温泉好きの女子大生諸君に問いたいことがある。
「もうすぐ春休みでしょ?どこかに旅行行かない?」
その一言できゃあきゃあと姦しくなるテーブルに、私は一つの予測を持ったままカシスオレンジを飲んだ。
「どこがいいかな?」
「せっかくだから県外に行きたいよね。」
「おいしいもの食べたい!」
「みんなで寝れるようなホテル、いや旅館かな。そういうところがいい。」
わいわいと好き勝手話すのはまあいつものこと。あれこれと言うけれど大抵はサークル代表の言葉で決まったりするものだ。だからこそ無責任に希望を言うことができるのだが。
「私温泉行きたいな!岐阜とかどう?」
予想通りの展開に私は少しストローを噛んだ。そしてそのまま黙って様子を見てみる。
案の定、わっと嬌声が上がる。
「良いね良いね!露天風呂があるとことか?」
「私卓球したい!結構上手なんだよー。」
「朝風呂とかもあるとこが良い!」
何と言うか何と言うか、私はみんなに合わせてニコニコして「イイネー」「ステキダネー」「ワータノシミー」というだけの機械と化した。
わからない。全くもってわからない。そしてもし知っている人がいるのであれば、教えてほしい。
女子大生はなぜそうも温泉に行きたがるのか。
前々から解せなかったのだ。サークル以外の友人と旅行の計画を立てたときも圧倒的な多数決を以て温泉行が決まるどころか、旅行の候補に温泉が出ないことがまずない。なぜそうも温泉を推す。風呂、風呂だぞあれは。なぜ遠くまで足を伸ばしてまで湯につかる必要性がある?
そもそもの話、私は温泉が好きではない。
なるほど身勝手なのは重々承知なのだが、如何せん好きになれない。
何も風呂が嫌いなわけではない。むしろ綺麗好きなため好きな方だと言えるだろう。
だがもっとも嫌だと感じるのは、赤の他人と裸で同じ湯船につかる、と言うのが嫌なのだ。女子大生風にいうなれば生理的にムリという奴だ。潔癖症というわけではないが、嫌だ。むしろなぜそうしたいのか、全く理解に苦しむ。
まず他人に裸を見られたくないし、見たくもない。
他人に見せられるような大層な身体はしていないし、他人の別に美しくもなんともない身体を見ても楽しくない。むしろ言い難い居た堪れなさを感じるのだ。多少タオルで隠せるとはいえ、基本裸。無防備の極み。圧倒的防御力の低さよ。そんな状態で他人と一緒にいたいと思うのだろうか。羞恥心はどこへ行った。露出狂などという極めてまれな性癖を彼女らが持っているわけでもないのに。
次に同じ湯船に他人と浸かりたくない。
汚い、とまではいかないが、ひどく落ち着かない。湯船につかるというのはリラックスできるはずのものであるが他人が手を伸ばせば届く距離にいるというのは常に緊張感を孕んでいる上に、表現しがたい嫌悪感を抱かずにいられない。それに不特定多数の人間が入った湯船というのはその中にあるであろう垢や雑菌の存在を想像せざるを得ない。もちろん、衛生管理のための循環など張替えなども旅館側が行っているのだろうが、どうにも安心できない。
次に湯から上がるタイミングがわからない。
複数人で来るとどのタイミングで湯船から上がって良いのかわからない。正直落ち着かないのでさっさと暇したいのだが一応名目上友人たちと温泉に入りに来ているのだ。にもかかわらず早々に辞すると言うのはよくない気がする。
私にとって、風呂というものは酷くプライベートな空間なのである。
他者の存在は微塵もなく、自分と湯、それ以外のものの一切を排除したような空間。誰に左右されることもなく、時間さえも自分のさじ加減で変えられるような、この上なく身勝手で気ままな癒しの空間なのである。
そんな私にとって、他者の存在を色濃く感じる、感じざるをえない温泉という空間は不愉快の極みなのである。ストレッサーである。
「なぜそれを男の俺に話す。」
「私にある程度同意してくれそうで、なおかつ友人に温泉に誘われることがなさそうだから。」
「ほう、それは俺に友達が少ないと言いたいのか?」
「まさか、他意はないよ。」
じろりと同居人の男に睨まれるが、悪意はない。ただ友人が少ないから誘われることもほぼない、というのは事実だろう。実際、そうたくさんの友人が欲しいとも思っていなさそうなこの男は揶揄いたいだけで怒っているわけでもない。
「で、なんでだと思う?」
「女の思考回路など俺が知るか。」
「それはまるで私が女じゃないみたいじゃん。」
「はんっ、他意はない。」
女の、と括られてしまうと何とも言えない気分になるが、世間一般の女性は皆温泉が好きなのだろうか。だとすると私は女であるということに不安を抱くのだが。ただ如何せん私の周りの女子たちは悉く温泉が好きだ。流石に彼女たちに「何でそんなに温泉が好きなの?」と聞くと不満があるように聞こえてしまうだろう。いや、事実内心不満たらたらなのだか円滑な学校生活・交友関係のために黙っているべきだ。いかんせん顔に感情の出やすい私は、きっと不満や嫌悪感を顔に書いてしまうだろう。
「君は温泉好き?」
「……基本は好かん。だが個室に温泉や露天風呂が付いている場合は別だ。要するに。他人と風呂に入りたくないというのには同意する。同じように銭湯も必要に迫られない限り、行きたいとはティースプーン一匙分も思わない。」
「それな!」
昭和風の銭湯だろうがスーパー銭湯だろうが、嫌なものは嫌だ。台風で停電した時などは仕方なく銭湯に行くが、それだって数年に一度あるかないかくらい。それだってかなり不満だ。
私にはわからないが、大きなお風呂に入りたいから銭湯に行く、という人もいる。大きな湯船は、わかる。広々とした浴槽なら窮屈でなく、思う存分手足を伸ばせる。それはわかる。だがそのメリットよりも赤の他人の前で裸になり同じ湯につかるというデメリットを天秤にかけるとやはりメリットは軽い。
「普通人前で裸になりたいとか思わないでしょ。それが良いならいっそプールも裸でよくない?あれもうすでに裸みたいなものでしょ。」
「文明レベルの著しい低下を感じるな。」
興味なさげに食後の紅茶を入れ始める彼をジト目で見るが、ティーカップを二つ出しているところが小憎らしく、苦言を呈する気にもなれない。
「ちなみにお前、プールはどうなんだ?ほぼ裸同然で、赤の他人と同じ水槽に浸かるというのは。」
「水槽って……。ああ、まあ嫌だね。コースプールで只管泳ぐのは好きなんだけど、流れるプールとかでキャッキャウフフするのは無理。人肌が近くて気持ち悪い。……夏にプールへ誘う子も多いなあ。」
夏はプール、冬は温泉。なぜこうも身体を覆う防御力の望める布を取っ払いたがるのだろうか。常日頃から服というものに恨みがあるのか。皆しれっとした顔をして露出癖でもあるというのか。
「人の裸なんて見たくないし触りたくない近づきたくない……、」
「普段サークルの仲間のことを可愛い可愛い言っているだろう。役得重畳じゃあないのか。」
「可愛いからといって裸を見たいわけじゃない。むしろ見たくない、生々しい。」
「お前は二次元にはまりすぎて三次元の女が見れない童貞オタクか。同性の身体を生々しいとか言うお前の感性が生々しい。」
理不尽に罵られた気がしないでもない。いやしかし、可愛い着せ替え人形が好きな人とて、丸裸にされた人形を見て可愛いとは思わないだろう。その、あれだ、生々しい。ただこれを言ってもまた汚物を見るような目で見られることは必至なので口を噤んでおいた。
「そもそもの話だが、」
「うん?」
「お前の所属しているサークルは文化系サークルだろう。」
「そうだね。読書サークルみたいなもの。」
読書推進団体で、読むことよりも人に勧める、大学内の生協の本棚を飾ったりポップを作ったりするのが主な活動だ。もっとも、そんなサークルに入ってくる以上、皆本好きというのが大前提で、大した仕事がないときは本を勧めあったり情報交換をしていたりする。ざっくり言ってしまえば完璧なる文化系サークル。肉体労働断固拒否なサークルだ。
「運動部であればそれぞれのスポーツの合宿であったり、冬ならそうだな……スキーが多いか。だがお前のところではスキーなんて候補にも挙がらんだろう。」
「いや、まあ、私は好きだけど、滑れない人もいるしね。」
「これで派手なアクティビティの候補は削除される。次にそれなりの大人数で一つの部屋に泊まりたい、となると基本的にホテルじゃあなく旅館が選択される。」
「うん、話し合いでもそういう流れだった。」
「旅館、と言われて連想するのは基本的に和風の観光地だろう。奈良、京都、鎌倉やら、寺社仏閣の多い観光地か、温泉というところだろう。実際は大抵の場所にあるだろうが、大した考えもなく想像するとそうなるのは自然だ。」
神経質そうに紅茶を注ぎながら言う彼に、そういえば卓上の瓶に入っていた砂糖が底をつきそうだったことを思い出し、砂糖の袋を近くの棚から引っ張り出す。嗅ぎなれた匂いが鼻腔をくすぐった。
「で、お前のサークルが歴史に関するものや宗教に関する物であれば古都などにもなっていただろうが、読書サークルであれば細かい趣味にばらつきが出る。寺社仏閣に興味のない奴も当然いるだろう。そうであれば、温泉というのが無難なのだろう。少なくとも、風呂に趣味は関係ない。風呂嫌いも滅多にいない。温泉地であればある程度観光客向けの店もあるだろうしな。おい、」
「ん、」
砂糖とティースプーンを渡すと満足げに受け取り、白い砂糖が鮮やかな水色に溶け込んでいった。
「簡潔にいうなれば、女子大生は温泉が好きなわけではない。温泉が選ばれるのは奴らの望みを叶えられる場所がそこだったから、というそれだけのものだ。」
「それはまた極端な……、」
「のんびりでき、仲間で時間を気にせずおしゃべりができ、基本平等に関心のない温泉をメインに置くことで旅行らしさを演出している、ただそれだけだ。する内容は長期休みの間に誰かの家で泊ったり、カラオケでオールすることと大差はない。」
「……ああでも、確かにそうかもしれない。なんのかんの、結局何がメインって夜にみんなで話をすることだからなあ。」
少し熱すぎるくらいの紅茶に口を付けた。ドヤ顔をする彼においしいと一言だけ感想を言って適温になるのを待つ。
しかし正直なところ、この風情もへったくれもないこの男の言う通りなのかもれない。全く身も蓋もないが、女子が集まって何をするかと言えばおしゃべりだろう。泊りでないと終電を気にしたり、お店の閉店の時間を気にしなくてはならない。それを気にせず、好きなだけ愚にもつかない話をできる、というのがメインイベントになるのは必然なのかもしれない。
「旅行っていうけど、メインはどこでもできることだなあ。」
「そんなもんだろう。県外に、温泉に行くのも旅行した、という満足感を得るための演出の一部に過ぎない。」
「ま、非日常感を味わいたいっていうのも大きいんだけどね。」
温泉旅行に不満はある。だが不満を押し殺し温泉へ行くのも、結局のところみんなとどこかへ行きたい、楽しくおしゃべりしたいというその一心なのだから、この男の極論じみた言説も笑えない。
純粋に温泉が好きな子もいるのだろう。しかしこれを聞いてしまうと「温泉行きたーい」「温泉いいねー」という子たちを穿った目で見てしまいそうだ。
「満場一致で温泉、というのも妙な気がしないでもないがな。もう少しどこかで遊ぶ、とかの方が若者らしいが。」
「みんなして温泉が良いとか、なんか疲れ切ったOLみたいだよね。」
彼の言葉はまるで老成した大人のように聞こえるが確か同い年だ。遊ぶ方が若者らしい等と宣うが、出不精なこの男がいうと何とも滑稽だ。自分のことを棚に上げるのが得意らしい。いや、私も彼のことを揶揄できないのだが。
「そろそろお風呂沸かそうか。一人でのんびり入れる自宅のお風呂がやっぱ一番だよね。」
「まあそれはな。なんだかんだ、入り慣れた風呂が一番リラックスできる。」
ある意味、温泉というのはアクティビティなのかもしれない。目的はリラックスすることではない。温泉とは互いにこの上なく無防備にな状態でコミュニケーションを図るという、非常に高度な対人テクニックの一種なのだろう。全く私の手にはおえない。お風呂を沸かすスイッチを押した。
そろそろお湯が溜まっただろう、と浴槽を見に行って気づく。
「湯気立ってない……!?」
片手を突っ込むとよく冷えた水で、慌てて手を引っ込めた。いつも通りスイッチを押したはず。ボタン一つなのだから間違えようもない。けれど目の前にあるのは冷水のたまった浴槽だ。シャワーの方はどうだと蛇口を開けるが、待てど暮らせどシャワーヘッドから暖かいお湯は出てこない。
「さっきからガタガタやってるようだが、どうした。」
「お風呂が沸いてない!シャワーから水出るんだけど!?」
「……なんだと。」
彼もあれこれと見て周るが、一向に原因がわからない。少なくとも、私たちが何かをしてしまったという線は限りなく薄いだろう。変わったことは何一つしていないのだから。
「この分だと給湯器がいかれたみたいだな。」
「えええ……どうすれば、大家さん?大家さんに言えば良い?」
「……大家、確か旅行に行くって言ってたぞ。帰ってくるのは明日のはずだ。」
「旅行って……、」
「温泉旅行だと。」
「ああああ……温泉……、」
踏んだり蹴ったり。温泉は私に恨みでもあるのだろうか。
「少なくとも今日はどうにもならんな。」
「じゃあ、今日は……、」
「とりあえず銭湯だな。」
あれほど温泉やら銭湯やらを扱き下ろした後に、銭湯。数年に一度がよりにもよって今日だとは思わなかった。
すぐには治らないだろう。しばらく続くだろう銭湯通いに二人して深いため息を吐いた。
読了ありがとうございました!
いや、本当何でなんでしょうね。旅行行こうって話をすると絶対温泉って出るんですよ……しかも誰も意を唱えないんですよ……冒頭はノンフィクションです。
今更聞けないんですよね……




