1・栄子
四月、今年もソメイヨシノが見事に咲き誇っている。
みなと団地内にある公園には、立派な桜が一本あり時期になると団地内外から人が集まってくる。
昼間は、家族連れやお年寄り。夜は学生。
なので、近所の人達は「みなと公園」と正式名称ではなく「桜公園」と呼んでいる。そのせいか、団地自体も「桜団地」と言われるようになった。
藤村家も、毎年桜公園へ花見をしに来ている。
妻、栄子は専業主婦。夫、英夫は会社員。娘、美子は高校生。息子、健太は中学生。
美子は、桜に近づき携帯電話で撮影している。健太は少し離れたブランコの手すりに腰掛け、音楽を聴いている。英夫は缶ビール片手にベンチに座り、栄子はその隣に座っている。
どこにでもある普通の家族の花見。
1・栄子
栄子は、子供の頃から普通の人だった。背も成績も真ん中。初恋、ファーストキス、初体験も早すぎず遅すぎず。大学卒業後就職し、職場恋愛後に寿退社。二人の子供にも恵まれた。
平凡な人生だな、とドラマを見ながらふと思う事もあるが
「普通が一番、人生はドラマみたいにはならないしね。」と今のままで十分幸せだと思っている。
ある日の午後、いつものスーパーへ行くと近所の中本さんとちょうど出くわした。
「中本さん、こんにちは。」
「あら!こんにちは。」
同い年の娘がいるのもあり、仲良くしているママ友だ。背は低いが目がくりっとしていて、元気はつらつ肝っ玉母さんというのが中本さんの第一印象である。
「お久しぶりですね。なっちゃんは元気ですか?」
「元気よー。毎日、部活部活で日焼けで真っ黒。花の女子高生なのに男っ気もなし!全くやんなっちゃう!美子ちゃんは?この前、駅前で見かけたら随分キレイになって…あ、もちろん前からキレイだったわよ!でも何かこう…色気があったわぁ。彼氏でも出来たの?」
中本さんちの夏美ちゃんはテニス部で、会うと「こんにちは!」と大きな声で挨拶してくれる爽やかで気持ちのいい子である。
「彼氏ね…いないと思うけど。実はいるのかしら」
「いるに決まってるじゃない!でなきゃあの色気は出ないわよ。」
困惑顔の栄子の横で、うんうん。と一人で納得している。
「そーいえば!今日の広告見た?スーパーで沖縄物産展やってるらしいわよ。買い物前に先に覗いて見ない?」
「いいですね。行きましょう。」
雪塩ちんすこうあるかしら、とわくわくしながら栄子は中本さんとスーパーへ向かった。
物産展は大盛況だった。お目当ての雪塩ちんすこうはモチロンのこと、サーターアンダギーやミミガー、ブルーシールアイスやオリオンビールなど幅広く取り揃えており、販売員さんの「イラッシャーイ!!」と威勢のいい呼び声とも相間って、主婦達の熱気がすごい。
「ウソー!海ぶどうもある!」と言い熱気の渦に飛び込んで行った中本さんに、栄子は早々に置いていかれた。
売り切れる前に買おう、と目当てのお菓子エリアへ行くと雪塩ちんすこうののぼりを見つけホッとする。
「へー。バラ売りもしてるのね。」と一個手に取って呟くと
「そうなんですよ。近くに団地があってご高齢の方もお見えになるので、ばら売りしてくれないかとご要望頂きまして…好評なんですよ。」
「あ…そうなんですね。」一人言を聞かれたのと、販売員さんの完璧な営業スマイルにドギマギしていると
「藤村さん!あっちに限定紫芋タルトがあったわよ!おいで!」と熱気の渦から抜け出してきた中本さんにぐいと腕を引っ張られた。そのままズルズルと誘導され、栄子は気付いたら限定タルトを二箱も買っていた。
ま、家族みんな甘いもの好きだし、中本さんも楽しそうだしいいか。と、当初の目的とは違ったがいい買い物が出来た。と栄子は満足した。
次の日の夕方、買い物へ行く為カバンの中から鍵を取り出そうとすると、カシャと何かが手に触れた。よく見るとそこには雪塩ちんすこうが一個入っていた。
何でこんな物がここに…そうか、中本さんに引っ張られてそのまま持ってきちゃって、後で一緒に会計しようとしてとりあえずカバンに入れちゃったんだ…あれ?これってつまり万引き?
全てを理解した次の瞬間、栄子にある感情がものすごい勢いで押し寄せてきた。後悔や罪悪感ではなく…興奮。親に隠れてタバコを吸うような背徳感を伴った興奮。それに気付いた時、栄子は愕然とした。
その日から栄子は万引きをやめられなくなった。「普通の栄子」が初めて知った悪い興奮。
大きな店だと防犯タグが付いているので、キヨスクや少し離れた商店街へわざわざ行き繰り返した。盗る物も数も、段々大きくなっていく。
今日こそ辞めよう、絶対辞めようと思うが夕飯の買い出しに行くつもりが気づいたら、足が商店街へ向いている。もう自分だけの力では辞められないと思った栄子は夫に相談しようと決めた。
英夫の帰りは遅い。激務なのと最近昇進して営業主任になったのもあり、いつも終電だ。なのでいつもなら寝ている栄子が起きているのを見て、驚いていた。
「どうした。起きてるなんて珍しい。なんかあった?」
「実は…」栄子が話し出そうとした時、ふわっとある香りが鼻をついた。石鹸の匂い。
「どうした?」
「…ううん。何でもない。おやすみ。」突然黙った栄子を心配する英夫を背に、栄子は静かに寝室へ向かった。
英夫が浮気…?
明日からどんな顔で夫を送り出せばいいんだろう。