七回裏「オリヴィアの陥落」①
「ムッシュ・サワムラ! 遅いですわよっ!」
指定されたエエンヤデ正門近くのクロマツ下で仁王立ちをしていたのはヴィヴィアンヌである。
彼女もまた、大型のシュヴァル・ブランを従えていた。
「女性を待たせるとは良い度胸ですわね! まったく、これだから――」
「たしか、待ち合わせ時間はイチゼロマルマルじゃなかったか? まだキュウゴーゼロだぞ」
「げっ、ミリッツァ!? あなたがなぜここに?」
「今日の外交にはボクとロジーヌが不可欠だからな。それにしても、勝手に早くきておいてイライラするのはどうかと思うぞ」
「まったく同感なのです。それに女性は少し男性を待たせた方が、焦らし効果も加わって燃えると聞くのです。逆に早すぎると、飢えている感じがにじみ出て正直ドン引きなのです」
「ぐ、う……」
正論を吐かれ、ぐうの音も出ないでたじろぐヴィヴィアンヌ。
(な、なんでこのわたくしがミリッツァやロジーヌのようなお子様に諭されなきゃなりませんの!?)
「聴こえてるぞ。それにボクはお子様じゃない。サワムラとはベーゼを交わした仲だ」
「ええッ!」
「わたしも、サワムラさんには幾度となく抱きしめられたのです。決してお子様ではありませんよ?」
「な、なんですって! ちょっとムッシュ・サワムラ、どういうことか説明して頂きますわよ!?」
「いや。ふたりとも大げさに言ってるだけだって……」
「ムキー! お子様に先を越されるなんてシュルマイスター家一生の不覚! 後れを取り戻すために、今すぐわたくしにも熱い抱擁と濃厚なベーゼをくださいなっ」
「そんなムチャな」
「分かった。そこまで言うなら段取りを組んでやる。まず両目を閉じろ」
「なっ! どうしてミリッツァが仕切って――」
「いいから早くしろ。そして唇を尖らせるんだ」
「分かりましたわよっ!」
「よし、そのままでいろよ。そのままで……」
ミリッツァはニヤついたまま、馬車の荷台に積んであったアレを取り出す。
そして……。
むにっ。
ヴィヴィアンヌの唇に密着させた。
(あらっ、男性の唇ってこんなに冷たくて硬いのかしら? でも、言いようによっては力強く、それでいて少し塩っ気も……)
「ぷぷっ……。あいつ、消波ブロック(テトラポッド)にベーゼしてるぞ」
「ミリッツァ、さすがに気の毒なのです。あれがヴィヴィアンヌの初めてだったらどうするつもりなのですか」
「幸せそうな顔をしてるし、いいじゃないか」
そんなヴィヴィアンヌはさておき。
エエンヤデ国に視線を向けると、やはり津波の爪痕が未だ随所に残っているように見える。
それでも、住居の大半は元通りに復興されているようだ。
これもひとえに、オリヴィア率いる少女騎士団の団結力と士気の高さによるものだろう。
「よし。まずは国の人間もしくはオリヴィアに接触するんだ。話をしないとどうにもならん」
以前も、同じような言葉のやり取りがあった気がする。
そして進んだ先で、いきなり銃を持った子供たちに囲まれたんだったな。
あの時の威圧感はハンパなかった。ハンパなかったが、彼らはこぞってどこか怯えた子犬のような目をしていた。
これが意味することはおそらく――。
「まったく……。貴女たちはよほど暇に見えるな。連日こんなところで油を売っていて良いのか?」
なんだかんだであれだけ騒いだのだ。
黒い甲冑を身にまとったこの人が現れてもおかしくない。
「ま、ボクたちは油よりもよっぽど良いものが売りに来たんだがな」
「なに……?」
オリヴィアは怪訝そうな表情を見せる。
「先日の津波の被害。どれくらいだったんだ?」
「どうして貴女に報告をしなければならん。必要がないだろう」
「もっともだな。じゃあ質問を変える。いつまでこんないたちごっこを続けるつもりなんだ?」
「どういう意味だ?」
「津波と復興。この不毛をいつまで続けるってことだ。何か策をこうじたりはしないのか」
「防潮林を植えているだろう」
「それだけでは心もとないはずだ。前にお前は言っていたな。どこかに軽くて丈夫な石でもないものかと」
「言ったが、それが何か……?」
「ガンバレヤの特産は石。今日はいいものを作ってきたんだ。ロジーヌ?」
「はいなのです」
側で待機していたロジーヌが消波ブロックを取り出し、オリヴィアの足元に置いた。
「なんだ? この奇妙な形の石は……」
見たことのない物体に、彼女は興味津々と言った感じで触り始めた。
(よし。食いついたぞ。サワムラ、ここからはお前も会話に加われ。ヤツを丸め込むんだ)
(あ、ああ……)
「オリヴィア。これを海岸沿いにかみ合わせるように設置することで、打ち寄せる波の力を軽減させ、分散させることができるんだ」
「波の力を……?」
「うまくいけば、防潮林との相乗効果で津波や潮風、塩害と言った被害を最小限で抑えられるかもしれない」
「そんな夢のような道具がコレなのか……」
「地震はあくまで自然現象。こればっかりは防ぎようもない。でも、二次災害は備えを持つことで小さくすることができる」
「それは分かったが、何故貴殿らはこんなものを……敵国の利益になるようなものを持ってくる?」
「サワムラは大バカものだからな。要するに、お前たち少女騎士団や国の人間を助けたいらしい」
「助ける、だと? ふざけるのもいい加減にしろ。敵国の施しは受けん。とっとと帰れ!」
オリヴィアは身をひるがえして立ち去ろうとする。
しかし、今日ばかりはここで引き下がるわけにはいかない。
「もし、紛争の直前に地震が起こって津波にすべての仲間が飲み込まれ、たったひとりになってしまったらどうする?」
「どういうことだ?」
「たったひとりになっても、紛争をするかどうかってことだよ」
「はっ。バカな。いくらなんでもひとりでできるはずがないだろう」
「そうか、そうだよな。ひとりじゃできないよな。君は臆病だからな」
「何が言いたい」
オリヴィアのまぶたがピクリと揺れた。
「臆病だから、移民を受け入れると言うまっとうな理由を掲げ、自らを守る盾を大量に用意した。要するに、子供でもお年寄りでも誰でもいいんだ。君にとってはね」
「……」
「君は以前、子供たちが自らの意志で武器を持ち戦いたいと願った……と言ったけど、俺はそれが彼らの本心とは思えない」
「本心ではなかったらなんだと言うのだ?」
「本当は、その選択肢しか与えなかったんじゃないのか?」
「む……」
「隣の子が頷けば、同じようにその隣の子も頷く。子供はとにかく仲間外れを嫌うからな。ここに初めてきたとき、彼らは皆同じ動きで鉄砲を構えた。この連携はひとえにオリヴィア。君のたまものだろう」
何故俺がここまでオリヴィアを攻め立てるのか自分でもよく分からない。
ただ、リゼットがそうしたように、感じたまま、思ったままのことを口にしていた。
「でも、あのときの子供たちの怯えた顔。感情を失った死んだような瞳……俺はこの先、一生忘れないよ」
「忘れない……か。だが、過去に囚われた人間はえてして成長しない。人は常に未来を見据えて歩かねばならん」
「そうだな。それには賛成だ。でも君は見捨てたよな? 共に未来を歩むべき仲間を……」
「たったひとりを助けるためにそのつど命を張っていたら、命などいくつあっても足りん。物事には優先順位が必要だろう」
「いや。そのたったひとりを助けるために命を張ってくれる人物が俺の国にはいる。ジゼル・ベルジュラックと言う騎士団長がね」
「ジゼル殿の行為は騎士としてあるまじきもの。勇敢とはかけ離れた無謀もいいところだ」
「そうかな? あのときの、ラファールに乗ったジゼルの横顔には、無謀とはかけ離れた勇敢さを――騎士の資質を、俺は感じたけどね」
「……」
「同じ騎士団長でも、ジゼルにあって、君にないものっていったい何なんだろうな?」
下唇を噛み、苦虫をかみつぶしたような顔をするオリヴィア。
「もうひとつ質問だ。あの時の子供は、今はガンバレヤで保護しているんだ。君は元団長として、あの子の名前を憶えているか?」
「……いや、忘れた。もう記憶にとどめておく必要もないからな」
「ポーラだ。彼女は、今もエエンヤデでの復帰を願っているそうだ。たとえ元団長である君に名前を憶えてもらえていないとしても……ね」
「くっ」
「移民を受け入れ、領土の使い道もそんな彼らの住居を作るため。これはとても素晴らしいことだ。でも、君の思想はどこか偏ってる」
「なんだと……?」
「今、エエンヤデに本当に必要なのは単に軍事力を育てることよりも、人を育てるってことだろう? 人を育てなきゃ、軍は育たない。君が本当に欲しいのは人じゃない。ただの都合のいい機械だ」
「ふっ、ふふっ……。さっきから黙って聞いていれば、随分と失礼なことを言うものだな。まるで、クロード殿のようだ」
「……!! その人がここに来たのか?」
「ああ。もう何年も前になるか、色々な国を放浪し治療をする国境なき医師とか言う名目で、エエンヤデに入国してきたことがある」
「その人はどこに行ったんだ?」
「海を渡って他の大陸に行ったと聞く。その渡航の際、たまたま居合わせた余の仲間にこう告げたそうだ」
「……」
「妹の泣き虫が直ったから、安心して旅立てるってな。意味はよく分からないが……」
俺は、隣で話を聞いていたミリッツァと視線を合わせる。
クロードが置手紙を置いて消えた日は、リゼットがプラチナバスターズに入団する前日……。
その翌日に彼女は大泣きし、団員に揶揄された。
しかし、数日後には吹っ切れたように涙を流さなくなった。
妹の泣き虫が直った――とクロードが言ったならば、彼は数日の間、姿は見せずとも陰から見守っていたことになる。
もし妹が崩れようものなら、たったひとりの肉親として、すぐにでも抱きしめに行こうと考えていたのかもしれない。
だが、リゼットは自らの意志で立ち、歩き始めた。
そこで、大丈夫だと悟ったんだろう。もう、自分が側にいなくても――。
「さ、おしゃべりはこのくらいにしておこう。サワムラ殿、貴殿の言ったことは少々度が過ぎている。他国の人間に、自身の価値観を押し付けるのははっきり言って迷惑だ」
「う……」
「早々に立ち去れ。余の気分が変わらないうちにな」
一見冷静に見えるオリヴィアだが、内心腹を立てていると言うのは言葉の節々からも分かった。
さらには、腰に備え付けられたオプスキュリテの柄付近を、彼女の右手がウロウロとしているのだ。これはひとえに、抜こうと思えばすぐにでも抜けると言う合図なのだろう。
さすがにミリッツァ、ロジーヌと言う面子で、戦闘になってしまってはどうしようもない。
(くっ……。まだ、野球外交のことを話してもいないのに。誰か、誰かいないのか?)
何とかオリヴィアを食い止めることができる人物が……と天に祈った、そのとき――。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
どうです? 続きが気になってしょうがないでしょ?
ヴィヴィアンヌ=未だファーストキスなし。と言うことは……?