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第七話



前日の雨が嘘のように上がり上空には雲ひとつもない快晴。

小鳥の囀りが静かな場に心地よい清澄な朝。

冬の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んで白い息を吐く。


「よし」


師であるアイレスから貰った剣を正眼に構える。振りかぶって振り下ろす。

飛燕のような軽快さで一歩引き切っ先を正面に向ける。返す手で横薙ぎ。

足さばきは円を描き相手の背後を取り刺突を放つ。

一連の動作が独立しているのではなく、流れる動作が一つの技として成立している。

何度も同じ動作を繰り返し体に技を覚えこませる事はラグナの朝の日課である。


いい感じに体が温まり、体中に汗がにじみ始めたその時だった。


「ラグナ」

「あっ」


いきなり声をかけられて間抜けな声を上げるラグナ。

持っていた直剣が汗ですっぽ抜けた。そしてそれは慣性のまま真っ直ぐ進んで行き、ミストの頬を刃が掠めて――後ろの木に突き刺ささる。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……ラグナ」

「はい」

「言い訳があるなら聞くわよ?」


所々に血痕の付着したハリセンを取り出してバッティングの要領でブンブン素振りを始めるミストに対してラグナは無言。どう言い訳をすれば厳しい折檻を回避できるか無い知恵絞って考えている最中なのである。そして懊悩の末に絞り出した答えが――


「いきなり話しかけたミストが悪い」


――よりにもよって怒ってあらせられるミストの所為にしたのであった。


「…………へえ?」


ミストの冷笑が一段深くなった気がした。再び訪れる沈痛な静寂。

蛇に睨まれた蛙よろしく張りつめた緊迫感に胃どころか体中の血液が逆流しそうな気分になる。

殺すならいっそひと思いに殺せ!!

無言のプレッシャーに耐えかね一種の開き直りの心理を形成し始めたその時だった。

ミストの口から溜息が洩れる。そして呆れたように一言。


「まったくもう……、アンタは……」


あれ? これ赦してもらえるんじゃ? 今のうちに全力で謝った方がいいんじゃ――


「全力で体を固定させなさい」

「え? そこは歯を食いしばりなさいじゃ――?」


前日の雨が嘘のように上がり上空には雲ひとつもない快晴。

小鳥の囀りが静かな場に心地よい清澄な朝。

汚い悲鳴が一つ、森に上がった。



ベンジャミンは朝食作りを終えたベンジャミンは三人分の食器をテーブルの上に並べていた。今日のメニューはトマトスープと目玉焼き。メインの肉の燻製はカリカリに焼いて目玉焼きと一緒の皿に盛り付ける。

1人では作る事すら面倒な朝食も3人いるとなると作り甲斐が出て来るから不思議なものである。


しばらくミストとラグナを待っていたがいつまで経っても来ないので、先に朝の日課を済ませてしまう事にする。バケツに水を汲み裏庭の石が二つ連なっている所にそっと花を添え、手を合わせる。

しばらく祈った後、ベンジャミンは後ろを振り返って目を丸くした。


「それ、なんだい……?」

「ラグナだった物体ですよ」


ボロ雑巾になったラグナらしき物体エックスを引き摺ってくるミストにベンジャミンは苦笑。相変わらず仲が良くて何よりである。

彼らが何を抱えているのか、ベンジャミンは詮索する気はないし、知った所で何が出来るとも思わない。自分の限界値以上の事が出来ると信じていられる程、彼は夢見がちではない。自分に出来る事はただ迷い込んできた彼らに対して食事と寝床を提供する事だけである。


「これは?」


いつの間にか意識を取り戻して拘束から脱したラグナが石の連なりに気付く。

ベンジャミンはそんなラグナの疑問に答える事を憚るかのようにしばらく逡巡していたが、やがてその重い口を開いた。


「墓、だよ。私の、息子と、妻の……」


ベンジャミンの答えに絶句。かけるべき言葉が見つからなかった。


「帝国、との小競り合いに、巻き込まれて……ね……」


自分でも驚くほど無理なく説明できている事に僅かに驚く。

以前なら口に出すたびに傷口が疼いて仕方がなかったというのに。それだけ長い時間が経っているのだ、と今更ながらに実感が湧く。

そんな彼の心情を察したのかラグナは黙って二つの墓に手を合わせた。ミストもそれに倣って黙祷を捧げる。

ベンジャミンは上辺だけの慰めの言葉をかけられるよりも、黙って自分の家族の為に祈ってくれている事を嬉しく思う。

優しい子達だ。だが、それ故に危い。

特にラグナ。彼は人の生死に特に過敏に感じている。

昨日の白装束の襲撃の際、彼の力量ならば白装束1人2人を葬る事など容易かったであろう。しかし、ラグナは隙があるにも関わらず攻めきれなかった。

恐らくは『敵を殺す』という思考を心が拒否したのであろう。

古今東西『殺人』という行為は人間として最大の禁忌である。それに嫌悪感を覚えると言う事は人としては正しい。だが、しかし。

この時代では甘い考えと言わざる得ない。

ラグナの考えはどうあれ敵はそんな事を構わずに彼らを殺しに来る。彼らは知っている。

どんな崇高な理念も、纏わりつくような感情も、お題目も。

たった一発の銃弾ですべて反故に出来る事を。力に対抗しうるのは力しかない。無抵抗でいれば殺されるだけ。幾万の言葉を重ね合うよりも、相手を沈黙させた方が早いと知っている者達が振るう暴力がまかり通る歪んだ世界。

果たして狂っているのはラグナの『甘い考え』か、それとも世界か。


「さて、朝ごはんにしようか……」


考えても仕方がない。何故争いが起こるのかなどという小難しいを考えるのは吟遊詩人や哲学者の仕事だ。まずは目の前のご飯を平らげる事に集中しよう。

ベンジャミンはスープから口に運んだ。


「今夜立とうと思います」

「……そうか」

「本当にありがとうございます。厄介者の俺達に寝床どころか食事まで」

「気にする事は、ない。1人じゃない、食卓は久しぶりだから。私も、少し楽しい」


そう言ってベンジャミンは柔和な笑みを浮かべる。

どうやら彼は人に慣れてはいなくとも人嫌いというわけではなようだ。


「ベンさんはいつからこの森に住んでいるんですか?」

「?」

「いえ。失礼ですけどこの森って普通に暮らすには少し不便なような気がしたから」


ミストの指摘を受けてベンジャミンは記憶の引き出しを開けてみる。

いつから。いつから。いつから?


「よく、覚えていないんだ。妻と息子を喪ってからしばらく当てもなく放浪していたから」

「あ。す、すみません」


地雷を踏んでしまった事に気が付き慌てて謝る。申し訳ない気持ちで一杯だったが、ベンジャミンは「気にしていない」の一言で話を打ちきる。

沈黙の帳が下りる。空気が重い。

しばらく誰も何も言わなかったが――


「何してるのラグナ?」


ミストの皿からコッソリとメインの燻製を横取りしようとしていたラグナを一睨みする。


「いや、食わないなら貰おうと思――へぶ!?!?」


悪びれずにしれっと答える空気の読めない男にハリセンが閃いた。



「チッ」


懐に手を突っ込んだコルトはおもむろに舌打ちした。


「煙草は部屋か」

「これを機に禁煙する気は?」

「ざけんな。ヤニのねー生活なんてなァ、チーズのないチーズバーガーみたいなモンじゃねーか」


レミンは自分の提案を一蹴されイタズラっぽく肩を竦めた。


「イライラしてる理由がわかったよ。3日間吸ってないからだ」

「くくく、大当たりだ」


話ながらエレベーターに乗り込み、自分達の部屋へと向かう。廊下の突き当たりに位置する部屋に鍵を差し込み捻るも手応えがない。

コルトはレミンに目配せした。

レミンは無言で頷くと変形弓を取り出し、魔力で作った矢をつがう。

コルトは掌に炎を球体に圧縮させて擬似的な爆弾を作り出す。

もう一度目配せして、間を図る。

一気にドアを開き――――固まった。

まず目に入ってきたのは紫色の絨毯であった。床を見渡す限りひたすら紫色で目が痛い。次に特筆すべきは壁紙である。金箔でも貼ってあるのか、と疑ってしまうような見事な金色。そしてそこら中に規則的に並んでいる銀色のハートマーク。よく見てみると見る角度によって色が七色に変化する仕様に職人の遊び心が感じられたり感じられなかったり。極めつけはベッドである。ただ寝るためだけに置いてあったベッド2つは何故か撤去されており、代わりに1つ青色の回転ベッドが薄暗い照明に照らしだされている。その上ショッキングピンクのベッドカーテンのオマケ付きである。

簡素――殺風景とも言う――であった部屋など跡形も残さずリフォームされていた。

そして、部屋の中央に(勝手に)置かれている大理石の机に自前のティーセットを用意しているタレ目の男。金色の燕尾服に身を包み金髪をカールさせており服の趣味はともかく立ち振る舞いは上品な紳士を思わせる。

剣呑な空気も何処吹く風でアフタヌーンティーを楽しんでいる。ローズヒップティーの香りを堪能し、優雅に一口飲んでから呆然としていた二人に向き直った。


「やぁ、コルトにレミン。お邪魔してるよ」

「ざっけんなァァァッ!!」


手持ちの疑似爆弾を遠隔操作。問答無用で爆破した。


「ちょ、コルトやりすぎ!」


部屋の半分が跡形もなく消し飛ぶという惨状。そして何よりこれ以上の揉め事は拙い。ホムンクルス同士の諍いなら尚更である。そう思ったレミンは泡を食って止めにかかるが。


「はっはっは。相変わらずやることが過激だね」


爆煙の中から何食わぬ顔で姿を現した紳士風の男に顔を引き吊らせた。

紳士風の男の機嫌に反比例してコルトの機嫌は悪くなる一方である。


「テメェ、シグルド・ナンブ! オレたちの部屋を勝手に悪趣味極まりないリフォームをした上に、あまつさえ悪びれもせず優雅にアフタヌーンティーなんぞ楽しみやがって……! オレに喧嘩売ってるのか、それとも新手の精神攻撃か、アァン!? 何とか言ってみろこのクソッタレ野郎がァ!!」

「落ち着きたまえよコルト・アサギリ。同じトルキアの民の生き残りじゃないかい。むやみに争うのはやめようじゃないか。あ、因みにリフォームのお礼なら無用さ。君の快気祝いということで――」

「誰が、いつ、何処で部屋を勝手にリフォームした事への礼を述べた!?」

「ちなみに引き出しにはマイセンの皿が――」

「それはもういい! 何の用できやがったテメェ!!」

「コルト、ちょっと! ブレイクブレイク!!」


レミンに窘められ一旦矛を収めるコルト。それでもぶち切れ寸前の彼を前にシグルドは尚もマイペースにこう言った。


「やれやれイライラしているね。小魚食べてるかい?」

「シグルド、コルトの堪忍袋が切れないうちに簡潔に用件だけ述べて五月に吹くさわやかな風の如く何処かへ行ってくれないかな」


げんなりした様子でいうレミン。彼女も彼女でシグルドのマイペースな愉快犯はノリが苦手なのだ。


「そうだったね。コルト、指令だよ」


そう言ってシグルドは記録用の聖霊石をコルトに投げる。

キャッチした聖霊石に魔力を注ぎ込み指令の概要をチェックした。


「ガンダラ地方で『歪み』を確認。至急歪みの破壊及び歪みから湧き出たグールを処理せよ?」


この数年世界の異変は加速するばかりである。

頻発する謎の現象『歪み』。そこから湧き出て来る異形の存在。

まるで人の負を映し出すかのようにそれらは際限なく広がっていく。


「なんだよコレ。ンなもん下っ端の仕事じゃねーか。態々オレが出向くまでもねぇだろーがよォ」

「またそういう捻くれた事を言う……」


渋るコルトをレミンが咎めるが、堪えた様子は無い。


「コルト、君レムレースと揉めたんだって?」

「シグルド、それは……」

「分かっているさレミン。奴らから仕掛けてきたんだろう。しかし、皆殺しは拙かったね。報復行為としては度が過ぎている」

「脅しかよォ?」

「いいや」


シグルドは静かに頭を振る。


「けどね、今回の事を不問に処すのはあくまでフォッカー准将の温情によるものだよ。君はそれに対して何か返すものがあるとおもうのだけど?」

「…………」

「コルト」


無言で押し黙るコルトにレミンが呼びかける。舌打ちしてから折れた。


「それにしても、最近歪みが多くなってきているね」

「歪みは人の負に反応して増える傾向があるからね。それだけ今の世界が乱れているという事さ」

「ハッ、何言ってやがる。世界が乱れている? 世界は端からこんな感じじゃねーか。戦争が起ろうが、飢えて死のうが、親が子を殺そうが、すべて世は事もなしってなァ。この世界の何処に正気の人間がいるってんだ」


嘲るように言うコルトにシグルドは困った様に肩を竦める。


「君は本当にこの世界が嫌いなんだね。……すっかり変わってしまった」

「あんなモン見せられたら変わりもするさ」

「……もっと肩の力を抜いたらいいのにって時々思うよ。折角生き残った命、楽しい事に使わなくてどうするんだい?」

「……オレはテメーみたいにはなれねーし、なる気もねーよ」


沈痛な面持ちのコルトにレミンはかけるべき言葉が見つからない。

やがていつも通り表情に嘲笑を張りつけたコルトは立ちあがり部屋を出た。


「レミン、予定変更だ。この案件をさっさと片付けてから鍵の女を消す」

「……了解」


結局は彼の言う通りに動くしか出来ない。触れれば生々しい傷口から血が噴き出すと分かっているのにどうして触れる事が出来ようか。

彼との距離がこんなに近いのに、何故こんなにも遠い。彼女は何も出来ない自分を歯痒く思った。



「ファーストアタックは失敗。刺客に送った5人中2名死亡。残り3名は引き続き任務続行。夜に乗じてセカンドアタックを仕掛けると先ほど連絡が」

「ふむ」


ジュバザはリクライニングの椅子に肉付きのいい尻を乗せて報告に耳を傾ける。


「少将閣下。予想以上に小隊の損耗が激しいです。ここは一度引いた方がよろしいのではないかと――」

「レオン・ナイトレイ。いつ、私が、君に、意見する事を許したかね?」

「……申し訳ありません」

「部隊の損耗の事など考えずともよい。足りなくなれば補充すればよいだけの話だ」


ジュバザの物言いにレオンは不快感を覚えるが、それを押し殺し平静を保つように努める。

普段意見が合わず気に入らない黒狗とはこの男が嫌いという点に置いてだけは共感を覚えた。


「なんとしてもフォッカーの若造よりも先に鍵の娘を捕えるのだ。そうすれば私の帝国内部での地位は盤石のものとなる。『山猫』レオン・ナイトレイ。お前を拾ったのは私だ。その命、私の為に役立ててもらうぞ」

「はい」


敬礼して退室する。そして速足で離れ誰もいない事を確認してから壁を思いっきり殴りつけた。


「あの! 権威主義の豚が! 部下の命をなんだと思っている!!」


やるせない。

世界の為。その言葉を免罪符にあらゆる非道に手を染める覚悟はある。

だが、それでも――


「ラグナ……、俺はどうしたら……」


振り払えない迷いを抱え、レオン・ナイトレイは再び前を向き歩き始めた。


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