愛を込めて貴方にささやく【即興習作】
即興習作。
本作は以下のお題を使って書いています。
『台詞「愛してる」を入れる』『ご主人』『動物』
わたしがご主人様の家でお世話になるようになったのは五年前のことだった。
この家には二人の大人がいる。
とても元気で優しいご主人様。
少し口数が少ないけれど、とても温かい手を持った奥様。
わたしは二人のことが大好きだ。
二人はわたしが何か失敗をしても、笑って許してくれてる。
ふと寂しい時は、ギュッと抱きしめてくれる。
たとえばこんなことがあった。
わたしがトイレの掃除をしていた時のことだ。
こう見えてもわたしはかなりのキレイ好き。
トイレをしっかりと掃除しようと手に力を込めすぎて……何でとは言わないが、逆に汚してしまった事がある。
どうしたものかとパニックになるわたしに、ご主人様は気にするなと笑ってくれた。
奥様は落ち込むわたしの頭をゆっくりと撫でてくれた。
驚くほどに二人は優しい。
わたしはそんな二人が大好きだ。
だけどわたしはその気持ちを伝えようとはしなかった。
生来、無口なタチだったからというのもあるが、それだけじゃない。
しょせんわたしは、自分勝手な奴なんだ。
ごくたまに口を開くときはいつも自分のため。誰かのために声をかけようという気にはならない。
それでいいと思ったし、それでわたしの人生は何も困らなかった。
ご主人様もそれをよしとしてくれたのか、特にそれで何か言ってくる事はなかった。
ある日、ご主人様は奥様と別れる日が来た。
死別だった。
もう奥様に会える事はない。奥様の温かい手に触れることもできない。
そう思うと、とても悲しい気持ちがこみあげてくるが、何よりもわたしが気になったのはご主人様だった。
今までに見たことのない、ご主人様の顔。
いつもニコニコとしていた、ご主人様の顔……
わたしは初めて自分のためじゃなく、ご主人様のために何か言わなければ、言ってやりたい、と思った。
ゆっくりとご主人様に近付いて、そっとご主人様の手の上にわたしの手を置く。
いつ以来だろう。声の出し方、ちゃんと覚えているかな。
「にゃぁ……」
か細いかもしれないけど、確かに声は出た。
これがわたしの精一杯。
大好きです、ご主人様。元気を出して。
わたしの気持ち、ご主人様に届くだろうか。
「……たま」
ご主人様が驚いた様子で、わたしの名前を呼んだ。
そしてわたしの体を持ち上げて、わたしの顔をじっと見た。
その目がゆっくりと涙でにじんでいくのがわかる。
「お前がそばにいてくれると、私を大好きだと、愛してると。そう言ってくれるんだね、たま……」
ありがとう、ありがとう、と。嗚咽まじりにご主人様の言葉はいつまでも続いた。
しょせんわたしは自分勝手なただの猫。
無口で可愛げのないただの猫。
だけど、そんなわたしの存在が、大好きなご主人様の気持ちを少しでも軽くできたなら。
いつまでも傍にいます。だから安心して、ご主人様。