王者の芸と鋼の発条
都心のオフィス街にある『吉又興業東京本部』の一室には20組もの芸人たちが集められていた。放送作家でありながら経済界の大御所でもある田沼幸平の開催する芸人再生プログラム『田沼塾』。吉又がそもそも『吉又』へ移籍するきっかけとなったのは、田沼のこの塾への『入塾』の勧誘という口約束に始まったことだった。
『吉又』移籍から4ヶ月を越す濃密な日々を過ごしてきた。吉又は、その自身の『芸』として、ピン芸人たる『芸人』として、並ならぬ気概と失敗と反省とをない交ぜにしながら、それまでの芸人人生ではあり得なかったほどの急成長を遂げることができていた。それは、吉又の人生において幼少期からの敵であった『吉又』、そしてその精神的総大将たる『田沼』。敵陣の本丸に飛び込んだ、火花の散るような日々に刺激されかき立てられた闘争本能のなせる業であった。と同時に、『吉又』所属が契機となって与えられた舞台やテレビの数々の仕事での『経験』がそれを助長してくれた。
吉又は、紆余曲折ながら得るものの甚大であった試行錯誤の通過儀礼を経てようやく、新年から一週が過ぎようというこの日、『田沼塾』へと入塾し、田沼より初めて指南をうけることになった。
「皆さんごきげんよう、『田沼塾』を始めていきたいと思います。本日は20組40名の芸人が集まってきました、中には新しい顔ぶれもいるようですが……」
田沼は一室を見わたす素振りだったが、吉又に視線を合わせることはなく次の言葉をつないだ。
『田沼塾』は不定期開催であったが、年間15回は行われていると聞いていた。つまり月1回以上である。それでも云わば『芸人再生工場』である尋常ではない実績ゆえに、入塾希望者はキャパ越えしているようで、吉又もここへたどり着くまでにやっとのことであった。
広い部屋だった。会議室として普段使われているのだろうか、それとも『田沼塾』のためのスペースであろうか。『CES』の経済への導入が起点となって、わずかここ40年ほどの間に経営が傾いたり上向きになったりを続けていきながら、様々に場所を移していたという『吉又興業東京本部』も、今では高層ビルを丸ごと自社ビルとするほどにまでのし上がっていた。なぜなら『CES』関係の経営を統合させ、半ば国営の組織としてあるからだった。
広い一室の前半分には作業机が並んでいて40名の芸人は、壁付けされたホワイトボードを背に講壇に立つ田沼と向かい合って、着席して講義を受けているのだった。机の並んだスペースより後方には何もないがらんとしたフロアのみがあって、塾の後半、その場所にて実技としてネタ見世を行なう段取りであった。
都心の一等地、膨大な部屋数を誇る高層ビルとは云え、年間15日のためだけにこの広い一室を使うというのは、常識的には考えづらいことではあったが、しかし、『CES』や『CES』を導入、繁栄させた『吉又』、その原動力たる田沼の。この国における功績を考えてみれば、それはちっぽけな贅沢だと思えなくもなかった。
午前中の講義、午後の20組ものネタ見世。まるで養成所時代に還ったような濃密なカリキュラムであるが、『再生』を目指す芸人たちは一様に真剣だった。吉又にとってみれば特に、他の芸人たちとは比較にならないほど身をつまされるような講義の内容との遭遇に、苦虫をつぶしたような表情を浮かべざるを得ないという、何とも云えない心地がひとしきり続いたものだった。
なぜなら田沼の『お笑い指南』は、まさしく『CES』構造を基準とし、その解明と攻略に沿って進められていくという、かなりの重点を『CES講義』へ割かれたものだったから。あまりに専門的なレベルへの言及まで行ってしまうと、そもそもがそちら側の人間であった吉又さえも辟易してしまうほどで、『CES』などという小難しい内容には一見無関係である他の芸人たちにはなおさら、それはいやでも眠たくなってしまう代物にほかならなかった。
だが、『CES』という云わば数学的な話題を『お笑い』に結びつけていく田沼の『話芸』によって、『CES』講義はまさしく、『お笑い』講義へと昇華していくのである。それゆえ、集められた芸人たちも次第に、『CES』を身近に捉え、掴んでいき、やがて『お笑い』として実感していく様子だった。
「『笑い』は世の中において最も明快な『感情』の吐露であり、それを担う圧倒的な媒体です。世の中には、『お笑い』という巨大なバケモノが潜んでいて、それは合体ロボみたいなモノでしょうか。あなたがた『芸人』たちは、巨大な合体ロボというバケモノの一つひとつの部品となっている、『お笑い界』とはそう言い換えられることなんですよ。それを掴んでいければきっと、『CES』を攻略し、つまりは『お笑い』を攻略していけることでしょう。あなた方は『CES』を知りそれへの戦略を遂行していくことで、やがて『お笑い界』の頂上へと向かっていける……つまりはこの世の中の頂上へと立ち、頂点になるのです。あの『ブラザーズライト』も、梅野優作も、他のそうそうたる一流芸人たちも皆、この『田沼塾』の草分けとなった時代に私が開いた勉強会で『CES』を学び、更なる飛躍を遂げていきました。彼らの成功の影には、そんな意外な事実もあるんですね……まあこれは余談かも知れませんけど」
田沼の『CES』に対する解釈はシンプルに語られていった。それは若い時代、『CES』の『地上げ屋』に明け暮れた頃の吉又が漠として掴んでいた概観を、端的に云い表すようなもので、ゆえに当時の心境を呼び覚まさずにはおかなかった。
それはこれまでのこの国の『お笑い史』を資料として、事細かに段階的に示していくことから始められ、世の中に存在し続けてきた『笑い』を、一つの巨大な『生物』として捉えてみるというイメージの試みだった。より明確にイメージしてみると、『波』のような循環運動が見出されていく。
ここで、云わば、螺旋構造に置き換えることのできる『王者の芸』への探求が示唆されていく。
笑いの『ウケ』のサイクルは、一日~数週間といった短いスパンから数十年を一括りにした大転換期まで様々である。お笑いの世界において『一時代』を築く『王者の芸』の発端は、それまで下火であった、ということが必要条件となっている。
その中で『上昇傾向』はすぐに終息する短い部類であってもずっと継続される長い部類であっても、それは自己相似状であるがゆえ非常に見分けがつきづらいのだ。
上昇とは鋼と発条のような関係なのだ。上昇するにはそれまで与えられた負荷がなければならない。なぜなら発条にかかる負荷への反動がつまり上昇へと転換されていくからである。ということはつまり、一見して廃れているとすら云えるほど流行っていない底辺の『芸』にこそ、光となる可能性があるのだ。
ただし、その発条の強度、鋼の強度が脆ければ、それまでどれだけの負荷がかかっていたとしても、生まれる反動は少なく、すぐに終わりが来るのだ。
『王者の芸』を掴むために、芸人たちはその照準をどの範囲に絞っていくべきかを見すえ、見抜いていく眼力こそが最大の焦点であるのだ、と明言されていく。
芸人が何より陥りやすい失敗がその部分の誤算であり、世の中における『CES』の上下運動の機微に対して、芸人自体の繊細な嗅覚が最も働きやすい周波数の罠にかかってはいけないのだ、と田沼は警告する。
つまり『芸』の流行性の『旬』を芸人は総じて追いがちで、それは『笑い』に長ける人種ゆえの逃れようのない本能への従属であるが、一時的な人気、つまり『一発屋』として売れることはできたとしても、生涯『CES』の信用を会得する『真』の成功者たる、『王者の芸人』へとたどり着くことはできない、と。
お笑い界で生涯が保障されるほど『CES』の信用を得ている『ブラザーズライト』や梅野は、もっと奥深い周波数帯域を掴みとったからこその、『真』なる成功者である、と田沼は見事に云い切ったのだった。吉又の『地上げ屋』時代の過ちは、人為的制裁という陰謀に巻き込まれてしまったとは云え田沼の確信している『秘伝』からさほど遠い場所にはなく、むしろ近すぎてしまったがゆえの、裏返しとしての生涯の『過失』を掴まされてしまった、ということだった。吉又の眼力には田沼とまではいかないまでも、その発端からして秀でるものがあったのだ、そう思うことは決して奢りではない、と自身は考えた。もし、あれが若気の至りに過ぎなかったのだとすると、そこに欠けていたものは、自信の『心』、つまり『人間性』の部分であったに違いない。
「もし。あん時下手をこかんかって、生涯遊んで暮らせるくらいの資産を手にしとったとしても、自制心の欠けとる若気の至りや、きっといくらでも、目の前に落とし穴があったに違いないわ、そして絶対に、そのいずれかに転落しとったはずやで……」。吉又は田沼とのおよそ十年越しの『答え合わせ』をしながら、そう考えているのだった。
「なんか宗教みたいだな、ふははは、オッサン、教祖じゃねえか、ははっ」
午前中の田沼の講義中、吉又の左側の席で延々としゃべり続ける芸人がいた。状況によっては無遠慮に、田沼に聞こえんというほどの声量で、派手なツッコミを入れたりケラケラと大笑いをしたりしている、藪田とはタイプ違いではあるが、これまた破天荒な芸人だった。
アングラな芸風をとことん突き詰めながらお笑い界に潜伏し続けている伝説の男。芸歴19年、『大御所!タコ入道』その人である。吉又興業において、売れていない芸人の中で最もベテランはこの男、という噂は有名なものだった。だからといって決して彼が面白くない訳ではない、むしろ、芸人ウケを凝縮させたような『濃厚な芸』のその破格のクドさ加減が災いして、『CES』の評価に反映されていない、ただそれだけが彼の不遇の理由の全てであるような芸人だった。
スキンヘッドに黒いレスラーパンツ、ヘビメタのロゴ入りTシャツ。ピン芸の際のお決まりのコスチュームのまま『田沼塾』という厳粛な場に紛れ込んで、始終ふざけた態度を続けている売れないベテラン芸人という図が、あまりに異質で完全に浮いてしまっていた。しかし、この日、たった二組だけの『ピン芸人』どうしという共通点もあってか、『大御所!タコ入道』は左に座った吉又に気ままに話しかけたりちょっかいを出したりと気忙しい存在だった。
始めのほうは気にしないように、と頑張ってみた吉又だったが、時間を追うごとにエスカレートしていく『タコ入道』の破天荒さに、
「『タコ』さんあきませんって」。と、とうとうツッコミを入れてしまう吉又だったが、それがむしろきっかけになったのか、ますます『タコ入道』は吉又に対して親密な雰囲気をあからさまに醸していって、しだいに吉又も彼のペースに引きずられてしまうように彼と自然に絡んでいくようになってしまった。
噂だけでしか知らなかったディープな芸人との謎の縁……。これは自身にとって、幸か不幸か考えものだった。
ただ、やはり天才肌とでも呼ぶべきか、斜に構え続ける彼の田沼への態度の中でも、田沼の主張する『CES=芸人』論の本質を捉えている部分があるのも不思議であった。
「吉又? ああいうのってさ、ちゃんと聞いてればがっつり売れることできるんだと思うぜ。でもな、俺、そういうの無理だからさ、ふはははは、まあ俺はそういう頭で解釈するのじゃなくてさぁ、全てボディアタックよ……体当たり、ひゃははははっ、だからな……お前ちゃんと聞いて俺にわかりやすく教えてほしいんだよ、だって売れねえんだぜ、ちっともさ、むぁはははは」
なぜここにいるんだろう……そう思ってしまう。しかしブレークを信じてここに来ているのは、藁にでもすがる思いからか、それとも暇を持て余し惰性で訪れてしまったのか。いかなる理由にしても、自分の耳で田沼の講釈を聞きとろうという気持ちはさらさらないらしい。
「『シャンティラブ』っているだろ? アイツらすげーもんだぜ、メチャクチャ田沼のオッサンに食い入ってさ、二人とも目ぇひん剥いてさ、こんなんだぜ……ははっ、ギョロつかせて汗かいてやがんのへはははは、しょーっもないどんだけ必死なんだよってな。結果見てみい? 今や売れっ子じゃねえか……『田沼塾』、バンバンザイですなぁ。だけどさぁ、アイツら器用なんだよな。そのせいでなんとなく熱さが削がれちゃってんだよね~、そう思わね~か、吉又?」
『シャンティラブ』……昨年末の大会、目の前で敗北を突きつけた張本人。彼らは今やライバルではなく完全に見上げた存在へと膨れ上がってしまった。
「『タコ』さん……俺もほんのこの前まで同じ風に感じてました。でもこの前の収録、実は目の前で見せつけられましたわ。正直云って完敗ですわ……ほんま悔しいですけど、でも、アイツら、田沼さんの云うてはること、しっかり実践できとるんやな~て。それは客ウケがどうの云うことだけやなかったんですよね。なんか知らんけど、それまでとは明らかに変わったアイツらの芸を目の当たりにして、なんやろ……『熱さ』を感じてもうたんですよね。それに、客ウケ、相変わらず半端ないでしょ? もう、ギラギラ燃えとるような感じがしたんですわ……悔しいてしゃあないけど、アイツら、売れるべくして売れてるんや、そない思いましたわ」
吉又の言葉に『タコ入道』は真剣なまなざしを吉又へと返した。
「ふはっはっはっはっ」
「ちょっ『タコ』さん!」
完全に田沼の声量を遮る声量に『タコ入道』に負けないくらいの声量で又吉はツッコミを入れてしまった。
「あれだろ? お前が云ってんのって、年末のお笑い特番。ちらっと見ただけだけど、アイツらの前の出番がお前だったよな? 俺、一番笑ったのお前だぜ」
「えっ、ほんまっすか?」
「ああ……笑った笑った、でもよくあんなのゴールデン特番でやれるよな~、正直羨ましくてしょうがなかったぜ、だって俺みてーだったからさぁ、こんなヤツいたらヤベーよって思ったわひゃっはっは、まあ笑いごとじゃねえんだよ本当はな。俺、別に『シャンティラブ』にはなかったけど、お前に嫉妬しちゃったもんな、あの日は」
『吉又興業』の伝説、『タコ入道』の不意打ちの言葉にしばらく吉又は声を失ってしまった。




