目ヶ森星人は応援したい
《とーふ屋》の描くおっぱいは最高だ。俺の性癖にどストライクすぎて、ジオラマサイトに近作まとめが投稿されるのも待ち遠しく、最新のおっぱいを求めてドゥードゥルアカウントまで追いかけている。ところが《とーふ屋》ときたら豆腐メンタルで、最近ドゥーが不穏だ。クリエイター同士で傷を舐め合うようなドゥーを頻繁にリドゥーしたり、ジオラマをアップロードするたび「誰も見てないでしょうけど」なんてコメントを添えている。このままでは《とーふ屋》が筆を折り、俺の好きなおっぱいが永久に失われてしまう……。そんな《とーふ屋》の正体が千羽 愛先輩だと知ったのは、学校で先輩が落っことしたノート型端末の画面に、見間違えようもない特徴的なおっぱいのラフ絵があるのを目撃してしまったからだ(断じて覗いたんじゃない。拾ってあげた時たまたま視界に入ってしまったのだ)。すぐそこに《とーふ屋》がいることを知りながら、俺は悩んでいた。だって性癖がバレるの、教室で裸踊りするより恥ずかしいじゃん!!
……と、ここでジオラマについて説明しておこう。ジオラマはいいぞ。絵の中に入れる。個人用コンピュータの飛躍的な高性能化にともない、大手ソフトメーカーがジオラマ専用の高機能ツールを発売するや、意欲的なイラストレーターは二次元の嘘がつけない世界でも続々と技法を開発し“ジオラメイター”になっていった。ジオラマは描く側も見る側もヘッドマウントディスプレイやグローブなどのウェアラブルデバイスを装着し、没入して楽しむのが普通だ。表現力のあるジオラメイターは三六〇度、全周囲の背景まで描いてしまい、3Dのキャラクターモデルにも根気さえあれば感触と動作と音声を設定できる(そして全オブジェクトの動作をつないだものが“漫画”になる)。ほんの数年前までオタク界隈を席巻していた2DCGの人気を、今ではジオラマがそっくり奪い取っている。
先輩のジオラマはベージュやスカイブルーのデフォルト空間にキャラだけなので、そのことで叩かれたりもしていたが、俺としてはキャラだけでも満足だ。おっぱいキャラは肉感的に造形されすぎる傾向があるが、ほどよくデフォルメされた唯一無二のあのプロポーション……何度お世話になったかしれない。
正体を知られることなく先輩を応援するにはどうしたらいいだろうか?最初に思いついたのが先輩のドゥーを片っ端からいいね&フォローすることだったが、それでも後ろ向きな発言が続き、効果はなかった。先輩が望むのは数字でなく感想だったようだ。アカウントをたくさん作ってリプライしまくるか?いやいや、明らかに怪しまれるし、ストーカーにはなりたくない。そこで先輩の「夏イチに当選しました」というドゥーが目に留まった。買うしかない。ジオラマを。
年に二度開催される同人作品即売会、ラクイチ。そこへ直接出向けば顔を見られてしまうので、台所にいるKeePaを使うことにした。KeePaの代わりに便所掃除でも風呂掃除でもなんでもするから、一日だけ!と頼み込んだら、親はしぶしぶ許可してくれた。
「こんばんは星人さま。ご用をお申し付けください」
「とりあえず部屋に来て」
エプロンを着けた人型の家電が充電スタンドから降り、俺のあとについてきた。
KeePaを俺の端末の前まで連れてきたら、ラクイチのウェブサイトに表示されているモザイク・コードを読み取らせて念のため日時と行き先を復唱させる。多目的イベントホールは地下鉄ベイサイドシティ駅から徒歩十五分。ロボットの足なら十分で着くだろう。
「お買い物ですか?」
「《とーふ屋》のスペースでジオラマソフト“オリキャラまとめvol.7”を一本買ってきて。あと、ここからが大事なんだけど、ソフトを売ってる人に『応援してます』って」
「想定される期間中に二件のタスクがあります」
「それは俺がやる」
「了解。スケジュールの上書きを完了しました」
「たのむよ」
「お任せください」
それから俺は学校で千羽先輩を見かけるたび、今そこにいる相手へひとことエールを贈るためにこんな回りくどい手段を使わなきゃならんとは、と溜息をついた。やがて学校は夏休みに突入したが、この間におそるべき事件が起きた。《とーふ屋》のドゥードゥルに男の影がちらつき始めたのだ!先輩が「友達」と称して写真をアップロードするそいつは、ロックバンドでヴォーカリストでもやっていそうな耽美系のイケメンで、そいつ自身のアカウントは見つからなかったものの、ユーザーネームをKATORIというらしかった。……ちょっと待て、KATORIだろうと何TORIだろうと、それがどうした?そもそも俺の目的は《とーふ屋》のおっぱいジオラマだ。彼氏ができたからジオラマやめます、なんて事態にならない限り、なにをイラつく理由があろうか。ひょっとして俺、先輩に……?モヤモヤが抑えられないまま夏休みは飛ぶように過ぎゆき、ラクイチの日がやってきた。
便所掃除と風呂掃除でくたくたになった俺は《とーふ屋》のジオラマソフトを受け取り、KeePaを端末に接続するとラクイチの映像をモニタで確認した。夏の日差しが照りつける会場は、お客もスタッフもロボットだらけ。昔のオタクは酷暑の中をみずから長時間並んだというが、とても想像できない話だ。広場では撮影会をやっており、思い思いのコスチュームで扮装した人間をものすごい数のロボットとドローン・カメラがお行儀よく取り囲んでいる。入場者の列に延々並ぶところは飛ばしてホール内の映像。KeePaのコンピュータがロボット向けに掲示されているモザイク・コードを解析し……、居た。ゲームキャラか何かのコスプレをしているが、先輩の寒々しい胸元には誰も寄りつかず、売り子のひとりもいない自分のスペースで自作ソフトの山を前にしょぼくれている。カメラが近づいて「目ヶ森星人です。応援しています」と声をかけたら、営業スマイルの余裕すらないのか、引き攣った笑顔が返ってきた。
「……ん?おまえ今なんつった!?」
「“匿名で”とのご指示はありませんでした」
「台無しじゃねーか、このポンコツメイド!!」
新学期早々、俺は千羽先輩といっしょに下校させてもらえることになった。というか、先輩の家に連行された。
例の男が待ち構えていてボコられるのかと思ったが、部屋には誰もいなかった。漫画とゲームの棚のほかに、参考書、問題集、デッサンや3Dモデリング関連の難しそうなテキスト。何冊ものスケッチブックと用途の分からない画材の数々。むせかえるほどのインクの匂い。まるで千羽先輩の性格が部屋になったようなガールズルームらしからぬ光景は、《とーふ屋》が描くファンタジックで柔らかいキャラのイメージとは正反対だ。この飾り気のない仕事部屋から至高のおっぱい達が生み出されたのだ。
「まさか目ヶ森くんが私のこと好きとはね……」
「俺、そういうんじゃなくて、彼氏とかいるんだったら全然いいんで、あっ……いや、そうじゃなくて!」
「彼氏?あー、あれ」
椅子に腰掛けた先輩は端末を起動し、HMDとグローブを装着してジオラマ製作ツールを展開した。仮想空間での操作はベッドに座る俺にもモニタから見えている。コードネーム・ピレスロイドというファイルをダブルタップすると、あの男が……KATORIが現れた。
「ジオラマのキャラ……?」
「ドゥードゥルに変な奴きてるなーと思って描いた“虫よけ”。男とか描くの血ぃ吐くぐらい嫌だけど、リアルの男はもっと嫌だから」
KATORIの正体はファッション雑誌からの模写だった。ジオラメイターって凄げえ……。先輩はコードネーム・ピレスロイドをゴミ箱へ放り込んで他のゴミファイルとともに消去し、HMDとグローブを脱いだ。
「なんだ、よかった……じゃなくて。俺《とーふ屋》さんの描くおっ……ジオラマがホント好きで。なんか落ち込んでるみたいだったんで、描くのやめないでほしいなって思ったんです」
「ふーん。目ヶ森くん、ちょっとキモいよ?」
ガーン。
「でも、うれしい。お買い上げありがとうございました」
千羽先輩がぺこりと頭を下げた。
「それだけ?」
「それ以外になんかある?」
「なんもない、ですよね」
「……冗談。おっぱい、好き?」
「好き、です!」
「おっぱいイェーッ!!」「イェーッ!!」
その場の勢いでハイタッチした俺は、冬イチでKeePaと売り子をするはめになったり、先輩の手でさらなるおっぱい沼へ引きずり込まれることになろうとは予想もしていなかった。
おわり