お笑い頂上決戦
「さあ始まりました、『お笑い頂上決戦』。司会の梅野優作です」
「アシスタントの呉夜マヤです」
数々のバラエティ番組を務める一流司会者の梅野と、人気美人女優でお笑い好きである呉夜、華のある二人の進行係の挨拶から始まった今大会は、その後の経済の動向を占う意味においても、単純に、『漫才という格闘技』の頂上決戦の意味でも、いずれにしても破格の注目度を誇る生番組だった。華々しい演出と、厳粛な緊迫感とが混じり合っていく独特な雰囲気であり、テレビ慣れしている梅野でさえもその緊張を顕わにするほどだった。
梅野を越す長い芸歴のお笑い界の重鎮たちが審査員を務め、各自100点の持ち点によって、風通しのよいカタチで勝敗を決する。6名がテレビ界を代表する大ベテラン芸人であるが、審査委員長は放送作家の重鎮、『田沼塾』の創始者である田沼が例年通り務めるのだった。
とは云え田沼は、実質他の大ベテラン芸人たちと同じく、これまで、数々のバラエティ番組で、演者を務め上げた過去があった。経済人として、お笑いの裏方として、番組の作家として、そして表立って芸人として、あらゆる方面において一流人でありながら、奢ることはなく常に冷静で、かつ愛されるキャラクターを有する大人物こそが田沼であって、『お笑い頂上決戦』の審査委員長、大会委員長として申し分ない、むしろ彼をおいて適任者などいない、それほどの信頼感を彼は得ていたのである。
本番が始まってから、一度出演者一同はステージへと登場して、この日の運命を左右する『出番決め』、をクジ抽選で行った。
それからは、出番が来るまでの間、大部屋の楽屋に集められて、時々カメラに抜かれながら10組20名の漫才師たちが待機するのだった。『デメテール』、一年後輩の藪田のような賞レースのベテラン勢から、吉又よりも若い世代の『カモノハシ』まで、様々な年齢や芸歴のコンビが勝ちあがっていた。
オープニング直後のプログラムとして、注目を集めた抽選会一つとってみても、すでにかなりの盛り上がり。抽選会一組目の『デメテール』は、最も低確率であるにもかかわらず、統計的に一番良い点数が出やすいとされている3番目の出番を引き当ててその持ち運を如何なく発揮した。今大会の優勝候補とされている前回準優勝コンビ『カモノハシ』は六組目のネタ順と上々。前回7位と苦杯をなめたが成長著しいと前評判の高い『シャダルマ』はその一つ手前の五組目となって、最大の焦点はこの辺りになるのだろうと予測された。
最後に残った『ヒヨルノ』と、藪田吉又コンビの『ジムノペディ』。ここでも大きなドラマが起こった。審査員にとって最も採点の難しいとされるトップバッターと、第一ラウンドの大トリである10組目、その二つが残ってしまったからである。
結果、浅草を本拠地とする中堅漫才師『ヒヨルノ』がトップバッター。クジ運においてもかなりの注目を集めることとなった吉又たち『ジムノペディ』は、今大会のダークホース的存在でありながら大トリを務めるという凄まじい展開をみせた。
楽屋を所せましと埋めつくすコンビたちは、皆様々であった。トップの出番を平常心で待っているような『ヒヨルノ』や、強い思いを秘めながら一悶着を起こした『ジムノペディ』には視線を一切送ることなしに出番待ちの間じゅうネタ合わせに入れ込み続ける『デメテール』まで、色んなタイプのコンビ模様を見せ続けていた。
吉又と藪田は一番離れた長テーブルに座り、他のコンビとの触れ合いを避けて、ふたりはただただ無言を続けるばかりだった。
注目の第一組『ヒヨルノ』は、時事ネタを取り上げながら総じて『赤ちゃんプレイ』へとつなげていく、というしゃべくり漫才で、手堅く笑いをかっさらっていった。
80点後半を主に、一番高い点数はトップには稀な92点。ただし最後に開示される田沼の点数だけやや辛口の79点。合計700点満点中607点、と600点オーバーが上位三組で繰り広げられる『頂上決戦』の圏内とされる中の、一組目にして異例の高得点を叩き出し、平均点が高くなる傾向へと向かうかと思われたが、続く組のコント漫才は567点と、むしろ『ヒヨルノ』の漫才の質の高さを際立たせる結果となった。
3組目『デメテール』。コンビニ強盗というベタな設定でのコント漫才で、『何度刺されても生き返る』というわかりやすい『天丼』をネタの軸にして、ショートコント風の構成を踏襲した、あまり目新しくはないネタであったが、しかし悲願の出場にかける熱量がネタの『既視感』を上回ったか、田沼以外は80点後半~90点台を叩き出して、結果は619点。暫定第一位となり『頂上決戦』進出もかなり現実的な点数となった。
5組目『シャダルマ』。ゆるいキャラクターの峯岸の繰り出すシュールなボケに、城内の強烈なツッコミが絡み合っていく、関西弁のしゃべくり漫才であり、前大会では『ペットのサボテンを毎晩散歩させる時の苦労』という設定がハマらず苦汁を飲んでしまったが、リベンジとなるこの夜は、『足湯をしたつもりが突っ込んだ場所を間違えてオッサンなのに小学校へ転校』という不思議なネタを演じきり、『ランドセル抜けへんわ』というボケや『保健室行きたいねん、さっきからムラムラすんねん』『靴下だけでもええからくれや』というキャラを活かした『天丼』、『逆に疲れてもうとるがな』『馴染んでどうすんねん』『手加減せえへんとかあんまりやで!』などのテンションの高いツッコミ。シュールな印象より、掛け合いの技術の高さが際立っていた。結果は田沼以外90点台、田沼にしても初めて80点台の87点をつけて合計645点と、『頂上決戦』をほぼ確定させたといっていい高得点だった。
6組目『カモノハシ』は前回同様のハイレベルなコント漫才、『浜辺デート』の設定で『「スキ」を波がさらって「#」に変化させる「波」』を演じたり、彼女が痩せたことをほのめかした挙句、『幽霊みたいな足跡だね』と罵倒を浴びせたり、『瓶詰めの手紙』に憧れる彼女に対して『ドラム缶』を演じて無理やり閉じ込めようとして『瓶詰めに憧れてたからよかれと思って』と、どSキャラを徹底させて『瓶詰め自体に憧れるわけないわよ!』とツッコんだ直後『こんな私でも拾ってくれるかな?』と、どMな女で乗っかる『ツッコミ乗り』を踏襲して、最も大きな笑いを次々生み出していった。結果は審査員全員が90点台、669点という驚異の点数を叩き出して事実上優勝に王手をかけた。
以降7~9組目はそれを越すような熱量はなく順位に変動はもたらさなかった。とうとう大トリ、吉又薮田の『ジムノペディ』の出番となった。
現在第一位669点の『カモノハシ』、第二位645点の『シャダルマ』、第三位『ジムノペディ』と因縁のコンビとなった619点の『デメテール』。この後の『頂上決戦』に進むには620点を叩き出さなければならなかった。
会場や視聴者からは、急遽出場を決めたネタとしての情報の一切ない結成したばかりのダークホースコンビに、この上ない好奇心と期待を寄せられているのだった。そればかりか、芸人たちやお笑い業界の運営側さえも、誰ひとりとして彼らがどういったネタを演じていくのかなど、知る由もない、それは、吉又、藪田の二人しか知らないのであるから。
大音量のBGM! ついたての後ろ、右と左とに分かれてやや遠い距離、二人は一瞬だけ目を合わせて、しかしそれぞれの足取りで独立してはしずしずと歩んでいくのだった。
『はいどうも~「ジムノペディ」です』
『よしまたーー』
『いきなり岩が歩いて来たで~思てたらでっかい白パンティ好きすぎて惨殺ぺこぺこ貝顔面怪人やないか! 美容院に行って「こんな髪型にしてください」云うて日本人形見せんねや、やあらへんぞホンマ、音量でボケるとかアレやぞ、お爺お婆のマジなボケやで』
『云うとる場合か云うとる場合か云うとる場合か』
『云うとるのはお前や! 特技はねちょねちょグーグーです云うてんのに全然雨降らへんやないか』
『せなこぶ痛いわ~』
『はっ?』
『せなこぶが痛い』
『それ、駱駝やないかまつ毛バッサーや急になにが面白ろなった? 片腹痛いわ~、の云い方でせなこぶを諭そうとすな、マスカラ塗っとんねんおそらくは! こんな感じやで、『バサッ……バサッ』ぬっちょり絡まっとるがな、ようけ黒光りしてんで』
『でも俺らこう見えて持ち時間15秒しかないねん、急がな』
『4分あるわ! なにを云うねん』
『あと15秒でめちゃめちゃ光沢やねん、光りすぎて全部消えてまうわ、銀河系が消えんねん、丸ごとやで』
『はっ?』
『ゴキブリの足音マニアやねん、マイク担いで録音しに行っとんねんニューデリーまで』
『何がや!』
『殺されんねん15秒以内に、はよ逃げな』
『すばしっこいゾーー! ほんでミャンマーの年間気温のグラフ波形を再現すんなや、よーそんなんで逃げれるな、めっちゃ上下運動してるやないか』
『不安になったんや。ほんで引き返してみてセーフやったわ』
『急に戻んねんな。お前記憶プッツンいってもうてるやろ絶対、で何て?』
『わーー。云うて毎晩『岸部どん』が落ちてくんねん空から、夜中2時17分や、毎晩やで? おんなじ『岸部どん』落ちてくんねん』
『それオシャレや思て頭で干し椎茸ふやかしとるヤツと同じやないか! そんな何回も落ちてけえへん云うねん、『岸部どん』やのうてほんまはバーコード柄ボストンバッグなんちゃうん?』
『ロカビリー感丸出しや! 踊り狂っとんねん。裂けるチーズあるやろ、おつまみの定番や』
『それがどないしてん』
『丸太ほどの太さやねん』
『かつぐタイプか! ボーリングで指抜けへんヤツと同じやぞ、爆竹みたいに火薬詰めこんで指爆破させたるからな、生活の知恵やでほんま』
『知らんうちに洗面台の前に現れてん、柱みたいにすっと立っとるがな、みんなが寝静まったころ勝手に裂けだしていってん』
『気味悪いゾー! クロコダイルがガウン着て仁王立ちしとるでほんま』
『キレイに裂けよったわ、ほんで生まれたんが俺、藪田やねん』
『チーズからの暖簾分けか! なんちゅう陥没お乳やねん、いったいなんのルーツや、そんなん人類初やで』
『……云うてますけども』
『ツカミが長いわーー!』
『いきなりやけど謝らへんとアカンわ、すんまへんがなー! 云うて』
『冒頭より謝罪すんなや、報道番組ちゃうねんぞ! ほんでなんやねん』
『『頂上決戦』用の2本目、用意してないねん。謝らへんへん吐き気オエップ皇太子には謝らへん謝らへんへんぞー!』
『はっ』
『スマン。胃もたれやで、トランプ無限に吐き出すねん、胃袋、えんぴつ頭ゴシゴシ星人のワインセラーに直結しとるがな』
『今さらなに云うねん。1本だけ出来ようて2本目なにすんねん云うパターンもあるっちゃあるけどもやね』
『2本目も同じネタで頼むわ、安全ピンオムライスの中身赤ちゃんのお尻入ってんねん、桃みたいでかわいいお尻やがな』
『あかんあかん、史上初や! せやなしに昔のネタやったらええやんけ』
『しゃもじしかあらへんかってん、10メートルは地面掘ったがな、そんでな、埋まっとってん……そいつ俺やがな。馬鹿にしてんのか!』
『なにがやねん』
『昔のネタで優勝しても全然嬉しないぞ、御中元に『詰められた指』の詰め合わせ入っとるがな、ようけ入ってたで~』
『嬉しくない訳あらへんやろ、優勝やで! そんなん云うたらこれまでの優勝コンビたいがいそのパターンやからな! 年がら年中笹の葉食うてる場合やあらへんぞ、むしゃむしゃ云うてやね、パンダやないねんで』
『ちゃうねん』
『なにがや』
『ご存じの方も多い思いますけど、俺ら結成間もないコンビですねん、生後2カ月やねん二人とも』
『ぶっちゃけるなや、それうまいこと隠してやってんのに、十二指腸食い散らしながらオママゴトすんなや! 毛穴から河童のミイラ飛び出してんで』
『そやねん、一時間眠るわ、冷凍睡眠してくるで、過去ネタもあらへん』
『悲しすぎるで~! バリカンで脳みそまで剃り込み入れたろか』
『せや。言葉のキャッチボールやでほんま、『無言漫才』すんで』
『はっ! なんやねん、それ』
『いや、シンプルに4分間一切しゃべらへん云うボケやねん』
『ボケやないゾーー! それボケやのうて『無』、やで』
『ちゃうねん、究極のボケやがな。願わくば空気になりたいねん、そんでお祈りすんねん方角はあっちや、ファックユーの方角やで』
『お前生きてるだけで刑務所ぶち込まれるタイプやで、出てこられへんヤツや』
『立っとけばええだけやで、めっちゃ簡単や』
『一番ムズい云うねん! 大注目の中4分沈黙とか地獄やぞ』
『ちゃうがな、ただ立っとるように見せかけて、二人ともひそかに透明人間になっていくー云うボケやがな、透明になりたい。でも意外と難いがな』
『ますます無意味やん! なんの見せかけやねん、ほんで透明! 絶対無理やでそんなん』
『あほか! 別のストレス与えて軽減する作戦やで。ほんで串刺しになって一回死ぬねん』
『どっちにしろ地獄のストレスや!』…………
「え? どういうことですのん」
吉又は自信に満ちた表情の藪田をじっと見すえているしかなかった。その後の吉又の抵抗に一切言葉を発することはなかった。究極のネタ『無言漫才』、その前フリとして合宿で作り上げた『1本目のネタ』。そのネタに関して藪田は出番直前に、吉又へ告げたのである。
「吉又、『無言漫才』はいきなり1本目でやるべきや、そうせな、それこそ無意味やねん」と。
合宿にて。『無言漫才』の可能性に惚れ込んだ吉又であったが、それをダイレクトに本番へとぶち込むのはさすがに無謀すぎると考えた。吉又の提案で、その『前フリ』としてのネタを作り、それを1本目に据える、そうすればきっと2本目の『無言漫才』は成功するはずである。合宿にて、1本目2本目を続けてみて手ごたえを感じた二人は、その流れでスタジオ入りをしたのである。
最後まで吉又は必死に食い下がった、しかし、藪田はそれ以降、なにも発さなくなってしまったのだった。
『はいどうも「ジムノペディ」です』
『よろしくお願いします』
無言。
冒頭、吉又の願い待ち受けていた藪田の『ツカミ』が放たれることはなかった。そして、無言で立ちつくす藪田には一切の隙が見当たらなかった、本物の芸人藪田に対してまだ未熟者でしかない吉又の芸が、それを切り崩すことなんて絶対にできなかった。吉又は藪田からの本物の芸人としての『オーラ』を、誰よりも間近に対峙する権利を与えられた唯一の人間だった、そして、それを一身に引き受け、成就させていくしか二人の道はないのだ、本番開始後の一瞬にして吉又はそう悟ったのであり、藪田を信じて、『それを全うする覚悟』へと突き進んでいったのである。
それは、本物の芸人藪田の『オーラ』と、凄まじい『覚悟』を決めた吉又との、気迫と気迫のぶつかり合うまさしく『格闘』の瞬間の連続、という濃密な4分間の始まりであった。