追悼
おかえり。どうした、そんなに不思議そうな顔して。ああ、これか。ごめんね、こんなに床を散らかしちまって。
本の整理をしていたんだ。漫画の単行本から、ハードカバー小説、文庫本、大学の教科書、ビジネス書。こう見ると本当に色々なジャンルが揃っているね。僕は案外広く浅い読書家だったのかな。
これらを全部一度しっかり整理して本棚に並べなおそうと思ってさ。なんで急にそんなことをって、聞きたそうな顔してるね。きっかけはもちろんある。
最近、僕のひどくお気に入りだった漫画作品が連載を終了したんだ。ああ、待って。うん、君が今心の中に思い描いているものはきっと合っているよ。あれだけ大々的に報道されてしまったものね。それも悪い意味で。君もひょっとしたらそれについては言いたいことがあるのかもしれないけど、今は少しだけ、何も言わずに聞いていてほしい。
きっと人気はある方だったと思うんだよな。少年たちに大人気の王道バトル漫画というわけではなくて、どちらかというと邪道なテーマを扱っていた作品だったけれど、でも毎回、話の芯の部分にはいつもメラメラとした熱い魂のようなものが宿っているように感じられた、そんな不思議な漫画だった。実際メディアとのタイアップ具合を見る限り、順風満帆だっただろうから、まさかこんな急にこの作品が終わりを迎えるなんて思わなかったよ。僕だけじゃない、きっと誰にも予想はつかなかったはずだ。原作者が強制わいせつ容疑で逮捕されるなんて。
驚いたなあ、あの時は。世の中に漫画は数あって、僕は別にその全てを読んでいるわけじゃない。割合にしたらきっと1%にも満たない程度の作品数しか読んでいないのだろうけど、テレビのニュースで映っていたその表紙は見事にその1%に入っていた。SNSは荒れていたね。ほとんどの人が驚いていた、そして嘆いていた。怒っている人もいたな。マイナスの感情があの作品の周りを渦巻いていたよ。それからまもなくして、本当に時間を置かずして編集部からの連載打ち切りの報せが世間に発表された。早い決断だった。心の中でどうにかして作品だけは生き残らせられるようなそんな未来はないのかと、自分でこれっぽっちもどうにかできるわけでもないのにあれこれ考えていた矢先の発表さ。でも不思議とショックはなかったな。きっとどこかでわかってたんだろう。これは打ち切りになるって。
今の僕の感情は諦めに近い。僕がもっと子供だったら「嫌だ嫌だ」って泣き喚いたのかもしれない。でも僕はすでに今回の事件がどうあってもこの結末を迎えることになると確信できる2つの根拠を知ってしまっているから。1つずつ話させてほしい。
1つ目は、今の世の中はしっかりと性犯罪を重く受け止められる社会であること。大前提として、これはとても良いことだ。昔は、そうだな、僕らの親が子供だった頃は、まだ男社会の名残でこういった事件が起きても被害者を責め立てる声も少なくなかったらしいんだ。被害者側が責められるなんてはっきり言って異常だよね。今僕たちがそう考えられるようになっていることこそが社会が変わってきている証拠なのだから、きっとこれは喜ばしいことだ。
でも、こういった社会の変化の副作用みたいなものとして、性犯罪に過敏に反応しすぎる人たちが生まれてしまったのもまた事実なんだと思う。そういった人たちは加害者にまつわるもの全てが攻撃対象に見えている。とにかく加害者に関連するもの、属するものを許さない。加害者が原作した漫画なんてそれこそ格好の的だ。中途半端に作品を残そうものなら速攻鬼のようにクレームを入れてくる。だから、性犯罪絡みのときは通常より素早く、厳しく対応するに越したことはない。そんな思いがきっと出版社のどこかにあったんじゃないかな。
そしてこれは2つ目の内容にも関わってくる。僕のため息のわけは主にこの2つ目の理由にあるんだ。この世界には作品と作者を切り離して考えられない人が多すぎる。作品っていうのは確かに作者が産み落としたものだけど、産み落とされた瞬間から作者とは切り離された別のものになる。ただ、そこに「ある」ものになるんだ。作者はもう産み落とされた作品に手出しはできないし、自我を持たない作品自身はもちろん作者に対して意図を持った働きかけなんてしない。つまり独立のものになるんだよ。でもどうしてだろうね。世の人の多くはその事実を受け入れることをせずに、作品まで目の敵にする。あの憎き作者が創ったものなんてこのまま世間にのさばらせていてたまるか、なんて面持ちでさ。でもよく考えてごらんよ。作者と作品の関係は親子の関係に似ている。親が犯罪者だったら子も憎まれる対象になるのかい?処分されるのかな?今の時代はそんな古臭いことをやるような時代じゃないだろう。そんな忌まわしい悪習はとっくの昔に滅びたよ。少なくとも文明の栄える都市部ではね。
じゃあ、なぜ作品についてはそうは見られないんだろう。それはきっと作品があくまで作品だからなんだろうな。無機的で、生きていなくて、意志を持たない物体。それと人間を同列視するなんて馬鹿馬鹿しい。そんな「もの」ごときのために被害者が本屋に入るたびに心に傷を負う必要なんてないじゃないかって。それは正しい。何も間違っちゃいない。それが普通の人の考えだ。100人に聞いたら99人がそう答えるのかもしれない。でも、きっと僕はずっと残りの一人なんだ。
作品は、とりわけ物語は、生きている。生きているんだよ。君は今僕のことを変な人って思っているのかもしれないね。そうかもしれない。でも僕には生きているってどうしても感じられてしまうんだ。物語の中にはある別の世界が広がっている。そして、そこに生きる人がいる。存在する”何か”がいる。彼らの人生はその物語の中で続いているんだ。言い換えれば、彼らは物語の中で間違いなく生きている。作者はある意味彼らの人生をこっちの世界に投影してあげているに過ぎない。でも、それこそが大事なんだ。彼らの、物語の中の彼らの人生を盗み見ることで僕たちは少なからずこっちの世界での自分の生活に影響を受けている。彼らに心を動かされている。じゃあもし物語の投影がある日を境に永遠に行われないとしたら…?それはその作品とともに生きていた人たちにとっては、物語の中の彼らを突然奪われることを意味する。別世界に生きる友達を、師匠を、恋人を、仲間を、殺されるも同然なんだ。急な別れだ。ありがとうもさよならも言えないくらいに急な別れ。僕が作品を生きていると思う理由はそこにある。どんな作品とも必ず誰かが交流を行なっている。供給がある限り作品は僕たちを通して生き続けている。だから、それを遮断するのは殺人と変わらないと僕は思っている。僕たちの中で生きている作品を殺すことだと、ね。強い言い方をしてしまってごめんね。
結局僕がどんなに熱弁したところで理解してもらえない人には一生理解してもらえないだろう。そういう人とはこの議論はどこまでいっても平行線だ。仕方がないことだけれども。
きっと被害者は深く傷ついたに違いない。本当にそれは許しがたいことだし、加害者である作者は当然罪に問われるべきだ。でも、作品を殺すのだけは見逃してやって欲しかった。すでに生み出された作品はもはや作者と関係なく、受け取り手の体の一部を借りてそれ単体で生きているんだ。少なくとも僕はそう感じている。それを無惨に斬り捨てられることもまた、とてもとてもつらいことなんだよ。
まあ、あれこれ言ってもしょうがないのかもしれないね。実際、大多数の人間は僕がこんな風に喚いたところで「何を言っているんだこいつは」と思うんだろう。それはわかっているし受け入れている。だから「諦め」とさっき言ったんだ。
それにしても編集部の対応は迅速だったね。もう書店では単行本の自主回収が進み、間も無く電子版も含めて絶版となるそうだ。僕はそれを聞いて焦って単行本を買いに行ったけど遅かったよ。数店舗回ったけどもうどこにも残っていなかった。悔しいなあ。きっとみんなからしたら作品が消えたくらいで何を、と思うくらいなのかもしれないけど、僕にとっては自分が好きだったものが存在したという事実さえも世界から抹消されていってる感覚だったよ。こんなんだったらもっと早くに単行本を買っておくべきだった。電子版で毎週買って読んでいるから油断してしまっていた。データじゃ味気ないよな、やっぱ。
そうだ、最初の話に戻ると、僕がなぜ本棚の整理をしていたかというと、改めてこいつらの存在を認識しておこうと思ったからなんだ。もう完結したシリーズもあれば続いているものもあるし、物語性のない本もあるけど、それら全部に対して今一度ひとつひとつと向き合っておこうと思って、こんな風に床にごった返しにして本棚に並べ直していたんだ。きちんと整理したら、満杯のように見えていた本棚にもスペースが生まれたよ。ちょうど漫画が10冊ちょっと入りそうなくらいのスペースだ。そこはいつまでも空けておこう。だって、すでにそこにはあの作品が埋まっているんだから。