3-1
喧騒と波乱に満ちたあの始業式から早一ヶ月が過ぎようとしていた。
季節は五月。新たに始まる学生生活を祝福するかのように咲き誇っていた桜の花は散っていき、代わりに梅の花が香り始めた皐月の空の下。ゴールデンウィークに差し掛かろうという時期に菜ノ花から唐突と評言するには衝撃的すぎる話を持ち掛けられた。
「デートよ! 真也!!」
「……は?」
正面から重装歩兵が突撃してきたかのような衝撃が伴う言葉に意識が硬直する。
「え、と…菜ノ花? 今、なんて…」
「デ・ェ・ト! するわよ!!」
学び舎の昼下がり、昼食を食べるために僕は賢人と一緒に屋上で食事をとる準備をしていた。
そうして僕はカバンの中から、賢人は購買所から買ってきたパンやサンドイッチを所狭しと並べて若さゆえの獰猛な食欲を満たそうとしていたところ、現在に至る。
キャンキャンと一人で騒ぎ立てているのは僕と賢人の共通の幼馴染の一人、菜ノ花。
彼女は春の香りが色濃く漂う麗かな空の下、元気いっぱいに爆弾発言を口走っていた。
「……」
言葉の意味を理解できず、飲み込めない。
事態の把握に努めるための時間を稼ぐためにも、ちょっと小粋なトークで場を持たせるとしよう。
「どうしたことだろう。幻聴が聞こえる。あのガサツが服着ているような菜ノ花から『デート』などという女の子らしい言葉が出てくるなんて……僕は耳鼻科か精神科に通わなければならないのかな?」
「しれっと流れるように私の女子力をディスってんじゃないわよ!」
当然と言えば当然だと思う。日本には『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』という儚い美が主体となっている大和撫子を讃える言葉があるのだが、彼女はその言葉とは果てしなく縁遠い性質の持ち主であった。
僕が知る彼女の人柄を評言するならば『立てば熊、座れば虎、歩く姿はゴリラの如し』である。
「あんた、今なにか失礼な事考えていたでしょ…?」
「いや、別に? 考えすぎじゃないか?」
長年の付き合いなのでこちらの考えていることはお見通しのようである。最近はこの手の直感が発達してきたのか、中々に油断できない。
隣にいる賢人はというと、こちらの事はどうでもいいのか脱力した体でこちらのやり取りを見ながら、スマホを片手にモムモムと焼きそばパンを頬張っていた。
空腹のあまり護国の兵すら屠りかねない猛者と化した学生の群れを掻き分け、購買所から勝ち取ってきた戦利品を無邪気に見せつけてきた少年のようなコイツはどこへ行ってしまったのか。今は場末のバーで飲んだくれる中年男性のごとく覇気のない有様を晒していた。
「おまえらも飽きねぇよなぁ。その手のやり取り何回目だよ? もう三桁は優に越えてんだろうに……観客の身としてはそろそろ別の芸風が欲しくなってくるんですけどー?」
「見世物じゃないのよ! あっち行ってて、賢人!」
「おーおー怖い怖い。これはおっかなくってチビりそうだぜ。本日も菜ノ花さんは元気にワンちゃんライフを満喫してるようで偉いでちゅね~。ご褒美にカツサンドを進呈してやろう。ほれ、ありがたく食せ」
「やっかましいわ! …でもカツサンドはちょうだい!」
シッシと、煙たがるかのように手を振るジェスチャーをする菜ノ花。まぁ実際、賢人の体臭はいつも基本的にタバコ臭さと香水の匂いが入り混じった匂いで満たされているので、人によっては嫌悪感を感じるのかもしれない。僕はまぁ、慣れもあってか気に障ることはあまりないけど。
賢人から譲ってもらったカツサンドを口いっぱいに頬張って幸福そうに表情を緩める菜ノ花。
どこをどう見ても餌付けされている犬の様相だった。
この様では普段から犬扱いされても文句は言えないと思う…。
「それで? さっきの話の続きだけど…」
「ほうよ! ほふぇでね、もふぉや!」
「話は最後までゆっくりと聞くから、とりあえず口の中のモノ飲みこみなよ」
「む、うぐ…ゥ…んッ! でね! 私たち、これからデートするんだけどね」
「はぁ…また唐突に……。どうして?」
「だってもうすぐゴールデンウィークなんだよ? アンタ、連休中は何するつもりだったの?」
「僕は特に予定はないよ。気が向けば総司叔父さんや灰里さんのところに寄ろうかなぁと思ってたぐらいで」
「そんなことだろうとは思ってたわよ…」
さも呆れたと言わんばかりに首を横に振りながら溜め息を吐くなのは。
…なんだろう、彼女にこういうジェスチャーをされると絶妙に小憎たらしくって無性に腹が立つ。
「アンタ達、私達の今の目的を言ってみなさい!」
「……短い昼休みを有効活用して空腹を満たすこと?」
「ああ、ちげぇねぇな」
「ちっがーう!!!」
僕と賢人の答えが気に喰わなかったのか、菜ノ花は気炎を上げて盛大にこちらの意見を否定してくる。
「私達、学生なのよ!? 春も真っ盛りのうら若き御身分なのよ!? だってのに、なんの目的もなくぐうたら時間を浪費して青い春を謳歌しないだなんて……それでいいの!? いいや、良くない! 断じて良くない!」
興奮気味にこちらへ喰らいつくような勢いで詰め寄ってくる。
燃えるように意思を滾らせて、熱弁を語る今の彼女は現代において既に廃れつつある熱血スポコン野郎を見事に体現していると思う。
そんな熱さが伴う生き方をしても暑苦しくならないのが彼女の美点だと僕は思う。
「そんなわけで、私達も全国の同胞たる学生諸君に負けぬようにキリキリと青春しに行くのよ! わかった!? わかったの!? わかったって言いなさい!!」
「え…あ、ハイ」
「よろしい!」
ひとしきり騒いで満足したのか、菜ノ花はムフーっ!と大きく鼻息を鳴らす。
「じゃあどこに行くのか予定立てようよ! 夢の国にはもちろんとして…ねぇ、真也は? どこか行きたいところある?」
「すぐには思いつかないな…」
「そう……じゃあ賢人は?」
「は?」
紙パックのコーヒー牛乳をストローで吸っていた賢人が素っ頓狂な声で驚く。
よほど予想外だったのか、手に持っていた紙パックを落としそうになっていた。
「おい、俺も行くのかよ?」
「うん」
「いや、うんって……お前、真也とデートするんじゃねぇのかよ?」
親指でこちらを指差しながら賢人が半ば呆れながら指摘する。
「もちろん! でもアンタだけ仲間外れってのもなんだか可哀そうだし……どうせだから一緒に連れてってあげる。賢人も彼女連れてきてさ? みんなでデートしようよ! フフン! 流石は私、ナイスアイデアね……自分の有能ぶりに震えが止まらないわ……!」
「……」
あ、賢人がすごい表情してる。
『うわ~……コイツ、バカだなぁ~。バカっぽいなぁ~。いや、バカだったわ~』と呆れ返った表情をしながら、わなわなと戦慄しているなのはを生暖かい目で見ている。
「あぁ~……悪ィが、俺はちょいと遠出しようかと思ってんだわ。この前、手に入れた大型バイクにもうちっと体を慣らしておきたくてな」
「そうなの?」
「そうなの。だからお出かけはお前達だけで行ってこい。土産はなんでもいいわ」
「むぅ…そのオーダーの出し方が一番困るのよね。何を選べばいいかわからなくて…」
口をへの字にして考え込むなのは。
本当に彼女は隣人想いというか、人が好すぎるというか…。
これではいつか悪質なキャッチセールスとかに捕まりそうでまだまだ放っておけないな。
「ねぇ、真也。あんたの意見はどうなの? 私ばっかりじゃつまんないよ」
「はいはい……」
強引な流れではあるものの、僕は菜ノ花とのゴールデンウィークの過ごし方を検討する事となった。
賑やかな談笑と共に連休中の予定を立てていく。
休みの間も今のみたいに賑々しいのだろうなぁと予想しながら昼休みを過ごしていく。
でも、今にして思えば僕はもう少し思慮深く考えるべきだったのかもしれない。
そうすれば僕達はあのような陰惨な出来事に出くわす事もなく、日常の中だけで生きていく事が出来たかもしれないのだから……。




