9:ローザさんを敵に回してはいけない
あらすじ
ゲスいオッサンと交戦中
状態異常:痺れ
今回もゲス気味です。ご注意下さい。
【エメフラの町・中央広場】
◆
『なんとかしないと……』
焦る気持ちが、気持ちが頭の中でリフレインする。
「うへへ、胸はちょっと小ぶりだが、ガキの割りにいい体してるじゃねぇか」
目の前のロリペド野郎が、飽きる様子もなく言葉で嬲ってくる。
『うっさいな、黙れこの変態っ!』
焦りと怒りがない交ぜになりながら、ゆっくり歩いてくる男を睨む。
全身が痺れて満足に動けない。
痺れ薬と聞いた時に一瞬楽観したものの、その効果が浸透するにつれて、どんどん勝機を失っていくのが分かる。
というか状態異常「麻痺」ってこんなキツいもんだったのか!
ゲームの状態異常のイメージがあった事で、軽く考えてしまった自分を戒めるように、震える体を立て直す。
私のプレイしていた「ティル・ナ・ノーグオンライン」における麻痺は、それほど恐ろしい状態異常ではない。
一定時間の移動、攻撃不可のマイナス効果があるが、アイテムの使用は可能なので、麻痺回復薬を持っているか、ある程度のHPがあれば立て直すのは容易なのだ。
むしろ毒やアイテム使用不可、沈黙などの効果の方がソロプレイをする上では致命傷になる事が多い。
『いやいや、麻痺回復薬とか持ってねぇよ!』
心の中で全力で突っ込みを入れる。
HP回復用のポーションはあるが、相手はモンスターではなく人間。
しかも勝敗を判断するであろうギャラリーが見ているのは、痺れ薬で生まれたての小鹿状態の私と、怪我はあるものの自由に身動きの取れるクズ野郎だ。
誰が見たって私が敗北寸前の崖っぷちにいるように見えるはずだ。
「往生際がわるいんだよっ!」
グレイが無造作に剣を振るい、その横腹で私の肩を打ち付ける。
大した強さでも衝撃でもない。
しかし全身纏わりついた麻痺の効果により、全精力を注ぎ込んでも立つのがやっとだった私は、踏み止まれずに倒されてしまう。
叩かれた痛みを、地面に突っ伏した衝撃をどこか遠くに感じながら、私は目の前の男に対する悪態と怒りを混ぜ合わせて、芽を出そうとする「諦め」を押し潰して思考する。
『私の今の手札で、なんとかする方法はないか・・・』
武器は2本の剣があるが、今の状況だと一撃で致命傷を与えるくらいしないと勝ちの目はない。
それに、それだけ力を振り絞っても、急所を狙って攻撃を行うのは難しい。
背中に背負ったままのバックの内容物を思い出しながら、私は必死に手を伸ばす。
HP回復用のハイポーションとグレーターポーション……相手がモンスターならいいけど、現状役に立たない。
テイムモンスター捕獲用のクリスタル……現状中にテイムモンスターがいない為意味がない。
あーもう! テイム済のテイムクリスタルを入れておくんだった!
ホワイトクロスジャケット……他にも色々装備品は入っているが、着せ替え用装備だ。どれも今装備している防具からは一段下がる性能で、状態異常無効の装備はなかった気がする。
ワーウルフ狩りにはいらなかったしね! 吸血攻撃くらいしかして来ないですし!
何か麻痺を回避できるものさえあればと、祈るような気持ちで、私はバッグの中をまさぐり続けた……
『かなり麻痺の効果がでてきてるねぇ』
目の前に倒れた少女からは、相当余裕がなくなっている。
自分の格好に気を回せもしないのか、大きくめくれ上がったスカートから、柔らかそうな太腿が露わになっている。
「おーおー、ケツもフトモモも美味しそうじゃねぇか」
性的な口上を言い続けているのは半分本音、半分は彼の言うところの「躾」である。
麻痺の効果は約30分。
じっくりと、ねっとりと攻めてやり、自分から頭を垂れさせ、屈服させ、服従を心に刻むつもりだ。
あぁ、笑いが堪えられねぇ……まな板の上でバタバタしてるようにしか見えない姿が、グレイの心に暗い満足感を与えていた。
『ちょっと!あれマズいんじゃないの!?』
クスクスがアルザとローザを見回して言う。
「あんゴミ男……剣の勝負とかなんとか言ってたのは全部カムフラージュで、ラナちゃんを晒し者にするのが目的だったのね」
ローザの目が細くなり、その紅い瞳に危険な炎が灯る。
「あのヒゲめ!アタシが蹴り飛ばしてやる……!」
アルザが耳と尾を立て、臨戦態勢を作ったその時、目の前の状況が一変した。
私の手に、忘れかけていた「あのアイテム」が手に触れる。
そしてその時、ある一つの考え。そのアイテムが今考えられる唯一の勝機に繋がる。
「ああああっ……!」
震える舌に、腕に、失われていく力を指先に込めて、私は「ライカンズローブ」引きずり出し、乱雑に首に巻きつけた。
ローブを巻きつけたところからビリビリと小さな電流が走る。
頭が、腕が、脚が、それぞれに熱を発して私の体を作り変えていく。
麻痺の痺れを、体中を走る熱が駆逐していき、私は再び足に力を込めた。
「は?」
グレイは思わず声を出していた。
目の前にいた、あと少しで自分のモノになる少女が、突然消えたのだ。
何かが日差しを遮り、グレイは気付く。
そう、正確には消えたのではない。
常識外の膂力を以って上空に飛び上がっていたのだ。
「上かぁ!?」
見上げた目標に対して、グレイは咄嗟に剣を突き出して応戦する..
「げはっ!?」
何が起こったんだ、おい?
目の前にいたのはぷるぷる震えるだけのチョロい獲物だったはずだ!
「なん……でだ…………?」
グレイは左肩の痛みに呻く。
『なんで俺が組み伏せられているんだ!?』
彼の上にいるのは、黒く美しい毛並みをした、見覚えのある貌の,
猫型の亜人だった。
『何あれ?』
クスクスが、先ほどまでの焦りから一転口を開いたまま、ぼそりと漏らす。
「やるねー。素手で挟み込んで剣を叩き折った後、その勢いで肩に膝を叩き込んでる」
臨戦態勢から一転、喜びに髪を逆立てながらアルザが言う。
ローザも大興奮する2人の声を聞きながら、安堵のため息をつく。
これで奴隷契約の話は完全に流れたわね、と。
「でも……」
昨日撫で回してキスをした可愛らしい娘は確かに「人間族」だった。
猫の亜人は確かに変化の術式を得意としているが、そんな魔術的なマナの動きは感じられなかったのだ。
『まぁ、おいおい調べさせて貰えばいいわよね』
世界唯一のスライムの魔術師は、思案気に唇に当てた指をぺろりと舐めて、事の成り行きを見守るのだった。
『ライカンズローブ』
装備するとワーキャットに見た目が変化するケモナー御用達アイテムで、変化時は元々のアバターの容姿をベースに、ネコミミと尻尾が出現する。
上級ケモナー向けアイテムとして「ライカンズローブ・セス」というものがあり、こちらは猫型の獣人になるアイテムである。
ちなみに作成条件はどちらも一緒で、性能も一緒である。
装備時のステータス効果は、筋力+30、素早さ+50、防御力+20、魔法攻撃力+30、魔法防御力+20、運+10という高い上昇効果を誇る。
装備デメリットとしては、装備中は確実にバーサク状態になり、ターゲット変更およびアイテム、魔法の使用ができなくなるというものだ。
装 備を外すことでバーサク状態は解除されるが、装備中に溜まったバーサク率は非戦闘フィールドに入るまでは累積され、100%になった段階でカースバーサクという上位の異常状態となり、プレイヤーがコントロール不能になるのだ。
呪い解除による解除は可能な為、装備プレイヤーは神官職の同行が必須である。
また、バーサクは特殊状態異常と呼ばれ、バーサクは全ての状態異常が上書きされる。
死の呪いや、毒沼などのダメージ床の影響も受けない為、シビリアン系統限定装備という扱い辛さをおいても、上級シビリアン職必須のアイテムなのである。
「てめぇ、なにしやがった」
グレイは馬乗りになっている亜人に問うが、返答代わりの掌底が彼の鼻を潰す。
「ごぶっ!」
そして、そのまま熱を持つ左の肩に、ぐいぐいと体重をかけてくる。
「があぁっ!や、やめてくれ、骨がぁぁぁぁ!これ、あ゛あ゛……絶対折れで……がはっ!」
再び掌底、掌底、掌底、掌底、掌底、掌底、掌底、掌底、掌底、掌底。
そして、グレイの目から抵抗の意思が消えたのを確認したて、私は立ち上がる。
「降参?」
私は猫の目を細めて、無防備に晒される鳩尾を踏み抜いた。
「たふけへ……あのエルフはいらねぇから、もうゆるひてくれ…………」
鼻血と涙で汚れた顔から、ゲス男は言葉を捻り出す。
「術式を解除しなさい」
喉から空気の漏れるような音を出しながら、男はガタガタと震えている。
「早く」
先ほどまでの体の痺れとは違う、脳裏をチリチリと焼くような苛々が積もっていく。
『あぁ、煩わしい!』
もう一度私が足を振り上げると、男は泣いて懇願する。
「したっ!もう放棄しましたからっ!許してくださいっ!」
一瞬男の手の甲が光り、続いてエルフの少女の体が光ったのを確認する。恐らく奴隷契約が解除されたというのは本当だろう。
「分かった」
目の前のゴミは、ボロボロになった顔に安堵の表情を浮かべる。
「これで最後ね」
振り上げた足を、今度は股間に振り下ろした。
『やっほー! ラナーお疲れー!』
クスクスが後ろから飛びついて来た。
「ありがと」
クスクスの頭を軽く指先で撫で、「ライカンズローブ」を引き剥がすと、体の芯にあった熱がするすると抜けていき、元の体に戻されていく。
「凄かったなー最後の!」
アルザは「にしし」と、ちょっと怪しい笑い声を出しながら、嬉しそうに肩を抱いてくる。
変身についての説明をした方が良いのかどうか悩んでいると……
「まぁ、今は目立つから、夜に宿ででも教えて頂戴な」
ローザが微笑を浮かべて提案してくる。
「うん、そうします」
私は3人に微笑みを返し、グレイ・ランドという男を見下ろすと、緊張を解すように深く息を吐きだした。
あー疲れたー!
ライカンズローブ持ってて良かったですよ、マジで!
というかこっちでもバーサクの上書き効果あって良かったー。
変身効果で麻痺が消えたのかもしれない、なんとかブッ倒せて良かったわ……
昨日の夜に襲われたのは、ちょっと嬉しい気持ちもあったけど。いや、だってスライムっぱいですよ?……ではなく。
あんなセクハラ変態ロリペドゴミ野郎に奴隷にされるとか、純潔の危機もいいとこですよ?
男になる前に女にされるとか、ちょっとショックで立ち直れないレベルだからねぇ。
あー助かった……
◆
「こいつはどうしよう?」
足元に転がる変態を見下ろす。
『あー、奴隷の術式はもう切れてるっぽいから、放っておけばいいんじゃない?』
自称B級上位冒険者さまが、年端も行かない少女に完全敗北したのを、町のど真ん中で晒し者にするわけですねー、クスクスさんナイス鬼畜っす。
「うんにゃ、自警団にでも放り込んで来るわ」
アルザ曰く、奴隷への虐待行為を証言すれば、冒険者資格を剥奪された上投獄されるだろうとの事。
証人も多いしねーと言いつつ、アルザは未だ気絶しているロリペド冒険者を、片手で軽く持ち上げる。
「うんじゃ、あのエルフの事はよろしくー」
そのまま広場の外に立ち去っていくと、それまで様子を見ていたギャラリー達も、少しずつ散らばっていった。
私達が近づいていくと、広場にあった柵に首輪を結び付けられていたエルフの少女は、緑色の綺麗な瞳でこちらを見ていた。
「うーん。痛々しいわね……ちょっと触らせてもらうわよ」
ローザが首輪を2箇所ほど撫でると、エルフの少女の首から地面にぼとりと落ちる。あぁ、アシッドスライムの能力で溶かしたわけだ。
「立てる?」
私が手を差し伸べると
「あ、ありがとう……ございます」
戸惑った感じではあるけども握り返してくれた。
立ち上がったエルフの少女はこちらを上目遣いにこちらを見ながら、少し構えている。
「あの……私に何かあるのでしょうか?」
何かっていうのは何だろうか?
少女の言う意味が捉えきれず、私は困った顔をする。
「ラナちゃん。ああいう手合いは、あまり目立たないのが常なだけで、あちこちにいるのよ」
わざわざ自分を賭け金にしてまで、奴隷にされた……まぁエルフの子は捕まったばっかりだったみたいだけど……人間を、助けるような事は、普通はありえないとローザ。
別にあのゴミ野郎が気に入らなかっただけなんですけどねーと、伝えるとエルフっこは目を丸くする。
まぁありえないっていうのは分からなくもないけどね。
あーでも可愛いなこの子。
ちょっとツリ目だけど目が大きくて睫毛も長いし、ちっちゃな唇はうっすらピンクだし。
髪の毛もプラチナブロンドっていうのかな?ちょっと白みがかった金色でうっすら透き通ってて、エルフ!って感じの外見だもんね。
「あの……ありがとうございます」
エルフの少女は少しだけ目を見開いてそう言うと、緊張を緩めたかのように肩を落とした。
「えと、良かったら家まで送りましょうか?」
そう尋ねると、少女は大きく首を振る。
「1人で帰れますから。その、少しなら魔法も使えますし」
切なげな表情で笑顔を浮かべ、少女は自分を抱きしめるようにボロボロになった服を掴んだ。
『んー、それじゃアルザ探そうよ』
「うん。あ、ちょっと待って」
私はカバンから上着装備……ホワイトクロスジャケットを出して手渡す。
「その格好はちょっと悪目立ちしちゃうから、これ使って下さい」
「え……あの、よろしいのですか?」
別に、まぁ店売りの装備だし、色合いを合わせるための、ぶっちゃけオシャレ用装備だから、そんなに惜しくもないですしねー……言わないけど。
「気にしないで下さい」
なんとか安心させてあげたくて精一杯のスマイルで押し付ける。
「はい。貴女に心からの感謝を」
少女は上着を羽織り、大きな瞳を精一杯開いて、少し言葉につまりつつも、とても綺麗な笑顔でお礼を言ってくれた。
「さて、アルザと合流しましょ」
何度も振り返りながら頭を下げる少女が見えなくなってから、クスクスとローザに言う。
『うーん、腰の低いエルフだったわねー』
クスクスが肩の上で足をぶらぶらと揺らす。
「エルフは種族的に魔法の力が強い特徴があってね、人間族に対して高圧的な者も多いのよ」
あー、ゲームとか小説でもよくあるパターンですね。こうそれで戦争になっちゃったりするヤツ。
「そうね、まぁそれもずっと昔に国の形を解体して、隠れ里にエルフが住むようになってからは、戦争なんて起きてないのだけれどもね」
ただ、それでも人間を嫌うエルフは多いそうだ。冒険者や旅人にも、エルフは少ないらしい。
『じゃ、ハーフエルフかもねー』
というのはクスクスの言だ。好意的なエルフも多少いることはいて、子供を作って里から出るものもいるそうだ。
ちなみにクォーターエルフくらいになると、見た目ではほとんど分からないらしい。
『ま、どっちでもいいけど』
じゃあ聞かないで下さい。
「おまたせー」
アルザが戻ってきた。
「どうだった?」
「ん?とりあえず受付の親父に渡したら、変な顔しながら善処しますって言ってた」
え、それ問題にならないんですか?
「アタシらを咎めたりするつもりもないみたいだったから、問題ないんじゃない?」
「そうね、もし逆恨みをしてラナちゃんに何かしてきたら、今度は私がお相手してあげるわよ」
○○○を徐々に溶かしいくのとか楽しそうよね、とローザが薄く笑う。
ちょっ怖い! この人怖いよ! しかも何? 先端から少しずつ強酸を垂らして溶かすとか、ちょっとマジ外道ですよこの人! 人じゃないけど!
『ラナーお腹すいた。折角町に着たんだから、どっかの店で食べよー』
全くこいつは妖精……半精霊だっけか? のクセに俗っぽいヤツだ。
でもね、残念なお知らせがあるんだ。
「あーごめんクスクス。私お金持ってない」
えー! なんでさー! などと声を荒げるクスクスに、目を丸くするアルザ、ローザに至っては爆笑してるんですが。
だって、お金がいるから冒険者登録して、仕事するって話だったじゃんさー!
「仕方ないわねぇ。ここはお姉さんが出してあげるわ」
時々襲ってきた盗賊や冒険者からカツアゲしたお金を、それなりに持ってるらしい。
「まぁ、食べ物に罪はないしな!」
既に昼食時をかなり過ぎている。私達は細かなことには目をつぶり、まずは食堂へと向かうのだった。
つづく