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2020年

 『お笑い』という業界はつくづく異質なものだと吉又は感じる、吉又ならずとも、今の時代に生きる芸人たちならば皆が皆、きっと……。それは前時代……例えば『仮想通貨』が世の中にあまねく広がっていったその黎明期れいめいきである2010年代の初頭においても、別の意味で異質の存在としてそもそもが『浮世』からはかなりの距離を置かれたものだったのだと云えよう。

 しかし、2020年代が近づくと急激に『仮想通貨』の優位性が高まっていき、やがて『法定通貨』……つまり千年もの歳月を越える悠久の時を、世の中の根幹として在り続けた『貨幣の歴史』に幕が下ろされるのにたった10年ほどの歳月をも待たなかったという、ある意味『狂った世界の末裔まつえい』とも呼べる現代において、その『異質さ』は、前時代とは比較にならないほどの幾重いくえもの『意味合いの糸』が絡まり合った『この上ない異質さ』、をまとった存在として、『お笑いの道を突き進む者』、つまり『芸人』が世の中に在り続けていくのである。


 2030年代の今、において、『芸人』とは、『通貨そのもの』たる存在だった。

 『CES(お笑い審査システム)』……お笑いのお笑いによるお笑いのためのシステムであるはずのそれが、『仮想通貨』時代の没落を救うための救世主として白羽の矢が経った爾後じごには、それ自体が、そして、その本源である『面白おもろさ』というものが、世の中の価値においての絶対的頂上に成り上がってしまったのは不可思議な話である。

 世の中を疾風しっぷうのごとく駆け巡り、『歴史という大質量』をあっけなく貫通させて、やがてそれを葬り去ったにもかかわらず、皮肉にも、自らにおいては『没落の一途』をたどったすえに、更なる短命に終わった『仮想通貨』時代。

 その危機を救ったのが、人々の『感性』の有効活用であり、とりわけ『笑い』、『面白さ』なのであった。


 当時においても、お笑い界きっての頭脳であった田沼幸平たぬまこうへいは、『学者』として政府へと関与していくこととなった。

 『仮想通貨』、つまり『官』ではなく『民』にたくされた通貨システムの破綻はたんを再生するために、もう一度『中央』へと通貨のいしずえを戻していく、すなわち『法定通貨』を復活させていく際に、最大の焦点となった概念は、システム全体の『有機性』であった。

 貨幣の終焉後しゅうえんごの時代に、それまでの『仮想通貨』の利点を切り捨てるという発想は生まれることはなかった。よって『仮想』としての通貨を、元来の『法定通貨』へと融合させていくことで、より強力な管理通貨制度を築き上げようと目論もくろんだのである。

 

 世の中から『貨幣』は消えていた。電子マネーとしてのみ存在する『新規の貨幣』を、その『供給量の制御システムの失態』を繰り返さないための打開策として、アルゴリズムに『有機性』を与える魔法、それが『お笑い』だった。

 人々は皆、意識的にも無意識的にも『好悪の感情』に左右され生きている。それは生体周期運動バイオリズムと呼ばれる身体、感情、知性、たる『生理状態』というダイレクトなリアクションで、全ての人々を司る『エネルギーの源』であると云える。

 アルゴリズムという『彼岸の概念』に、『肉付け』を施すべく、人民そのもののリズム、つまり生体周期運動バイオリズムを取り入れることで、通貨制度の『形骸化けいがいか』を避けんとするアイデアが提唱されて、それを実験的に取り入れ、根づかせていくこととなったのである。それを計測するにおいて、最も明瞭で、率直な指標となり得るのが、他でもない『笑い』であった。

 2030年を過ぎて幾許いくばくの時を経た。2020年代初頭に一旦いったん破綻を迎えた経済も、やがて数年を待たずして『CES(お笑い審査システム)』を全面的に通貨価値の指標とした経済は、ものの見事に立ち直った、そして2030年を過ぎた今や、それはまだ実験段階に過ぎないというものの、不動の安定性を誇っていたのであった。

 それが現代においての『CES』の実体であった。しかし、可笑おかしなこととでも云うべきか、芸人自身は、まったく底辺の存在としてしか『在り』得ないのも真実であって、全ての価値の頂上というのは、その実、単に一握りの『売れっ子』。一流芸人にのみ通用しうる比喩でしかなかった。


 2000年代の半ばに生まれた吉又よしまたナオキは、その激動の時代を誰よりも真っ向から直撃し、味わい、謳歌おうかし、苦汁をなめた人物だったと云えよう。 

 東京の某大学に進んだ吉又は経済学を専攻していた。中でも彼の興味を引いたのは『CES』だった。初めてお笑いの世界に『CES』が導入されたのはちょうど2020年。無論当初はお笑いのためのみのシステムであったが、それが業界に根づくや否や、数年後には田沼の暗躍も大きな原動力となり、それは業界というより国家規模の事業へとその存在意義を変遷させてしまった。

 吉又が在学していた2020年半ばは、経済において新規ながらすでに中心的役割を果たしていた『CES』は当然、学術内容の主眼の一つであった。

 幼少期から他の地方都市を挟みつつ関西と関東を何度も行き来していた転勤族たる家庭環境の影響からか、吉又は少年期のかなり早い段階から『笑いの感覚』に敏感にならざるを得なかった。なぜなら関西と関東では笑いにまつわる認識や態度のいちいちに、根本的なギャップがあるのであり、そのいずれに対しても肩入れすることなく、かなり短いスパンで両極端な変動へと身をさらされ続けるという状況を繰り返していくことで、自然、望まずとも笑いに対する『眼』が磨かれてしまったのである。

 『笑い』の本場である関西では他の地域と明らかな違いがあった。ボケやツッコミといった掛け合いの『基本』がしっかりと生活に根づいていて、言動のいちいちには『笑い』を意識的に生み出すようなある意味、造られた、劇場型のやりとりがなされているのだと認識するのだった。それは吉又の人生における原初体験であったが、しかし生活圏を幾度も移していくことで、その特異性はより明確に意識されていった、という経緯が生みだされていった。

 関東においても、そのような掛け合いは無いこともなかった。しかし、基本的に『察する』文化というものが関東の人々には根づいていて、過剰な演出を日常に取り入れるようなことが滅多なことでは起こらなかった。その分、より、自然なカタチの『笑い』がそこには存在していたのだ。

 お笑いを毛嫌いする母からの影響が一番の理由であるにしても、お笑い嫌いの体質が吉又に作られていくなかで、笑いの種類を数多く、リアルに肌に感じていくという特異な生活環境があいまっていくことで、より『笑い』に対する距離はとられていき、図らずも笑いにおける『批評性』が身についていくこととなる。


 『CES』を研究していくことで、『笑い』がダイレクトに資産的価値へと結ばれている構造を深い部分で知ってしまった又吉は、自身の笑いの『眼』、笑いにおける『批評性』を活かせる分野を開拓したいという欲望が生まれていく。

 『CES』がそれまでの『仮想通貨』に勝っていた最大の理由は、価格変動性ボラティリティの強固な安定性であった。シンプルに云えば旧来の証券を『笑い』に転換させ『通貨』と統合させ全てを一元化させてしまった『CES』は、資産における『質的』側面を『笑い』にたくするということに他ならなかった。それは一見不安定なものに見えもするが、しかし個人個人のバイオリズムから、社会全体へと網羅する過程において、社会が一つの『生物』然としていく云わば『本能的』な構造化がなされていく。それにより確固たる有機性を形成し、その結果平均化された価値概念は、より自然な形での淘汰とうたの循環へと還元されていくのである。

 社会という一つの『生物』にとっての気分を、人々は知らずしらずに感知して、本能的に過ごすがゆえ、危険なものからは遠ざかり、安全なものは所有し育てていく。こうしたリズムにより『個と全』が理想的な関係を築き上げていくのだ。無論それは『漆黒の監視カメラ』と揶揄されている『B(バイオリ)M(ズム測)I(定器)』あっての事業であるのだが。


 しかしそのような状況のなかで、『仮想通貨』時代に蔓延まんえんしていたある意味詐欺まがいの投機家に相似した者たちが、一部存在しているのも確かであった。『笑い』という掴みどころのない価値を使った資産運用は、明瞭な、グラフ化された推移では図ることのできないより専門的な領域であった。しかし、笑いのプロの批評家の中で、その才能を投機的側面に一極化させ資産運用を続けていく『お笑い地上げ屋』と俗に呼ばれる投機家は、『CES』を逆手に取った数少ない現代のアンチテーゼであった。

 大学で『CES』を学びながら知らずしらずの内にお笑い劇場通いを日常としていた吉又は、結果として大学を中退して『お笑い地上げ屋』の道を突き進んでいくこととなる。

 

 世の中から『貨幣』が消えた代わりに人々の左腕には、特殊な機能をもつリストバンドが施されていた。リストバンドとは云っても、それは生後間もない頃から与えられ、完全に皮膚へと癒着されていくものであって、『ID』の役割も担っていた。

 それは、『CES』、つまり新時代における『法定通貨』の財布となる端末である。ただし、それが肉体を離れると無効になる、というより、それは表示や認証の際の利便性を図るものでしかないため『肉ごと』奪う犯罪のような行為は無意味であった。本体の端末は肉体の奥深くへと埋められてあるので、云わば肉体そのものであると云え、そのような高度な施術が現代の人々にはくまなくなされている、そのような時代であったのだ。

 『地上げ屋』の道を進むような反社会分子でなければ、『CES』と人体サイバネティック改造オーガズムはそれまでの通貨システムを極限まで利便化したものであるがゆえ、単に理想的な道具というに過ぎなかった。

 『お笑い』に興味がある人々は、そのカテゴリーの組み合わせを自ら選択して所有していくこととなる。例えば勤務する会社から支払われる給料を、どの『笑い』の組み合わせで得ていくのか、といったようなことを『CES』を使って行うのである。ただし、会社自体の推奨する『笑いの傾向』もあるので、その傾向に合わない『笑いの選択』をすれば、実質給料の『量的』な数値は減算され支払われることになる。それでも、その人が信じる笑いの『質』が勝るのであれば、結果的に得をすることにもなる。会社の『選択』が『量的』な度合いを左右するものであるがゆえに、その『信用』は入社の際の選択の最大の尺度となると云えよう。

 もし『笑いへの関心』の薄い者でもさほど不便ではなかった。なぜなら社内のみならず国中のいたる箇所へと設置された『B(バイオリ)M(ズム測)I(定器)』が『CES』へと参照されるからである。

 しかし『笑いについての批評性』を有する『地上げ屋』にとってみれば、『CES』の運用は資産を生み出す魔法の道具であったのだ。社会全体にまで波及している『安定性』に切り込んでそのすき間を狙っていく『地上げ業』は、ともすれば破産になりかねない困難な事業であり、されどその反逆的な『道』を進むやからも少ない訳ではなかった。


 『地上げ屋』を始めた吉又の前途は、面白いくらいに開かれていった。それほど吉又の『笑い』の『眼』は優れていて、その筋の者のみならず、『お笑い界』にさえ名を轟かすこととなるほどで。

 だが、大学を中退して『地上げ屋』を始め、わずか二年も経たぬうちに『落とし穴』が吉又を待ち受けて、無惨にもその罠に掛かってしまった。

 ある意味、自信過剰になっていたせいで、足下をすくわれてしまった、とも云える。しかし、それは単純な過失とは云い難いものでもあった。

 その当時はお笑いにおける『地上げ屋』が最も蔓延まんえんしていた時代であった。吉又などの『筋』の有名人に続こうと数々の者たちが反社会分子を目指しそこへ雪崩なだれ込むような風潮が起こっていた。

 秒単位で『CES資産』の売り買いを連続させいていく。何より重要なことは、次に来る『笑い』を読む力であった、そして吉又はそれに長けているという自負があり、そのような風評もあったのである。


 吉又は大勝負に出た。

 『笑い』の周期は年単位、月単位、週単位、と細かい波形に上下してやがて循環しているものだった。その内、どの周期に着目し勝負を掛けるか、というのが『地上げ屋』の最大の焦点だった。吉又の笑いの『嗅覚』はそれまで、ものの見事に負け知らずの鋭敏さをほこっていたものだった。

 吉又の大勝負……それは十年単位の『笑い』の大改編への着目だった。ここ十年(すた)れていた『漫才』の復興……。時代と共に『荒廃したアングラ芸』の流行していたお笑いがそろそろ切り換わる頃だと考えた。そして……その読みは半ば的中し、しかし半ば裏切られてしまった。

 吉又の所有していた『資産』を全て売りに出し『漫才通貨』、特に、『吉又興業』の『漫才通貨』を大量に買ったのだ。


 あり得ない自体だった。吉又の買った『通貨』はことごとく暴落した。『吉又興業』のアングラ芸の『お笑い通貨』の価値が上昇し、ごく一部買っていた他事務所の『漫才通貨』が一挙に上昇したのであった。再生不能の痛手をこうむる直前に吉又は『資産の整理』を済ませてどうにか差引ゼロの状態にまでもっていった。その代わりに、吉又は、完全に『地上げ屋』の道から手を引かざるを得なくなった。


 これはその頃、その『道』界隈かいわいに流れた噂であり、信じられない真相であった。

 田沼幸平の暗躍。

 『地上げ屋』街道を突き進む吉又をのみ狙った大規模な陰謀。その個人的制裁により、『地上げ屋』を一掃する契機をつくり、実際に以降、世の中から『地上げ業』を生業なりわいとする輩は激減していったのだった……。

 あり得ない真相と、その黒幕の田沼。全てを失った吉又に、唯一残された『道』は一つだった。世の中の職業において、唯一、自らが『価値』となる道、『お笑い芸人』。その、現代の世の中における最大にダイレクトな戦場へと進む決意。すなわち、『面白おもろさへの嗅覚』を、唯一信じることのできる人物、つまり自分自身にたくす覚悟を決めたのであった。その先には田沼、そして、『吉又興業』への敵意と、反抗意志がこだましており、吉又はリベンジを誓い、『吉又興業』より他事務所から芸人を志すこととなった。

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