオレンジ色の小さな光のみ。月明かりのない暗がりの中、心元ないその光で漆黒の闇の様な部屋の奥を照らす。光に照らされ、ボンヤリと白く浮き上がったソレをフェリアは見据えた。そこには冷たい石造りの床にうつ伏せに倒れている男が1人。その男の辺り一面には、真っ黒な液体が広がっていた。しかもその液体は徐々にだが未だに広がりを見せている。
「……ワイン?にしては鉄臭いような……」
広がりを見せるその液体は少し赤黒くワインとは違う匂いにフェリアは小首を傾げる。手に持ったランタンを少しだけ掲げると、倒れた男の全体像が良く見える。そしてその液体の発生先をみてフェリアは口を押さえた。
「まぁっ!………っ。モアスっ!モアス!!外で待機してる御者を連れてきて頂戴!なるべく早くお願い!」
フェリアは部屋の扉から顔を出し、薄暗い廊下でウロウロとしていたモアスに声をかけた。
「後、私の替えの服も持ってきてくれるかしら!」
遠くの方から『えっ!!?服?』と、驚いた声のモアスだったが一瞬だけ迷いすぐに戻ると言って走っていった。
フェリアは屋敷の玄関へと遠ざかるランタンの灯りを確認するとまたすぐに部屋へと顔を引っ込め、邪魔にならない場所にランタンを置き自分のスカートに手をかけビリビリと自分の服を破り始める。そして真っ黒な液体の上に膝を付き目の前に転がる男の背に破った服を巻いていく。
「……結構、深いわね」
包帯代わりの服が巻いてくそばから真っ赤な血に染まっていく。強く手で押さえるがフェリアの指の隙間からも新しい血がドクドクと流れていくのを感じる。チラッと男の顔を見れば随分と白くなってしまっている。触れる体温も少し冷たい。
「このままじゃ……」
フェリアは首から下げたペンダントをギュッと服の上から握った。いつも服の下に隠しているこのペンダントは今はもう亡き祖母の形見。それを握りしめ心の中で祈る。するとペンダントを握りしめた指の隙間から淡い青白い光が溢れ男を包んでいく。
「完璧には治らないかもしれないけどっ……男の勲章って事で勘弁してね」
フェリアはそう言って目を瞑り、モアス達が来るまで祈り続けた。
祈る間、誰かの声が聞こえた気がするが気のせいだろう。
***
夢を見た。
冷たくなっていく身体に暖かい何かが入り込んでくる。
さっきまで自分の死を覚悟していたはずなのに、この暖かい何かに包まれる不思議な感覚に固く閉じた瞼が僅かに開く。
「………妖精?」
男の視界には淡い光の中、何かを必死に祈る少女の姿があった。だが男は血を失い過ぎたせいかすぐにその重たい瞼を閉じる。
そして次に男が目を覚ますと、そこには知らないご老人が私を覗き込んでいたのだ。……覗き込むのは良いが随分と近すぎないだろうか?
「…………?……??」
「………お目覚めですか?お客様」
お客様?男はふと自分の今の状況を考える。知らない部屋に見知らぬご老人、指先に意識を集中させればピクリと動くのを感じる。四肢の感覚は全てある、どうやら拘束はされていないらしい。自由に動く腕で自分の身体に手をやれば清潔な包帯で巻かれているのが確認出来る。ゆっくりとベッドから身体を起こし、すぐ真横に立って自分を覗き込んでいた老人へと話しかけた。
「……ご老っ、ゴホッ、ゴホッ!!」
だが、男は咳き込みうずくまる。丸くなった背を老人は優しく撫でた。
「大丈夫ですかな?お客様は病み上がりですから、まずはお水をお飲み下さい」
ベッド横に置かれた水をグラスに注ぎ、老人は男に差し出す。男は差し出された水に一瞬だけ躊躇した表情を見せたが、すぐに受け取り匂いを嗅ぐ。
(……無臭)
乾いた唇がグラスの端に付き水を口に含んだ瞬間男は一気に飲み干した。たぶん自分が思っているよりも喉が渇いていたのだろう。それはそうだ、まともに飲める物を久しぶりに口にしたのだから。乾いた身体の隅々まで水が広がり、まるで身体が喜んでいるようだ。
何度目かのお代わりの末、用意されていた水が尽きかけた頃。男はグラスを机の上に置いた。老人の「もう少しお持ちしましょうか?」を丁寧に断る。流石にこれ以上飲んだらお腹が破裂しそうだ。
「ありがとう。……所で此処はどこでしょうか?」
確か自分の中の記憶では森の中にある使われていない屋敷に連れ込まれ、逃げられない様に服を剥ぎロープか何かで縛られたあげく何処か狭い場所に監禁されていたはずだ。その証拠に自分の手首を見ればそこにも包帯が巻かれている。
「こちらはローレン・グレイス様のお屋敷でございます」
うやうやしく老人が頭を下げそう告げた。
(グレイス家?聞いた事はあるが……随分と南の方まで下ったものだ)
男は一度だけ頭の中を整理し、側で控える老人に声をかける。良く見れば質の良い執事服を着ている。
「……当主のローレン伯爵にお会いしたいのですが面会の旨を伝えて頂けますか?」
どういった経緯か分からないが傷だらけの身元不明なこんな怪しい自分を拾い、ここまでしてくれたこの屋敷の主人にお礼を言わねばと思い言ったつもりだったが次いで老人の口から出た言葉に、男は驚いた。
「当主であられるローレン様は現在このお屋敷にはおりません。怪我をした貴方様を見つけ介抱されたのは、このお屋敷の長女のフェリア様でございます」
「………?もう一度お願いします」
(……聞き間違いか?長女が助けた?あんな廃屋敷で?何の為に?)
男は病み上がりで自分の耳がおかしくなったのかと思いもう一度聞く。が、返ってくる答えは同じだった。
「…………いない、のですか?奥方も?」
頭が少し混乱しそうだ。グッと目を瞑り、指で目頭を押さえる。
「ええ、ご夫婦そろって今は地方に行っております。もう何週間かしたらお戻りになる予定ですがいかが致しますか?」
どうする?と、聞かれてもこの屋敷の主人は不在。介抱してくれたと思われる『フェリア』と言う名の娘。男は窓の外をみた、どのくらい自分は寝ていたのだろうか?あの怪我からして随分と寝ていたに違いない。月明かりの殆どない真っ暗な夜空が窓の外に広がっている。
男は小さくため息をはき、老人に視線を向けた。
「そうですね、助けて下さったフェリア嬢にお礼を言いたいので明日の朝はどうでしょうか?」
男はいつものように軽く笑みを浮かべ老人にそう提案してみた。
「ご配慮感謝致します。フェリア様に伺った後こちらにお食事をお持ちしますのでしばしお待ち下さい……失礼ですが、お客様のお名前を伺っても?」
男は自分が名乗っていないことに気づいた。ほんの逡巡の末。
「これは失礼。私の名は『マーカス』と言います」
「マーカス様ですか。承りました。私はこのお屋敷の執事長をさせて頂いておりますロイズと申します。お見知りおきを」
失礼しますと去ったロイズを見送り、マーカスと名乗った男はふと思い出した。
「そう言えば、背中の傷……」
抵抗した時、男達の1人に背中をバッサリと斬られた。この身体に巻かれている包帯が手首同様その証拠だ。あの時の感覚でいったら流石にもう駄目かと思っていたのだが、あの傷で良く生きていたなと今更ながら気づいた。
「案外傷が浅かったのか?」
斬りつけた男達の様子から、深く斬られたとは思うのだが……。動いても何の痛みも感じないのは流石におかしいのではないか?男は部屋の中をぐるりと見回しお目当ての物を見つけるとベッドから降り、上着を脱ぎその前に立つ。
無駄のない均整のとれた肉体。
まだ血色の良くない顔と、脱いだ上半身には無数の傷痕。
「……これ以上増やすなって怒られそうだ」
男は怒る誰かを思い出しながら、くるりと背中を鏡に向けた。大きなその鏡に映された自分の背中も傷痕が酷い。
「……改めて自分の身体を見ると……随分と酷いな。これじゃあ、女性も逃げるわけだ」
苦笑気味に自分の身体の感想を呟きながらも視線は目的の場所に移動する。だが、男は目を見開いた。
「……針の10、15は覚悟していたが……これは一体どう言う事だ?」
***
「あったま痛〜い……」
フェリアはソファで垂れていた。
「だ、大丈夫?ベッドで横になった方が良いんじゃない?」
ソファの周りではモアスが落ち着きなくオロオロウロウロとしている。昨日あんな事があったので、朝学院に向かう前にグレイス家に寄ったモアスは痛みでうめくフェリアを心配そうに見ているしかなかった。
「うう〜、力を使った後に頭が割れる様に痛くなるのはいただけないわね」
あ痛たたたと、両手で自分の頭を押さえている。
「氷か何か持ってくる?爺に頼んで来ようか?」
「大丈夫じゃないけど、大丈夫よ。熱があるわけじゃないから。モアス、貴方は学院に行く時間でしょ?えっと……何だったかしら?」
フェリアは痛む頭で何かを思い出そうとしたが、痛みが邪魔をして思いだせない。
「課外研修のこと?でも、僕今回の研修は休む…」
「駄目よモアス。今回の課外研修は貴族として必須事項の内容なのでしょ?これからこの貴族社会で生きて行くなら行った方が良いわ」
フェリアは痛みを覚えながらも、貴族の一員として先輩である自分がこれから貴族社会に飛び込んでくる後輩に正しい道を示す。
「でも……」
「でもじゃないわ。たかが一週間でしょ?あっという間よ!行って来なさい」
ビシッと突き出した人差し指をモアスの鼻に押し付ける。
「ブッ!…ちょ!鼻がつぶれる!」
「それと、オウバズの『はちみつバウムクーヘン』をお土産に宜しくね♪」
ニッコリと笑うフェリアにモアスは半眼で頷いた。
「……貴族社会が、とか言ってるけど本音はそこでしょ」
今回の課外研修。オウバズ地方は馬車で数時間走った場所にある農村の多い土地だ。そこの『はちみつバウムクーヘン』はたっぷりのはちみつと生クリームで食べる、女性に人気のお菓子で以前モアスの父がお土産にと買ってきたのが始まりだった。
「何か言った?」
それ以降、オウバズ地方に行く機会があれば必ずと言って良いほど頼まれるのだ。
「!!?何にも!何にも言ってないよ!それじゃあ時間だから僕行ってくるよ」
「うん。気をつけてね」
手を振るフェリアにモアスも手を振りかえす。待たせてあった馬車に乗り込み、遠くなるグレイス家の屋敷をモアスはもう一度振り返りフェリアの部屋ではなく別の部屋へと視線を向けた。
そこは昨日の廃屋敷で見つけた怪我人であるあの男が寝ている部屋。まだカーテンはきっちりと閉められている。
モアスは親指の爪を噛みながらその部屋の窓を睨みつけ、渋々と学院へと向かった。
窓辺のカーテンの隙間から馬車が遠ざかって行くのを確認すると、男はドサリとベッドに座り込む。
「………こちらに気づいた?」
気配は極力消していたはずだがあの少年は真っ直ぐにこちらを見ていた気がする、だが直ぐに視線を外し去っていった。あの馬車は朝方、日が出て来てすぐにこの屋敷にやってきた。こんなまだ早い時間に?と、不審に思いカーテンの隙間から見ていたら先程の少年が馬車から降りてきたのが見えた。
(……あの服は……辺境伯の学院の?フェリア嬢を迎えにでも来たのか?今日の昼前に面会出来ると、昨日の夜執事長に聞いていたが聞き間違いだっただろうか?)
そう思っていたのだが、出て来たのは少年1人。振り返り、屋敷を見上げる少年の視線の先にはきっとフェリアの部屋があるのだろう。
「………フェリア嬢を心配して来たってところか?差し詰めこんな時間に訪ねてくるなら親しい仲か…婚約者辺りだろうな」
その辺りの事情に関しては興味のない男は、そのままベッドに転がった。普段の男であれば人の目を気にして出来ないが、今日は誰の目もない。服のシワを気にすることもなくゴロリと寝返りをうつ。少しまだ血が足りないのか頭がぼんやりしていて思考が微睡む。
「……面会時間にはまだ早いし……もう少しだけ眠ろう」
眠る理由を決定する。自由ではあったが自由では無かった男の、これまでの生活の中。眠る理由でさえも必要がいた中でうとうとするのはいつぶりだろう?いつの間にか男は目を閉じ眠ってしまった。




