八回裏「甲冑を脱いだ少女たち」①
試合前日の夜、俺はジゼルから伝えたいことがあると言われ、呼び出しを食らっていた。
待ち合わせ場所は彼女の自宅前であったが、その少し前に同じ理由で呼び出されたと言うノエルと出会い、挨拶を交わす。
「お疲れ、ノエル」
「ショウもな。あー、それにしても明日は試合かぁ。紛争とは違った緊張を感じるな」
「皆、これまでよく練習に励んでいたと思うよ。おかげでプラバスは上手く煮詰まった状態だと思う」
特にノエルは随所で声を張り上げ、皆を引っ張ってくれた。
団体活動にはとにかく衝突や挫折はつきものである。
けれど彼女は陰日向となり、立派に支えてくれた。
ジゼルでなくても、本当に頭が下がる思いだ。
「でも甲冑を着ないでいいなんて変な感じだな。特にこの服、下半身がスースーしてますます落ち着かないんだけど」
ドミニクがどこからか調達をしてきたワンピースに袖を通したノエルは、頬を赤く染めながら言う。
「いいじゃないか。似合ってるし、可愛いぞ」
「か、可愛いって……。あたし、今まで男にそんなことを言われた経験ないよ」
「それは、今まで会ってきた男に見る目がなかったんだろ。素材はいいんだから、磨けば光るよ。ノエルみたいな子は」
「は、はは……。そ、そうかな」
胸元で指をいじいじとさせる姿が、実に可愛らしい。
「それと、野球の練習の傍らエエンヤデに遠征に行ってくれてありがとう。ミリッツァもロジーヌもとても感謝してたよ」
「ああ。たしかに消波ブロック(テトラポッド)を組み合わせるのはだいぶ骨が折れたよ。でも――」
「?」
「あたしは基本的に国の守り人として置かれることが多かったから、遠征によって他国の情勢を改めて知ることができて良かったよ」
ノエルは遠征で得た情報を熱心に伝えてくれる。
「結果として、エエンヤデの子供たちの未来を救えたんだからな。人を殺めるのが日常になってしまう前に……」
「子供たちの様子はどうだった?」
「元気にやきうをしてたよ。もうすでに、少年少女やきうチームなんて団体が出来上がってるらしい」
「へぇ、それは凄いな。是非ガンバレヤにも取り入れたい事項じゃないか」
「子供だけじゃない。お年寄りも健康のためにと、シニアやきうチームなんてものを立ち上げてさ、しかもこれが意外と手ごわい爺さん婆さんたちなんだ」
野球を通じて、他国の人間同士が年齢性別問わず交流を図る。
イテマエに行ったミシェルとサラからも同じような報告を貰っているし、今後よりいっそうコー・シエンに良い風が吹きそうだ――。
と、そこまではいい。
それまで陽気に笑っていたノエルの表情が一気に曇る。
いや、彼女よりも前に俺が同じような浮かない顔をしていたせいかもしれないが……。
しかも、その理由もお互いそれとなく察していた。
「ショウ。ジゼルのコトなんだけど……あいつの耳に入らないところで、ひとつ伝えたいことがあるんだ」
思った通り。
「マリナの……いや、生命の木の果実についてだ」
紛争が回避できたとは言え、ジゼルにとって未だマリナの病と言う不安要素が残っているのだ。
「今日の遠征で、オリヴィアに尋ねたんだ。そしたら――」
「……」
「そんなものはこの世に存在しない。きっとその旅人にいっぱい食わされたんだろう……って言われてさ」
淡々と語るノエルに、俺の思考は一瞬ストップしてしまう。
「つ、つまり冗談だったってことか?」
「その可能性が高い、と」
「だってジゼルは、あの土地を各国で共有することになった暁には、自由に探索ができると喜んでたじゃないか。今日だって――」
「あたしだってずっと存在すると思ってたさ! でもよく考えてみれば、どんな病気に効くなんておかしな話だよな」
「おかしい。たしかにおかしいけど……酷い話だ」
「この件、ジゼルに伝えるかどうか迷っててさ。ただ、あたしの性格上隠し通せる自信もなくて」
「俺だって一緒だよ」
「それに伝えたことによって、ジゼルが以前のジゼルに戻ってしまうんじゃないかって言う不安もあるんだ」
「以前の……ジゼル?」
「ああ、初めて会った頃のような……」
ノエルとジゼルの関係はプラバスの中でも一番長い。
今から十年前、故郷スマ・ンナを追われ、命からがら逃げだしたジゼルたちに手を差し伸べたのも彼女だ。
「あのとき、あいつはその小さい体で妹を背負い、一本のロングソードを懸命に引きずって歩いていたんだ」
着ていたものもボロボロ。体からは血の匂いが漂い、顔は泣きはらしたようにくしゃくしゃで――。
このまま見過ごしてしまったら、一生後悔するかもしれない。
そう思ったノエルは、なお歩き続けるジゼルに呼びかけた。何かできること、欲しいものはないかと。
「体もガリガリだったから、食べ物や水が欲しいと言う言葉を期待した。でも、あいつはそんなものはおくびにも出さず、ただひたすら――」
強くなりたい。
「強くなりたいから、強くなれるところへ連れて行ってくれ、と言ったんだ」
丁度その頃、ガンバレヤへの旅の途中であったノエルは、少女騎士団団員募集のおふれの件を伝えると、途端に食いついてきた。
ただ、そのときのジゼルの目は黒く澱み、人としての生気を感じなかった。
「見ればマリナも同じで、ジゼルは疲れて眠っているだけだと言ったけど、一週間近くも同じ状況が続いて、これはおかしいと気付いたんだ」
助けてくれたことに恩義を感じていたのか、ノエルに対してだけ心を開いたジゼルは少しずつ今までの経緯を話してくれた。
「あいつは涙ひとつ流さなかったけど、あたしにはその一言一句が断腸の思いだったよ」
ノエルは当時のことを思い出したのか、少し声が震えている。
「あたしも団員活動の傍ら、何か解決策がないかと探し回ったけど、ダメでさ……。そんな空回りが数年続いたある日――」
ひとりの風変りの男がガンバレヤの食堂にフラッと入ってきた。
食事を摂りながら今日の成果を報告し合っていたジゼルとノエルは、隣で立ち聞きしていたと思われるその男から声をかけられる。
「その病、生命の木の果実を食べれば治るかもしれないぞ……と」
藁をも掴む状態であったジゼルは、この男の話をいとも簡単に鵜呑みにしてしまう。
しかし、ジゼルはプラバスの活動を決しておろそかにすることはなく、寝る間も休む間も惜しんで生命の木の痕跡を集め始めた。
雨の日も、風の日も――。
「あの男の話が気まぐれだったのかもしれないって聞いて、あたしも初めはショウのように酷い話だと思ったよ。でも、ほんの少しはその男に感謝してる部分もあるんだ」
「なんでだよ。ジゼルの気持ちを踏みにじったんだぞ」
「その言葉によって、ジゼルに生きる希望が湧いたからだよ」
「あ……」
「それまでのあいつの剣は、ただ相手を打ち負かしたいと言う雑多なものだった。言うなら、感情のない機械のような太刀筋――」
「……」
「だから先輩団員にはいつも馬鹿にされててさ。あんなへっぴり腰で騎士が務まるかと散々嫌みを言われていた」
「そう、だったのか」
「でも、生命の木の話を聞いてから途端に剣が生きてきたんだ」
剣だけじゃない。生活にも変化が訪れた。
詰所に誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰る。剣術のみならず、清掃や食事の支度、シュヴァル・ブランの世話にいたるまで、どうしてここまで働くのかと思うくらいに懸命に働いた。
そんな日が続けば、当然周りの見る目も変わってくる。
「いつしかそれまで馬鹿にしていた先輩団員もジゼルの背中に魅了され、一目置くようになったんだ」
そんなとき、プラバスの世代交代の話が持ち上がる。
「ジゼルはあたしに、プラバスの団長になって活動の傍ら生命の木を探す。もちろん、団の皆には迷惑をかけないとハッキリ言ったんだ」
本来、団の中では公私混同などご法度。
だが、とてもじゃないがそんなことは口に出せなかった。
もし口にすれば、ジゼルと一緒に今まで積み重ねてきたものを一瞬で壊してしまうかもしれない……と思ったからだ。
そうは言っても、ノエルも騎士団長を夢見てはるばるガンバレヤにやってきた人物。
「複雑な思いだった。あたしの夢、ジゼルの願い、天秤にかけたらどっちが大切なんだろう……と」
ノエルは大きく肩を落とし、息を吐く――。
そのときだった。
扉を開く乾いた音。
次いで、ハイヒールの高音がふたりの耳を通り抜ける。
「騒がしいと思ったら、どうしたのだそんなところで。早く中へ入れ」
現れたのは、甲冑を脱ぎ、ノエル同様ワンピースで着飾ったジゼルだった。
月明かりに照らされた彼女の姿は神秘的で、まるでどこかの国のお姫様のようで……ふたりは言葉を失う。
「あ、いや。ちょうどそこでショウと会ってさ。な?」
「そうそう。で、ノエルの服がすごく似合ってるって話をしてて……」
「でもやっぱジゼルには敵わないな。キレイだ」
「ああ。思わず見惚れちゃったよ」
「そ、そうかっ? ドミニクのやつが我にって渡してきてな。こんな可愛いヒラヒラの服に袖を通すのは、小さい頃以来だ」
まんざらでもない様子のジゼルに、俺とノエルは安堵する。
どうやら、ついさっきまで話していた内容は聞かれていなかったようだ。
「で、伝えたいことってなんだ?」
「まぁ中に入れ。それからだ」
ジゼルの家に入るのはこれで二回目……。
そう。たった二回なのにもかかわらず、間取りもすっかり記憶してしまっている。
それほどまでにこじんまりとし、物という物がほとんどない家だった。
やがて案内されたのは、より記憶に強く残るマリナの寝室。
彼女は以前とまったく同じ位置、姿勢のまま、ベッドに佇んでいた。
ジゼルはベッドに近づき、マリナの頭をふわりと撫でる。
時計の秒針が一周するほどにゆっくりと。
撫でた後、俺たちに向かって深く頭を下げた。
「ありがとう」
「どうしたんだよジゼル」
「そうだよ、突然」
「今日はふたりに感謝を伝えようと思ってな。まずはショウ、本当にありがとう。明日もまた、無事にこうやってマリナの頭を撫でることができそうだ」
「え……」
「我は正直不安だったのだ。紛争が起これば、命をなくしてしまうかもしれない。もしそうなれば、今後誰がマリナの面倒を見るのか……と」
「……ジゼル」
「しかし、騎士団長としての役目も果たさなければならない。仲間が死んで、もし我だけが生き残ったら、それは団長としての名折れだ。だから――」
「まさか初めから、この紛争で死ぬつもりだったのか……?」
「ああ、もちろんそのつもりだった。騎士団長は紛争によって惜しくも散った……となれば、国民誰しも納得するだろうからな」
「……」
「それにたとえ死んだとしても、我には天国で迎えてくれる父と母がいる。だが、マリナはどうだ? マリナは、この先たったひとりで、ひとりぼっちで生きていくことになる。そう考えたら――」
ジゼルは右手で目頭を抑え体を震わせた。
「死ねない。死ねないよな、絶対。我は迷った。騎士団長としてのジゼル・ベルジュラックを取るか、姉としてのジゼル・ベルジュラックを取るか……」
「……」
「でも、そんなときショウ、お前が現れたんだ」
俺をまっすぐ見つめる瞳には、うっすらと膜が張っている。
「やきう外交をして紛争を止める……なんて戯れ言を初めて聞いたときは、正直できるはずもないと勝手に決めつけていた。しかし、日に日に現実味を増し、ついには本当に紛争を止めてしまった……」
「俺は何もしてないさ。ジゼルはじめ、プラバスの皆が一丸になって頑張ってくれた結果だと思う」
「ふふっ、殊勝だな。でも、キサマのそういうところは嫌いではない。だけどもう一度言わせてくれ。ありがとう……」
ジゼルは再度深々と頭を下げた後、視線をノエルに向けた。
「お前にも、本当に迷惑をかけた。言葉では言い尽くせられないほどにな」
「よせよ。あたしたちの仲じゃないか」
「お前がいてくれたからこそ、我は今日まで腐らないで生きることができた」
「あたしだって、ジゼルがいてくれたからこそここまでこれたんだ。お互い様さ」
はにかみながら、ノエルは頬をかく。
「そして……今更になって言うのはなんだが、すまない。お前の大事な夢を奪ってしまって……」
「たしかにあたしの夢は騎士団長になることだった。でも、あたしは正々堂々お前と戦って負けたんだ。だから、悔いはない」
「ノエル。それは違――」
ジゼルの言葉を遮るように、ノエルはぽんと肩を叩いた。
「ジゼルの願いはあたしの夢。それでいいじゃないか」
「すまない……ありがとう……」
何度も何度も、謝罪と感謝を続けるジゼルに、ついにはかける言葉がなくなってしまった。
それがきっかけとなり、ふとしたことでノエルはあの禁句を口にしてしまう。
「それに紛争はなくなったんだ。これからはいくらでも生命の木を探索――あっ!」
「そうか。さっきからお前の様子がどこかおかしいと思ったら、生命の木のことだったのだな」
「えっ……」
「生命の木なんてものは架空の植物で初めから存在しない。なのにジゼルは今も信じて探してる。真実を言おうか言うまいか迷ってるって顔だな」
「な、なんで分かるんだよ!」
「バカもの。いったい何年一緒にいると思っているのだ。お前の考えていること、感じていること、我には手に取るように分かる」
「じゃあ、前から知っていたのか……?」
「ああ。でもお前が生命の木を探しに行こうと事あるごとに提案し、誘ってくれたときは嬉しかったよ。そこまで我と、マリナのことを考えてくれているんだ……と」
ジゼルは軽く微笑み、マリナの頬に優しく触れる。
「残念だが、マリナはずっとこのままだろう。治す手立てもないならば、最早現実を受け入れるしかない。でも、マリナは生きている。だから我もマリナとともに生きようと思う」
「ジゼル……」
「あっ……と、すまない。暗くなってしまったな。今日の本当の目的は、ショウとノエルに我の演奏を聴いてほしかったのだ」
と言って取り出したのは一本の曲がった笛。
これは、イテマエでの演奏会でも使われていたもの――。
「少々汚れてはいるが、これも立派な両親の形見だ」
きっと曲がってしまっているのは、略奪による紛争から逃げてきた際にかかった不可抗力からだろう。
「聴いてくれるか?」
「もちろん」
「あたしも」
「ふっ。光栄だ。しかし、聴いてもらう以上は、マリナにもノエルのようにしっかりとおしゃれをしてもらわねば」
サイドテーブルに置かれていた古ぼけたひとつの髪飾りに手を伸ばすジゼル。
「これもだいぶ汚れてはいるが、生前の父が我とマリナに買ってくれたおそろいの宝物だ」
施された装飾に月明かりが反射し、弱い光を発している。
「おそろい? でも、ここにあるのはひとつだけじゃないか」
「ひとつはマリナが常に着けていたのだが、ガンバレヤに来るまでに落としてしまったらしい。だからこれは我のものだ。でも――」
マリナの流れるような金髪に添えられる髪飾り。
「今宵はマリナの宝物だ」
決して派手さはないものの、鈍く輝く髪飾りには独特の魅力があった。
思わず吸い込まれてしまいそうだ……と思った、そのときである。
(えっ……?)
見間違いであろうか。
(今、かすかに……)
膝元に置かれたマリナの指が動いたように見えたのだ。
「では始めるぞ。夜だからあまり大きな音は出せないが」
しかしジゼルは別段気にした様子もなく、演奏を開始しようと唇を笛に這わせる。
(……)
どこか引っかかるものを感じつつも、俺は無理やり気のせいだったことにして、流れ来る音に集中した――。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
どうです? 続きが気になってしょうがないでしょう?
今、明かされるジゼルの過去とノエルとの出会い。
そしてマリナはこの先どうなってしまうのか。