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二回裏「野球外交への決断」

 リゼットの後ろ姿を見送ってから数分――。


(イチマチマルマルと言うのは、俺たちの世界で夜の十八時くらいなのかな?)


 俺は乱雑に置かれた木箱を片付けながら、何だか妙なことになったと改めて感じた。


(電車とホームの間に落ちたのは終電の時間だったし、ほぼ一日無断で家に帰らなかったことになるのか。家族や友達も心配してるだろうな……)


 続けて、近くにあった乾いた布巾で汚れた壁を拭いていく。


(しかも目覚めた先は、近々紛争が起こる世界……ってことは、最悪死の危険性もあるってことだろ?)


 木箱を並べ、その上にごわついた毛布を乗せて簡易ベッドを作る。


(冗談じゃない。生まれた場所と死ぬ場所が違う世界なんて体験、きっとどこを探しても俺ひとりだろう……)


 そしてゴロンと横になり、ふと視界に入り込んだバット……。


(リーグ優勝を逃したとは言え、『プラバス』は今日もしっかりナイターをやってるんだよな。セリナは気が利いて録画をしてくれているだろうか……)


 いや、しないだろう。


(あいつの見たい番組は、いっつもナイターと被ってるんだ。そして半ば強制的に、俺はチャンネル戦争に敗れる)


 そのため、経過や結果を遅れて把握するのだ。


(試合の一挙手一投足を選手とともに手に汗握ることができないなんて、空しいったらないよな。でも、あいつを怒らせるとその後が怖いし……)


 天井にセリナの怒った顔が浮かんでは消える。

 俺は逃げるように目を閉じると、一度に色々なことを考え経験した疲れからか、そのまままどろみの中へと沈んでいった――。


 それからどれくらい経っただろうか。


 控えめなノックの音によって、うとうととしていた俺の意識が呼び戻される。

 先ほど見たばかりの天井。

 一瞬、今までのことが夢だったら……と思いつつも、あくびを噛み殺しながら立ち上がる。


「遅かったなリゼッ――」


 しかし、起き掛けのぼんやりとした視界の先に映ったのは、彼女ではなく――。

 赤い髪?


「あちゃー。やっぱりお望みはリゼットだったか」


 この陽気な声には聴き覚えがある。


「ノエル、ごめん。リゼットは必ずここに帰ってくると言い残して出て行ったもんだから、つい……」

「気にするなって。まぁそもそもあたしだって、リゼットの代理としてきたんだからね」


 と言って、ノエルは笑みを崩さぬまま、肩幅ほどの大きさの白いプレート皿を差し出してきた。


「食事だよ。腹、すいてるだろ?」

「あ、ああ。助かる。でも、リゼットはどうしたんだ?」

「あいつはジゼルの居残り特訓を食らってるよ」

「ってことは、結局会議とやらに遅刻したのか?」

「だいぶね。ジゼルへの言い訳は、来る途中、道で転んだ婆さんを介抱していたから……らしいけど」


 何となく、その光景が思い浮かぶ。


「へぇ。なんだかリゼットらしいな」

「あいつは根っからの世話焼きだから。ショウも運が良いよな。リゼットの仲裁がなければジゼルに斬られてたぞ」


 ノエルは室内に入ると、持っていたプレート皿を俺が木箱を重ねて作った簡易テーブルの上に置く。


「この倉庫こんなに広かったんだな」


 コンソメのような食欲をそそる匂いがより一層近くなった。

 唾を飲み、その香りに誘われる形で視線を下に向けプレート皿の中身を覗く――。


 が、次の瞬間、俺は何とも言えない気持ちになった。

 国に仕える少女騎士団。紛争を控えているとは言え、さぞかし美味い物をたらふく食べているのだろうとタカをくくっていたのだ。


 しかし実際は――。


 茹でたイモがひとつに、乾煎りした豆が数粒、具のない朱色の温製スープ……と、極めて質素なものだった。


「悪いな。これがせいいっぱいなんだ」


 食事内容を見、思わず固まってしまった俺に、ノエルは申し訳なさそうに呟く。

 せいいっぱい。その言葉の意味がいまひとつ理解できずにいると、突然背後から鋭い声が割り込んできた。


「それは我が説明する」


 壁に背を預け腕を組み、腰には大振りのロングソードを携えた金髪の騎士――。


「まさか、あのときのキサマがここにいるとはな。まったくリゼットのお人よしにも困ったものだ」


 初めて会ったとき同様口調は攻撃的だが、ジゼルの表情はいくぶん穏やかに見えた。


「だが安心しろサワムラ。キサマが問題を起こさぬ限り、我は剣を向けることはない。リゼットに感謝するんだな」


 ひと通りの会話を終えるとジゼルは壁から背を離し、ひと呼吸置いてから本題に入った。


「我々の国では、長期に渡り食糧難が続いている」

「食糧……難?」

「ショウ。お前がここにくるとき、道が歩きにくいと感じることはなかったか?」

「あ、ああ。たしかにデコボコとしてて、何度も転びそうになったよ」

「ここ一帯は土壌の状態が悪く、水はけも良くない。植物や野菜が育ちにくい土地なのだ」

「この国の子供たちには会ったか?」


 食糧問題から土壌の話へと飛び、さらにはいきなり子供の話題へと飛ぶ。

 俺はそれぞれの関連性も見いだせぬまま、ノエルの問いに頷く。


「会ったよ。みんな元気そうだったけど……」

「元気そうだった、か。それは本音か? 心の底では何か思うところがあったんじゃないのか?」

「ま、まぁたしかに。でもそれは俺の気のせいかもしれないし――」

「口にしてはいけない禁忌タブーかも――と、そう思ったわけだ」


 長身の女騎士ふたりが腕を組んで囲み立つ威圧感は半端ない。

 だからこそ、俺はただ機械のように首を縦に振ることしかできなかった。


「気のせいじゃない。ガンバレヤの子供たちは皆、痩せすぎているのだ」

「痩せすぎている?」


 そうか。

 リゼットが集まってきた子供たちを撫でるときに覚えたかすかな違和感。

 彼女自身も決して体が大きい方ではない。だからこそ気が付かなかった。でも、思い返してみると確かに――。


「ああ。なんせ毎日こんなものしか口にしていないのだからな」


 ジゼルはため息とともに、白いプレート皿に目を馳せる。


「食糧難によって、子供の成長に必要な栄養が摂れないんだ。だから……」


 ノエルもジゼルとまったく同じ表情で俯く。


「次世代の少女騎士団候補も、満足に剣も振るえぬ体になってしまっている。これは国の損失であり、国の危機でもある」

「今回あたしたちが新たな領土としたいと考えているところは、緑が豊かで植物や野菜の栽培に適した土地なんだよ」


 あのときリゼットが説明していた、未開拓の緑地……。

 ノエルはあそこのことを言っているのだろう。


「つまり、紛争で獲得した領土を田畑として活用したいと思っているわけか……」

「理解が早いな、ショウ」

「ただ、我々が魅力的だと思った土地は、他国も同様に思っている。だから争いが起こる」

「十日後。この近辺が戦渦に巻き込まれるのは間違いない。それなりの覚悟はしておいた方が良いな」

「それにしても運の悪いことだ。聞くところによるとサワムラ、キサマは違う世界からやってきたらしいじゃないか。ま、我も初めて見たときは変だと思ったがな」


 ジゼルはふいに俺に近づき、頭のてっぺんからつま先にいたるまで品定めをするかのように見据える。


「はっはっ! たしかに。今どき木の棒で戦うなんて騎士、聞いたことがないしな。子供でももっとマシなエモノを使うよ」

「い、いや。だからこれは武器じゃなくて――」


 と、そこまで言ったところで、俺は今までのやり取りをふと思い返してみた。


 ここは異界の地、コー・シエンのガンバレヤ国。

 ガンバレヤでは長年食糧難に陥り、国民が満足に食事を得られない日々が続いている。

 十日後に迫った紛争で、ある未開拓の地を自国の領土として得、食糧難を解消する田畑として活用したいと思っている。

 ただ、紛争が起これば多くの犠牲は免れない。ジゼルやノエルが気にしている子供も、一生剣が振るえなくなってしまうかもしれない。

 そんな中、まったく違う世界から飛ばされてきた俺――。

 これには何か理由があるはずだ。そして一緒に飛ばされてきたバットとグローブと白球。これにも意味が……。


(そうか……!)


「どうしたんだショウ。いきなり黙って……」

「領土問題を解決するためには、やはり軍事力をもって戦うしか道はないのかな?」

「……何を今さら。当たり前だろう? 欲しいものは相手を殺してでも奪い取る。それがこの世界のルールだ」

「俺のいた世界ではスポーツと言った競技で、己の鍛えた肉体や頭脳を駆使して戦っているんだ。もちろん、基本的に死者は出ない」

「すぽーつ? 死者が出ない? どういうことだ?」

「勝ち負けを、相手よりも早く走ったり、飛んだり、投げたりして競うんだよ」

「バカバカしい。そんなことをして、いきなり相手が斬ってきたらどうする」

「できないように、三国同士でルールを作ればいいじゃないか。俺の持っているこの道具は、スポーツの中でも特に野球をするためにあるものなんだ」

「やきう?」

「野球をして、勝った国が領土を使用する権利を得ることができる……そうすれば、死者も出ないし、子供たちの笑顔も守れるじゃないか」

「そんなことが可能なはずがないだろう? イテマエもエエンヤデも、今頃必死で作戦を練り、剣の手入れをしているんだぞ」

「だったら、俺が直接二国に交渉に行く。野球外交にな」

「外交だと? よそ者のキサマができるわけがないだろう!」

「やってみなきゃ分からないだろ。それに俺は初めから諦めるのが大嫌いなんだよ!!」

「……くっ」


 イシグロ選手受け売りの決まり文句の効果は絶大だ。

 あのジゼルとノエルが、口を閉ざし後ずさる。


「あと十日はどの国も軍事力を行使できないんだろ? だったらその間、俺も俺なりにガンバレヤに良い風が吹くように動いてみるさ」

「……面白いやつだ。なら勝手にやってみるがいい。ただ、こちらに不利益が生じるようなことがあれば、そのときは容赦なくキサマを斬る」

「ああ、分かった」

「ふん。ほら行くぞノエル。今日の鍛錬はまだ終わってないんだからな。残してきたリゼットのことも心配だ」

「あ、ああ……」


 体をひるがえし去ろうとするふたりの背中に、俺は再度声をかける。


「ちょっと待った。あとひとつだけいいか?」

「なんだ?」

「ミリッツァを俺に紹介してほしい。何でも頭のキレる人らしいじゃないか」


 何故その名前をキサマが知っているのか……と眉間にシワを寄せたジゼルだったが、すぐに表情を改める。


「ミリッツァは我が少女騎士団の参謀。戦いにはなくてはならない存在だ。もし変なことを吹き込むようであれば……」

「安心してくれ。少し話がしたいだけだ」

「まぁ良い。手配はしてやる。だがミリッツァは分別のある女――。キサマの戯れ言など左から右であろう」

「ありがとう、ジゼル。ありがとう、ノエル」


 ジゼルは別段返事は返さなかったが、ノエルは一瞬だけこちらに軽く頷いたあと、部屋を出て行った。

 残された俺は、すっかり冷えてしまったスープと味気のない豆とイモを無理やり腹に流し込み、明日に向けて体を休めるのであった――。

ここまで読んで頂きありがとうございました。


どうです? 続きが気になってしょうがないでしょう?

このあたりから物語の核が本格的に始まる感じやね。

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