第4章 雨の止まない街 其の壱 【紅薔薇】
私はローズ。ローズ・ウィリアムズ。
色々あってカイさん──昔、私を救った命の恩人の元で働くことになった。いや、なってしまった。承諾したのは私だが、家まで勝手に移動されていたとなれば断る手段を見つけられない。帰るべき場所がここになってしまった。でも、悪くない……そんな風に思えてしまう自分がいることも気づいてしまって、少しむず痒い。
そんなことがあってからしばらく。私はここでの生活に慣れつつあった。と言っても、実はまだ働いてはいないのだが。
「おはようございます!」
早朝、元気よく挨拶をしてリビングに入ると、そこにはシロさんがいた。
「おはよ、ローズちゃん。今日も可愛いね!」
「何かお手伝いすることはありますか?」
『可愛い』という言葉は華麗にスルーして、今日こそ皆さんのお役に立つぞ、と意気込む。
「カイくん起こしてきて。」
「無理です。」
「分かった。じゃあ、兄ちゃん起こしてきて。カイくんはセナに任せるから。」
カイさんは異常に起きない。この前思い知ったのだ。それに比べれば、クロさんはきっと起こしやすいだろう。それに……。
「んふふ、もふもふ……。」
クロさんは猫さん!!今から見られるであろう黒いもふもふに思いを馳せる。
「……ローズちゃん、期待してるとこ悪いけど、兄ちゃんは夜から朝にかけては人型の方が楽だそうだから今は人型だと思うよ〜?」
「えぇっ!?」
「何て顔してんのさ、せっかく可愛いのに。まぁまぁ、今度俺をモフらせてあげよう。」
あれ?でもシロさんに猫耳が生えているのは見たことがあるが、完全に猫になっているのは見たことが無い。一体いつ猫になっているのだろうか。
「猫……?」
「うん。俺も猫。」
「……いつです?」
「何が?」
「『今度』って、いつ猫になってくれるんですか?」
シロさんが朝食を作る手を止めてゆっくりとこちらを振り返った。
「……さぁね、いつがいい?」
「え、じゃあ、今で。」
「へ?」
「今。」
「だ、だめだめ!今は皆の朝ご飯が最優先!!」
「ちぇっ。」
いつがいい?って聞いてきたのはそっちでしょうに。でも朝ご飯は大事だから、早急に諦める。
「じゃあ、シロさんの気が向いたときでいいですよ。」
「分かった分かった、兄ちゃん起こしてきて!」
「はぁい。」
えっと、クロさんのお部屋は……確かこの部屋!!
とりあえずノックだけして声をかける。
「クロさん、おはようございます!ローズです。」
「………………。」
やっぱり声をかけるだけで起きたら苦労してないかぁ。
「クロさん、入りますよ!!いいんですか〜〜!?」
できるだけ大きな声を出して部屋の外から起こそうと試みる。しかし部屋からは何も聞こえて来ず、ただただ静寂だけが廊下に残った。
「入りますからね〜!?」
ガチャ、とドアノブを下げて部屋に入る。すると見えてくるのは生活感のまるで無い空間。その隅に置いてあるベッドの上に、巨大な芋虫みたいなのが転がっていた。
……クロさん、布団にはくるまって寝るんだなぁ。
「おはようございます!」
「…………。」
「朝ですよ!今日はとってもいい天気です!!」
「………。」
「今日の朝ご飯はシロさんがお当番ですよ!!とってもいい匂いでした!!」
「……。」
「クーローさーん!!」
「……ぅるせぇ……。」
根気強く話しかけ続けたせいか、何とかクロさんを起こすことが出来た。
「あ、おはようございます。」
「でてけ……」
「二度寝するつもりでしょう?」
「あたりまえだ……」
「ダメですよ、シロさんやセナさんに怒られてしまいます!」
「お前……朝から元気だな………。」
「それはもう元気ですよ!!」
「そうか、俺は元気無いんだ、お休み。」
「ダメですってば!!」
ふと芋虫の頭であろう方向を見る。すると視界に映るのはのは素晴らしいふたつの黒いもふもふ。
……猫耳だ。
「クロさん、耳、さわっ……。」
「…………ハッ!!」
目の前にいた芋虫は、起き上がると目にも止まらぬ速さで耳を隠した。
「触らせねぇからな……?」
「そ、そんなこと……思ってないデスヨ……。」
「目、泳ぎまくってんぞ。」
思ってない。思ってない。……いや、ちょっとだけ……いやいや、思ってないっ!!
クロさんが警戒しながら私を見てくる。何とか話題を逸らさねば。
「そのステキなもふも……お耳と尻尾はシロさんみたいに隠さないんですか?」
「……隠せない。シロはヒト寄りの獣人、俺はネコ寄りの獣人。猫は夜行性だから、この時間は眠いんだ。」
「な、なるほど……。」
「という訳で、お休み。」
「えっ、ちょっと、寝ないでくださいよ〜っ!!」
その後、何とか布団を強奪して、猫になって逃げ回るクロさんを捕獲して、リビングに連行した。
「あ、おはよう。ローズ……朝から大変だったみたいね……。」
「カコちゃぁん……私もう誰かを起こすの嫌だよ……。」
「でもクロ、猫になってたじゃない。もふもふ出来たんじゃないの?」
「そんなヒマ無かったよ……。」
「あら……。今度シロでも触りなさいよ。」
「そうする……。」
そんなことを話していると、キッチンからシロさんが出てきた。
「皆起きたー?ご飯食べるよ!!カイくん、いる?」
「お……おはようシロ………。」
カイさんが脇腹を抑えながら壁伝いに歩いてくる。何とか自分の席までたどり着くと、既に限界、といったようによろよろと腰掛けた。
「シロさん、な、なんでカイさんはそんなに満身創痍なんですか……?」
「カコちゃんに起こしてもらったんだよ。」
「か、カコちゃんの可愛い腕の一体どこにそんな力が……。」
「カコちゃんの超能力だよ。」
「カコちゃんの……?」
そういえばカイさんが言っていた。ここにいる人たちは殆どが超能力を持っている、と。
「カコちゃんの超能力は身体強化だよ。分かりやすく説明すると、カコちゃんは強化ポイントを100持ってて、それぞれ攻撃力、防御力、瞬発力、特殊耐性に振り分けることが出来るんだ。まぁ……この『1』に値する強さは、カコちゃんの成長次第って感じだけど。」
「な、なるほど。じゃあ、シロさんは?」
そう私が問いかけると、シロさんの表情が陰った。聞かなければ良かったかな、と少し後悔の念が残る。
「俺は……超能力、使えないから。」
「あ……。」
「大丈夫。獣人ってだけで俺、十分特別でしょ。獣人は、魔力を扱う為の回路が人間より弱いんだ。だから例え超能力を持っていたとしても、その回路に見合った効果しか出ない。勿論、何事にも例外は付き物だけどね。」
「例外?」
「兄ちゃんの事だよ。」
シロさんは少し目を伏せたかと思うとすぐに笑顔になって、まぁ俺は超能力なんて使えなくてもカッコイイけどね、と私に向き直った。
「それは置いといて、ご飯食べよ。冷めちゃう冷めちゃう!」
「は、はい……。」
「…ぅ……うぐ………。こんなんなら……リョウの方がずっとマシだったよぉ……。痛いよぉ………うぅ……。」
「え、前言ってた『万能』の中に回復って無いんですか?」
「無いよぉ……。」
「ローズちゃん、カイくんは殆ど攻撃特化型なんだよ。ちなみに、リョウくんは真逆で、サポート特化型なの。」
「リョウ……リョウ呼んで……。」
カイさんがそう呻くように言った瞬間、バタバタと威嚇でもしているかのような音を立てながら、セナさんがリビングに飛び込んできた。
「……今、卑しい害虫の名が聞こえてきた気がするのですが……気の所為ですか……。」
「…せ、セナぁ………。」
「社長!?一体誰がこんな……?」
「カ……カコ……ちゃ………。」
「カコちゃんですか。」
セナさんが、行儀よく席に着いているカコちゃんに歩み寄る。
「カコちゃん、やりすぎですっ!こらっ!!」
「……ごめんなさい。」
「しかし、恐らく社長が起きなかったのでしょう。社長も悪いですからねっ!もうっ!!」
セナさん……。あれ、叱ってるつもりなのかなぁ、可愛いなぁ。
「でも痛いんだよぉ、セナぁ……。」
「セナさん、何とか出来ませんか?」
「何とか、ですか……。私も一応超能力者……なのですが、魔力回路が弱すぎて、これを治すには私の出力だと丸々1週間はかかってしまいます……。癪ですが、あの害虫に診せるのが一番早いかと。」
「セナさん、回復系なんですね!っぽいです!」
「そうですよ。捻挫くらいなら1日で完治させることが出来ますが、これは……。」
「うぅぅ……絶対骨ヤバいことになってるよぉ……。」
「ですね……。」
「カイくん、本当にごめんなさい、やりすぎたわ……。あたし、リョウさん呼んでくる!!」
カコちゃんが申し訳なさそうな顔で立ち上がる。しかしその瞬間、カコちゃんの真後ろ───本当にすぐ背後にリョウさんが現れた。
「うわぁぁっ!?」
「おっと、危ない。カコちゃんはホントすぐに手が出るなぁ。レディが拳振り回すもんじゃないよ。」
間一髪、カコちゃんのグーパンチを避けたリョウさんが、うずくまっているカイさんを横目で流す。
「当たったらどうすんのさ。」
「ごめんなさい……。あたしの悪い癖なのよ。」
「まぁいいけど。」
リョウさんが白衣をひらり、と揺らしながらカイさんに近づく。
「カイ、お前いい加減自分で起きられるようになれよ。」
「そういうの、いいからっ……早く治せ……つリョウの……バカっ……!!」
「ハイハイ。」
リョウさんがやけに素直だ。私の中のリョウさんは……『えぇ〜?どうしよっかなぁ〜。』とか言ってるんだけど。
「ローズちゃん……君は俺の事をなんだと思ってるんだよ。」
「え、声に出てました?」
「声には出てない。でも顔に出てた。」
おっと。
「俺には苦しんでる患者を放置して楽しむような趣味は無いかな。」
「……そうですか、何かすみません。」
「はははー。ローズちゃんには俺がそんな風に見えてるんだね。………ハイ、終わり。カイ、どうだ、もう痛くないだろ?」
リョウさんがカイさんから少しだけ離れる。リョウさんからカイさんを隔ててその向こうでムスッとむくれているセナさんが可愛い。
「ウン、ありがと。ところでさ、何かいい依頼とかない?」
「あるよ。いくらでも沸いてくる。光獣の被害なんて、見えても防ぎようが無いからな。だから見えるヤツからの依頼が後を絶たない。」
「簡単なやつがいいな。そろそろローズちゃんの研修をしなきゃって思って。」
「なるほどね。だったら丁度よさそうなのがあるよ。」
リョウさんが1枚の紙を渡す。それをまじまじと見つめ、目を輝かせながら、いいね!これにしよう!とすっかり元気になったカイさんがはしゃぎ回った。
「リョウくん、折角だからさ、ご飯一緒に食べようよ!」
「えーっと、君はシロくんだったっけ。中々に嬉しいお誘いだけど、遠慮しておくよ。最近ユキが毎朝食事を用意してくれるんだ。だからそろそろ帰らないと。」
「そっか。じゃあ仕方ないね。」
「またの機会にご一緒させて頂くとするよ。」
「うん、じゃあまた。」
リョウさんはふふっと笑うと姿を消した。瞬間移動───カイさんも使っていたやつだろうか。
「さっ、俺達もささっと食べちゃお!」
色々あって時間が経っていたから、やっぱり料理は冷めてしまっていた。でも、皆と他愛のない話をしながらのご飯は不思議と温かい気がした。
食べ終わってすぐ、カイさんが依頼の説明を始めた。
「まず、依頼主は20代の女性。名前はルノさん。場所は……『藍の街』だよ。ちょっと遠いけど、僕が送るから大丈夫!」
『藍の街』……行ったことの無いところだ。私は『紅の街』にずっと住んでいるし、『翠の街』も1回行った程度だから、これから色々な場所へ行って沢山の人と知り合えるのかと思うと楽しみだ。
「依頼内容は、『雨が降り続けているので止ませて欲しい』。空はずっと晴れているのに雨が止まないらしい。更に、その雨は農作物を枯らして、疫病を流行らせた。彼女の住んでいる地域は壊滅的な被害が出ているらしい。」
「え……?それって光獣と何の関係があるんですか?」
「うん、それなんだけど、先にリョウが調べていてくれたんだ。どうやらこの地域では昔から''光り輝く、実に神々しい、水牛の様な見た目の怪物''が目撃されていたらしい。恐らくそれは光獣で、今回の原因になっているんだと思う。」
「なるほど。そいつが雨をふらせているのね!」
「確証は無いけど、恐らくはね。」
水牛って……牛?なんか、角が立派の……アレ、だよね……?どう神々しいのだろう。光ってる……のかなぁ。
「で、期日は明日。」
え、今、なんて?……''明日''?
「なんでそんなにギリギリに……?」
「仕方ないでしょ、リョウが受けた仕事なんだから。」
「か……カコちゃん……?」
「いつもこんな感じなのよ。酷いと1時間前とかなんだから!」
「そこを僕に言われても困るね。」
こういったお仕事はリョウさんが引き受けてくるんだなぁ。そもそもここは一体何屋さんなのだろう。
「カイさん、結局、ここは何をしているところなんですか?」
「何って……。前にも説明したでしょ?」
「あぁいや、仕事内容じゃなくて、名称というか、何屋さん、みたいな……。」
「何屋さん、かぁ……。……何でも屋さんかなぁ。」
何でも……?
「今回は『雨を止ませて欲しい』、昨日うちで受けた依頼は『屋根裏から夜毎音がするので見て欲しい』と『ストーカー退治を手伝って欲しい』だったんだ。」
「落差が激しすぎませんか……?」
「リョウからの依頼は大体が光獣絡みだけど、うちに直接依頼に来る人たちは見える人とは限らない。だからあんまり関係なさそうな仕事も多いんだよ。」
なるほど。それは正しく何でも屋だ。
だけど、超能力を持たずして産まれた私は、光獣とどう戦ったらいいのだろう。神の眼を持つカイさんや獣人であるクロさんやシロさんと違って、私には何も無い。何のために私は光獣退治に連れていかれるのだろう。
「まぁまぁ、チャチャッと依頼片付けちゃってよ!ねぇ、カイくん、リョウくんも連れてくの?」
食器を片付け終わったらしいシロさんがひょこっと出てくる。
「うーん、ローズちゃんもいるし、一応連れていこうかな。」
「つまり、誰が行くことになるんですか?」
「まず、ローズちゃんでしょ?あと僕とリョウ、それからクロ……」
「あたしも行きたいわ。」
カイさんの言葉を遮るようにカコちゃんが声を上げる。
「どうしたのさ。カコちゃんが依頼に参加したがるなんて珍しいね。」
「ローズが行くならあたしも行くわ。セナさんは行かないでしょうから……ほら、女の子ひとりだと不安じゃない。」
あ、確かに……。カイさんは可愛らしい見た目をしているけれど、男なのだ。例えこんなに可愛らしい顔でも、髪が長くても、更には声が少し高くても。
お母さんが言っていた。男の人は皆、心に獣を飼っているのだと。いつもはリードをしっかりと握っているが、たまに、ふとした瞬間に手放してしまうことがあるらしい。すると心が獣に乗っ取られて、制御が効かなくなるんだとか。
「……カコちゃんも一緒なら安心だよ!」
「そうよね!」
「何か今の一瞬の間に嫌な予感が……。」
「カイくん、さっさと出かけるわよ!準備してこなくちゃ!」
何だか今日のカコちゃんはテンションが高いな。心做しか、嬉しそうな顔をしているように見える。
……期日は明日までだから、一応泊まる準備とかもしておかなくちゃ。
「……あ、そうか。」
お泊まり。友達と。カコちゃんは大人びているが、まだ小学生なのだ。そりゃテンションも上がっているに違いない。だって高校生の私もこんなにワクワクしているのだから。
「……ふふっ。」
仕事であることも忘れ、私は溢れる笑みを押し留めながら準備を進めた。
「準備は出来たかしら?」
「出来たよ!」
「クロは?」
「とっくの昔に出来てる。」
「よ〜し、じゃあ出発だ!」
カイさんが片手を勢いよく上へ突き出すと、私たちの足元に魔法陣が浮かび上がった。
「わ……!」
その美しさに感動するヒマすらなく、景色が一瞬にして変わった。どうやら街の門の前のようだ。
「……え。」
「着いたよー!」
「何ぼーっと突っ立ってんのよローズ!早く行くわよ!」
カコちゃんのテンションがどんどん上がっていく。とっても楽しそうだ。
「やっほー、ローズちゃん♪」
急に耳元で囁くような声が聞こえ、ぞわわっと全身に鳥肌が立つ。
「ギャァァァァァァアアアッ!??」
「相変わらず、ローズちゃんは元気だねぇ。」
バッと振り返ると、そこには見覚えのある黒髪紫メッシュの眼鏡が超至近距離にあった。
「きゅ、急に後ろに立つのはやめてください、リョウさん……。心臓に悪い……。」
「ははは、ごめんごめん。」
「リョウさん、ユキは……?」
「今日はお留守番。また今度会わせたげるよ。」
ユキはいないのかぁ。少し残念だ。
「ユキのこと、よろしく頼みますよ。」
「分かってるよ。」
そこまで話すと私たちは街の門をくぐった。
『藍の街』……初めて来た。空は晴れているのに、どことなく薄暗い雰囲気が漂っている。
「……あ、雨。」
街の門の外では雨は降っていなかったはずなのに、急に雨が降ってきた。といっても、霧雨のような、細かい雨だったのだが。
「どうやら、依頼にあった話は嘘じゃなかったみたいだね。」
リョウさんが興味深い、というように口角を上げる。
「……嘘の時があるんですか?」
「あるよ。光獣信者がよくそういう嘘の依頼を送ってくるんだ。」
「光獣信者?」
「光獣信仰っていうのがあってね。ほら、光獣って良く言えば神の使いだろ?だから信心深いヤツらには俺たちが悪者にしか見えないわけ。実際は人間の魔力を吸い取るしか能のない連中なんだけどね。」
それは確かに、嫌がらせに嘘の依頼でも送りたくなるものだろう。彼らにとって私たちは信仰の対象を消して回っている悪者なのだから。
「あ……!来てくださったんですね!」
パタパタ、と向こうから走ってくる人影が見える。
うーん、雨で視界が悪いな……。
「こんな嘘くさいこと、信じてもらえなかったらどうしようかと……。」
「……こういう場合もあるから、行かないわけにはいかないんだよな……。」
リョウさんがボソッと呟いた。
「私が今回の件を依頼させて頂きました、ルノと申します。」
依頼者であるルノさんは、少し自信なさげな黒髪の女性で、体調が悪いのだろうかと心配になるほど顔が青白かった。
「どうも、俺がリョウだよ。こっちは協力してくれる人たち。」
「あ、ど、どうか、よろしくお願いします……。」
ルノさんが私たちに頭を下げる。
「立ち話もなんですから、こちらへどうぞ。……雨も、降っていますし。」
「この雨はいつ頃から?」
「1ヶ月ほど前です。急に降り出してきて、それからずっと。」
リョウさんがルノさんに事情を聞いている間、私はカコちゃんと話すことにした。
「カコちゃん、やっぱり、これって光獣の仕業なの?」
「……この雨、気持ちが悪いわ。微力な魔力の気配がずっと続いているような……。何だか、光獣に取り囲まれているみたい。」
「この雨から光獣の気配がするの?じゃあ光獣が降らしてるんだね、この雨……。」
「気配に関しては殆どあたしの勘みたいなものだけど……。そうね、間違いないと思うわ。」
何だかテンションがいつも通りのクールなカコちゃんに近づいた気がする。
『……なさい………。』
ルノさんに連れられて歩くこと10分、もうすぐですよ、と言う声に励まされ、雨の中を進む。
『……ごめん、なさい……。』
……気の所為だろうか。
『……わたくしの……せい……ですわよね……。』
路地裏の方から、声がする。他の人には聞こえているのだろうか……。いや、誰もこの声を気にする様子はない。
『どうにか、しなければ……。』
何かを嘆くような、そんな悲しい声。
「カコちゃん、何か聞こえない?」
「……何のこと?」
「なんか、誰かが謝ってるような……。」
「あたしには……ごめんなさい、聞こえないわね。」
「そっか……。」
やっぱり聞こえていないのか。じゃあ、どうして私にだけ聞こえているのだろう。
「ローズちゃん、どうかしたの?」
急にキョロキョロしだした私を心配したのだろうか、少し後ろの方を歩いていたカイさんが駆け寄ってきてくれた。
「その……声が、聞こえるんです。」
「声?」
「なんか、ごめんなさいって謝ってるんですよ。」
「謝ってる?」
カイさんも不思議そうな顔をして首を傾げる。私にしか聞こえていない。いや、幻聴なのだろうか。
『……ごめんなさい……わたくしが……。』
やっぱり聞こえる。どの路地の前を通っても、ずっと同じ声だ。
「あ、もしかしたら、この『藍の街』の神が何かを呟いているのかも。ローズちゃん凄いねぇ。光獣レベルの魔力濃度じゃないと、理論上聞こえないってリョウが言ってたのに。」
「神が、呟いてる?」
「そう、誰に向けた言葉でもない、独り言。」
光獣レベル……それって身体が殆ど魔力で出来ている、ということだろうか。私は超能力は扱えないから、例えそうなのだとしたら随分な宝の持ち腐れだ。
「ローズちゃんが『紅の街』生まれで本当に良かった。光獣のいる街に生まれてたら一瞬で殺されてたよ。」
「怖いこと言わないでくださいよ……。」
もし光獣がいる街に生まれてたら。そんなことは考えたくない。きっと毎日がトラウマだっただろう。
「神様って、そもそも見えたり話せたりするものなんですか?」
「光獣が見えるならみえるだろうね。声は、その人の魔力量によってまちまちだけど、聞く人に対して話しかけているなら聞こえるはずだよ。」
「カイさんにも独り言って聞こえないんですか?」
「聞こえないね。神の眼を持っていても。そう考えるとローズちゃんはこの眼より魔力量が多いんだろうね。」
え、神の眼より……?全然知らなかったけどそれはすごい。他人に自慢できることがひとつだけ出来た。
「ローズちゃん……よく考えてみたらそうか。紅い瞳をしているし……。」
「瞳?」
「そう。紅い瞳は一番魔力量が多いんだ。他にも、クロみたいなオッドアイも魔力量が多いんだよ。」
クロさんも多いのか。シロさんが言っていた、獣人の中の例外。クロさんには超能力が扱える。それに、そうでなくとも猫の獣人であるクロさんは足が速いから、光獣の被害には合わなかったのだろう。
そんなことを考えながら、ふとカイさんの瞳を覗いてみる。相も変わらず綺麗な色だ。確か、右が神の眼だ。全く違いが分からない。
「カイさんは……?」
「僕?僕自身は普通かな。ただ、神の眼によってかなり増やされてるけどね。」
「じゃあ……リョウさんは?」
カイさんと同じで、リョウさんも神の眼を持っているらしい。二つの眼は引き合い、決して切る事の出来ない縁を結ばされる、と嫌そうな顔をしながらリョウさんが言っていた。
「リョウの眼は、菫色。もともと、結構な魔力量があるから、悔しいことに僕よりもずっと優れた超能力者、と言えるだろうね。こればっかりは生まれ持った才能の差だけど。」
カイさんは少し口を尖らせて、まあいいさ、とリョウさんの方へ駆けて行った。
……あれ、そういえばクロさんがいない。
「カコちゃん、クロさんは?」
「クロは皆で行動、みたいなのが好きじゃないらしくて、基本的に単独行動をしているのよ。」
「そうなんだ。」
「恐らく、あの山に偵察に行っていると思うわ。」
カコちゃんが指さしたその山は、頂上が雲より高い、標高4000mはあろうか、という山だった。あんなところ、猫ちゃんが行けるところではない。
「大丈夫なの?」
「えぇ。クロには環境はあまり関係ないのよ。」
どういう理屈かは分からないが、カコちゃんがそう言うならそうなのだろう。
「着きました、こちらです。」
ルノさんの言葉に顔を上げると、そこには喫茶店があった。木の温かみを感じるデザインで、お洒落な内装だ。
「ルノさん、喫茶店をやっているのね!とってもお洒落……素敵だわ!」
カコちゃんが目を輝かせて褒めちぎると、ルノさんは照れくさそうにはにかんだ。
「今、クロが調査に向かってるんだ。戻ってくるまで、ここで待たせてもらおうか。」
「では、今お茶をお持ちしますね。」
ルノさんは少し嬉しそうな面持ちで、店の奥へと消えていった。それから間もなく、入口からクロさんが現れた……猫の姿で。
「クロ、おかえりなさい。」
「クロさん……っ!」
あまりのモフみに両手を大きく広げるも、クロさんはすぐに人型になってしまった。……むぅ。
「クロ、どうだった?」
「まずひとつ、山の中腹あたりの湖に例の水牛型の光獣がいた。そいつの背から雨のようなものが吹き出している。まず原因はヤツで間違いないだろう。」
クロさんが淡々と報告を上げていく。
「そしてふたつ、ヤツの背から吹き出しているものに微弱だが魔力が検知できた。生活用水にも浸透しているようだから、ここの街で出されたものについては身体に入れない方がいいだろう。蓄積すれば魔力同士が不和を起こして、暫くは身体も動かせなくなるぞ。」
「魔力同士が、不和を……?」
「それなら、雨が降り始めてから1ヶ月間ずっとこの街に留まっているルノさんはどうして不和を起こしていないのかしら。多かれ少なかれ、魔力自体はルノさんにもある筈なのに。」
確かに。喫茶店の経営者なんて、水を身体に入れる機会は山ほどあったはず。なのにルノさんは動けている。
「皆さん、お茶が入りましたよ。」
ルノさんがトレーをもって部屋に戻ってきた。この水にも、光獣の魔力が……?
「ルノさん、もしかして、この水……。」
「……え、分かりますか?」
ルノさんの表情が少し動いた。もしや……。