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愉楽と念

 吉又の出番は『カッタン』、『ヒヨルノ』と続きその後だった。いい流れだ、と思う。『カッタン』は客ウケのいい漫才をする、そして正統派の『ヒヨルノ』。客席が温まった状態であるほうが狂気を宿す傾向の吉又の芸にとってはやりやすいのだ。客が引く、にしろ、ハマって爆笑が生まれる、にしろ、笑いに到達するにはそのほうが向いている。逆に、しんとした雰囲気を切り崩すには自身の芸は苦戦を強いられることを『Loop』での経験の結果悟っていたのである。

 さすがの『お笑いネタの祭典』だ。飽和するほどの凄まじい笑いが、この日の生放送で生まれていた。

 吉又の出番の次、CMをはさんで『シャンティラブ』が控えている。彼らの『出来』を気にする吉又は、スタジオに残りそれを見届けようと考えたが、今は自分に集中する時間だ、とCM中、舞台裏にて吉又は考え、それからは自らのイメージの中へと没頭していった。

 この夜のネタは、『Loop』にて、初演ではいまいちウケなかった『エビアレルギー』というネタだった。

 自分の芸風を外側から対峙して、練り直した。更には『テレビX』の海浜公園で、運命的な『カワズの覚醒』を経た段階でなお、練り直した。三度目の挑戦で、『Loop』にて、最もウケたネタへと昇華された。元は一番自信のあったネタだ、それが、客を巻き込んだことで真の手ごたえへと変わっていた。ピン芸人『吉又ナオキ』として、最大の自信作。持ち時間は3分、『エビアレルギー』を半分に凝縮して更なるインパクトを生み出す濃厚なネタへと仕上げた。もう、どんな反応が待っていようと、後悔はない。

 

 『ヒヨルノ』のネタが終了した。会場には大きな歓声と拍手が入りまじりとどろいていた。

 続けざまの効果音、そしてBGM。

 『狂気の芸がここにあり。孤高のピン芸人「吉又ナオキ!」』。エコーのかかった大音量のナレーションがかぶせられる。


「なんちゅうあおりやねん! ハードル上げまくりやないか」

 舞台裏、吉又のツッコミが勢いよく放たれて巨大なBGMへと溶けこんだ。舞台裏の袖から飛び出して階段を、大袈裟おおげさに躍動しながら駆け下りた! 歓声と拍手が目の前の客たちから生み出され、それを浴びせるように走り、向い、近づいていく。

 スタンドマイクに……藪田が立っている……その場所、大きなスタジオの中心、藪田のイメージへぴたり、と吉又は合わさっていた。



『エビの季節やなあ~。ちゃうがなウェビやあらへんで、そらボルボックスでパンパンになってもうとる腹のことやがな! 云うとくけどウェビは差別用語やからな、テレビやねんからちゃんとぴっぴっぴぴぴぴぴフォンドボー云わなピー入るで、ほんで今生放送や! リアルタイムでピー被せなあかんてどういう状況やねん、しかもピー入れなあかん部分全部ぴ関係ばっかやで、どないなっとんねん。ピーの後ろでぴっぴぴぴぴぴぃ云うとるやつとか頭脳的に基地の外やで……誰が基地頭脳きちずのうやねん! だまっとけあほんだら。そんでピー音被せたんがコレや。ピーピーピーピーフォンドボーほぼ一緒やないか! どないやねん、ピー音で消してもうとるのにほぼ差別用語ってそれもはや擬態ぎたいやからな! 差別用語が擬態して俺になるねん、じゃかしいわ、生成されとるがな、どないやねん俺、差別業界(さべつぎょうかい)期待の新人ルーキーやでほんま。空気中に含まれる差別成分(さべつせいぶん)が結合して出来よるわ、そいつ俺やがな、なんやねん差別成分てただの毒ガスやないか、まあええわ。エビやでエビ……あれや、シュリンプやがな! なんやねん、なんでシュリンプですっと納得できとんねん、お前帰国子女やろ、あ、これも差別用語やないか、お前……ピーピー子女しじょやろ! せいぜいウェビでも食うとけや。ピー音まぶさんで食わんかい、じかでやぞ~。

 あ~~エビきらいやわ~、そもそもエビの季節が嫌いやねん。めんどいわ~、俺、エビアレルギーやがな、世界中のエビが孵化ふかしていくたびにいちいち体(かゆ)くなってきよるからやな、嫌いやでほんま~、エビ~~』


 ……『カワズの覚醒』によって最も矯正できたのは声だった。ニセモノのカワズのようではなく、本物のカワズのように……それは自然界に充溢じゅういつする大いなる波動を体内に宿してようやく成しとげられる本物の躍動だ。吉又が藪田に憧れ、荒い声と大音量でがなり立てていた『失格』の芸からの覚醒。新たな境地へと足を踏み入れた吉又にとって、最高の声量は、力みをなくし、中背で細身の体躯の全体を共鳴させるように放たれていく、本物の荒さと大声だった。

 それは藪田に寄せていた発声に比べると、小さく、上品にまとまった声にすぎなくなる。しかし、そのテクノロジーにて生み出された声がひとたびマイクに乗ると、不思議にも、地を揺さぶるような鷹揚おうような共鳴音として会場全体へと行き渡り、会場自体がまるで楽器のように鳴り響くのだった。吉又の声は床や天井や会場の至る所に施されたついたてや……そればかりか、会場の空気さえ震わせていき、強烈な圧力をたたえた『声』となって会場を包む……それは、大袈裟おおげさに云えば声による『支配』とさえ呼べた。

 過去にスベったボケですら、声の『支配』に乗せてしまえば、客の精神、あるいは魂へとダイレクトに届ききって、言葉の『意』を超えたメッセージが、やがて客の心を揺らすのだ。

 吉又の声が、客の内部へ直撃して、伝播でんぱされていくという最高のイメージを、吉又はひしひしと感じていた。こうなると、不思議なことに客の方からも『支配』された美しい歓声と笑い声が返されていくのである。その中心に立つのは、舞台の中央のスタンドマイクの前に立つピン芸人、吉又ナオキその人なのだ!


『あかんで~、エビアレルギーの襲来やで、茹でられたエビみたいに俺の肌、真っ赤になるまでむしっとるからな! エー、エー、エビの襲来やで~~』


 続いてアクションだった、吉又は無駄な力を省いたたたずまいにより、アクションにおいて、最大限の躍動と速度を体現できるようになっていた。

 まるで、本物のエビのように、エビの憑依ひょういげた吉又には、本物のエビのアクションが生み出されるのだった。


『エビの下剋上や~~!』


 ついにスタンダップコメディアンたる吉又ナオキが、スタンダップシュリンプコメディアンへと進化し、ビクン、ビクンとエビぞりの反復運動を寄せては返すエビ芸人吉又ナオキはすでに、吉又シュリンプナオキへと深化しているのだった。


 会場を掌握しょうあくしたエビ芸人吉又。ステージ上には、巨大なエビが長ーく、まるで膨大ぼうだいな時間へと変容してしまった数十秒間という名の永遠のエビ時間を漂っていきながら、俊敏に幾度もね続けていった。


『生臭いやろ~! どやねん、生臭いエビ汁の散乱状態や思わへんか~~? 臭いやろ~、史上最低のエビ汁飛沫じるひまつやで~、このままじゃデート行かれへんで~、交際相手にエビや思われてまうで~、エビにしか愛されへん体質になってもうたんやで~、お前らすでにエビ汗かきよるからな、恥ずかしいてエビ死やで、エビ葬や、つまり海に還るがな、ザッバーン』


 BGM。立ち上がり一瞬にして人間に戻された吉又は、客席にこだまするエビ爆笑を確信して、凄まじい手ごたえとともにけていったのだった。



 CM明け。スタジオの隅より演目前の無人のステージ中央のセンターマイクを眺める吉又の姿があった。大劇場なみに埋めつくされた観客の正面、過剰に施された間接照明がギラギラと燃え立つような感じをもたらす。あのステージに立ち、夢中で漫談し、客席から爆笑と悲鳴との交じりあった得も云われぬ愉楽ゆらくを手渡された。今しがたの心象風景が、遠い国の幻のように思われるのが不思議だった。次なる演目『シャンティラブ』の漫才が始まる。司会者の仕切りの言葉が発せられる、いよいよだった。


 効果音からのBGM、そしてかぶさっていくナレーション。

 『次の天下は見定めた。型破りのトレンディ漫才「シャンティラブ!」』



『はいどうも~シャンティラブです』

『よろしくお願いしま~す』

『なあ曽根川そねかわ、相談したいことあんねんけど聞いてもらわれへんか』

『なんやねん北田、どないしてん』

『ちょっと深刻な話やねんけど俺、今、あることで悩まされとってやね』

『なんやなんや、重たい話やな急に』

『ほんま悪いな~思ってんねんな、でも云うたらすっとすることもあるかもしれへんし』

『そうやで、ため込んでんのが一番毒やがな』

『お前呪いのディスクって聞いたことあるか?』

『呪いのディスク云うたら……あれやろ、再生したら何の変哲もないホームビデオの映像が10分くらい流れて、なんや思てたらいきなり終わってまうやつやろ、そんで一週間以内に誰かにそのディスク渡さんと死んでまう、みたいな恐ろしいディスクや』

『せやせや、それやで。すまんな曽根川、話してみたら実は俺もやねん云うことになって、それ案外フツーのことやったで~、なるかもわからへんし』

『前置きに戻すなや、なんかあんねやろ? もう前置きはええからディスクのことしゃべれ云うねん』

『否、ディスクは関係あらへんねん』

『なんやねん、なら今の前置きなんやってん!』


 吉又は『シャンティラブ』の漫才の変化に驚き、少しだけ動揺していた。彼らの漫才は芸風を物語るようなこれといった特徴的なパターンはなく、最も自由度の高いコンビだと云い切って間違いはなかった。しかし、これまでの彼らのネタは全て、ネタの途中から導入されていく『漫才コント』の中で暴れ回っているというイメージに統一されていた。

 しかし冒頭からの流れで今回が『しゃべくり漫才』であることがわかった。使い古されたベタな設定を大きく裏切るという攻めた漫才も、王道中の王道である『しゃべくり』の手法を使っていては充分に発揮されないということだろう。

 加えて、ボケとツッコミをハッキリと分けずに共にボケ共にツッコむ『融合型』の役割分担も、今回のネタでは北田がボケ、曽根川がツッコミとしっかり区別されますます基本に忠実な印象を与えてくる演目だと思った。

 とうとう『シャンティラブ』が『しゃべくり』を仕掛けてきた、吉又はその、彼らの気概をひしひしと感じとっていたのである。


『現に俺の部屋にはディスクはあらへんねん、ほんならあの情景ってなんやろ思てやな、気になって夜も寝られへんようになってやね』

『お前の頭の中になんか変な映像が流れとるんやな、悪夢かなんかやできっと』

『ディスクの渡しそこねとかやったら怖いからやね、食器棚に収納しとる皿まで一枚一枚ひっくり返してみたわ、それでも出てけーへんかった』

『パラノイアやんけ! ありもせんことにそこまでする必要ある?』

『死んだら元も子もないがな。ほんなら出てきてん、皿の後ろにぴたーと付いとったがな』

『なんややっぱ出てきたんかいな』

『よう見たらCDやったわ』

『呪われとるゾー! フツー積まれてる皿にCDなんかミルフィーユされてへん云うねん』

『そっちかいな思てほっとしたんが先やがな。でも逆にあの映像の出どころがわからへんからよくよく気味悪いねん』

『どんな映像やねん、俺も気になってきたで』

『ぜんっぜん名前も知らんようなヤツらが並んどってやね、二人で延々朝まで踊りあかしとんねん』

『狂気やないか!』

『ほんでその翌朝世界が滅亡すんねん、怖いわ~』

『なんの啓示やねん! 気味悪いゾー』

『はっ!』

『……なにしてねん、北田~! 漫才中やぞ』


 掛け合いの真っただ中、北田が突然真上にジャンプして、『ウルトラマンのような構え』になり肩幅ほどに足を開いて正面向きに。右を少し上左をやや下にして手のひらを広げたまま正面にかざし、ポーズをとって固まってしまった。


『聞いてんのか北田』

『なんや! なんでこんなに大勢の人たちに見られてんのか……』


 北田は我に返ったようにつぶやくが、なぜか驚きの表情である。


『しっかりせえ、おい、聞いてんのか』

『あんた……誰ですのん』

『曽根川や! 今さらか』

『始めまして~曽根川さん』

『はっ……なんで?』

『俺、大道寺だいどうじ胤貞たねさだ云いますねん』

『お前転生してんのか~い!』


 やはり裏切ってきた。典型的な『しゃべくり漫才』を型にした『漫才コント』。


『お前漫才中、急に転生とか掟破おきてやぶりにもほどがあるやろ』

『ていうか俺、動揺してるよ、どないすればええの?』

『漫才や漫才、「掛け合い」をせなあかん云うねん』

『「掛け合い」ってなんやねん!』

『はっ!』


 今度は曽根川が! ジャンプ後のポーズはまるで『歌舞伎役者の大見栄』みたいだ。


『曽根川さん、なにしてんねん、曽根川さん!』

『なんやねんこの大勢の人だかりは!』

『「掛け合い」をせなあかんで!』

『「掛け合い」ってなんやねん!』

『知らんがな!』

『知らんくせにオススメしてんのか! てかお前誰やねん』

『俺、大道寺だいどうじ胤貞たねさだ云いますねん』

『なっが、名前なっが』

『初対面やのにディスってんのか! 失礼極まりないな』

『始めまして大道寺さん、俺、諸見里もろみざと恭平きょうへいですわ』

『急に名前変わったよ~……ほんで人のこと云える立場やないぞ! あんたも長いで、云うとくけどどっこいやからな』

『とにかく「掛け合い」すんねんで……はっ!』


 北田のジャンプ、そして『ウルトラマンポーズ』。


『なにしとんねん大道寺!』

『てかお前誰やねん』

『諸見里や! さっき云うたばっかやぞ』

『なんでようさん人集っとんねん、不気味やで……なんかの集会始まってんのか』

『「掛け合い」や!』

『なんやねんそれ!』

『はっ!』


 曽根川ジャンプ、そして歌舞伎役者。


『諸見里! なにしてんねん』

『お前……誰や!』

『シャーリー・マクラインやがな』

『外人が関西弁しゃべっとんぞ~! チャック・ウィルソンちゃうねんから』

『おい諸見里』

『俺、諸見里ちゃうからな~! トーマス・アレキサンダーやで~』

『お前も同類やないか! はっ』


 『ウルトラマン』北田。


『マクライン、どないしてん、マクライン!』


 直立して『ウルトラマン』にふんする北田が阿波踊りを始めた。しばらく呆気あっけにとられた『トーマス・アレキサンダー』こと曽根川も、やがて見よう見まねで踊っていく……。


『踊ればええ云うことやな!』


 『トーマス・アレキサンダー』はつたない不完全な我流の阿波踊りを始める。


『はっ』


 『ウルトラマン』北田。『型崩れの阿波踊り』曽根川のダンスに呆気にとられるが、やがてそれをまねて更に不完全な、もはや『阿波踊りならぬ我流ダンス』を始めていった。


『はっ』


 『歌舞伎役者』曽根川。更なる『型崩れの我流ダンス』


『はっ』


 『ウルトラマン』北田。『完全なる我流ダンス』、その動きはもはやレゲエダンサーである。 


『はっ』


 『歌舞伎役者』曽根川……からの『完全なるレゲエダンサー』。ここまでくれば完全に『シャンティラブ』発のお決まりの『カオス展開』だった。


『はっ……』

 呆気にとられたたずんでいる『ウルトラマン』北田は『完全なるレゲエダンサー』曽根川をしばらく見つめている。


『なにしてんねん曽根川! おい、曽根川~!』

『なんや!』


 『完全なるレゲエダンサー』曽根川は、『完全なるレゲエダンス』をやめて立ちつくす北田をあおぎ見た。


『朝まで踊りあかしてんねやないか、それに俺、曽根川ちゃうで、土井垣どいがき輝美てるみやがな』

『名前知らんヤツや~、明朝みょうちょう世界の滅亡やで~』


 シンセの効果音からのBGM。『シャンティラブ』の漫才は大いなる気概にあふれ、かつ吉又とは違う境地に達した『異質』さで『客ウケ』を見事に生み出して、ネタの間じゅう、そしてネタ終わり……会場全体は爆笑と拍手であふれ返っていた。

 会場を巻き込む『キャッチー』さと研ぎ澄まされた『狂気』を融合させた『シャンティラブの本気』。彼らの『熱量』の生み出した『結果』は、この夜、彼なりの手ごたえをつかんだばかりの吉又の心中へと、無惨にも『完敗の念』を投げつけずには置かなかったのであった。 

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