恋は絶叫 急降下 急旋回
交際を始めたばかりの彼女から遊園地デートに誘われた。
「僕は絶叫系とか、まるきり駄目なんだ。勘弁して欲しい」
「今年一年の景気づけよ。一回くらい厄払いに乗るべきです」
確かに昨年の僕は営業成績不振で課長に叱られ、詐欺に騙されかけ、財布を落とし、車は後ろからオカマを掘られ…つまり散々な一年だった。一度魂を抜かれるくらい絶叫し、憑きものを落とすというのも考え方の一つかもしれない。
「…これに乗るのか」
僕は間近にそびえる巨大な鉄の砦のようなジェットコースターの前で青くなる。思っていたよりずっと高いような気がする。目の前を猛スピードのコースターがほぼ真下へ落下するような角度で滑ってくる。乗っている人々がギャーーッと叫んでいる。悲鳴をあげるほどの恐怖にわざわざお金を払っているのか。
「やはり本日はこのまま帰宅しようと」
僕は苦しくなる呼吸の中、足を震わせながら彼女に言った。
「考エテイル次第デス」
「ホホホホホ、ここまで来て怖じ気づいたか」
彼女は僕の背中をドン!と叩く。
「ゲホ」
「大丈夫、大丈夫。私が隣に乗って励ましてあげます」
隣人からの励ましで降下角度が緩くなったり、スピードが落ちたりすることはない。
「持病の癪が」
何としても乗りたくない僕の耳元に彼女は口を近づけ、囁く。
「乗ったら後でいいこと…し・て・あ・げ・る」
「乗ります」
情けないことに勇気というか何らかのムクムクしたというかムラムラしたというか、いわゆるリビドーが湧いてきて、彼女の「…げ・る」くらいで食い気味に返事をしてしまった。
そんな気持ちは早くも萎えている。
僕は今係員にハーネスという体の固定器具を肩からかぶせられ、動き出したコースターの前から3番目にいる。横には愉快な顔をした、いや美人で天使だけど、現在は悪鬼のような笑顔を浮かべ、僕をこの地獄行きの列車に乗せられたことの薄暗い悦びに浸っている女がさわやかに座っている。
「ほらほら上へ上がるわ」
スタートから下へ下がっていくジェットコースターがあったら、見せてみろ。
「ガタン、ガタンていいリズムね」
JRだって山手線だって東急東横線だってガタンガタンだ。ハフンハフンとかいってる乗り物連れてこい。僕は会話が出来ないというより、呼吸が苦しい状態だ。今日ここで死ぬのかもしれない。
ガタンガタン…ゆっくり、どんどん高くなっていく。行く先は見えない。ただレールが前にはあるだけ。そういうと何か人生のようだ…などと思っているゆとりは今の僕にはない。周囲がどんどん小さくなっていく。なぜ僕はこの乗り物に乗っているのか。人はなぜ苦しくても生きていくのか。あふん。
「ねえねえ。下見て、下。ププププ、人がゴミのようよ」
悪役のいうセリフを僕の彼女が言う。前から悪いやつだとは思っていたが、絶叫マシンの苦手な人間をあえて絶叫マシンにのせて横でそれを観察しながら楽しむという本当の悪人だったのだ。あふうん。
た、高い。そしてガタンガタンがまだ続く。目眩がする。動悸息切れがする。頭痛が痛い。水虫がかゆい。人生が苦しい。部屋の掃除が嫌いだ。会社行きたくない。あははははん。
「爽快ねえ」
隣は確か僕の彼女だけど…彼に嫌われてフラれて泣いちゃえばいいのに。
前の席の客が肩を震わせている。何だ。変だ。ゆっくり後ろを振り向く。ジェットコースターで後ろを振り向くって、やっていいのか。うん?あれ?
180度首を回転させて、前の席の客が僕を正面から見る。
「タカイネエ コワイネエ」
「ぎゃあああああああああああ」
僕の絶叫に彼女は爆笑した。
「もう、絶叫?早いわよ。アハハハハ」
僕の恐怖の全貌を理解していない彼女だが、僕はすでに何かを喋ったり、説明したりできる状況ではない。ハーネスが肩に食い込んで身動きもできない。
前の客は中年の女性、特徴はないが嫌な微笑みを浮かべている、何より顔色が真っ白だ。
「モウスグ オチルヨ ハヤイヨ コワイヨ」
「あうあう。あのあのわううう」
僕は彼女の肘をつついて、涙目で助けを求めるが彼女はさらに大爆笑だ。
「あとちょっとで、頂上よ。さあ、来るわよ。来るわよ」
ウキウキした声で言ってる場合か。あはあああん。ああああん。
コースターが頂上で一瞬停止する。機械的な意味では静けさが訪れたが、僕はそれどころでない。
前の席にいる何かがじっと僕を見て、いきなりケタケタ笑い出した。
「ケケケケケケケケケ!」
「いやあああああああああっ!」
彼女がまた大爆笑する。
「ギャハハハハハ。さあ、手をあげて!こうよ!こう!」
彼女がきつく握りしめた僕の手をバーから振りほどこうとする。殺す気か。
女が鼻から何か出し始めた。緑色の液体だ。何?それ何?いやあああ。
「やめて!やめてって。あううううう!」
彼女はさらに力をこめて僕の手を上へあげさせようとする。前も横も妖怪だらけだ。
コースターが高速急降下を始めた。ガアアアアアアアアアアーーーーーーー!
前の女は緑色の液体を鼻から噴きだしたまま微笑んでいる。
彼女は僕の手をつかんで上にもちあげ、爆笑している。
僕は気絶する寸前、というか自分が意識を保っているのかどうか自分でもよくわからない状態で、言葉にならない悲鳴をあげている。
「○×◎♨♪◎□◇××◎ーーーー!!!」
体が浮き上がるような感覚と息が出来ないほどの風圧、そして前の女のホラー展開に、彼女のジェットコースターハラスメント…三重苦にヨレヨレの僕はさらに信じがたいものを目にする。
前の前の席…つまりジェットコースターの先頭の人物がおかしな様子だ。急降下中に頭がグラグラしている。
「…!」
客の二人の頭が浮いた。いや、首が伸びているのだ。聞いたことはないがジェットコースターではすごいスピードで首が伸びるということがたまにあるのか。
首がヒョロヒョロと伸びてきて、頭が僕の前まで届く。二人の逆さになった顔が僕の目の前だ。
笑っている。声は出さないが笑っている。僕を見て笑っているのだ。
「○×◎♨♪◎□◇××◎ーー! ○×◎♨♪◎□◇××◎ーーーーーー!」
彼女はこんな時に限って真っ直ぐ前を見て、絶好調のジェットコースター乗りとなっている。気がつかないものなのか。急降下が終わって息つく間もなく、今度はトルネードのようなスピンに入る。
前の女は変わらず緑色ダラダラのまま、僕を見つめる。
「マワルヨ マワルヨ コワイネエ コワイネエ」
ろくろ首の二人、若い女のふたつの首は笑ったまま、僕の周りをぐねぐねしてスピンのリズムに合わせている。
慣れてきてしまった僕の状況は好転しているのか、それとも悪化しているのか。ただただ無表情となり白い顔で黙って前を向いているだけだ。
いつのまにかジェットコースターは元のプラットフォームに戻ってきた。ガショーン、ガッ、ガッと停止位置に入っていく。
…僕の視覚が少し開けた状態になった。前の席の緑ダラダラ女もろくろくびもいない。ただ彼女が心配そうな表情で僕を見ている。
「ねえ、大丈夫?あなたファーストドロップくらいからほとんど無言で、じっと前向いてるだけになって…。うん?ねえねえ、生きてる?」
彼女が僕の顔の前で手をプルプル振った。まだ僕は声が出ない。表情も動かせない。体が硬直して動かない。動かない口で何とか自分の状況を絞り出した。
「スミマセン…体が…動きません」
彼女が慌てて係員を呼んで、僕をコクピットから連れだし救急車に乗せたのはジェットコースター乗車から15分後の話だ。僕にとっては今までの人生で一番長い15分だった。
「ごめんね。ごめんね。あなたがこんなにヘタレなんて思ってなかったの。まさかこんなになるほど怖かったなんて。ごめんなさい。ごめんなさい。死なないで。死なないで。ヘタレでもなんでも生きていて」
聞こえてるよ。いくらか失礼なところはあっても彼女に悪意がないことはよくわかったけど。
1日経って僕は退院した。「ジェットコースターに乗って失神した男」という不名誉な称号を得て。
あの光景は僕の恐怖が見せた幻影だったのか、どう考えても現実としか思えない感覚だったけど、それもよくわからない。医者から体に異常はないとの言葉があった。
「精神には異常があるかもしれないよね」と彼女が言った。
もう絶対乗らない、絶叫マシンには。
退院には彼女が付き添ってくれた。大変しおらしい態度で。
厄除けで乗ったジェットコースターだが、その効果が現れるとしたらこれからだろう。
ただひとつ、これはジェットコースターの御利益なのか、僕のプロポーズは成功した。罪悪感につけこんだみたいで申し訳ないけどね。
交際を始めてから2週間のジェットコースター婚約だ。
ホラーを書こうとしたのですが、やっぱりこうなっちゃいました。駄目な奴です。怖いんだもん。