別れは夕焼けに照らされて
こじんまりとしながらどことなく洗練された雰囲気のカフェ『cielua』で、私は『彼』である晃司と待ち合わせをしていた。
本来なら甘いデート……にならないのは、晃司が約束の時間に30分以上も連絡もなしに遅れて来たということだけでもわかるだろう。
何の詫びの言葉もなく、一言
「アイス珈琲」
そうオーダーしただけで、晃司はもうスマホをスッスッ…と弄んでいる。
まるで、私の存在なんて初めからないように……。
私はエスプレッソを一口飲んだ。
それはとうに冷めていて、苦味ばかりが感じられる。
束の間の逡巡。
私は……。
しかし、私はおもむろに口を開いた。
「別れましょう。晃司」
その時。
初めて彼は視線をスマホから私に転化した。
「な、何言ってんだよ。美彩。突然」
「突然じゃないわ。あなたが散々浮気してるの、私が知らないとでも思ってた?!」
私は言葉を荒げた。
「もうたくさん! 私はしょせん二番目、三番目のキープで……あなたが他の女とつきあっててもそれでもあなたがすきだった。でも」
私はワナワナと震える手で卓上のガラスコップを掴んだ。
そして、そのコップの水を思い切りよく彼にぶちまけたのだ。
シン……と静まり返る店内の凍りついた空気。
周りの客は無遠慮に固唾を飲んで成り行きを見守っている。
「今までの貸しも仕打ちもこれでチャラにしてあげる」
そう捨て台詞を残すと、本当に最後となる晃司に向かって呟いた。
「さよなら」
頭から水を被り茫然と呆けている晃司には目もくれず、私は勘定を払うと『cielua』を後にした。
クーラーの効いた店内から一歩外に出ると、晩夏の夕暮れだというのに外はまだムッとする熱気を残していた。
街路樹の蝉はまだ残る短い命の限りを尽くして鳴いている。
西の空は大きな太陽が沈みかけていて、真っ赤な夕焼けで彩られている。
それは、ありふれた夏の日の夕暮れに過ぎなかった。
明日もまた快晴。
そんなことを思いながら、一歩、また一歩、カフェから離れていく。
今頃、晃司はどうしているだろう。
公衆の面前で恥を搔かされたことで、私に対する想いなどもう一欠片も残ってはいないだろう。
歩道橋の上を歩きながら、自然歩みが止まった。
さよなら……晃司。
本当に本当に好きだった。
あなたのこの上なく優しい眼差しが、私だけに向けられていたら……。私は……。
ぼってりと大きな橙色の太陽が、人知れず涙しているそんな私を照らしている。
夕焼けに赤く照らされながら、私は彼への想いを無理にも後ろに置き去りにしていく自分をぼんやりと感じていた。