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真理の宇宙~System of Universe~  作者: 天土 洸一/天土 滉一
第二章 始まりの邂逅~Nothing Mind Nothing Sence~
32/37

5-8

 現れた異常を観察する。

 片や塩素で塗り固めたかのような目に痛い程の清潔極まりない純白のローブを。

 片や泥水を染み込ませたかのような水底を髣髴とさせる凡俗な趣の黒いローブを。

 それぞれ目深に法衣を被っているために、人相については詳細が分からない。

 だがそれでも漏れ出てくる気配から分かる事もある。

 こいつらは間違いなく私達に害しかもたらさない。

 だから―――!


「誰が動いていいと言った?」


 一息で相手の懐に踏み込むために縮地を用いて接近を図ろうとした途端、隣から制止の声を掛けられる。

 驚愕と困惑が縛縄となって体中を駆け回り、私の動きを強制的に停止させる。


「うそ……。」


 信じがたい事に白い法衣を纏った男が既に私の横に並び立ち、機先を制していたのだ。

 自惚れるわけではないが、私は護国の鬼神とまで謳われた師父から相応に高度な戦闘訓練を施されている。

 無論、相性の有無等で相手に後れを取る事も(まま)あるが、それでもこれは理不尽が過ぎる。

 あらゆる生き物は本格的な動作を始める前に、身体の特定部分が先立って微動し、相手に己が動きを悟られ反応されてしまう予備動作、即ち起こりと呼ばれる動作をする。

 肉体を流れる血液という名の燃料を心臓という名のエンジンが度を越した動作をすることで臓器や血管を傷つけまいとする、いわば防衛本能の一種だ。

 しかしこの男はあろう事か一気にアクセルを全力で踏み抜き、エンジンを臨界点に達するまで即座に駆動させた。それこそ常人なら臓器という名の各パーツが破裂する程の負担をかけておきながら、全くの無傷で事を為済まして平然とした佇まいでいるのだ。

 優れた肉体の性能と技の冴え、そして心の所作を緻密に織り交ぜる事で為される武の神髄。

 心技体、独立した三つの要素を高度なレベルで合一させなければ実現できない所業。

 今の自分がもしもコイツと同じ技術を習得しようと思えば、おそらく一日の半分以上を人体の稼働限界を徹底的に無視した苛烈な鍛錬をこなさなければいけないだろう。

 無論、途中で肉体が苦痛に耐えきれずに脳がショック死を選ぶ事は、ほぼ確定していると見て間違いない。

 その歴然とした力の差に戦慄し、愕然とする。

 今ここで、この男と戦えば、間違いなく私は―――死ぬ。

 死の恐怖が私の体を捕えて離さない。

 自然、生き物としての本能で体が(すく)み、動けなくなる。

 しかし、それでも私は自身の意思を総動員して恐怖で竦む体を無理やり動かそうと足掻く。


「ふむ、健気な事だ。互いの力量の違いを認識して分を弁える程度には臆病だと思ったのだが……まぁいいさ。まともに動けるようになるまで、もう少し時間が掛かるだろう。手早くこちらの用を済ませるとしよう。(アルギロス)よ、お前はこの小娘に用があるのだろう? ならばさっさと動いたらどうだ?」


「御意のままに。」


 (アルギロス)と呼ばれた黒いローブを羽織ったもう一人の正体不明の者が蛇が這うような緩慢な動作で腕をかざす。

 途端、先の白法衣の男から向けられていた殺気を押しのけて活動を再開しようとしていた真理の体が何かに縛られたかのように硬直した。

 見えない鎖で縛られているかのような束縛感は魔術によるものか。

 簡素ではあるものの、体が十全に動かない今の真理を拘束するには十分だろう。


「結構。余計な手間を割かなくて済んで清々する。大儀だ、小娘。そのまま大人しくしていろよ?」


 こちらの無様な姿を臆面もなく嘲笑う白法衣の男はこちらへの興味をなくしたのか、聖条君の方へと振り返る。


「さて、雑事に(かかずら)わなくて済んだところで…」


 目深にフードを被ったせいで顔の輪郭さえ判然としないが、向かい合った真也にははっきりと分かった。

 その瞳には、穏やかさとは無縁の狂気が宿っている、と。


「アンタ達は……一体、何者なんだ?」


「その質問に答える事でコチラに意味があるのか? 貴様の愚問など、そこらの犬にでも食わせておけ。」


 冷ややかな回答に真也は鼻白むが抵抗の意思を無くすには至らない。

 噴火前の火口をも思わせるその物騒な気配に油断という気の緩みを自分に許すわけにはいかない。


「おまえは……何故戦わなかった?」


「なんだって…?」


 真也へ静かに問いかける声には莫大な量の憤怒が込められている。

 相手の肉体だけでなく精神や魂…人間を構成するあらゆる要素を徹底的に滅ぼし尽くしてやるという意思。

 殺意の純度が違う。

 憤怒の桁が違う。

 問いを投げかける度に男が抱く怒りの感情が如実に蓄積されていくのを感じる。


「同じ事を何度も言わせるな。何故、あの小娘に庇われるばかりで自らが前線に立って戦わないのだ? 怪我をしている? 相手が自分よりも強大で敵わない? 命のやり取りに不慣れ? 笑止。嘲笑(わら)いが止まらぬわ、戯けが。たかだかその程度の理由で戦場に赴く事を止めてどうする? 手足が千切れようが、臓腑が損なわれようが、魂が壊れようが、漢であれば戦い続けるものだ。そんな(ザマ)で何を掴める気でいる? そんな脆弱さで何かを守れると本気で思っているのか?」


 矢継ぎ早に反論など許さぬ、すれば殺す、と男の気配が暗に告げている。


「不足だな。仕上がりの程を見に来てみれば、この在り様か。ならば――――――」


 男の手が無造作に真也の襟首を掴む。

 刹那と待たずに彼の体が宙へと放り投げられた。

 目測でおおよそ一〇メートル程の高さ。

 小枝を放り投げるような気軽な動作で人体が宙に浮く。

 その異常事態に真也は目を見張るしかなかった。


「少し(いくさ)手解(てほど)きをしてやろう。なぁに、礼はいらんぞ? こちらも些か手持ち無沙汰だったのでな?」


 長年の付き合いがあるかのような気軽さで語りかけるその口調とは裏腹に握られた拳には膨大な量の魔力が収束されていく。

 先の吸血鬼が保有していた魔力にも匹敵―――あるいはそれ以上の魔力量。

 あの拳はきっと、分厚いコンクリートの壁を紙障子のように容易く貫くだろう。

 そんなものが人体に向けて放たれたなら―――


「なるべく長くもたせろよ? 俺の機嫌を損なうような体たらくを見せれば…。」


 続く言葉には聞く者の精神を底冷えさせるおぞましいまでの殺気が込められていた。


「その命――――――ここで(くら)ってやろう。」


「シンヤッ!!!」


 真也の死を悟った彼女の悲痛な叫びが木霊し、虚しく溶けていく。

 男の静かな宣言と共に落ちてきた真也の胴体へ向けて凶拳が放たれた。

 間を待たずに彼の体が大砲から発射された砲弾のような勢いで吹き飛ぶ。

 水切り石のように地面を何度も跳ねながら転がり、最後は広場に備え付けられていた自販機に背中からぶつかった。

 先の暴拳が放つ衝撃はとてもではないが人体が耐えられるようなものではない。

 あれでは骨は元より内臓が滅茶苦茶になってしまう。

 彼が生存している可能性は――――――


「が……は……ッ!」


「え…?」


 弱々しくも苦悶の声が真也の口から零れる。

 人体を容易く絶命に追いやる死の一撃を受けておきながら彼はまだ命を長らえていた。


「ほう。空中で咄嗟に身を捻り衝撃を受け流して凌いだか。いいぞ、小癪にも少しは武の心得があるか。貴様が親族から武術の指導を受けているという報告は聞いていたが……あぁ、なるほど。アイツも多少は役に立っているようだな。」


「それは、どうも…褒め、て貰えて光、栄だと…でも、言えばいいのか?」


 呼吸を乱して立ち上がりながら真也は不敵に笑みを浮かべながら切り返す。

 彼の双眸には、ぎらつくような闘志の火が宿っていた。

 信じ難い事に、彼はこの魔王じみた気配を放つ怪物と戦う気でいるのだ。

 実力の差は明白。

 それが分からない程、聖条真也という少年は愚かではない筈だ。

 先の吸血鬼との戦いでもそうだったが、自分の身近に死が近づいていていてもあの少年は当たり前のように命を懸ける。

 ここにきて真理は警備室で感じた彼に対する違和感の正体に気づく。

 彼は死を前にしながら全く動揺をしていない。

 自分が特別な存在であるが故に死ぬわけがない…と現実逃避にも近い妄執にとり憑かれているわけでもなく、死に対する恐怖が無いわけでもない。

 死を前にして恐怖を抱きながらも、それを飲み込んで行動する。

 それは素養のある者が長い年月を掛けてようやく辿り着ける境地の一つであり、断じて一介の高校生が辿り着ける程、安易な道ではない。

 命と精神を極限まで擦り減らすような鍛錬を重ねても、辿り着けない者が殆どとされる一つの極点。

 最高峰にして最新の領域。

 師父曰く、古い時代においては武士、侍が身につけていたとされる不動の心象。

 相対した敵手を斃すという目的、その達成にのみ専心する命の使い方。

 無念無想の境地がもたらす無垢なる所作。

 然る道に於いて、あらゆる修行者が求めて止まないとされる境地の体現を、彼は成し遂げているのだ。

 一体、彼はどういう人生を歩んできたのだ?

 疑問は尽きせず真理の頭を覆いつくしていく。


「どこの誰だか知らないが、いきなり出てきてご挨拶じゃないか。人を捕まえておいて戦いの手解きをするとかなんとか…。節度って言葉も知らない僻地の蛮族なのか、アンタ?」


「ほう…。中々口が回るではないか小僧。口先だけなら一人前か? もっとも実力に関してはまだまだ雛鳥のソレだが。」


「その雛鳥とやらに喰われる感覚をこれから教えてやる……来いよ、人でなし風情が。さっきの吸血鬼といい、その人間を舐め腐った態度…ここで徹底的に是正してやる!!」


 啖呵と共に駆け出す真也に白法衣の男から喜悦の感情が溢れ出す。

 獣の気配が横溢し、世界を踏みにじっていく。

 その異形とさえ言える禍津(まがつ)の気配に臆することなく聖条真也は立ち向かう。

 その姿に真理は我を忘れて眼を見張る。

 彼の姿に目が釘付けになって視線が離せない。

 当たるだけで人体を数回、絶命に至らせる凶悪な拳蹴の乱打。

 それを紙一重でいなし、捌き、躱し続ける真也。

 先の吸血鬼との戦いでは見せる事のなかった戦闘能力。

 それがこの局面において真価を発揮していた。


(なんなの…あの人…? なんで、あんな風に立ち向かえるの…? 彼はただの一般人の筈で、こんな荒事とは無縁の日常(セカイ)生きてきた筈なのに…。)


「その疑問には私がお答えいたしましょう、我がマリアよ。」






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