2つのメイン
『吉又ナオキ』。奇しくもお笑い最王手事務所『吉又興業』と同じ名を掲げる男。
吉又は『ピン芸人』として再起を目指すべく彼の人生において久しく『敵』でありつづけたその本丸へとついに踏みこんだのである。
それまでの事務所からの移籍。吉又興業に所属して数か月、舞台やテレビ出演の仕事でスケジュールは驚くほど埋められていった。テレビとは云っても吉又より若手芸人メインの深夜番組であったが、月一回のまとめ取りの内容は濃く、かなり、芸の鍛練になっていた。基本はピン芸人としてボケを追及している吉又だが、並み居る若手たちを相手にする場合どちらかと云えばツッコんだり回したり、といった司会者的な役目を負わされる流れが多く、有り難いことに番組に欠かせない存在へとなりつつあった。
逆に舞台では、藪田との濃く短い日々のイメージを絶やすことはなく、追い求めるべき『芸』を試行錯誤し続けた。舞台の出演料はタダ同然と云っても過言ではなかったが、吉又のイメージをより、尖らせていくためには、復帰したコンビニアルバイトのシフトを削っても、短いスパンでの次回出演を願い続けるのであった。その熱意の賜物とでも呼ぶべきか、多いときには一週間の内のほぼ毎日、舞台に上がることもあった。
『ピン芸』のネタはやはり、芸人を始めたばかりの、藪田に憧れ、そう成らん、としていたあの破天荒な芸への回帰だと云えた。藪田と比べれば取るに足らない声量でも、他の芸人たちと一並びになれば、ひけを取らぬほどにテンションと気迫の籠った発声とアクションを体現できるまでに成長していた。その中で、自分独自のオフビートなキャラや『間』を混在せしめるように、研究に余念はなかった。
春先には『ピン芸人頂上決定戦』が開催される、吉又はそこに、これまでの紆余曲折の芸人人生の全てを集約させようと照準することに決めていた。年明けから始まる予選を勝ち抜くためのネタ作りや『芸』を磨いていこう、というのが目に見える目標となったのである。
国の経済に光が射しつつあった2030年代の半ばである現在は、お笑い界全体において、『ベタ』優位の時代と云えた。特に、『吉又』への移籍後、見渡す芸人のほとんどが、『芸』の鋭さよりも、『流行るべき芸の型』を見定めながら、それを繰り返し鍛練することで出来上がっていく云わば『こなれた芸』を追及しているのが、吉又にとっての最大の印象だった。その、『繰り返し』により生み出されたスピードやテクニックが、芸のテンションへと直結していくような芸……。
しかし吉又はそれらの主流へと反旗を翻し、自身の思い描く、別次元の、それを超えるエネルギーを手に入れるのだと心に誓うのだった。それは、下手をすれば別事務所では感じることのなかった『孤独』を浮き彫りにされていくような荒野にたたずむ感覚だった。
『ベタ』……を底流に持つが、その分余計に戦場においては猛者の数々。見渡す限り刃を交わす相手に不足はなかった。これまでの芸人人生、戦場の真っただ中から距離を置くことで他人のフリをすることができていた状況に、良くも悪くも浸かっていることができた。しかし、この至近距離においては……。
しかし、どのような状況であれ、流されるようなことには絶対になりたくはなかった。目指すべくは、すでに切り開かれた『ベタ』の王道ではなかった。これから、自らの発明していく『新たな切り口の芸』によって、自分自身の信ずる道を切り開き、そして、世の中全体へと切り込んでいく。
その芸はやはり、吉又の魂から生み出されていく、『シュール』への『ただならぬ愛』だと、表すことができるのだった。
夕方18時からの開演。6組の若手の内のひとり、吉又以外のピン芸人はこの日はいなかった。開演まで一時間を切っている、『吉又興業』が主催する定期公演における楽屋は毎回のように比較的穏やかな雰囲気だった。ただ、吉又ひとりだけが、その同好会的な雰囲気から遠ざかるように、楽屋から離れ、通路にたたずんでいることが多かった。それは、他事務所からの移籍組という疎外感ゆえの行動ではなく、他の芸人たちもその部分は諒解していた。存外、吉又は、移籍して間もない身であるにもかかわらず、『吉又』の若手やほぼ同期の芸人たちからかなり好意的に受け入れられているのだった。一番の理由は、深夜番組『ナギサと達磨』において運よく確立できたポジションの功績だった。『ナギサと達磨』は、吉又のもう一つのメインの仕事である、吉又の若手育成も兼ねた劇場、『吉又 Loop』での公演の出演者から抜擢されるのがお決まりのパターンのほとんどであり、それがゆえファミリー感も強く、皆は総じて『戦友』だと云えたのだ。
実際この夜も、『ナギサと達磨』のレギュラーからは吉又の、芸歴で云えば一年後輩にあたる『ジンソニック』もいて、決して吉又の孤立するような顔ぶれではなかった。だが、それゆえに、馴れ合いへと陥って自分のイメージの『鋭さ』が削がれていくことだけは避けたいという気持ちが先走り、楽屋の面々とは無意識的に距離をおいてしまうのだった。
「『流行り物の芸』に乗っかって売れるんやない、俺の芸から『流行り』を作りだすんや!」
誰もいない通路で、吉又は声を上げた。
『目も合わせられないじゃねえか!』
観客の笑い声が一斉に響く。都心にある劇場ゆえ、『吉又興業東京本部』に所属する関東勢のグループがほとんどで、吉又のような関西出身芸人、あるいは関西からの上京組は少なめである。しかし関東勢もまた、磨かれた勢いを持つフレッシュかつ攻めた芸風のコンビも、中にはいるのだった。それは、芸の『鋭さ』の追求を心に誓う吉又にとっては願ったりのことだった。
この夜の吉又の一つ手前のコンビ『ぜぜずず』もそのひとつだった。ベタなボケを基盤に置きながらも、かなりトリッキーな構成を駆使して作り込まれたネタを演じるコンビだった。普段は舞台袖から演目を見ることの少なくなっていた吉又も、『ぜぜずず』には興味深い視線を送らざるを得ない。漫才とコントを半々で演じるコンビの今回のネタはアクションも使ったコントであった。
保育園児の恰好をしたボケの土師がラジコンのコントローラーを持っている、少し距離をおいた所へツッコミの西住が立っている、ビジネスバッグを抱えたサラリーマン風の恰好だ。
ヒュイン、ヒュイン、と効果音が流れると、サラリーマンは少しずつ操作を受けて園児の方へと引っ張られていく。
ヒュイン、ヒュイン、ヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイーン……。
するとサラリーマンからスリーパーホールドをきめられた状態で園児は上手側、舞台袖へと連れ去られていく。暗転。
ヒュイン、ヒュインと効果音。
園児とサラリーマンの図は同じであるが、よくみれば園児の抱えるものが精巧に出来た人間の顔面である、かなりリアルであるがゆえグロテスクだ。園児は顔面を操り、同様にサラリーマンが引っ張られる。
ヒュイン、ヒュイン、ヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイーン……。
するとサラリーマンからスリーパーホールド、連れ去られ、暗転。その繰り返し……。
基本効果音のみのアクション、園児の持ち物のボケと、スリーパーホールドの『天丼』。
持ち物がガマガエルの肢を持ち逆さづりにした状態、ライフル銃、額に入ったサラリーマンの家族写真らしきもの、サラリーマンの浮気相手らしきツーショット写真、猿ぐつわをかまされイスに縛りつけられた妻子と浮気相手のスリーショット、と。サラリーマンを攻撃していくが一向に効く気配はない。
しかし、次の暗転。
舞台の中央。イスに縛りつけられ猿ぐつわをかまされたサラリーマン。
ヒュイン、ヒュイン。
舞台の下手から白いタンクトップに黒タイツを穿いた状態のボケの土師。園児の恰好をさせた人形にスリーパーホールドをきめている。
ヒュイン、ヒュイン、ヒュイヒュイヒュイヒュイヒュイーン……。
園児の人形を足から持って振りかぶり、縛られたサラリーマンの顔面を人形の顔でぶん殴る。
タイツ姿の土師は上手へと捌けていった。
『目も合わせられないじゃねえか!』
暗転。
世界観も異常だがそれにも増して西住のラストのツッコミが意味不明だった。
しかし、シュールというか狂気というか、そんな『ぜぜずず』のコントはかなりのウケであった。
鮮烈なネタに吉又は衝撃を受けてしまったが、負けてはいられなかった。吉又のネタはマイク一本、藪田のお家芸を踏襲して更なる芸の高みを目指していく、それが吉又の自分に課した試練だった。
激しいBGMが鳴り響く、
「よっしゃ」
吉又は気合いの一声、小道具は一切持たずに舞台袖からセンターマイクへと向かった……いつもだった。センターマイクの前には、アクションと喋り……漫談をしている藪田の姿が色濃く写っているのだった…………
『テレビX』、第五スタジオ。
月一回まとめ録りの『ナギサと達磨』の収録日、最後の一本分の本番だった。深夜枠30分番組ながら、ネクストブレーク芸人の期待も込められていて、笑いに敏感な視聴者からは支持をされるようなそこそこの注目度を誇る番組だ。
放送時間の半分ほどが放送作家の書いたコント、残り半分が企画物である。企画とは云っても、ほとんど大枠だけが用意されて、後は若手たちの腕次第というそれなりに攻めた内容で、実質はアドリブコントのようなものだった。
コント収録の合間、スタジオ内に設置された休憩所に並んだ6組の芸人が歓談する中で、番組スタッフが押しかけていき企画内容を伝えるシステムである。
この日のコントは終了していて、企画の最後の一本のみが残されていたのだった。演者が掛けている広い円卓へとスタッフが持ち込んだ企画書を皆で眺める。
皆、しばらくの間、無言になってしまった。
「なんやねん、これ」。吉又も皆同様困惑していた。
比較的大きな用紙を使って作られた企画書を開くと、そこに書かれていたのは、『あ』、の一文字。
これまでは即興のお題などを中心に何らかの指示が明示されているものだったが、さすがにこれはキツイ。
吉又は皆の顔をぐるりと見渡した。
「なんやねんな…………。おい、藤井」
「いやなんで俺だよ!」
『カッタン』のボケの藤井はある意味頼みの綱だった。発言の面白さというよりも、リアクションのうまさがピカイチだったのだ。どんな状況であれ追い込まれたリアクション、イジり甲斐のある表情やテンションはまさしくテレビ的なのだと皆は認識していた。
吉又の号令で、藤井がリアクションを取る、そしてそれを皆がイジる。そのタイムラグを利用して吉又は必死でアイデアを振り絞った。
『あ』…………たった一文字、それはあまりに情報のないワード……しかし、逆を云えば……あまりに縛りのない……無限の可能性を秘めた画布でもあった…………その時。
吉又に閃くものがあった。無限の可能性、窮極のボケ。それは身に覚えのある、すでに遠い記憶だった、しかし、自分にとって、永遠の、最愛の……。そう。現実世界を一つずつこなしながら淡々と歩み、しかし精神的にはひたすらに、突っ走り。そのような日々の集積のすえに。いつの間にか遠くまで来てしまったような、旅情の日常。だが、ふいに想起し直撃してしまったその感情は、決して忘れてはならぬ、しかし、未来へ突き進むべく振り返らぬように無意識的に蓋をしてしまっていた、大切な原点。
『あ』。の一文字によって久しぶりの邂逅を果たしたその思いは、吉又の心の奥底に眠り続けた、しかし、全く廃れることのなかった吉又の生き様の凝縮で、象徴で、願いの極致で。
そう……ふいに宿ったものは藪田との『無言漫才』だった!
吉又の聴覚はしばらく無音状態を続けて演者の楽しそうなやり取りの様子を漠と見つめていた…………、ようやく演者の声が戻り、意識が鮮明になり始めた時「はっ」とした吉又はとっさに無軌道な思考回路から発された言葉をつないだ。
「ほなやろか!」
皆は一瞬呆気にとられていたが、回し役の急なボケの一言に総ツッコミを入れていくという『テレビ的』にはおいしい演出を図らずも生み出すことができた。
自分の一言に「なに云うてんねんな、俺」。心の中でツッコミを入れるが、ほどなく『無言漫才』へと結びつけた自らの思考回路をたぐり寄せていき、それを演者へと翻訳する言葉を探していく……。
「いや、思いついただけやで、それやろ~か云うただけやがな」
「びっくりしたわ~、ボケかと思ったわ吉又さん」
「なんでやねん。あんなん、みんな開いて唖然やろ、『あ』しか書かれてへんかったやん、こういうことや、思うで俺。ここにおる10人でな、タイマンやんねん、勝ち抜き戦やがな。使えんのは『あ』、のひと声、一回きりや、顔ボケでもアクションでも使ってええけどやな、言葉は『あ』、しか云われへん、ほんで笑ろた方が負けやで」
吉又のアイデアで『あ』企画は上々の取れ高だったようだ。本番が終了して、しばらくその場で再び歓談をする、次のスケジュールのある者だけは急いでスタジオを後にする、スタッフから撤収のために急かされるということはなかった。
その日は吉又や藪田の以前の事務所出身の『吉又』移籍組芸人が出演していた。つまり、吉又と同じ境遇の芸人だった。
「そう云えば吉又、話あるんだけど」
「なんですの浜岡さん」
浜岡は吉又より2年先輩であり、ほとんど同時期に『吉又』へ移ったのだった。
「いやね、結構大事な話なんだって」
「怖いわ~。脅しとかせんといてくださいね」
「いやいや、そんなんじゃないけどな。藪田さんのことだよ」
「えっ」
先ほどの『無言漫才』。それだけでも衝撃だったが、久しぶりに耳にした『藪田』という言葉が吉又の頭を殴りつけるようだった!
「……藪田さんが……どないしたんすかぁ……」
最後は言葉にならないほどの弱々しい声、振り絞るような声だった。
「いや、また聞きになるからさあ、でも、お前には云っとかないとな、今日の収録で一緒になるからと思ってそれまで黙ってたけど」
「なんすか、どっかにおったとか云う話ですか……」
「『スルマリ』の風間さんから聞いたんだよ、元『リトルウィング』の泉田さん、わかるだろ?」
「え……あのO町のペンション経営してはる」
「そうそう、お前あん時合宿に使ったらしいな」
吉又の脳内に情景が蘇った。
「泉田さんと風間さん、いまだに仲いいらしくてな。だからまた聞きになるからさ、はっきりわからない情報だけど。藪田さんO町のペンションの辺りで山籠もり始めたって噂が立ってるらしくてさ」
「え……なんすかそれ!」
「いや、俺も訳わかんないよ。でもさ、藪田さんならやりかねんよな。噂ではターザンみたいになって狩猟生活みたいなことやってたらしいって」
「なんやねんな、マジでか! ……あ、すんません」
「ははは、いや、興奮するのはしょうがないよな、俺だっておんなじリアクションとったぜ、そん時」
「じゃあ、あっこに行ったらおるんですか?」
「いや……それがさあ、2~3日は目撃情報あったらしいけど、それっきり地元民も誰も見てないらしいってさ。しかもひと月くらい前の話らしいから、きっとどっかに行っちゃったんじゃないかって。まあ、幸い死体が出たとか、そんな話には今んとこなってないらしい」
「は~……ほんまですか……なんちゅうか、リアクションとられへんわ」




