第3章 入社 其の参 【蒼薔薇】
痛い
寒い
身体が
消えていく
誰か
ぼくを
消して
誰か
ぼくを
終わらせて
──────────誰か、たすけ
『ぅう''っ……』
地面に叩きつけられる感覚。どうやら建物や人は透けても地面は透けないらしい。しかし、そんな風に考えられる頭が残っているのが不思議な程にぼくは消えかかっていた。
もともと死んでるんだ。ここまで現世を謳歌出来て良かったじゃないか。
「ん?何か変なんがいるぜ?」
「やだ〜!めっちゃ透けてんじゃん!幽霊?キッモ!!」
「あんなんオレがぶっ倒してやんよ!」
男と女の話している声が聞こえる。
『あ''ぅっ!!』
腹部に激痛が走る。どうやらコイツは魔力が高いらしい。ぼくに触れられるということは、超能力者かもしれない。
『……や、やめ……』
腹部を抑えつつ、路地の奥へと逃げようと立ち上がる。
「聞こえねぇ、なっ!!」
「キャハハッ、まじヤバーイ!!」
今度は顔に激痛が走る。地面に倒れてもうぼくは動けなくなってしまったようだ。
「最後に頭潰して終わるか〜!」
「何それ〜、ゾンビ〜!?」
もうろくに見えていない視界の端で、男が鉄製の棒のような物を持ち出した。男が持った棒に奴の魔力が染み込んでいく。
ぼくは消えるんだからもう放っておいてよ!
どうしてぼくのことなんか気にするんだ!!
見て見ぬふりをしてくれればいいだけなのに!!
男が鉄製の棒をふりかぶったのが見えて、ぼくの眼は絶望に染まる。
「はい、スト───ップ!!」
そう声が聞こえてから一瞬の間に、目の前の男は地面に伏していた。女の悲鳴と走り去る音が聞こえる。
良かった……。殴られない、このまま消えることが出来る……、なんて幸せなんだろう。
「大丈夫?……いや、大丈夫では無さそうだね。これ、飲める?」
誰だか分からないが、おそらくぼくを助けてくれたと思しき男の人が何かを差し出している。
ごめんなさい、もう動けないんです。身体ももう殆ど透けて、あなたの顔も見えないし、お礼も言えない……。
「仕方ないか、あんまりこれはやりたくなかったんだけど……文句言うなよ?」
そう言った彼は、持っていたものを自分の口に含み、ぼくの顔を掴んで、一気に引き寄せた。
「……。」
彼の魔力が一気に流れ込んできて、透明だった身体が段々実体を取り戻していく。彼の持っていた何かが、喉を通っていく感触がした。
「……はぁ、もう大丈夫そうだね。」
「あ……あの……。」
「動かないで。今のは実体化を促進させる薬。傷は治ってないんだ。今治すから。」
彼とぼくの接している地面に、魔法陣が浮かび上がる。その魔法陣は光りだして、その光が当たった所の傷はみるみるうちに治っていった。
「すごい……あの、あなたは……?」
「リョウ。」
「リョウ……さん。たすけていただいて、ありがとうございます。」
彼──リョウさんは、ぼくの顔をまじまじと見ていた。そこまでじっと見つめられると居心地が悪い。
……この人がぼくを助けてくれたんだ。綺麗な銀髪……。髪と同じ色のまつ毛に縁取られた宝石みたいな菫色の瞳……。
「おうじさま、みたいです。」
「王子様?」
「はい、ぼくのこと、たすけてくれました。きれいで、かっこよくて、おうじさまみたいです。」
「……ごめん、嫌なこと思い出すからもう言わないで。」
リョウさんは少し悲しそうな顔をして言った。何か思い出したくないことを思い出させてしまったのだろうか。助けてくれた恩人に、ぼくは何てことを。
「ご、ごめんなさい。」
「謝らないで、君のせいじゃない。これは俺の問題だから。」
そう言いながらもリョウさんは悲しげだった。それを誤魔化すようにパッと笑顔になると、ぼくの方をまた、まっすぐ見た。
「そんなことより、君の話を聞かせて。生前の話……とか。」
「せいぜん……わかりました。」
正直、生前のことはあまり思い出したくない。しかし、リョウさんが望むなら、ぼくは何でもしてあげたい──そう思った。
「ぼくは、ずっときたのほうで、うまれました。」
『虹霓の国』の言葉はあまり上手くは使えないけど、頭をフル回転させて何とか伝えきった。
「ふぅん。君の出身、俺と同じとこかもね。名前は違うんだろうけど。それにしても酷いなぁ。……君、奴隷だったんだねぇ。」
「……はい。」
「しかも男の相手させられてたとか……身の毛がよだっちゃうよ。その頃から顔が可愛かったんだろうね。」
「……それは、わかりませんが。」
可愛い、だなんて。前はあんなに嫌だった言葉さえリョウさんに言われると嬉しくてたまらない。顔が少し赤くなった気がした。
「君、超能力者じゃないんだね。」
「え、はい。……ごめんなさい。」
「謝ることじゃない。たまたま、君が超能力を持って産まれなかっただけだ。そして……たまたま、俺は君に超能力を授けることが出来る。」
超能力を……授ける……?そんなこと、出来るわけない。
「出来ちゃうんだなぁ、俺は神様なんてもんじゃ無いんだけど、コレがあるから。」
彼の左の眼が少し青白く光る。恐ろしさすら感じるほどの美しさの中には、変わった魔法陣が見えた。
「そ……それって……」
「んー、あれだ。『神の眼』ってやつだ。」
神の眼……聞いたことがある。昔話に出てくる、不思議な眼だ。いくつもの能力が備えられ、大昔に神から奪われたそれは、どこかで代々受け継がれているんだとか。
「普段は右眼と同じ色になってるんだけど、魔力を溜め込むと光るんだ。カイに話を聞いてから、君に何か超能力を植え付けてみたくて、貯蓄してたんだよ。」
「……うえ……つける?」
「そう。超能力は使えば使うほど成長するものなんだ。まぁ、もちろん限度はあるんだけど。だから、君に植え付けた超能力がどう成長するのかは君次第ってとこかな。」
なるほど、それはまさに『植え付ける』だ。
「リョ、リョウさんがやりたいことは……ぼくもてつだいます!じっけんだいでも、やらせてください!」
「おぉ?思ったより乗り気だねぇ。これは想定外だな。嫌がるかと思ってたのに。」
嫌がるわけなんてない。だってぼくは、リョウさんによって生かされた存在なのだから。
「まぁ、嫌がると思ってたから既に種は蒔いてあるんだけどね。あとは……俺の魔力をたっぷりあげて開花させるだけ。」
「まりょくを……?」
「そうそう。方法はまぁ、沢山あるんだけど、どうしようか。手っ取り早いのだと……さっきみたいに。」
リョウさんがニヤリと笑って、人差し指を自身の口に当てる。
思い出して顔が赤くなる。そうだ、ぼく、リョウさんと……。
「そんな顔しないでよ。あんなことはもうしないって。別の方法探すから!」
「そ、そうですよね!ははは……。」
顔が更に赤くなる。なんだろう、この感情。ちょっとがっかり……?なんで……?
リョウさんは混乱しているぼくには気づいていないようで、少し首を傾げるとその場で腰を下ろした。
「そうだなぁ……じゃあ、ほら、おいで。」
リョウさんが両手を広げてぼくの顔を見ている。
え、座れってことなのかな?……リョウさんの上に。
「えっ、そそ、そ、そんな、そんなこと……!」
「何、協力してくれるんじゃないの?」
「でも……!!」
「もー、焦れったいなぁ。」
そう言ったリョウさんは、ぼくの手を引くと無理やり自分の上にぼくを座らせた。
「そういえばまだ連絡してないや。ほら笑って〜?はい、チーズ。」
「えっ、あのっ……!!」
「もー、ブレたじゃん。動かないでよ〜。」
なんで、こんな……近い……!!
「……あぁ、時間はかかるけど、近くにいるだけでも魔力は分けることができるんだ。だ・か・らっ♪君の超能力がどんなものになるか……ずっと傍で見させてね。」
「ずっ……ず、ずっと……?」
「あ、その笑顔いいね。はい、チーズ。」
ずっと一緒に居られるんだ……!リョウさんと!!
意図せず口元がニヤけてしまう。
「送信完了っと。さー、そろそろ動こうか。」
「ど、どこに、いくんですか?」
「そうだなぁ。うーん、あ、君、お腹すいてない?何か食べに行こうか。」
「そういえば……。」
お腹が空いている気がする、とお腹に手を添えた。と、その時気づいたのだが、服がローズさんのもののままだ。つまり、女物の服を着ている。さっきまでそれどころじゃなかったので気が付かなかった。
「あ、ふく……。」
「ローズちゃんのだよね、どうなってるんだろうな……。」
「こうぞうが、ですか」
「違うよ。」
「すかーとのなか、ですか」
「違うわ!変態みたいにするな!!」
「えへへ、でも……、ちょっと、はずかしいです。」
ぼく、男の子なのに。
「恥ずかしいんだ。俺はスカートとか穿いたことないから分かんないや。」
「はずかしい、です……。せめてなにか、べつのふくを……。」
「買いに行けって?君のこと置いて?それは得策じゃないな、いつさっきの女が戻ってくるか、この男が目を覚ますか分からない。ちょっとだけ眠ってもらっただけだし。」
「た、たしかに。」
「まぁ、似合ってるしいいんじゃない?」
「よくないです!」
全くもってよくない。このまま人目のある場所に出て、不特定多数の人達に見られるのは勘弁願いたい。本当に。
「んー、じゃあ、これ羽織りなよ。」
「えっ」
リョウさんが差し出してきたのは先程まで自分が着ていた白衣だった。前は全開にしてたけど。
「ちょっとはマシになるでしょ。」
「……ありがとうございます。」
受け取った白衣に袖を通す。しかし、袖口から出てくるはずの手が全く出てこない。
「あれ……?」
「でかいな、やっぱり。」
「あれれ……?」
立ち上がってみる。しかし裾は地面から離れる気配すらなかった。
「うん、長いな。」
「リョ、リョウさん、ごめんなさい……。」
「どうするかな……。コイツの身ぐるみ剥いで着せてもいいけど、この服を君に着せたくはないしなぁ……。かと言って流石に俺のシャツなんて渡したら社会的に俺が死ぬし……。」
「わ、わがままいって、ごめんなさいでした。やっぱりがまんしますから……。」
「それを言うなら『すみませんでした』だよ。」
それから少し考えたあと、リョウさんがこちらを向き直った。
「じゃあまず、うちに来てよ。俺が昔着てた服とかまだとってあるんだ。思い出としてね。」
「おもいで……?」
「そーそー。記憶って薄れていくものだろ?だから、忘れたくない記憶は、もので繋ぎ止めておくんだ。思い出せるようにね。」
「それって、ぼくがきてもいいんですか?」
「いいよ、結構古いけど文句言うなよ。」
「い、いいません!」
「じゃあ、ちょっと失礼。」
リョウさんはそう言うと、ぼくのことを所謂お姫様抱っこの形で軽々と持ち上げた。そうすると、やはり顔が近くなる。
やっぱりかっこいいなぁ。言わないで、と言われたけど、王子様みたいだなぁ。
「人目に付くところが嫌なら、道を通らなければいいんだよ。」
「え……それってどういう……?」
「しっかり掴まっててね?」
リョウさんは少し助走をつけると左右の建物の雨樋や室外機を踏み台にして屋上まで跳び上がった。
「すごい……。」
「落ちるなよ?」
また助走をつけると、今度は何も無い空中へと飛び出した。落ちる、と思って目をつぶるが、一向に落ちる気配はない。目を開けてみると、さっきいた屋上よりもさらに上空をリョウさんは飛んでいた。
「ふわぁ……。」
「大丈夫?寒くない?」
「だ、だいじょうぶ、です。はくいもありますし。」
「そっか。もう少しで着くからな。」
「はい。」
魔法陣が何も無いところに浮かび上がり、それに足をかけて跳ぶ。そしてまた魔法陣が浮かび上がる……。流石に空を飛んではいなかったようだが、それでも凄い。そもそもこんなジャンプ力は人間に出せる力ではない。
「まほうじん、きれいです。ちょうのうりょく、ですね!」
「そうだよ。魔法じゃない。俺は魔法陣が出せて色々できるってのが超能力なんだよ。」
「そうなんですね。じゃあ、ぼくも?」
「さぁ、どうだろ。どんな超能力になるかな。俺にも分からないや。」
そう話しているうちに、段々高度が下がってきた。
「ほら、あそこ、見えるかな。花の木が植わってるだろ、あそこが俺の家。」
花の木。きっとあの木だな。
そこにあったのは、決して大きくはないがそこそこの広さはありそうな、1階建ての白い建物だった。花の木は、庭に植わっているようだ。
「さ、そろそろ降りるよ。」
すると、いくつかの魔法陣がリョウさんの家に向かって並び、それに当たると少しずつ減速した。最後まで減速して着地すると、ぼくを抱えたままドアを開けて、中へと入っていく。
「よいしょっと。」
玄関に入ると、僕をおろしてくれた。靴を脱いで部屋へと向かったリョウさんを急いで追いかける。
「えっと、確かこの部屋に……。君はここで待ってて。」
「はい。」
リョウさんが物置のような部屋に入っていく。
「んー、あ、あったあった。」
少し経つと何やら箱を抱えて部屋から出てきた。
「ちょっと待ってね、綺麗にするから。」
「は、はい。」
リョウさんは持っている箱を床に置くと、床に魔法陣を浮かび上がらせた。箱がぼんやりと青白く光る。
「はい、終わり。」
「えっと、いまのって?」
「流石に数十年以上放置してたからボロボロ過ぎるかなって。それが嫌なら明日まで待つ?」
「い、いえ!……で、でも、すうじゅうねんって……。」
リョウさん、何歳なんだろう。20歳後半くらいの印象だった。
「つまり、俺が何歳かって?えーっとねー。………、計算が間違っていなければ1267歳かな。」
「えぇっ!?」
「神の眼……これのせいで死ねなかったのさ。でも、それでいい。この苦痛は誰かに味わって欲しいものじゃない。願わくば、俺が最後になるように、ってね。」
神の眼……やはり何事にも代償は付き物なのだろうか。
「カイも同じくらいなんだけど、あいつは覚えてないんじゃないかな。自分が今何歳なのか、とか。」
「カイさんも、なんですね。」
「そうそう。昔は一緒に住んでたから、知ってる。大体年齢は同じくらい。まぁ最も、その頃は神の眼を持ってはいなかったんだけどね。俺も、カイも。」
リョウさんはほんの少しだけ寂しそうな顔をしてから、いつもの顔に戻った。いつもの、薄っぺらい笑いを貼り付けたような顔だ。
「まぁまぁ、そんな話はさておき、これ着てみなよ。」
そう言いながらリョウさんが差し出してきたのは白いパーカーだった。
「やっぱりちょっとでかいかもしれないけど、その明らかにサイズのあってない白衣よりはずっとマシなはずだよ。」
「ありがとうございます。」
「いいのいいの、じゃあその白衣返して。」
スラリとした白い手がぼくの方に向かって差し出される。
なんて美しい手なんだろう。……でも。
「このはくい……もうすこしだけ、かりててもいいですか?」
「……何で?」
「その……リョウさんのにおいがして……おちつくんです……。」
ぼくは一体何を言っているんだろう。でもリョウさんは、そんなぼくの戯言をそっかぁ、と聞き入れてくれている。
いい匂い。リョウさんの匂い。お花の香り……?金木犀のような、独特の香りだ。ぼく、この香り好きだなぁ。
「ちょっとちょっと、そんなに匂い嗅がないでくれる?流石の俺も恥ずかしくなってくる。」
「ご、ごめんなさい。」
「いいよ。……俺はスペアがあるから、そっち着ることにする。そっちはあげるよ。」
「えっ……いいんですか?」
「うん。」
リョウさんはなんとも思ってないような顔で頷く。それに対しぼくは、自然と口角が上がり、リョウさんの白衣を抱きしめた。……リョウさんは、どうしてこんなにぼくに優しくしてくれるんだろう。
「リョウさん、ありがとうございます。でも、どうしてこんなぼくに、やさしくしてくれるんですか?
「レディには優しくってね、昔教えられたのさ。」
ぼく、レディじゃない。
少しムスッとした顔をリョウさんに向ける。
「はは、何その反応。いいね、その顔。写真撮っていい?」
「だ、だめですっ!からかわないでください!」
「冗談冗談、本当は、甘える練習をさせる為だよ。」
「あまえる、れんしゅう?」
「そーそー。今のうちに甘えるってことを知って欲しいんだよ。」
甘えるなんて、リョウさんにしてもいいのだろうか。この人は神の眼を持っているすごい人で、ぼくの命を繋げてくれて、超能力をくれて……。すでにぼくにとっては絶対的な存在だ。そう、神様のような。
「君は今までよく頑張ってきた。でも、碌でもない人生だったろ?俺は君に、俺みたいになって欲しくない。どうせ君も俺より先に逝くんだろうから、せめてその短い間、君が幸せだと思うように生きなよ。周りのことは気にしないでさ。」
「でも、そんなこと……ぼくより…いやなじんせいだったひとたちだって……」
……許されるわけが無い。ぼくより頑張っている人も、ぼくより不幸せだった人もきっと5万といる。そんな中でぼくだけが周りを気にせず幸せになろうだなんて、おこがましいにも程がある。
「お、不幸自慢か?負けないぞ〜?」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
「はは、冗談だって。でもさ、不幸からは逃げてもいいんだよ。あと、君は重要なことをきっと知らない。」
「じゅうような、こと……?」
「幸せっていうのは、他人と比べて自分が幸せかじゃなくて、今、自分がどう感じてるか……ってね。まぁ、知り合いの受け売りなんだけど。」
リョウさんはへへ、と照れくさそうに笑った。
「まぁまぁ、とりあえずこれ着なよ。白衣は……どうする?自分で持っとく?俺が預かる?」
「ぼくがもっておきます!」
持っておきたい。もう手放したくない。何よりもそんな考えが真っ先にでてきた。
「……折角あげたのに汚されそうだなぁ。」
「あ……」
そっか。そうだった。サイズが全然合ってないんだった。着ることも出来なければ、持っていたら大荷物だ。
「や、やっぱり、ちょっとだけあずかってもらって……」
「はは、だよね。じゃあ後でまた渡すから、とりあえずご飯でも食べに行こうか。」
「はい!」
リョウさんから手渡された着替えを着て、夜の街まで歩いた。初めて歩いたその街はキラキラと照明が光っていて、美しいと思った。
「わぁ……!」
「何食べよーか。ねぇ、君は何が食べたい?」
「えっと……その、あまり食べ物は詳しくなくて……。」
「あーそうか。うん、じゃあファミレスにでも行くか。」
そう言うとリョウさんはぼくの手をとって別の道へと歩き出した。リョウさんの手から体温が伝わる。
……ちょっと恥ずかしいけど、温かい。でも、何よりも嬉しい。今だけはリョウさんはぼくのものだ──そんな気がして。
「ほら、着いたよ。ここがファミレスね。」
「ふぁみれす。」
「うん。俺よくここ来るんだよね〜。喫茶店とかレストランのガラでもないしねぇ。」
喫茶店。レストラン。聞き慣れない言葉だが、きっとご飯を食べるところだろう。
いつか行ってみたい……リョウさんと。
「何ぼーっとしてんの、置いてくよ?」
ハッとしたぼくは急いでリョウさんを追いかけた。いつの間にかぼくの手から離れて少し先まで歩いていたらしい。
「すみません……。」
「別にいいけどさ。俺には時間だけは無駄にあるし。君の時間を無駄にしたくないだけだよ。」
「無駄だなんて、そんな……。」
リョウさんのことを考えている時間を無駄だとは思いたくない。
「まぁ、君がいいなら。」
リョウさんがまた店の明かりに向かって歩き出す。ぼくはそれを追いかける。
「いらっしゃいませ〜!あっ、リョウさんじゃないですか〜!」
店に入るとリョウさんと顔見知りらしき店員さんが出迎えてくれた。
「こんばんは。2名で。」
「えっ、今日はおひとり様じゃないんですね?」
店員さんがぼくの方を見る。
「えっ可愛い!……あれ、でもリョウさんは未婚だったような。まさか隠し子っ!?」
「違うよ。」
「じゃあじゃあ、その子もしかして誘拐してきたの?」
「違うわ!『じゃあじゃあ』じゃねぇよ。」
「てへ、冗談です。からかってみただけ!すみませんね。まぁ、なにか事情があるんでしょ。」
随分と仲の良さげな2人の間にぼくの入る余地が無くなってしまったような気がしてリョウさんの白衣の裾を掴む。
「まぁ……!」
「ん、どうした?」
「……リョウさん。」
何か言いたいが何も出てこない。
「何か言ってくれないと分からないぞ。」
「…………。」
「ふふ、この子は『リョウさんが取られたみたいで悔しい』って言いたいんですよ。可愛いですねぇ、ヤキモチ妬いちゃって!」
「……へぇ。」
店員さんがぼくの心境をざっくりと話し、リョウさんがふむふむ、と言ったように頷く。しかし、なんで分かったんだろう。ぼく自身すらなんと言えばいいのか分からなかったというのに。
「どうやら私はお邪魔のようですね!お席へご案内致します。時間が時間ですからお客さんもいませんので……密談には最適かと。」
「違う、今日はそういうんじゃない。」
「あら、その子は取引相手ではないんですね?」
「分かってて言ってんだろ。」
「バレました?」
「……ただ、飯を食わせてやりたいだけだよ。けど俺は何食わせたらいいかよく分かんないから、適当に持ってきてくれ。金ならある。」
「かしこましました〜!」
リョウさん……普段は何してる人なんだろう。お金持ち、なのだろうか。
店員さんが部屋の隅まで案内すると、ぼくたちは腰を下ろした。ごゆっくり、と言葉を残して店員さんは席から離れていった。
「ねぇ、君さ、名前なんて言うの?」
「え……。」
名前。覚えてる。覚えてるけど、ぼくはぼくの名前が好きではない。ずっとそう呼ばれていた……忌々しい、嫌いな奴らから。
「ずっと『君』って呼ばせるつもり?」
「そ、そういうわけじゃ……。」
「まぁ、ローズちゃんとカコちゃんあたりが君の名前考えてくれると思うから、本当の名前を呼ぶのは今夜限りだ。でもそれはそれ。俺が知りたいから、教えて。」
リョウさんがじっとぼくを見つめている。この人はぼくの命の恩人と言えるような存在だ。この人がいなければぼくはそもそもここには存在していない。だから初めからぼくに拒否権などはない訳だが。
「ぼく……アレットといいます……。」
「そっか、アレット君ね。いい名前じゃないか。」
「きらいなひとから、じぶんのなまえをよばれつづけると……だんだん、そのなまえでよばれることが、いやになるんです。」
「ふぅん、そういうもんなんだねぇ。やっぱりよく分からないなぁ……人間の考えることって。」
え?
「リョウさん……にんげんじゃないんですか?」
「さぁ、どうだろ。もう分かんなくなっちゃった。」
「……それってどういう」
「お待たせしました!!シェフの気まぐれお子様ランチです!」
店員さんがぼくの言葉を遮るように料理を置いた。目の前に置かれたのは明らかにキャラ物の器に盛り付けられた、子供の好きそうな料理の数々だった。
「え、えっと、あの……。」
「ぼく、どうしたの?食べないの?もしかして嫌いな食べ物でも入ってた?」
店員さんがぼくの顔を覗き込む。
いや、別にこの料理が嫌いな訳では無い。ぼくが生きていた頃には無かった食べ物だが、見た目から何となく原材料は想像出来る。それに、ローズさんに取り憑いていた期間の記憶も朧げながらある。だからこそ知っている。これは……ぼく、子供扱いされてるな。
「ぼく、おこさまなんてとしじゃ……ないんですけど……。」
一瞬空気が固まる。しかしその直後、異常に目を輝かせたリョウさんが身を乗り出して顔を近づけてきた。店員さんがひょい、とリョウさんを避ける。
「へぇ〜!気になる、気になるなぁ!!アレット君、何歳なんだい!?確かローズちゃんは16歳だったよねぇ、16歳の身体にそぐわない精神、魂、経験値!!一体どう成長していくんだろうね!」
「リョ、リョウさん……?」
「ねぇ聞かせてくれよ、アレット君は何歳なんだい!?」
「ぇ、ぁ、ぇと……」
「うん、うん!」
「ぁ、あの………。」
「うん、うん!」
リョウさんの顔が近づくにつれぼくの顔が赤くなっていくのが分かる。そんなぼくにはお構い無しに、リョウさんは至近距離でぼくの目を凝視している。
は、恥ずかしい……。
「ぼ、ぼくは……しんだのが18さい、そのあとは……おぼえてない、ですけど、ローズさんにとりついたのは、ローズさんが6さいのころ、だったかと。」
「ふんふん、成程!これはもう少し詳しく調べてみても面白そうだ!!」
何やらメモをとっているリョウさんを尻目に、店員さんは僕と目線を合わせた。
「ごめんね〜、ちっちゃいから子供だと思ったんだよ……。嫌な思いさせちゃったかな。」
「あ……いえ、そんな……。」
「でも、うちのシェフの料理はどれも絶品なんだよ!お子様ランチって色々な料理がプレートに乗るから、たくさん味わうには最適だよ!!だからほら、食べて?」
「えと、はい、いただきます。」
生前のものと比べてかなり小さくなった手を何とか駆使して料理にフォークを刺す。
「はむっ」
……美味しい。確か……なんと言っただろうか、この料理の名前は。
「美味しいでしょう?うちのシェフ特性ハンバーグです!」
「はい!!ハンバーグ、おいしいです!」
その後もエビフライ、オムライス、コーンスープ、にんじんのグラッセ……と食べ進め、いつの間にか完食してしまっていた。
「ご、ごちそうさまでした……!」
「うん、お粗末様。食器お下げしますね。」
ありがとうございます、と店員さんを見送ると、リョウさんが何やら真顔でぼくのことをじっと見ていることに気づいた。
「な、何か……?」
恐る恐る、聞いてみる。
「アレット君さ、スラーヴァ王国って聞いたことある?」
「えっと、はい。きいたこと、あります。」
「どういう国なのか分かる?」
「ぼくがせいぜんに、くらしていた、くにのあったばしょに、おおむかし、たしかそんなくにがあったって……おばあちゃんにきいたことがあります。」
「へぇ。」
「こくみんは、みんなぎんぱつで、はだもすごくしろくて、めがすみれいろできれいだったらしい、とか。」
「へぇ。」
「むかしは、いちねんじゅうずっとゆきがふっていて、ゆきげしきしかみられなかったんだ、とか。」
「へぇ。」
「おうぞくが、あくじのすえに、かくめいをおこされ、ほろびたんだ……とか。」
ぼくがそう言うと、リョウさんは少しうつむいて黙ってしまった。しまった、気に障ることを言ってしまったかもしれない。どうしよう、顔が見えない。
「……リョウさん?」
その時、ハッと気づいた。いや、むしろ何故今まで気が付かなかったのか。銀髪、白い肌、菫色の眼。なにより、リョウさんの年齢。間違いない。こんな質問をしてきたくらいだ。
「もしかして」
「それ以上言わないで。例えアレット君の考えている通りでも、だからどうした、という話なんだ。自分から話を振っといてなんだけど、この話は終わりにさせて。」
「……すみませんでした……。」
「アレット君が謝るようなことじゃないよ。これは……俺の問題だから……。」
その時リョウさんは苦しそうな笑いを浮かべていた。
ぼくが……リョウさんの苦しみを少しでも軽くすることができたらいいのに。
「ありがとうございましたー!!またお越しください!!」
そう言って店員さんが笑顔で送ってくれる中、すっかり元の調子のリョウさんとぼくはファミレスを出た。
「……あの」
「アレット君、寒くない?まだまだ夜は冷えるからねぇ。そのパーカー薄いでしょ、大丈夫?」
「……あ、はい、だいじょうぶです。」
言葉を遮られた。きっと今は話しかけられたくないんだろうな。表情が笑顔だとしても、精神状態まで伴っているとは限らない。
「あ、しまった。」
「え?」
「白衣、ファミレスに忘れてきたかも。」
確かに白衣が見当たらない。ちゃんとリョウさんの方を見ていればすぐに気づいたのに。
「取りに戻るかぁ、面倒だけど。」
「ぼく、とってきます!!」
「えっ、ちょっと……!?」
リョウさんから遠ざかる。今は一人にしてあげたい。
ごめんなさい、ぼくのせいで。
「えっと……あった。」
「ぼくちゃん、気をつけて戻るんだよ。もうお外は真っ暗なんだからね。」
「はい、ありがとうございます。」
先程の店員さんが白衣を持って店頭に立っていたので、受け取って少し会話をしてから引き返す。
「リョウさんのにおい……、えへへ。」
リョウさんはさっきの所で待ってるかな。きっと今は誰にも会いたくないと思うけど、そんなに距離は離れてないし、すぐ着いてしまうかも。
そう思ってゆっくり歩く。白衣は、畳んであるとはいえ僕にしてみれば大きい。視界が狭いから、つまづいて転ばないようにしなくては。
ドンッ
「あぅ、ごめんなさい……!」
下にばかり注意を向けていたせいで誰かとぶつかってしまった。
「あァァ''?なんだァこのガキ。」
「……ぇ?」
顔を上げると厳つい顔をした男がぼくを睨みつけていた。背筋がヒヤリとして、体が動かなくなる。
「す、すす、すみませ……!」
「おい…てめェの髪……」
男がぼくの頭に手を伸ばす。その手がいつかの日の情景と重なる。
ぼくに
手を
伸ばす
その手が
昔のあの日の
あの
あの
あのてが
ぼくの
ぼくの
からだに
さわるな
さわるなさわるな
さわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなさわるなァァァァァァァァァッッッッ!!!!
「うわぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあぁああぁっっっ!!!!!!」
自分の叫びを、どこか他人事のように聞いていた。
視界はぼやけているところを見ると、どうやらぼくは泣いているようだった。
泣き止ませなくては。
どうやって。
こうしている間にも男は近づいてくる。
どうしたら。
「もー、だから、甘えてくれてもいいんだよ?」
やたらと耳に馴染む声が聞こえると、視界が真っ暗になった。目の辺りに体温が伝わって温かい。急に現実に引き戻されるような感覚。
これは……。
「リョウさん……?」
「うちの子になにか?」
リョウさんの淡々とした声が聞こえる。
「い、いや、迷子かと思って……。」
「嘘。」
「ホントだって!」
「嘘。」
「だからァ、ホントッつってんだろ!?」
「嘘だね。」
男の声に段々怒りと焦りが混じってくる。
「本当のところは?」
「だからァ、迷子を交番に……」
「話す気はないみたいだね?」
「話してんだろ……?」
「君の考えてることなんて大体わかるよ。顔見れば。」
ぼくの目を隠している手に少しだけ力が入る。
「銀髪の子供は……それはもう高く売れるからね。」
「………!?」
「知ってるさ。美しい銀髪を持つ一族がもう殆どいなくなっている理由くらい。」
「………ッ!!」
「お前みたいなのに強引に人身売買にかけられて、売れ残った奴は餓死、売れたやつも奴隷やペットにされることが多い。死ぬまで自由は無い。だから衰退した……ってね。」
「……チッ、覚えとけよッッ!!」
足音が聞こえる。……段々遠ざかっていく。
「アレット君、大丈夫?」
視界が明るくなった。未だ止まらない涙が頬を伝う。
「大丈夫じゃ無さそうだね。」
「ごめ、なさ、」
「謝らなくていいってば。」
リョウさんが頭を撫でてくれる。段々心が落ち着きを取り戻す。
「こわかった、です。」
「だよね、あんなの俺でも怖いよ。」
「そんな……」
「俺、こわかったなー。」
リョウさんが分かりやすく何も感情を込めずに言うものだから、少し笑ってしまう。
「ふふ、うそつきです。」
「やっぱりそう思う?」
「かっこよかったですよ。」
「そりゃどうも。」
安心して、急に眠気が襲ってきた。
「ふぁ……」
「そろそろおねむの時間か。さっさと報告しに戻ろうかな。歩ける?」
「あるけましゅ……」
「ダメそうだな、こりゃ。」
こくん、こくんと首が揺れ始め、気づくと意識を手放していて、次に目が覚めた時には、リョウさんの背におぶられていた。
「ん……、は、え?」
「起きた?もう着くよ。」
「はわわわわわわっ、ごめんなさい、ぼく、リョウさんになんてことを……!」
「だから、いいって。いっぱい甘えて頼ってよ。」
「うぅ……はい……。」
そうこうしているうちに目的地である先程までいた家に着いた。ドアの前でリョウさんの背中から下ろされ、後ろについて室内へと入る。
「ひろい……」
「だろ?」
生身で実感するこの家の広さに感動していると、廊下の奥側からパタパタと走ってくる音が聞こえた。
「おかえりー。」
「ただいま。」
「大丈夫だったみたいだね〜!」
「結構ギリギリだったんだぞ?」
リョウさんと会話しているその人は、金髪の人で、長い髪を揺らしていた。身長もリョウさんと比べるとかなり低い。しかし、何となく背筋がゾワゾワとするのでこの人は男の人なんだろうな、と思う。
「初めまして!!僕はカイだよ、よろしくね!!」
カイさんが僕の顔を覗き込んでくる。
「ひっ」
背筋のゾワゾワが急に強い恐怖心へと変貌し、つい反射的にリョウさんの後ろに隠れてしまう。
「あれ?」
「近寄んなってよ〜。」
「……ごめんなさい……。」
謝りつつ、リョウさんの後ろから少し顔をのぞかせてカイさんの様子を伺うと、少し悲しそうな顔をしていた。
「男性恐怖症なんだってさ。」
「えっ、リョウだって男じゃん!!何でそんなにベッタリされてるわけ?」
「さぁ?何でかは分からん。」
「僕のほうが可愛いじゃん!!」
カイさんが不満げに口を尖らせている。確かに可愛らしいのだろう。でも……
「リョウさんだって、かわいいです!」
つい口から飛び出させてしまった言葉に自分でもドン引きした。2人がポカーンとした顔でぼくの方を見ている。
「え、えっと……すみません。」
少しの沈黙。
「あっはっはっはっはっ!!!」
「俺が可愛いって……重症だなぁ。」
カイさんが大笑いし始めた。リョウさんに至ってはぼくのことを心配し始めてしまった。
「ほんとうですもん……。」
なんだかいたたまれなくなって少し俯く。
「そっかそっか!!リョウも子供に懐かれる日が来たんだねぇ!!今までリョウは子供に会っては不審者扱いされたり泣かれたり……散々だったのにね!!やっぱ髪はそっちの方が良いよ、親子っぽいし!!」
「あー、忘れてた。戻そ。」
リョウさんの頭の上に魔法陣が出てきて、光り出す。たちまちリョウさんの髪は一部紫の黒髪へと変わっていった。
「えっ、ちょっと!なんでまたその色にちしゃうのさ!!絶対元の銀髪の方がいぃ、ぷぇっ!?」
ぶーぶーと文句を言うカイさんの頬に何やら黒いものが飛んできた。その黒いものが床に着地するとやっとその生き物を認識した。
「ねこ……。」
「カイん家の猫そのいちだよ。」
「いてて……。」
「にゃー」
その猫は不機嫌そうにしっぽを揺らすと、「ついてこい」とでも言いたげに一言鳴いて歩きだした。
「……ねこ、いってしまいます。」
「追いかけたらいいんじゃない?」
「じゃークロ、案内頼んだよ……。」
頬に猫の肉球の痕をつけたカイさんが呟いてシュッと消える。これもきっと、超能力。
「にゃー」
猫に急かされ、慌てて追いかける。後ろからリョウさんも着いてきてくれているようだ。
少し歩いて、ある部屋の前で猫は立ち止まった。
「にゃー」
「このへや、はいったらいいですか?」
「お邪魔しまーす。」
リョウさんが無遠慮にドアを開けると、そこにはホテルの一室の様な空間が拡がっていた。
「客間だよ。だよね、クロくん。」
「……にゃ」
「……だってさ。」
リョウさんの問いかけに短く鳴いて応えた猫は踵を返して部屋から離れた。その際にドアを閉めて行ったのを見ると、とても賢い猫であるのだろう。
「アレット君さ、ネコのオスは大丈夫っぽいね。」
「え?」
「さっきの猫、獣人族の男なんだけど、大丈夫そうだね。」
「……たしかに、だいじょうぶそう、でした。」
猫に対しては恐怖感は無かった。全く、この歳にもなって男性が怖いなんて……。お恥ずかしい限りだ。
「疲れたでしょ、寝ときな。明日迎えに来るからさ。」
「は、はい……。」
部屋の隅に置いてあるベッドへと腰掛ける。とても柔らかいベッドだったので、身体が沈む感覚がした。とりあえずそこで横になってみるが、ソワソワと落ち着かない。
……寝られない。
「じゃ、おやすみ〜。」
と、リョウさんが部屋を出ようとする。考えるよりも先に言葉が出てきた。
「リョウさん、まって……。」
「どうした?」
電気を消そうとしている手を止めて、こちらを振り返ってくれた。言葉にやっと感情が追いつく。
……寂しい。行かないで。ひとりじゃ寝られない。
「……その、えっと、……なんでもないです。」
「じゃあ何で止めたのさ。……アレット君、誰かにとっては小さい問題でも、本人にとっては命を終わらせるほどの問題である時もある。さっきも少し言ったけど、君がどう感じてるか、だよ。」
リョウさんが寝転んでいるぼくの目線に合わせてくれる。
「……で、どうした?俺に出来ることなら何でもするよ。好きなだけ甘えるといい。」
「その、ごめんなさい……。」
「謝るようなことじゃないって。未経験者に急に『バク宙して』とか言っても、余程の天才じゃない限り出来ないだろ。」
「……え?」
「まぁ、つまりは練習あるのみってこと。」
「あ……は……はい。」
リョウさんが優しい顔でぼくを見ている。
「えっと……こんなに、ふわふわしたベッド、はじめてで……こんなにひろいへや、ひとりだとさびしくて……。」
「うん。」
「その……いかないで、ほしくて……リョウさん……いっしょに、いて、ください………。」
言葉が口から出れば出るほど恥ずかしくなってきて、顔が赤くなり、声は小さくなる。リョウさんは少しの間の後、笑ってぼくの頭を撫でた。
「ふふ、いいよ。……少しの我儘も口に出来ないような環境だったんだね。もう大丈夫、俺はアレット君の味方だから。」
「……あの、もうすこし、もうすこしだけ、わがまま、いいですか。」
「何かな。」
「ぎゅって、して……ほしい……。」
「……いいよ。ほら。」
リョウさんが腕をゆっくりぼくの背にまわし、軽く抱きしめる。幸せだ。そんな気持ちで胸がいっぱいになる。
少しするとリョウさんの体温はまたゆっくりと離れていった。
「ありがとう、ございます……。」
「寝るまでそばに居てあげる。ほら、目を閉じて。」
リョウさんはぼくの左手を握ると、またぼくを撫でた。
「リョウさん……」
「ん?」
「おやすみ、なさい……。」
「あぁ、お休み。」
視界がブラックアウトしていく。リョウさんの体温を感じたまま、ぼくは眠りについた。
目が覚めるとそこにはリョウさんはいなくて、代わりにローズさん、がいた。心地よさそうに眠っているので、起こすのもどうかと思い、伸ばそうとした手を戻す。
ローズさん、ごめんなさい。ぼくが取り憑いてしまったばかりに。昨日低い確率でも失敗をしてしまっていたら、もしかしたら眠っている彼女は、今ここにいなかったかもしれない。
しかし、リョウさんの言葉を思い出す。周りは気にせず、今、自分がどう感じてるか。今、ぼくは……。
「……ぼくは、しあわせもの……です。」
ポツリと零れた一言に反応してか、ローズさんが身じろぐ。起こしてしまったかと慌てたが、また規則正しい寝息を立て始めた。
それを見て少し微笑んだあと、自分がこの後どうなるのか、自分はどうしたらいいのか、と考え始めた。
しかし結論はすぐに出た。……何でもしよう。リョウさんの頼みなら。リョウさんが望むのであれば、一度は迎えた死だって怖くない。
心の中でリョウさん──ぼくの絶対神に誓った。