第六話
1
テルミナの森。エルニド人達を覆い隠す様に存在するその森を人々は「迷いの森」と呼ぶ。
北のエルニド自治区と共和国を繋ぐ細い道を覆うように樹木が生い茂っており、磁場の関係で方位磁石は意味をなさない。その複雑な道のりを踏破する方法を知っているのは区長や自治区の役員。そして、共和国の一部の官僚達だけであった。
まるで隔離してあるかのように行く者の姿すら掻き消してしまうような深い森。
ラグナ・マクレガーとミスト・クリステンセンはテルミナに住むアイレスの肉親。『アイラ』を頼る為、深い森の中へと分け入った。
2
前略、お師匠様。
寒さも和らいできた今日この頃、如何お過ごしでしょうか?
早いものでエルニド自治区を旅立ってから1週間が過ぎようとしています。
そんな僕らは今――
「ここは何処~!? 俺は誰~!?」
絶賛道に迷い中だったりします。
「さて、お約束をやったところで道に迷いました。どうしましょうシーンキーングターイム!」
無理にテンションを上げるラグナ。
そんな彼を前にミストは呆れたように深い深いため息をついた。
「……ラグナがこっちだって自信満々に言うから」
「異議あり! 地図代をケチって変なのを買ったのが原因だと思います!」
そう言ってラグナは子供の落書きの道程しか書き記されていない地図と呼ぶにはおこがましい物品をバンバンと叩く。
「まったく、誰だよこんなアホみたいな地図を買って来たのは」
「……………私の記憶が間違ってなかったらその地図を買ったのはラグナだったと思う」
「ですよね~」
愛想笑いしながら同意するラグナ。ミストはもう一度深いため息をついた。
「大体ラグナはいつもそう。根拠のない自信で突っ走って自爆する」
「いやいや、お前だって止めなかっただろ!?」
「止めたわよ」
「もっともっと強く止めたまえ!」
「え? なんだって?」
「なんでもないです。すみません自分調子くれてました」
堪忍袋の強度限界ギリギリのミストは右手にハリセンを構える。ラグナはすぐさまジャンピング土下座をきめこんだ。
「過去に囚われてちゃいけないよな! 俺達は未来に進むんだ!」
「で、進むためにはこの森を抜けなきゃいけないんだけど?」
「進むために迷うのは有りだろ?」
「こうして深みに嵌まっていくのね、わかります」
そこで2人の腹部から示し合わせたかのようにグー、と音が鳴る。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……漫才やってる場合じゃないな。さっさと道探そう」
「……そうね、さすがにもう野宿は避けたいし」
迷ってから早いものでもう三日。
寒さはアイレスの家の倉庫から勝手に拝借してきた高級寝袋のお陰で何とか凌げてはいるが、食料の方がそろそろ尽きてきた。このままこの森を迷い続ければ白骨死体コースまっしぐら。帝国の追撃よりも眼の前の危機の方が切実だったりする。こんな事で本当に『アイラ・ニーソン』の元に辿りつけるのだろうか。一抹の不安が脳裏に過るが、頭をブンブンと振り回して消し去る。
それから二時間。草を踏み分けて進んで行くラグナとミスト。
だが、一向に外に出る道は見つからず、どんどん奥に迷い込んで行くだけだった。
途方に暮れる2人に追い打ちをかけるかのように雨が降り始める。
慌てて雨宿りが出来そうな木の下へと滑り込み雨を凌ぐ。
それでも完全に遮断できる筈もなく、雨粒がぽつぽつと肩や頭に当たってきた。
「拙いな。ただえさえ寒いってのに」
「せめて、小屋か何かあったら――」
「――――ッ!?」
ラグナの顔色が変わり、剣を抜く。
「ど、どうしたの?」
「拙い。囲まれた」
その言葉が合図となり気配を隠していた黒装束が彼らを取り囲む。彼らは揃って白い仮面で顔を隠してその表情を窺い知ることは出来ない。
「帝国の……!?」
「盗賊かも知れないがな」
ラグナはミストと背中合わせになり、死角を消した。
「後ろ、何人いる?」
「2人」
「こっちは3人。5対2かよ」
「私を戦力に入れるな。5対1よ」
「あ、やっぱり?」
『アハット少将の命令だ。男は殺せ、女は捕まえろ』
「どうするよミスト。お前狙われてるぞ? 捕まったら最後、お前のロリボディに口では言えないあ~んな事やこ~んなことを……」
「殺すわよ?」
「サーセン……」
「切り落とすわよ」
「何を!?」
「ナニを」
「Oh……」
漫才の様なやりとりをしながらも、一切油断していない。注意深く相手の出方を窺う。
『かかれ!』
ナイフを構えて順に斬りかかってくる刺客達。
ラグナはナイフを柄で受け止めて前蹴りで弾き飛ばす。続いて襲い来る刺客の顔面に肘を叩きこんだ。次々と襲い来る刺客をいなして後退するラグナ。
ナイフを弾き飛ばし、刺客の体を貫こうとした瞬間。
「――――ッ!?」
動けなくなった。冷や汗が一筋落ちる。慌てて距離をとって仕切り直した。
1人1人は倒せない程の技量ではないものの、一切乱れることのない連携は厄介と言わざるえまい。そして、何より問題なのは――
――ラグナ、動きが鈍い……?
攻撃時のラグナの動きから僅かに躊躇いの様なものが感じられる。
無論、襲撃者達がそんな隙を逃す筈がなく、間髪いれず攻撃を加えていく。
「ぐ、くっ!」
連撃を受け止めるが後退する際、木の根に足を取られて転ぶ。
普段のラグナなら周囲の状況確認を怠るヘマはしなかったであろうが、ここ数日の野宿の疲れから注意力が散漫になっている。
「ラグナ!」
――殺られる!!
刺客の1人に馬乗りになられ、ナイフを振り上げた所で眼を瞑ったその時。
タァン!! 炸裂音と共に刺客の体が横に吹き飛ぶ。
放り投げられた人形の様に横たわり動かなくなった。
「え……? 死ん、でる?」
こめかみから血を流して死んでいる暗殺者を見て、現実から急速に乖離していく感覚に襲われる。
――脅威確認。排除。
呆然とするラグナをよそに残った4人の暗殺者は一瞬で意志の疎通を確認。
動きだそうとする素振りを見せた直後。再び銃声と共に暗殺者の眉間に穴が開く。
しばらく周囲は音を無くし、割れた白い仮面が落ちる音だけが虚しく響いた。
ミストは青い顔をして震えながらも射手を見た。
長身の隻眼の男。年齢は30超えたあたりと見受けられる。
筒の様なものの先端を暗殺者たちに向けている。
「100メートル先の蝿でさえ撃ち抜くぞ。これ以上この森を荒らすというのであれば、刺し違える覚悟で来るがよい」
隻眼の男は陰鬱な口調でハッキリと警告する。
暗殺者たちは冷静に状況を見極める。あの筒の様なものから放たれる何かは暗殺者達が動くよりも早く目標に到達して死に至らしめる未知の武器だ。恐らくは気が遠くなるほど遥か昔に滅びた古代文明の遺物。今よりも遥かに発展した文明の生み出した武器ならば、下手に動くべきではない。そして、忘れてはならないのは自分達がジュバザ少将に命じられた任務は『ラグナ・マクレガーを始末して、鍵である少女ミスト・クリステンセンをフォッカー准将よりも先に確保する事』である。避けられる危険は避けるべきである。
残りの二人と視線を合わせ頷いた後、徐々に後退する。そして走り去りあっという間に視界から消えて行った。
3
「ここが、私の家だ」
進められるままにラグナとミストは家の中に入る。
相も変わらず陰鬱そうな口調で話す隻眼の男。ぶっきらぼうな口調はとても怒っていない様には見えない。目の前にいる男の得体が知れない以上、油断は出来ないが他に行く当てもない。気まずい沈黙が二人の精神を圧迫する。
「……ベンジャミンだ」
「は?」
「ベンジャミン・メルストン。私の、名前」
「えっと、ラグナ・マクレガーです」
「ミスト・クリステンセン」
つられるように名乗る。するとベンジャミンは戸棚を開いて塩漬けした肉や野菜を取り出し始めた。
「腹、減ってるだろう。今、作って……やる」
そういうと慣れた手つきで水の入った鍋に火にかける。そして野菜を切り、沸騰したなべの中にブチ込み、出汁の素を入れる。その間ポカンと口を開けたまま呆けていた。
どうやら本当にご馳走してくれるらしい。
威圧的ともとれる容姿にたどたどしい口調。どうやら人慣れしていないようだ。
「出来た。食え」
眼の前に置かれた鍋の中には煮え立った肉や野菜。ここ最近の野宿で体の芯から冷え切っているラグナとミストは一にも二にもなく貪り食った。
寒い所にいて急に温かいものを食べて二人の顔から涙と鼻水が垂れて来る。
温まったのは体だけではない。
エルニド自治区を出て、親しかった人達から理不尽な程の冷遇を受けた。
そんな中で、見ず知らずの人間にこんなに優しく接してくれる。
その事が本当に嬉しかった。
ベンジャミンはそんな二人の様子を少し離れた所で何も言わずに眺めていた。
4
レミンはコルトの様子を見るべく技術塔へと向かっていた。通った所で彼の回復が早く鳴る訳ではないが、それでもコルトの傍にいる事は自分の義務だと、レミンは考える。
一秒でも、一瞬でも早く彼に会いたくて速足で進む。
長い廊下を渡った先の自動扉が開く。そこでレミンは固まった。
無数の黒装束に白い仮面。ジュバザ・アハット少将直属の帝国軍の暗部部隊。
第9特殊連隊。通称『死霊の影』。
レミンが以前いた部隊でもある。
黒装束たちは手慣れた様子でレミンを取り囲み壁に押し付けた。
2、3発殴られ苦痛に顔が歪む。レムレースの1人が仮面を外し吐息が感じられるほどにレミンに顔を近づける。苦痛に歪んだ顔を眺めるのが楽しくて仕方がない、いった様子である。
「あら? あらあらあら? そこを行くのは裏切り者のレミンちゃんじゃなぁ~い」
粘液のように粘っこく、甘ったるい声で白々しく言う。脇のレムレースにレミンの両腕を掴ませ、長い髪をうなじからかきあげて優雅に振り返る。
女性であればそれなりに色気のある動作であろうが、残念ながら声の主は厚化粧で身長180を超えるマッチョな男である。
「久しぶり。相変わらず気持ち悪いね、ギラン」
反抗的な眼差しでギランを射抜くレミン。彼はそれが気に入らかったようで更にレミンの顔を殴りつけた。顔の痣が非常に痛々しい。
「口を慎みなさい。アハット少将に気に入られながらも裏切ったアンタをいつだって殺してやりたいと思っているのよ?」
「最初っからボクを嫌ってた癖に」
「当たり前じゃないのよ~。こんなに美しい私と言う者がありながら、アンタみたいなブスに愛する人の心を奪われた私の痛みが分かるっていうの? しかもなぁに、その格好? 男装なんかしちゃって。黒狗は御稚児趣味だったってオチ? あの戦闘狂に取りいる為にこんな格好してるわけ? バッカじゃないの~?」
「黙れ! コルトの事を何も知らない癖に! お前みたいなやつがコルトを貶めるな!!」
「……………、な・ま・い・き♪」
短剣を抜き、レミンの顔に切っ先を徐々に近づけていく。
「お仕置きしないとね♪」
ナイフの切っ先がレミンの頬に僅かにめり込み、血が少量滴り落ちたその時。
ギランの腕の肘から先が無くなった。否――正確には焼き斬られた。同時にレミンを抑え込んでいた両脇のレムレースが真っ二つに溶切されて声もなく息絶えている。
「え?」
切口を見てギランの眼が丸くなる。事態を飲み込むまで数秒の時間を要した。
「う、わああああ!! ぎゃあああああああああああああああ!!」
恐怖と痛みで絶叫するギラン。
「くくく、ははははは……」
巨大な太刀を肩に担ぎ。
攻撃的な眼は怒りにぎらつき。
顔に張り付いているのは嘲笑の欠片。
「コルト……」
帝国軍戦術魔導兵器『人造人間』部隊所属『黒狗』コルト・アサギリ。
最悪のホムンクルスである彼の乱入にレムレースは僅かに戦いた。
完全修復までは少なくとも後3日を要した筈であった。
それなのに、彼は獲物を値踏みようにレムレースを見据えている。
「黒狗ゥ~~~~~!!」
ギランは息切れしながら怒り心頭な形相でコルトを睨みつける。
コルトは鼻で笑って受け流した。
「オイオイ、カマ野郎。厚化粧がヒビ割れてきてるぜェ? 気持ち悪いから見せんなよ」
「こ、殺してやる! 殺してやるぞこのバケモノ!!」
レムレースが黒狗を取り囲みナイフを抜き放った。
「オイ、雑魚共よォ? 死にたいのかァ?」
「調子に乗るなよバケモノ! 今の貴様は未調整で威力の高い源流魔導は使えない! 精々熱で刃の斬れ味を底上げする程度だろう? それにな、いくらホムンクルスとはいえ頭が、核である聖霊石を破壊されたら死ぬだろう? そんな状態で我らレムレースに勝つ事など――」
一瞬で間合いを詰めギランの横にいたレムレースの胴体を真っ二つにした。
「くくく、御託はいいんだよォ。殺してやるからさっさとかかって来い」
「――――ッ! 死ねぇええええええ!!」
得意の連携を駆使して黒狗に斬りかかるレムレース達。
だが。
「ははは、あははははははは!!」
黒狗は笑いながら手当たり次第にレムレース達を一刀両断していく。
防御など意味を成さず。
まるで暴風の様に。
武器ごと力で強引に薙ぎ払う。
圧倒的な強さの前に誰一人として触れる事すら敵わない。
半時も立たない内にレムレース達の死体の山が出来あがった。
「ひ、ひぃ……ぎゃふ!」
ギランは恐怖のあまり腰を抜かし、顔を引き攣らせて後退する。
それを逃すまいとコルトはギランを踏みつけ、虫けらを見る様な眼で見下ろした。
「た、助けて! 助けて黒狗! わ、私達同じ帝国軍の仲間じゃない!」
「……バケモノ相手に命乞いかよ?」
「そんな! 冗談だろ、黒狗ゥ!?」
「ダメだコルト! そいつを殺したら君の立場はますます危く――」
「だったらどうしたァ! バラバラに、してやるよォ!!」
刀を振りあげてギランの首を刎ね飛ばす。頭部を無くした胴体は数秒間痙攣した後、力なく横たわる。
「こんなバカ共に絡まれてんじゃねェよ」
「コルト、なんて事を……」
「知った事か。先に仕掛けてきたのはこのバカ共だァ」
「でも、この人たちはアハット少将直属の部隊だよ?」
「くくく、あの豚の子飼かよ。道理でやり口がゲス染みてると思った」
「…………、完全修復まであと三日はかかるって聞いたけど?」
「ヘッ、オレをそこらの雑魚と一緒にするな。それよりよォ、レミン。鍵の女は今何処だァ?」
「え? ま、待って。ボク達はこの任務から外れ――」
「知った事かよォ! あの女は危険だ。あんなものが来たら帝国は消えちまう。そうなる前に――――消し炭にしてやるよォ。くく、ふ。ふふ。ははははははははははは!」