一回表「金髪騎士とロングソード」
随分と硬いベッドだ。おかげで体の節々が痛い。
おまけに何だか青臭く、口の中もかすかに鉄の味がする。
ああ、ついに妹のセリナが寝起きの悪い俺にウンザリして、ただベッドから引きずりおろすだけじゃ物足りず、庭へと放り出したか……。
「こら! 起きろ!」
続けざまに飛び交う怒号。
お願いだからもう少し寝かせておいてほしい。昨日も『プラバス』の応援と小テストの一夜漬けで忙しかったんだ。
そう。忙しかっ……いや、待てよ。
昨日は一夜漬けをした覚えはないぞ?
それどころか、帰宅してベッドに横たわったと言う記憶さえない。
(たしかあの時、電車から降りようとして、俺は――)
どうなったんだっけ?
……まぁいいか。
どんな状況であれ、言い訳を適当に並べればセリナはごまかせる。あいつは単純だから……。
「何をぶつぶつ言っている。ほら、起きないか!」
ピタピタ……。
(な、なんだ……?)
突然、頬に伝わる重厚でヒンヤリとした感覚。
それは今まで感じたことのないものだけれど、どこか本能的に恐怖と戦慄を覚えるものだった。
ピタピタ、ピタピタピタ……。
俺は薄目を開け、今も頻繁に触れたり離れたりしている正体を捉え絶句する。
ああ、ついにセリナは包丁まで取り出してしまったのか。
小さかった頃は俺の背中にくっついて離れようともしなかった可愛くて愛らしい妹が、こんな凶行に及ぶなんて……。
でも、たかが寝坊くらいでこれはちょっとやり過ぎじゃないのか?
そうだ。こんな理由で刺されて死ぬなんて世間に知れたら、それこそ末代までの恥だ。
「待て! 話せば分かる!!」
その場から逃れようと、俺が素早く身を起こしたちょうどそのとき――。
ほぼ同時に聴こえた、んきゃぁっ! と言う甲高い声に違和感を抱く。
セリナの声にしては少し抑揚がないな、と……。
数日前、うっかり着替えを目撃してしまったことがあった。
その時のあいつは、泣く子も黙る、怒る子も謝るほどのすさまじい金切り声を上げていたのだ。
ふと、悲鳴と同時に貰ったビンタの痛みを思い出し、頬を擦る。
擦りついでに視線を前に向けると、そこにはおかしな格好をした金髪ロングヘアの女が豪快に尻餅をついていた。
(え? セリナ……じゃない。と言うか、誰だこの女は……?)
対する女も、俺と同じように頭上にはてなマークを乗せたあと、キッと俺を睨みつける。
宝石のような青い瞳。
俺たちは暫し見詰め合い……なんてロマンティックなものじゃない。明らかに向こうは、こちらに対して敵対心や不快感をあらわにしていた。
「いきなり起き上がるやつがいるか!」
「そう言われても……」
起きろと言ったのはむしろそっちだろ、と口走った矢先――。
立ち上がった女は包丁の先端……いや、これは映画やゲームでよく見る、いわゆるロングソードと呼ばれるものを突きつけてきた。
「言い訳をするな! 斬られたいのか?」
「な、な……」
切っ先が小刻みに揺れるたび、乱反射した光が俺の視界を遮る。
「ほう……見ればキサマも立派なエモノを持っているではないか。我も一騎士として、丸腰の相手を斬るのは性に合わん。さぁ構えろ!」
エモノ? 構えろ?
何のことかと思ったら、女は俺の右手に握られたバットに視線を向けていた。
「これは戦うためのものじゃない!」
「革の手甲まで着けて何を言う」
「ち、違う。これはグローブだ!」
「その隠し持った白い球体は、まさか手榴弾の類ではあるまいな」
「んなわけないだろ!」
「ええいっ、わけのわからぬことをゴチャゴチャと!」
「や、止めろ!」
俺の制止も空しく、女は両手を大きく振りかざす。
「往生際が悪いぞ! キサマも騎士の端くれなら、騎士としての気概を見せてみろ!!」
「いや、俺は騎士じゃねーって!」
「問答無用!」
そして次の瞬間――。
強い地響きとともに、足元の地面が大きくえぐり取られていた。
(な、なんだこの力……。夢でも見ているのか?)
立ち上る砂煙の間から覗くふたつの瞳と切っ先は、今も変わらず俺だけを捉え続けている。
言葉こそなかったが、次はお前がこうなる運命だと言うことを暗に伝えていた。
じょ、冗談じゃない。
こんなデタラメな力で、もしイシグロ選手のバットが傷つけられでもしたら大ごとだ。
夢なら早く冷めて欲しいと思う一心で、たまらず俺はその場にうずくまった。
「血迷ったか!? 自分の命を守るための剣を、自らの命で守るとはどういう了見だ!」
「これは命よりも大切なものなんだ! 願っても手に入れられないものなんだよ!!」
「ふっ。騎士が剣を命よりも大切にしたいと言う気持ちはよく分かる。だがな、気持ちだけでは大切なものは守れないのだ!」
「えっ……」
気のせいだろうか?
女が再度剣を振りかざそうとしたとき、一瞬瞳が潤んでいるように見えたのだ。
でも、その理由を問いただすことはできない。だって――。
剣はもう目と鼻の先にまで迫っていたのだから。
何だかよく分からない土地で、何だかよく分からない女に、何だかよく分からない理由で殺される。
こんな理不尽なことがあってたまるものか。
それにどうやら夢でもないらしい。
何故なら、さっきの地響きでバランスを崩した際、うっかり右手の甲を切ってしまったらしく、じんわりと痛むからだ。
ああ、せめて『プラバス』がリーグ優勝し、日本一に輝くところが見たかった。胴上げを目に焼き付けたかった。
それなのに、まさか人生の最期に焼き付けるのがロングソードになろうとは……。
「ジゼル様、お止め下さいっっ!!」
せめてひと思いに……と覚悟を決めたその時、俺の面前に突如黒い影が割って入る――。
「今は休戦期間です!」
「くっ」
「ここで人を殺めてしまっては、後々形勢不利になりますよ!」
「……お前の言う通りだリゼット。おいキサマ、命拾いをしたな。とっとと去れ」
(な、なんだ。いったいどうしたんだ?)
それから数秒――。
いつまで経っても訪れない最期の時に異変を感じた俺は、恐る恐る目を開ける。
するとそこに映ったのは、大の字に体を広げ守るように立つ年端もいかない女の子と、ジゼルと呼ばれた女が剣を鞘に納める姿だった。
「本日、イチハチマルマルに緊急作戦会議を行う。場所は仮設テントだ。遅れずに来い」
「は、はいっ。承知しました!」
女は軽く頷いた後、唇に指を当て指笛を鳴らす。
すると瞬く間に現れた美しい白馬に飛び乗り、手綱とひづめの音を軽快に鳴らしながら、風のように立ち去って行った。
そんな様子をぽかんと見守っていた俺は、隣で佇む女の子からの労いの言葉と、セミロングの髪からかすかに漂う甘い芳香によって、再び意識を取り戻す。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。君は……?」
「私はリゼット・ボワッソンと申します。あっ……」
「……?」
「手、傷ついてますね。少々お待ちください」
リゼットは屈みこみ、腰にぶら下げていた皮袋から小さな液体瓶を取り出す。
「少し沁みますが、すぐに良くなるはずです」
「……つぅッ!」
患部にまんべんなく緑の液体が塗られ、それを覆い隠すように手際よく包帯が巻かれていく。
「私、少女騎士団の救護、衛生を担当しているんです。先ほどの髪の長い女性は団長のジゼル・ベルジュラックと言います」
「少女、騎士団?」
改めて見れば、目の前のリゼットもそしてジゼルもおかしな格好……いや、同じ白銀の甲冑を身にまとっていた。
「これでよしっと。それにしても……」
治療が済むや否や、リゼットはそれまでの優しい面持ちから一変、強い口調で問いただす。
「何故あなたは私たちの領土に無断で入り込んだのですか?」
「い、いや。俺にもよく分からないんだ」
「分からない? そんな理由が通用するとでも?」
「本当だよ。目が覚めたらここに寝てて、さっきのジゼル……だっけ? 彼女にたたき起こされたんだ」
「……」
リゼットは訝しげな表情のままひとつ息を吐き、やがて静かに話し始める。
「ここ一帯は、我々ガンバレヤ国の領土なのです。ここからはるか北東に進めば隣国イテマエの領土、西南に進めばエエンヤデの領土となります」
果てしなく広がる地平線に手を伸ばし、国名とともに解説をするリゼット。
しかしどういうわけかその国々は、初めて耳にする名前ばかりだった。
「そして、数キロ前方……ほら、一際緑が目立つ大地が見えるでしょう? あそこは唯一、まだどの国も介入していない、言わば未開拓の地なのです」
突然色々なことを告げられ、俺の頭は正直混乱していた。
ただそんな中ひとつだけ分かるのは、今踏んでいるこの地が、自分のいた世界とは異なっていると言うことだ。
でも、いったい何故……?
「十日後、この未開拓の地を巡って激しい紛争が行われます。しかし今は三国が定めた特別な休戦期間。どの国も軍事力を行使してはいけない決まりとなっているのです」
「ふ、紛争だって……」
なんてことだ。
よりによってこんなヘヴィな運命を迎える地で目覚めてしまうとは……。
「私がジゼル様を止めたのも、休戦期間に人を殺めることは禁忌だからです。他国はもちろん、自国からも非難を浴びることは想像に難くありません」
「そ、そうだったのか……」
「ただジゼル様自身も、他国からの出し抜きを恐れ日夜警戒をしていました。少し手荒な真似をしてしまったのも、紛争直前のピリピリとした空気のせいなのです」
「なんか、ごめん。いきなり君の国に迷惑をかけてしまって……」
「その反応……。まさかあなたは本当に違う世界からやってきたと言うのですか?」
「だからさっきから言ってるだろ。気が付いたらここにいたって」
「ふむ……。たしかにあなたの格好は変ですね。薄い布の服に木の棒、そして革の手甲なんて貧弱な装備、どの国も採用していませんし。ではあなたはどこのどなたなんですか?」
「俺はニホンと言う国から来た、澤村翔」
「ニホン……? 聞いたことがないですね」
「ははっ。こっちからすれば、君の国の名前も聞いたことがないよ」
俺に戦いの意思がないと悟ったのか、リゼットは少しだけ口元を緩める。
「ショウさん。あなたのことを完全に信じたわけではありませんが、ここに置き去りにするのもそれはそれで悔恨を残しそうです」
「……」
「私の団に、知識に長けたミリッツァと言う者がいます。彼女に聞けば、あなたのいた世界について、そしてあなたのいた世界に帰る手がかりが見つかるかもしれません」
「助けてくれるのか?」
「ええ。ですが、あなたはよそ者でありながら、私たちの領土に勝手に入った……。これは立派な罪です。なので、建前上は捕虜として拘束させて頂きます」
リゼットは自身の細い指で一瞬だけ俺の手首を掴み、拘束をする真似をする。
「しかしご安心ください。あなたの安全は私たち少女騎士団が保証します」
「と言うことは、またあのジゼルって子と会わなきゃいけないのか……」
「様、をつけてください。あなたの安全を守る団の団長なんですから。はい、もう一度」
「じ、ジゼル様」
「よろしい。では、参りましょう! 私たちの国、ガンバレヤに!」
ここまで読んで頂きありがとうございました。
どうです? 続きが気になってしょうがないでSHOW?
セリナ=イモウト 実際に登場するのはエピローグ(最後)パートだよ。