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「探せ! 見つけ出して必ず殺せ!」
怪物達の荒々しい足取りと共に物騒な空気が蔓延していく。
先刻の謎の少女の奇襲から三〇分程の時間が経過していた。
怪物達は指揮を担当する吸血鬼ヴァンドレッドの凶行に焦りを感じていた。
彼が気性の荒い側面を有していたのは周知の事実だったが、今回の彼の荒々しさは目を見張るほど際立ったものだった。
ルーマニアの魔術師にして貴族の出身である彼は今回の計画を足掛かりに衰退した生家の復興を目論んでいた。
ヴァンドレッドの属する家は、おおよそ六〇〇年ほど前から続いている魔術の大家であり、彼の家は時のルーマニアを統べ、オスマントルコからの侵略を防いだ鬼将にして悪魔公、ヴラド三世を祖とする貴族の家だった。
串刺し公、竜の血脈、悪魔の君主。
ヴラド三世は国の方針として護国を大義とし、敵対していたオスマントルコの軍勢を二万人、自国で堕落と腐敗をほしいままにしていた貴族と民を一〇万人、串刺しにして処刑した。
その苛烈さと残忍さから人の所業ではないとされ、当時のオスマントルコの王メフメト二世をして『私はどんな人間も恐ろしくないが、悪魔だけは別だ』と言わしめた。
オスマン帝国、ハンガリー、ポーランドといった中世において東欧の列強国に囲まれていた当時のルーマニアは厳しい立ち位置にあり、これらからの干渉をはね退けるためにもヴラド三世は主への信仰心を以って、国内の腐敗と外敵の排除を一心に防ごうとしたという。
トルコからは悪魔として恐れられ、キリスト教の世界においては護国の聖人として扱われたルーマニアの竜。
しかしその血は今現在、途絶えようとしていた。
ルーマニアの統治を陰から行っていたヴァンドレッドの家は現在、諸外国からの圧力で政治力も経済力も毟り取られていき、いわば生殺しの状態を強いられていた。
イギリスの魔術組織、ロシアの東方正教会、中国の犯罪結社。
これら現代の侵略者を退け、衰退した家を復興した後に、ルーマニアの影の支配者として返り咲く野望をヴァンドレッドは静かに胸の内で燃やし続けていた。
これはツェペシュ家の悲願であり、今回の計画を足掛かりに上流に向かおうとしている彼からすれば、先の失態を晒すような愚物は見過ごせない汚点だった。
(偉大なる祖が身を捧げて守った故国は、私が守る。そのためならばあらゆる手段を模索する。)
元々は人間の魔術師であったヴァンドレッドは魔術を駆使して作り出した薬物を使って、後天的に吸血鬼となった者だった。
現代において吸血鬼になる方法は大まかに分けて二つ。
吸血鬼に噛まれて彼らの眷属となるか、ヴァンドレッドの様に薬物を用いて吸血鬼となるかだ。
現在の吸血鬼はカトリックが抱える対怪物に特化した裏組織の活躍もあり、その姿を世界から隠して久しく、基本的には人間社会で目にすることは皆無といって差し支えがない。
そんな世情の中で吸血鬼に出くわし、彼らに血を吸われて人間が吸血鬼となるというケースは非常に稀だ。
もっとも後者においても難易度は高く、吸血鬼化の薬を作るにしても貴重な素材をふんだんに用いなければならない。それらの材料を揃える為の金額は最低でも国家予算の半分以上の額が必要とされる。
ヴァンドレッドがどのような手段を用いたかは不明だが、とにもかくにも彼は素材を方々から集め、実験の末に薬の生成に成功。吸血鬼となった後に彼は日本へと渡り、今日まで水面下で計画の準備を進めてきたのだ。
そんな彼が仲間を苛烈に切り捨てる程の焦りに駆られているのは、今日まで費やした労力と家の事情を鑑みたが故なのか、それとも別の要素が絡んでいるのか…真実は分からない。
彼に率いられている化物達に分かるのは彼が今、激昂しているという事だけ。
吸血鬼は怪物の中でも上位に分類される存在だ。
彼は成り立てという事もあり、吸血鬼の中でもその力は中堅の域を出ないのだが、それでも木っ端でしかない下級の怪物からすれば彼の力は強大無比である事に変わりはない。それこそ配下である彼らを十回は虐殺できるだけの力を持っているだろう。
彼らからすれば、そんなものを向けられて殺されるのは堪ったものでは無いのだ。ココに集った怪物達の目的はヴァンドレッドに忠誠を尽くすことではなく、あくまでも己の欲を叶える為。
それを叶えぬまま、この世から去ってしまうなど到底受け入れられない。
もっと殺したいし、もっと犯したい。
もっと富を、もっと飽食を、もっと色を。
奪い、貪り、喰らいたい――――――。
今回のワイルドハントの計画の内容からして、そもそもが破格なのだ。
世界からはぐれた塵も同然の存在でしかない下級の怪物に前祝いとして多量の魔力を譲渡して存在強度と能力の向上を促したり。
計画実行の容易さにも関わらず見返りとなる報酬が実に旨かったり。
その上、ヴァンドレッドの話によれば今回の計画を完遂すれば更なる報酬として更に魔力を譲渡するそうだ。
もしかしたら都市を一つ、自身の思うままにするだけの魔力を蓄える事も夢ではないかもしれない。
これほどの好機は滅多に巡ってはこない。
ならば奮起する事に否などあるものか。
もっと殺そう。
もっと奪おう。
もっと侵そう。
怪物の本分に従い存分に人という種を冒そうと猛り始めたその時、
「見つけたぞ、あそこだ!」
化物の一体が声を上げて敵の発見を報せる。
声がした方角には件の少女が金の長い髪を夜風に揺らしながら道の中央に佇んでいた。
その姿を捉えた怪物達は我先にと少女に群がろうとする。
この少女の戦闘能力は未知数だが、そんな事に構っていられない。
これ以上ヴァンドレッドの怒りを買わないためにも早々に決着をつけねばならないのだ。
声を聞きつけてやってきた数匹が一気に真理へと襲い掛かる。
刹那、一筋の黄金光が閃くと怪物達の胴体が横一文字に斬り断たれる。
何が起きたかも分からず絶命する怪物の群れ。
たなびく白衣と金の髪が風雅に舞う。
小さな手に握られている短剣の放つ煌めきが宙空に粉雪の様に飛散していく。
剣から漂う剣気には神聖さが宿っていた。
少女が持つ短剣は、おそらくキリスト教の神の祝福を受けた武装だ。
信仰の下に神の祝福を授けられた武器や防具とは怪物にとっては触れただけでも致死性の毒となる。
人外の———特に魔の性質を宿すものには、その猛威を振るう。
その相性の差を数で圧倒せんと次々に怪物達が襲い掛かる。
少女の体が柳の様にゆらりと静かに揺れたと思えば、次の瞬間には怪物の首が宙へ飛んでいった。
それはさながら、舞踏の有様だった。
技の冴え、歩法と心意が合一を果たした末に繰り出される斬撃の輪舞はいとも容易く怪物達を絶命させていく。
「さっさと退きなさい、雑魚の相手にいつまでも興じてあげる程、こちらも暇ではないの。―――|Discedite a me Satan《退け、悪魔よ》」
真理の冷たい言葉が木霊すると同時に周囲の空気が一変する。
静謐にして荘厳な風情が周囲に漂い始めたのだ。
これではまるで神の家である教会のような———
「まずい! 全員散開しろ! 括られるぞ!」
異変の正体に気づいた一匹が慌てて声を荒げるが、既に遅かった。
怪物達を取り囲むように約二〇メートル四方の結界が起動する。
主の祈りに満ちた空間は人間にとっては無害であっても悪徳を働くモノ、魑魅魍魎にとっては牢獄のそれだ。
真理はキリスト教徒というわけではないが怪物と渡り合うために聖書の内容を暗記してある。
西洋圏の怪物、特に霊体には有効に働いてくれたので、なにかと便利だったのだ。
(セイジョー君は上手くやってくれたようね)
素人である彼が恐怖に駆られて動けなくなっていれば、この結界の術式は起動しなかっただろう。
首尾よく事が運んだのは彼が臆病風に吹かれる事無く、こちらの指示通りの動きをしてくれたからだ。
大抵の人間は怪物の異容とおぞましい気配に気圧されて身動きが取れなくなるものだが、彼は違ったようだ。
(ホント、ただの男子高校生にしてはよくやるわね……。)
彼は傍から見ればただの男子高校生でしかないのだが、それでも真理はなんだか違和感が拭えない。
殺気の渦巻く修羅場において、ただの高校生が恐怖に飲み込まれず立ち回れるなど、現実的に考えて本当にあるのだろうか?
そこに言い知れぬ不安を感じながらもしかし、真理は目の前の事態に集中する。
懐に手を差し込むと、そこから何かを取り出して即座に結界内の怪物達に向けて投擲した。
空中に投げ出されたのは試験管。中には毒々しい紫色の液体が入っている。
試験管が地面に落ちて甲高い音と共に砕けると、そこから大量のガスが噴出した。
「お…ごぉ…ぁ…っ!」
ガスに晒された化物が苦悶と共に血を撒き散らしながら死んでいった。
錬金術の応用によって生み出された毒ガスは聖霊結界によって弱体化していた怪物達には効果覿面だったようだ。
十数秒の後、結界内にいた数十体の怪物は為す術も無く息絶えた。
「天元さん!」
道路の脇に植えられている木の陰から基也が走り寄ってくる。
真理が作っておいた姿隠しの結界から事の成り行きを見ているように指示されていたが、一先ずの終着に行き着いたと見たのだろう。
「出だしは上場。この調子で続けて行きましょう。気炎は萎えていないわね?」
「あぁ、問題ないよ。いつでも動ける」
彼の表情に気落ちというものは無さそうだ。
二人は結界の作成に使った銀ナイフの回収を済ませると、すぐさま次の標的を駆逐する為に夜の遊園地を駆け出した。




