リコリス王女と髪飾り
淑女として走ってはいけない。
走ってはいけないけれど急ぐ必要がある。足早に淑女としておかしくない程度に早め早めに足早に歩く。放課後のヴィオラは忙しい。
毎日の日課は学園から王宮内の離宮へ。
走らず、速足で、なおかつ王女ですものしとやかに上品に。難しいけれど。
到着して、息を整えるために一回深呼吸してからリコリスの部屋の扉をコココンとたたく。
「リコリス王女、失礼いたします」
ゼイゼイと息が荒くなりがちだが、熱い息をのみこんでさりげなく静かに。
「今日もお姉さまにおかれましてはごきげんうるわしく」
急ぐあまりに口調がまるで騎士みたいになっているようだわ、とヴィオラは内心苦笑する。
学園の制服から早々にプリンセスラインのピンクのドレスに着替えている第1王女である姉リコリスが制服のままのご友人たちと一緒にお茶会を華やかに開いていた。
ヴィオラは授業が終わってからすぐに走るようにしてこの部屋までやってきたのに。
この人たちはどうやって離宮までやってきたんだろう。ちゃんと授業を受けなかったのだろうか?
侯爵令嬢に伯爵令嬢と高位貴族の方たちばかりだから、ヴィオラが知らないところで自由が大きいのだろうか。
ヴィオラは淑女クラスには在籍していないからわからない。
入学前の最初のテストでいい成績を上げたヴィオラは淑女クラスと騎士クラス、官僚クラスのどこを選ぶかを学園側から聞かれた。これから先のことを考え官僚クラスとしたが、後程姉リコリス王女から成績がいいからと王女でありながら淑女クラスではなく官僚クラスにするなんてと何度も考え直すように言われた。
だが、リコリス王女と違い将来的な立場が不安定ではっきり分からないヴィオラは、例え今現在の身分が王女であっても自分の身を守るための知識や技術はできるだけ身に着けたいと思っている。
何と言われようとせっかくのチャンスだ。これだけは譲れない。在籍しているクラスは官僚クラスだ。
「もう、ずっと待っていたのよ。ヴィオラはわたくしのところへ来るのが遅すぎるのじゃなくって。すぐに来るように言ったではありませんか。……そういえば、ヴィオラに相談したいことがあるの。聞いてくれるわよね。実はね、先日皇太子さまから可愛らしい髪飾りをいただいたのだけど。本当に素敵な髪飾りなの。とっても嬉しくて見ていたのだけれど、皆さんと見ているうちに、ね」
リコリス王女は笑いながら隣にいた伯爵令嬢を見る。
「少し欠けた部分ができたのです。見てください、ヴィオラ様」
手のひらに髪飾りを載せてヴィオラに差し出す。
見ると繊細な蝶を模した羽の部分に色とりどりの小さな宝石が散りばめられている。その羽の部分が少し欠けているのが分かる。
「市井の『バミーダ』という宝石店が作ったものですわ。とても評判のお店ですのよ。ですけれども、ね」
リコリス王女の隣にいた侯爵令嬢がクスリと笑う。
「市井など私たちは行ったことがありませんもの。やはりわたくしたちにとっては誰かがついてきてくれるとは言っても怖いことも多いでしょうし。無理ですわ。その点、聞いたところヴィオラ様は市井にも何度か行かれたことがあるとか」
ふふふとリコリス王女を中心とした令嬢たちの嘲笑がざわめく。
確かにヴィオラはリリアーナに連れられて何度か市井には足を延ばしたことがある。
活気にあふれた自由な街だ。
令嬢たちから馬鹿にされるような街ではない。
しかし、姉リコリス王女がこの場にいる以上とがめることはできない。
「ヴィオラにお願いがあったのよ。その『バミーダ』とやらに行ってきて。同じものを買ってきてちょうだい。皇太子さまが視察で行かれた時に買われたものらしくてどうしても同じものがいいのよ。皇太子さまがわたくしのために買われたものなの。見たところ高価なものではないでしょうけれど、とても可愛らしくて素敵でしょう。皇太子さまのお気持ちを考えると壊れたなどとは言えませんわ。わたくし週末にはお会いすると思うの、皇太子さまと。それまでには元の髪飾りが必要だから早めに行ってきて」
ヴィオラは少しだけ考えてリコリス王女を見た。
「皇太子さまからの贈り物をわたくしが修理に出してくるより、壊れる前の状態をよく知っている侍女や侍従のほうがよろしいのではないかと思われますが」
微笑んでいたリコリスの眉がわずかに歪んだ。
「何を言うの。わたくしの侍女はこれでも貴族令嬢ばかりなのよ。市井に行かせるなど危なくて。それに市井に慣れているヴィオラが行くのが一番いいに決まっているでしょう」