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第五話



質素ではあるがしっかりした質実剛健を旨とした部屋の応接室へと通されたミストは緊張で固まっていた。

円卓にはそれぞれ老人達が坐している。エルニド自治区の経済を回す役員達。その場にいる誰もが口を真一文字に引き締めている。


「ミスト・クリステンセン」

「はい」

「重ねて問うが、君が帝国のホムンクルスに襲撃されたというのは事実かね?」

「……はい」

「ムゥ……」


中心に座っていた区長は渋い顔で俯いた。

ホムンクルスの恐ろしさと凶悪さはエルニド戦役の際に嫌というほど思い知らされている。

もし、帝国が彼女を本格的に狙ってきたとすればとてもではないが自衛出来る範囲を超えている。そしてなによりも問題なのが、


「やはり余所者を迎え入れるべきではなかった!」

「余所者は追放すべきだ!」

「そうだ! 災いの種は刈り取らねばなるまい!」


他の者達は恐怖にひきつった顔で口々にミストを責め立てている。

罵りの言葉を受けてミストは打ちのめされ顔が上がらなくなった。

数名のまだ理性的な判断を出来る者たちは見ていられなくなり眼をそむけた。


「やめなさい」


区長が見かねて避難していた者達を制するが、彼らの気持ちも分からなくはない。

被害者を寄ってたかって突きまわす。事情を知らない者から見れば浅ましい事この上ない行為ではあるのだが、恐怖を乗り越えて平静を保てる人間などそうはいないのだ。


重苦しい沈黙がわだかまる。区長は咳払いをしてから口火を切った。


「クリステンセンくん。君の選ぶべき未来は決まっているのかね?」

「…………」


無言のミストに区長は疲れた様子で深いため息をついた。


「私たちは共和国に属しているが、今回の事件に関しては報告するつもりはない」

「――ッ、なぜ……?」

「この自治区は共和国から管理されず、エルニド人によって回されていることは知っているね?」


無言で頷く。魔導技術を提供する見返りとして、エルニド自治区の自治権は区長達に委ねられている事はこの地に暮らす者なら誰でも知っている。


「その弊害だよ。エルニドは我々の手で回している。逆に言えば、自治区で起きた事件はエルニドの人間が解決しなければならない。そうしなければ共和国に自治権を剥奪される口実になるかもしれない」

「…………」

「しかし、区長。今回の件は帝国の領土侵犯。報告はするべきでは?」


役員の1人の発言に区長は再び首を横に振った。


「いや、だからだよ。奴らはクリステンセンくんを攫おうとして、我々を殺そうとした。つまり帝国が求めているのは彼女の身柄。ならば共和国の上層部はこう考えるだろうね。『小娘1人差し出すくらいで戦争が回避できるなら』と」


帝国と共和国。

両国は一触即発の状態にある。帝国は聖霊石資源が豊富な共和国を狙っている。どんな些細な口実でも強引に戦端が開く口実とするだろう。

そして開戦すれば、帝国が勝つであろう。軍事力に差があり過ぎる。

より大きなものを守る為に、小さな犠牲もやむなし。

政治的判断とはそういうものである。


「……すまない」


区長の声は罪悪感で押し潰されそうだった。

子供をこんな方法でしか守れない自分に吐き気すら覚える。

大を守る為に、小を切り捨てる。最大多数の最大幸福。

守るべきものを守る為に今までもそうしてきたし、これからもそうするだろう。

だが忘れない。切り捨てられた小にとっては不公平で、酷く理不尽でしかない事を。


「すまない」


区長は重ねて詫びた。

犠牲の上に成り立つ安寧。その矛盾を突き詰めると結局は矛盾の堂々巡りにしかならない。

人類史上、未だかつてこれより最上とされる方法を見つけられてはいない。

遥か気が遠くなるような昔。今とは比べ物にならない程高い文明で栄華を極めた古代人たちはこれより良い方法を導きだしていたのだろうか。


「ミスト・クリステンセンを――エルニド自治区より追放とする」



「共和国で戦闘行為だと!?」


報告を聞いた将校の1人が激怒した。

当然である。ただでさえ、互いの国が緊張状態にあるというのに黒狗は火薬庫に火を放りこむどころか、花火工場で松明を振り回すような行為をやってしまったのだ。

開戦するにしても兵士の錬度向上。技術の練磨。軍備の拡大。装備の充実。

やるべき事は山の様に積み上がっているのだが、準備を前倒しにしなくてはならない。


「黒狗め……、面倒を起こしてくれる」

「奴の状態は?」

「はっ! 右腕部欠損。原因は聖霊石の最大共鳴による反動に肉体が耐えきれなかったと考えられます。現在、医療カプセルの中で再生治療を施しております」

「黒狗は『調整』を行っていなかったのかい?」


別の将校が訝しげに尋ねる。技術官はそれを否定した。


「いえ。黒狗。山猫の両名は任務の前に調整を受けており、問題は特には見当たりませんでした。考えられる理由としては――」

「――――シナリオを書き換えた?」

「そう考えるのが最も自然かと」

「『鍵』の娘の確保を急がねばなるまい。共和国との戦争が始まる前に」

「具体策はどうするかね?」

「鍵の少女には監視をつけてありますが、共和国の中心部に逃げ込まれると手が出しにくくなります。黒狗が敗れた以上、戦力の温存という意味でもホムンクルスの運用は控えた方が良いでしょう」



ホムンクルス部隊の顧問である将校フォッカー准尉の言葉に全員が静かに耳を傾ける。


「共和国内に潜入している暗部を使い秘密裏に鍵を奪取するのが得策かと」

「よろしい。後で詳細を計画書に記載して私に提出しなさい。楽園の為に!」

「「「「楽園の為に!」」」」



「君のお気に入りのホムンクルスは実に扱いづらい」


禿げ頭にメタボリックな腹を揺らして厭味ったらしい口調でフォッカーに言った。

ジュバザ・アハット少将。先ほどの会議に参加していた将校の1人。

そして今回の鍵の捕獲任務の部隊編成をしたのも彼であった。

彼は年若くして准将という高い地位に着いたフォッカーに敵愾心を抱いている。



「黒狗の行動は目に余る。取り返しのつかない事態になる前に処分した方がいいのでは?」

「言いたくはありませんが……、今回の件は少将殿の人選に問題があるのでは?」


鷹揚に言うジュバにフォッカーは落ち着いた表情で問い返す。


「ど、どういう事ことかね?」

「…………」


冷や汗をかきながら目を反らす。


「捕獲任務の実行部隊に本来、広域殲滅担当の黒狗を組み込んだのは何故?」

「そ、それは……」

「しかも、黒狗の過去を知る者なら彼をエルニド人である山猫と同じチームにするなど有り得ないことだ。私は前もって説明申し上げたはずです」

「し、しかし帝国の軍人である以上、個より帝国の利益の為に動かねばならないのではないのかね!?」


冷たい汗をかきながらも、鬼の首とったりと言わんばかりの様子で言う。

フォッカーの肯定の言葉にジュバに首を縦に振った。


「しかし、それは帝国軍人の場合の話です。お忘れですか? 彼らホムンクルスは軍人ではなく、人間を辞めた怪物なのです。その本質は人よりも寧ろ獣に近い」


相変わらず穏やかな表情は崩さずに。静かな口調で続ける。


「餓えた獣を御する方法は存在しません。ならば檻に入れて隔離して、適した状況で放てばいい。ホムンクルスを運用する上での基本です。重ねていいましょう。ホムンクルスは人間ではなく、人間を辞めた怪物です。そして帝国の走狗であり忠巡な道具でしかない。あなたはナイフで自分の指を切ったとして、ナイフを責めますか?」

「く……っ」

「わかったら二度と私の道具を勝手に使わないでいただきたい。それでは失礼いたします」


慇懃に敬礼をした後踵を返した。

暗く長い廊下をしばらく歩き、誰もいないのを確認してから立ち止まる。


「レミン」

「ここに」


誰もいない空間からレミンが姿を現す。


「黒狗の様子はどうだい?」

「……幸い一命は取り留めましたが肉体を構成している粒子が安定しません。しばらく戦闘は無理でしょう」

「ふむ。戦力は落ちるが、まあいいだろう。共和国との戦争に間に合えばいい」

「…………」

「なにか言いたそうな顔だね」

「あの……、さっきのコルト――、いえ黒狗を処分するという話ですが、」

「ああ、気にしなくていい。あの老害が勝手に言っているだけだからね。帝国としても莫大な予算を注ぎ込んだホムンクルスを簡単に手放す筈がない」


レミンはホッとした表情になる。直後、釘を刺す様にフォッカーの表情が厳しくなった。


「気を抜いてはいけないよ。あの老害は個人的に黒狗を敵視している。どんな裏技を使って彼を消しにかかってくるかわからない。例えば今、再生治療カプセルに細工を施すとかね」


ジュバは年若くして准将という高い地位に着いたフォッカーに敵愾心を抱いていると同時にホムンクルスを嫌っている。

帝国では人間である事をやめたホムンクルスを倫理的な面から忌諱する者は珍しくは無いが彼の場合は少し違う。黒狗個人に敵愾心を抱いていると言ってもいい。


「大丈夫です。それをさせない為にボクがついてるんです」

「はは、暗殺者の君には不要な忠告だったね」


ジュバが黒狗を蛇蝎のごとく嫌悪するきっかけとなった事件。あの頃を思い返しても何一ついい事などなかった地獄の様な日々。

そんな中でレミンはコルトに救われた。もしその所為でコルトが危機にさらされるなら、どんな汚い事もやってのける自信がある。

彼の傍にいる事。それが人間であるレミンがホムンクルス部隊に籍を置いているただ一つの理由。彼に敵対する者、危害を加える者には決して容赦しない。


「こういうのを古代文明時代の言葉でブッタに教えを説くというんだったかな」

「知りませんよ、そんな事」


レミンは転移術式を展開してコルトの元へと戻っていった。



「話し合いは終わったのかよ……?」


ラグナは重症で入院しているアイレスとサミュエルの様子を見終わった後、ミストの家に訪れていた。


「うん。……アイレスさんとマッチョさんは?」

「重症だけど命に別状はないみたいだ。お前は?」

「……………………」

「ミスト」

「…………追放だって」

「……クソッ、やっぱりか!」


ラグナは地団太踏み苦虫を噛み潰したような表情になった。


「おかしいだろ! 仕掛けてきた悪いのは帝国なのに、どうしてミストが追い出されなきゃならないんだよ!?」

「…………ごめんね」


ミストはラグナに心配かけないよう無理やりにでも笑顔を作る。

だがそんなミストの態度がラグナの神経を逆撫でした。


「お前はいつもそうだ。悲しいときほど諦めたように笑う。痛々しくて見てらんねぇんだよ!」

「どうして、ラグナが泣いてるの……?」

「うるさいこんなこと納得いってたまるか!! 区長達に文句言ってきてやる!!」


踵を返すラグナの手をミストが掴んだ。


「やめて。いいの、私は納得してるからいいの」

「なんでだよ!? 意味分からねえ!」

「このままここにいたら帝国がまた来る。そうなったら皆が危険に晒されるから。だから――」

「そんなの俺がなんとか――」

「ホムンクルス相手に何とかなるなんて言わせない!」


遮るように言った現実的に意見にラグナは言葉に詰まった。

実際彼は黒狗と呼ばれたホムンクルス相手に何も出来ずに敗北している。

エルニド自治区の中でも屈指の使い手であったアイレスですら負けたのだ。

ラグナは彼女の意見に反駁出来る材料を持っていない。


「いいのかよ……!」


絞り出す様に言うラグナの言葉にミストは黙って頷いた。

これ以上巻き込みたくない。


「クソォッ!!」


八つ当たりする様に家の壁を殴った。何も出来ない自分が歯がゆくて仕方がない。


「俺は納得しないからな!」

「納得しても、しなくても私には選択の余地なんてないの。分かって……」

「…………、勝手にしろ!」


ラグナは吐き捨てるように叫ぶと、走り去っていった。


去ったのを確認してから、自分の家に入り戸を閉める。

力が抜けたかのように座り込んだ。

膝を抱えて顔を埋める。


何故、今更帝国のホムンクルス達が自分を狙ったのか。

何故、レオンは帝国についたのか。

何故、こんなことになってしまったのか。

頭の中は混乱しきっている。


アイレス。

サミュエル。

そして、ラグナ。


「ごめん、なさい……」


自分の所為で傷つけてしまった人達。

温もりが涙と一緒に零れていくようだ。虚ろな苦しみの中で謝り続けるしか出来ない。

私の所為で――!


その事実が胸に刺さった。

アイレスは片手を切り落とされ。

サミュエルは顎を砕かれ。

ラグナは殺されかけた。


ごめんなさい、私の所為で――!


「う、あ……、ああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


嗚咽はやがて泣き声へと変わり、枯れる事のない涙は止め処なく流れ続けた。



翌日。

エルニド自治区を出て行く日がやってきた。ミストは洗面台で顔を洗う。

ふと顔をあげて鏡を覗き込んだ。一晩泣き明かした眼は真っ赤に腫れ上がっている。


「酷い顔だな、私……」


沈んだ表情からはそんな後ろ向きな言葉しか出てこなかった。


申し訳程度の路銀と荷物を手にして自治区の入口へと足を進める。

周囲から「疫病神」と陰口を叩きつけられ、体温のない冷たい視線に曝され、石も投げつけられた。

昨日までとても良くしてくれた人達が敵意を向けてきている。

心が折れそうだった。


出口で一度立ち止まり振り返る。


記憶がなく、行き倒れていたところを拾われた。

得体も知れない自分に名前と住居をくれて、学校にも行かせてくれた。

エルニド戦役で親友であるレオン・ナイトレイを失ったと思ったとき、根気よく励ましてくれた。

そして、一緒に思い出を作っていこうと言ってくれた唯一無二の親友。

結局怒らせたままで、仲直りは出来なかったのが心残りではある。


最後にもう一度だけ会いたかったな……。


未練を断ち切るように目を閉じて切り替える。

そして、深々と頭を下げた後、ミストクリステンセンはエルニド自治区を去っていった。

一度も振り返る事なく。



ここから一番近い街は街道を南下した所に在るテルミナだろうか。

その前に迷いの森の渾名を持つテルミナの森を抜けなければならないだろうが、順調にいけば三日で着く筈だ。

朝の街道。

色とりどりに咲く花や澄んだ川の音が旅人の疲れた心を癒してくれるのだろうが、ミストの心の暗雲は晴れる事は無い。

そのままかれこれ一時間ほど歩いただろうか。


「遅いぞミスト」


不意に声をかけられた。思いっきり聞き覚えのある声である。

顔を上げて目を丸くした。視線の先に立っていたのは昨日喧嘩したばかりの幼馴染。

ラグナ・マクレガーであった。


「な、なんで……?」

「あれから、考えた」


ミストと目を合わせることなく、独白の様に呟いた。


「大多数の為に小数を切り捨てる。区長達の判断はエルニド自治区を守る奴としては正しいのかもしれない」


ミストは何も言わず、ラグナの言葉に耳を傾ける。


「けどよ、だからってそれで全部解決するなんて俺は思いたくない。大多数が助かるったって、斬り捨てられた小数の奴を大切に想う奴がいるならさ、そいつは大切な奴の為に動くべきなんだよ」

「……だからって、なんで来るのよぉ……」

「俺はお前の味方でありたいんだ」


確固たる意志を持った宣言。

ラグナの眼は絶対に退くものか、と語っていた。


「さて、それじゃあ行くか。モタモタしてると日が暮れてしまう」


ミストの頭を撫でてからラグナは踵を返す。


「どうして……」


俯いたまま質問を繰り返すミストにラグナは照れくさいのかソッポを向いたまま言う。


「約束しただろ? 何年経っても一緒にいようって」


その言葉に想わす背筋が伸びた。


約束、思い出してくれたんだ……。


自分にも味方がいる。傍にいてくれる人がいる。友達がいる。

その実感は何とも心強いものか。


零れそうになった涙を乱暴に拭い、満面の笑顔で傍らに駆け寄っていった。


こうしてラグナとミストの日常は唐突に終わりを告げる。

だが、それは同時に新たな日常の始まりでしかない。

2人の行く道は決して楽なものではないだろう。

だが、それでも彼らは進むだろう。

前に進む意思がある限り。


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