悪事はやめましょうね、お嬢様(私のために)
ぬる~い話です。書きたいところだけ書いたので、色々と抜けているところもありますが、それでもよろしければ、どうぞ。
「あなたの仕事は私の命に従うこと。何よりも私を優先して。それ以外は後回しでいいの。わかった?」
──くっそ生意気なガキだなぁ……。
……あら、失礼しました。つい前世の口調が出てしまいました。
私は、ただの侍女。前世の記憶なんてものを持っている以外は、ごくごく普通の侍女でございます。
貴族の末席に名を列ねつつも、貧乏な我が家では、六人兄弟の末っ子、それも三女ともなると、養うことも嫁ぎ先を見つけることも困難で、こうして十二歳にして上流の金持ち貴族の元へ働きに出ることになりました。
それまでの私は一番下ということもあって、父母や兄姉に言われるがまま、流されることに慣れ、波風が立つことを嫌う穏やかな性格……言うなれば、極度の面倒くさがりでした。心の中ですら、反発するのが面倒くさい子でした。反発するよりさっさと動いてしまった方が、いろいろと楽なのです。
それが、仕えることになる主人と対面した瞬間、すっと前世の記憶が入ってきて、あの感想が浮かんだわけです。
私の前世は、日本という平和な国にありました。短命だったようで、二十を少し過ぎたくらいで記憶が途絶えています。口調は悪いですが、歴とした乙女でございました。素行はともかく、乙女のバイブル・少女漫画を読み耽る程の乙女です。
その少女漫画の中には、乙女ゲームと言われる、女性向けの恋愛シュミレーションゲームのコミカライズがありまして、それはもう、面白かったのです。乙女の心をばっちり掴んだのです。アルバイトが出来るようになったら、化粧品や洋服よりも、まずは気になった乙女ゲームを買いました。
そして、今、目の前にいる主人は、私が前世にプレイした乙女ゲームの登場人物に酷似していたのです。
ゲームのタイトルや細かな設定なんて覚えていませんが、この方の役割と結末ははっきりわかります。
公爵令嬢で王太子の婚約者。ヒロインに対して悪事を働き、破滅するお嬢様──いわゆる、悪役令嬢、でございます。
こちらのお嬢様はふわふわの金髪にぱっちりとしたエメラルドグリーンの瞳で、お人形さんのように整った大層な美少女ですが、幼い頃から甘やかされていたせいで、物凄く我が儘で、何事も自分の思い通りにいかないと気に入らないという、“てんぷれ”な設定をお持ちです。現に、今も私に女王様もびっくりな発言をされています。
そんな性格が災いし、婚約者に敬遠され、乙女ゲームの舞台となる国立学園で王太子の心を奪ったヒロインに執拗な嫌がらせ……もはや、犯罪として裁かれても仕方ないような悪事を働き、婚約破棄。お嬢様はなんやかんやでどこかへ飛ばされます。お父上の立場も悪くなり、ごちゃごちゃがあって、お家は一気に転落。(細かいところは覚えてないのです。ご容赦を。)
これもてんぷれですね。我が儘お嬢様とそれをお育てになったご家族は自業自得で、仕方がない結果です。でも……使用人達はどうなるんですか!?
言うなれば、大企業の倒産ですよ!このお家に仕えている人達は、唐突に職を失うんですよ!そんなすぐに次の仕事が決まることなんて稀です。このお家に仕えていたということでけちがつき、求職活動は困難になるでしょう。中には、主人の命令でお嬢様の悪事に加担させられ、処罰を受けさせられる方も、きっと出てくるでしょう。
私の実家は貧乏貴族。無事に家に帰してもらえたとして、歓迎されることはないでしょう。──というか、帰れる場所がないかも。
「……はぁ」
いろいろと思い出し、これからのことを考えると、溜め息が出てしまいます。
「何よ、その態度?何か文句があるの?」
「文句も何も、絶望しかないですよ。こんな主人と家に仕えることになるなんて……」
「なんですって!?」
……あら、いけない。うっかり口と態度に出てしまっていました。
目の前のお嬢様が顔を真っ赤にしてお怒りです。やってしまいました。これは、早々にクビになりそうです。……けちがつく前の今のうちに、他の職場を探す方が賢明かしら?「我が儘お嬢様に追い出されたんです~!」と言えば、同情されて良いところを紹介してもらえるかもしれません。弁解することが面倒になったわけではありませんよ。
「あなた、私を誰だと思ってるの!?私に仕えられることを光栄に思わないどころか、絶望ですって!?」
「まあまあ、お嬢様」
早々に弁解を諦めて、黙ってお嬢様のお怒りを受けようとしていたところへ、思わぬ助け船です。お嬢様の斜め後ろに控えていた侍従さんが、お嬢様を諌めます。
「彼女は、今日ここに来たばかりの新人です。それも、まだ子ども。礼儀がなっていないのも、仕方ありません。これからお嬢様に相応しい侍女となるよう鍛えますので、お許しください」
人のことを子ども扱いしますが、侍従さんも充分、子どもです。見たところ、私と同い年ぐらいです。さらさらの黒髪に、焦げ茶色のやや垂れ目で、柔和な笑みを浮かべた、穏やかそうな方です。お嬢様と並んでも遜色ないくらいの美少年です。
庇っていただいたところ、申し訳ないのですが、有り難迷惑です。せっかくこのまま傷が浅い内に転職しようと思いましたのに……。このままでは、私を庇う彼まで道連れにしてしまうかもしれません。
「……言葉が足りず、申し訳ございません」
なので、私は言い訳しなければならなくなりました。
「お嬢様のあまりのお美しさを前に、自身の平凡さを悲観し、絶望したと申し上げたのです」
とりあえず、お嬢様をよいしょしときます。
「まあ、そうだったの。悲観することないわよ?私の美しさが別格なだけで、あなたもまあまあ可愛いから」
お嬢様は憤怒の表情から一転、ご機嫌の笑顔になりました。乗せられやすいタイプなのかもしれません。
「あなた、名前はなんといったかしら?」
「アニスと申します」
「見たところ、私と年が近そうだけど、いくつ?」
「十二歳になります」
「あら、同い年じゃない!」
お嬢様の私を見る目がキラキラ輝いています。嫌な予感します。
「決めたわ!あなたを私専属の侍女にしてあげる!」
「(全力でお断りしまーす!)……光栄でございます」
私は笑顔を張り付けて頭を下げるしかございませんでした。
しかし、物は考えようです。お嬢様に気に入っていただいてお側にいるということは、お嬢様に忠告を聞き入れていただけるかもしれません。それが駄目でも、物事が悪化しないよう、先回りや対応がしやすくなるでしょう。倒産回避……もとい、公爵家没落回避のため、もう少し頑張ってみることとしましょう。さすがに路頭に迷いたくありませんから。転職活動も面倒くさ………いえ、何でもありません。
「ちょっと、アニス!私が呼んでいるんだから、さっさと来なさいよ!」
お嬢様との対面から数時間後、お嬢様のお側を離れ、雑務をこなしていたところを呼び出され、早速お叱りを受けてしまいました。
「申し訳ございません。奥様のご用事を仰せつかっていたもので……」
「そんなこと関係ないわ!言ったでしょ?私が何より優先されるの!私が呼んでいるんだから、何を置いても駆けつけなければいけないの!」
私の言い分なんて聞き耳を持たず、お嬢様は理不尽を申されます。……ああ、もう面倒くさい。
「……お嬢様はお美しい上にお優しい方ですね。こうして、私の失態に対して、お美しい顔を歪ませて真摯にお叱りをくださるなんて……」
面倒くさいから、「そうですよ~。あなたが正しいんですよ~」ということで申し上げた私の言葉で、お嬢様ははっと頬に手を当てました。これは、押せばいけるかもしれません。
「お優しいお嬢様ですから、私達がつい他のことに手いっぱいになっていても許してくださるのですね。他者を思いやる心をお持ちとは、さすが、公爵家のご令嬢ですわ」
「そ……そうよ!私は美しくて優しい公爵令嬢ですもの!こんなことで怒るなんてしないわ!」
顔の歪みへの指摘が効いたのか、優しいご令嬢と持ち上げたのが効いたのか、それ以来、お嬢様の癇癪は減りました。
……このやり方でいけば、御しやすいかもしれませんね。
「──お前は何者なんだ?」
お嬢様をなんとかあしらい、自室に戻る途中、侍従さんにお会いしました。
「……唐突に何者か問われましても、提出済の履歴書のとおり、ただの貧乏貴族の娘でございますが?」
「お嬢様にあのような物言いをして、意のままに操るなんて、普通の娘なわけないだろう」
侍従さんが真顔で詰め寄って来られます。怪しい娘と思われているようです。
「私は、思ったことをお伝えしているだけです」
もしかして、捕縛されて尋問されるんでしょうか?こんなことなら、侍従さんを気にせず、とっととクビになっていれば良かったかもしれません。
「そう構えるな。面白い奴だと思っただけだから」
侍従さんの真顔が弛み、ふっと笑みを浮かべています。美少年の笑顔……破壊力抜群です。
「この屋敷では、お嬢様の言うことは、受け入れるのが当たり前だった。旦那様も奥様もお嬢様を溺愛していて、逆らう者は容赦なく排除されるから、みんな抗うことが出来なかったんだ」
「……大変ですね」
排除って、具体的にどうされるのでしょう?追い出されるだけですよね?だったら、追い出されると言ってくださいね。不安になりますから。
「でも、今日のお前を見ていて、お嬢様の御し方がわかった気がする。いいなりになるのに辟易していたところだ。私と一緒に、せめてもう少しまともなお嬢様にしよう」
なぜか侍従さん、やる気です。今まで相当な苦労をされていたのですね。お若いのに、お気の毒に。
「では、後のことはお任せしまー……」
ペコリと頭を下げて立ち去ろうとした私を、侍従さんは笑顔で捕まえました。
やっぱり、私もやらなきゃ駄目ですか?他の方がお嬢様の悪役令嬢化を阻止してくださるのなら、私はなるべく被害を被らないよう、大人しくしていようと思いましたのに……。
こうして、侍従さんことフェンネルとは、お嬢様を一緒に転がす……いえ、御す?お諌めする?……まあ、ともかく、共にお仕えする良き相棒となりました。
「おや、お嬢様。こんなことも出来ないのですか?私ですら出来る簡単なことですのに」
「なっ……なんですって……!?」
「フェンネル。お嬢様は出来ないのではなく、あえてやらないのですよ。お美しくて何でも出来る完璧なお嬢様は、少しお勉強をされましたら、こんなこと、簡単に出来てしまいます。そうですよね、お嬢様?」
「も……もちろんよ!」
「ああ、良かった。私はてっきり、出来ないから、やりたくないと駄々をこねていらっしゃるのかと……」
「そっ……んなわけないでしょ!?」
「失礼いたしました。それでは、早速やってみましょうか?」
「……え?」
「お嬢様でしたら、すぐお出来になるでしょう」
「お嬢様。是非、私に完璧なお嬢様の素敵なお姿を見せてください」
こんなやり取りをことあるごとにやっていましたところ(フェンネルはとっても生き生きしておりました。)、学園へ入学される十五歳になる頃には──
「あの方が、かの公爵家のご令嬢……お噂通り、美しい方ですわね」
「王太子殿下とご婚約なさっていらっしゃるのよね。羨ましいわぁ」
「入学試験で次席だったそうですわ。未来の王妃にふさわしく、頭脳明晰でいらっしゃいますわね」
「武術も嗜まれていらっしゃいますよね。先日、鍛練場で侍従と剣を交えていらっしゃいましたわ」
「あんな美麗な侍従がいて羨ましいですわぁ。何でも卒なくこなしますし」
お嬢様は多少我が儘で自愛精神がお強いですが、立派な淑女(?)にお成りでした。
マナーもお勉強もダンスも護身術も努力なさったので、全て優秀、又はそれなりにこなせます。淑女として慎みを持つよう教育を受けられましたので、お心内まではわかりませんが、軽率な言動はぐんっと減りました。私やフェンネルには愚痴や我が儘をおっしゃいますが、それ以外の方の前では大人しくしていらっしゃいます。昨年、正式に婚約者となられた王太子殿下とも良好な関係を築いていらっしゃいます(猫を何匹も被っていらっしゃっるようですが)。
周囲の評価も上々です。何故か、フェンネルまで持て囃されています。私?……空気です。いいのです、私はただの侍女ですから。前世の記憶がある以外、平凡な貧乏貴族の末っ子ですから。
「周りが大人ばかりだと、子どもの我が儘など大したことがない、とつい受け入れてしまう。しかも、お嬢様の周りは甘やかす大人ばかりだ。それが、お嬢様を増長させていた原因かもな」
いつだったか、フェンネルがそう分析していました。
お嬢様を御していた私達のやり方は、大人も子どもも関係ない気がしますが……。というか、前世のある私はともかく、フェンネルは純粋に現在十五歳のはずなのに、何故こんなにも達観しているのでしょう?まったく、ませたお子様です。子どもの内から働いていると、こうなってしまうのでしょうか?
何はともあれ、これで、お嬢様が悪事を働くことはないでしょう。
これで、安心して公爵家で働けます。お給金も待遇も良いので、有り難いです。実家も私の仕送りを頼りにしているみたいですし、今、没落されては困りますもの。
──なんて、暢気に考えていた頃もございます。
「なんなの、あの子!?私の殿下に気安く近づかないでよ!!」
お嬢様は、学園の寮の自室でご乱心です。ああっ、せっかくふかふかに干した枕がペタンコになってしまいました。枕を振り回していらっしゃっるから、お嬢様の髪も制服もぐちゃぐちゃです。
「殿下は、私の婚約者なのに!」
ああっ、振り回した枕が当たって、花瓶が落ちる……直前で、フェンネルが受け止めました。ないすきゃっちです。
「人前で、しかも他に婚約者がいる方にベタベタと!他にもたくさんの殿方を侍らせて!周りからどういう目で見られているか、わからないの!?末席とは言え、男爵家の娘が恥ずかしくないの!?」
「お嬢様……立派にならなれて……」
周りの評価を冷静に分析できる程成長されたお嬢様に、私、思わず涙ぐんでしまいました。
「アニス。そろそろ止めるぞ」
「……あら。そうでしたわ」
フェンネルに言われて、そろそろ夕食の時間であることを思い出しました。この学園での食事は、食堂へ赴かなければならないのです。今のお嬢様の身なりでは、お部屋の外へ出せません。
「お嬢様。お髪を整え……」
「あの子……許せない……」
お嬢様はぴたりと枕を振り回すのを止め、俯いてそう呟きました。
……これは、まずいです。
今は、私達の教育の賜物(?)で堪えていらっしゃいますが、今にも思い詰めて行動を起こしてしまわれそうです。
「フェンネル!どうしましょう!?このままでは、倒産します!」
「落ち着け。何でそうなるんだ?」
お付きの者の控え室で必死の形相ですがり付く私を、フェンネルが冷静にたしなめます。取り乱すとは、お恥ずかしい限りです。生活がかかっていますので、つい。
「お嬢様がこのまま例の方に嫌がらせや悪事を働こうものなら、殿下に見限られ、旦那様にも影響して、公爵家は没落してしまいます!」
「飛躍しすぎだろう。お嬢様が罰せられるような大層なことをするわけがないし、公爵家がそう簡単に傾くわけないだろう」
「路頭に迷うのは嫌です!お嬢様だって、せっかく更生してきたのに、破滅されるなんて、お可哀想です!」
「人の話を聞け。あと、何だかんだお嬢様のこと好きだな、お前」
フェンネルが宥めてくれますが、落ち着いてなんていられません。なんとしても、お嬢様の悪事を止めなければ!
「とにかく、お嬢様を一人にしないようにしませんと……もう一度淑女教育を徹底して……」
「……よくわからないが、あの娘を殿下から引き離し、殿下の御心がお嬢様から離れていかないようにすれば、お前は安心するんだな?」
すっと背を向けて歩き出したフェンネルに、私がようやく気づいた時、彼はドアの前で振り向いて、ふっと笑みを浮かべました。
「私が何とかしてやる。だから、心配せずに待っておけ」
そう言って、フェンネルはどこかへ行ってしまいました。
何とかって、どうするつもりでしょう?あの侍従、有能で物腰が柔らかそうだけど、“腹黒ドS”なんですよね……まあ、あまり考えないようにいたしましょう。考えても、所詮、想像の域。恐いことを想像しても、実際にそうなるとは限りませんわ。長い付き合いの経験と勘が働いても、ただの妄想、妄想。
……ヒロインさん、大丈夫かしら?
翌日、私とフェンネルは並んでお嬢様に従って歩いていました。あの後、フェンネルはすぐに帰ってきたので、やはりあの妄想はただの懸念だったようです。
「ちょっと、そこのあなた!」
お嬢様が突如、前方に向かって大声を上げました。
前方にいらっしゃるのは、廊下で上流貴族のご令息方と談笑していらした……ヒロインさん。
──しまったぁ!!フェンネルに気を取られて、お嬢様がどこに向かっているか気づけなかったぁ!!
「もう少し慎みを持ったらいかが?そのように、殿方に擦り寄ってベタベタと……殿下や他の方々にも同じ様なことをされているでしょう?恥を知りなさい!」
お嬢様は目をつり上げ、ヒロインさんは目を潤ませています。ああ、こんなシーン、前世で観たような、観てないような……(なにせ、うろ覚え)。やはり、お嬢様が悪役となるのは、避けられない運命なのですね。
もういいです。もう面倒くさいです。転職の準備をいたします。きっと、物凄く大変でしょうね……他家の侍従や侍女達とやけに仲の良いフェンネルに伝とかないかしら?
お嬢様は破滅ですよね。我が儘で生意気ですが、素直で可愛らしい方でした……お可哀想に。
「お前は、本当に潔いと言うか、諦めが早いと言うか……お嬢様がおっしゃってることは正論だ。まだ悪事じゃないんだから、落ち着け」
フェンネルが背中を擦ってくれますが、悪役令嬢スイッチが入ってしまったお嬢様を前に、落ち着いていられません。かと言って、人前で侍女がでしゃばるわけにもいきませんから、覚悟を決めたのです。面倒くさいだけが理由じゃありませんよ。
「どうしたの、ローレル?」
私達の背後から、お嬢様を呼ぶ声。お嬢様を呼び捨てにする方は、この学園にお一人しかいません。
「君かそんな怒るなんて、珍しいね。そんな君も可愛いけれど、いつものように笑っていてほしいな」
シルバーブロンドのさらさらヘアに、サファイアのように美しい瞳。彫刻のように整ったお顔だちに、制服もスマートに着こなすスラッとした体躯。
穏やかな笑みを浮かべた、我が国の王太子にして、乙女ゲームのメインヒーローその人でございます。
「で……殿下!」
お嬢様は先程までの勢いはどこへやら、お顔を真っ青にして、殿下を凝視されています。
「オレガノ様!」
そんなお嬢様の横を駆け抜け、ヒロインさんは殿下の腕にすがり付きます。
「な……何でもないのです。ローレル様は私に注意してくださっただけなんです」
何でもないと言いながら、涙目ですよね。注意されたのに、また殿下に擦り寄ってますよね。というか、チクってますよね。
ああ、お嬢様がこの世の終わりのような顔をされています。殿下の前では淑やかな令嬢でいらしたのに、あんな怒鳴る場面を見られた上、ヒロインさんが殿下にすがっていらっしゃいますからね。
殿下もにっこり笑って、特に抵抗せず……。
「放してくれる?ローレルの言うとおり、君は下品だよ」
殿下はヒロインさんの手を掴むと、ご自身の腕から引き離しました。……あら?何か、違う。
「どういうつもりなのかな、と思って、今まで注意してなかったんだけど、僕以外にも不特定多数の男に媚を売ってるんだって?」
あらら?
「君の家、あまり財政状況が良くないんだって?だから、僕や上流貴族の家に取り入ろうとしてたの?その気持ちはわかるけど、やり過ぎじゃないかな?」
あらら、らら?
「何より許せないのが……君、今、ローレルを陥れようとしたよね?」
私もお嬢様も、ヒロインさんまで殿下の言動にぽかんとしてしまっています。開いた口が塞がらないことってあるんですね。
「二度と僕とローレルに近づかないでね」
優しいお顔と口調なのに、その時の殿下は、それはもう、恐ろしいものを感じさせました。
殿下を怒らせてはいけません。
「言っただろ?心配せずに待っておけ、と」
あの後、殿下はお嬢様と二人きりの茶会をご所望で、中庭のテラスに準備を終えた私とフェンネルは、ご機嫌な殿下と真っ赤な顔で助けを求めていたお嬢様から少し離れた場所に控えています。
私がわけがわからない、という顔に気づいたのでしょう。フェンネルが唐突に話始めます。
「どういうことですか?あの殿下の言動は、あなたが仕向けたのですか?ただの侍従が、どうやって?」
「私は、オレガノ殿下の直属の部下だ」
しれっと爆弾発言してくれました。……え?殿下の部下って……え?ナニソレ?
「私は、オレガノ殿下の命令で婚約者候補のお嬢様がいる公爵家に潜入していたんだ。他の婚約者候補の家にも私のような者が潜入していた。我々の任務は、婚約者候補について調査、報告し、未来の王妃を見極めることだった」
『あははっ!あのご令嬢、そんなばかわいい子だったんだ!……うん、面白いね。引き続き、彼女の傍にいて、彼女の話を聞かせてよ』
「そうして、私が報告する度、殿下はお嬢様を気に入っていき……」
『ローレルって、本当に可愛いね。家柄も申し分ない。王妃としての能力も備わってきている。……うん、決めた。やっぱり、ローレルに僕のお嫁さんになってもらうよ』
「……というわけで、お嬢様が正式な婚約者に決まったわけだ。その後も、私は護衛と見張りを兼ねて侍従として仕えるよう、命じられた」
「えー……つまり、お嬢様が殿下の婚約者になれたのは、フェンネルのお陰?」
フェンネルが逐一報告していてくれたから、お嬢様を気に入られて、ヒロインにも惑わされず、ああして助けてくださった、と?昨日、フェンネルは、お嬢様の状況とヒロインさんの振る舞いを報告に行ってくれていたんですね。
「いや、私はただ、報告していただけだ。私が出会った当初のままのお嬢様だったら、仮に婚約者になられたとしても、殿下もあそこまで気に入り、庇いだてすることはなかっだろう」
フェンネルは私と目を合わせ、ふわりと笑みを浮かべます。
「お嬢様が変わったきっかけは、お前だ。お前がいたから、今のお嬢様がいて、私がいる。ただ静観するだけのつもりが、お前とお嬢様の三人でいることが楽しくなっていた」
なんということでしょう。フェンネルのドSの扉を私が開いてしまったなんて……。あんな生き生きとお嬢様をしごかれるフェンネルは、私が何もしなければ、大人しい美少年のままでしたのね。
「……お前、また失礼なこと考えているだろう?」
フェンネルが私の両頬をがっしり掴み、目を逸らせないようにします。
……ばれてーら。
何はともあれ、きっと、お嬢様はこのまま殿下と良好な関係で、学園を卒業後は、王太子妃となられるでしょう。
公爵家は安泰。私も安泰。家計も安泰です。
めでたし、めでたしで良かったです。
「ところで、アニス。殿下とお嬢様が結婚した後のことなんだが……」
「はい。お嬢様が望まれるのでしたら、王宮までお供いたしますよ。公爵家よりお給金が良さそうですし、福利厚生も充実しているそうなので」
フェンネルが頬から手を離してくれないので、そのままの体勢で会話しています。そろそろ離してくれないかしら?
「私と結婚してくれ」
「……はい?」
フェンネルが笑顔で、またまた爆弾発言です。然り気無く、頬を撫でられてます。
「お嬢様が王太子妃となられれば、私の役目は終わりだ。殿下の側近として、ご公務を支えることになる。私は二男だが、実家は侯爵で、それなりの資産はある」
初めて聞く話が盛り沢山です。フェンネルさん、ちょっと落ち着かせてください。頭がついていけません。だから、頬を撫でないでください。何だか、心拍数が上がって、熱くなってきました。
「面倒くさがりのお前のことだ。受け入れた方が楽だろ?自分で言うのもなんだが、私は有能で将来安泰だし、容姿も良い方だろう。何より、私はお前が好きだ。諦めるつもりはないからな。断っても、お前が他の縁に恵まれないよう、邪魔し続けてやるぞ」
最後は脅されました。とんでもないプロポーズです。
ああ、そうですね。面倒くさいです。さすが、フェンネル。よくわかっていますね。
……でも、面倒くさいだけじゃないですよ。こんな結婚、いくら面倒くさいからって、相手がフェンネルじゃなかったら、受け入れられませんから。
──お嬢様と王太子殿下、そして、私とフェンネルの結婚のためにも……悪事はやめましょうね、お嬢様?