第四話
1
アイレスの全身に眩い雷光が纏わり付き堪らず倒れた。
それを見下ろすのはかつての弟子である帝国のホムンクルスである『山猫』レオン・ナイトレイ。
「師匠……」
憐憫を込めてそう呟く。
アイレスが勝てる可能性などゼロである事は対峙した時から分かっていた。
彼は先の黒狗との戦闘で利き手を奪われて既に衰弱しきっている。
最早立っているだけでも精一杯だったのだろう。
そんな状態でレオンの源流魔導『雷』をまともに受けたのだ。
死ななかっただけでも驚愕に値する。
「ぐ……、ぬぅ……!」
それでも必死に立ちあがろうとするが、体が言う事を聞かない。
当たり前である。そんな精神論で絶対的な力の差を埋められる筈もない。
だが、
「ぬ、う、うううううううううううううううううううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
剣鬼は立ちあがる。大切な人達を、ただ守る為に。
「…………、師匠。お願いですからもう立たないでください。利き腕を斬り落とされた状態では貴方に勝ち目などありません」
「そうはいかぬよ。あの狂犬がエルニド戦役の様な悲劇を再び繰り返そうとしておる。ならば、ワシの選ぶべき道は1つじゃよ……」
「死ぬまで戦う気ですか?」
アイレスは無言。だが、彼の眼はレオンの言葉を肯定していた。
左手になけなしの魔力を込めた剣を固く握りしめレオンに斬りかかる。
金属と金属の衝突する音が響き、刃に言葉を乗せて語り合うように斬り結ぶ。
2人の剣の型はよく似ている。
幼い頃から才能を見出し、鍛え上げてきた。
熱した鋼を打つように体を、剣技を、そして何よりも心を何度も何度も何度も何度も叩き上げ続けてきた。強くて、粘りのある鋼のような心を持ってほしくて。
明日が来るのが楽しみだった。
日に日に強くなっていく弟子たちの姿を見るのが本当に嬉しかった。
人生を乗せて打ち込んでくる一太刀が重い。
負けじとレオンは雄叫びをあげて切り返す。
「幸い私達の姿を見た者はそこの大男とラグナ、そして貴方だけです! 貴方がこれ以上抵抗しないというのであれば、あの二人を捕虜として手厚く保護する事を約束します!」
「……信用、出来る筈……なかろう……!」
「信用できないのは分かっています。それでも敢えて言わせて貰いましょう。私を、信じてください」
鍔競り合う剣が火花を散らす。
言葉の真偽を確かめるようにアイレスはレオンの瞳を覗きこんだ。
彼の眼は荒んでいても、決して腐ってはいない。
「黒狗の暴走は私が止めます。大事な弟分を死なせはしません」
「…………そこまで言うのなら何故、お主は帝国についた……?」
レオンの宣誓にアイレスは静かな怒りを隠さずに問いかける。
彼には帝国を恨む理由があっても、帝国に与する理由がない。
場合によっては親友を殺さなければならないというのに。
一体自分が知らない5年間にレオン・ナイトレイに何があった?
しばらくの間、互いに沈黙。レオンは瞳を閉じて逡巡したあと、ゆっくりと瞼を開きアイレスを真っ直ぐに見据えた。
「そうする必要があるからです。未来を消させない為に――」
声を荒げず静かな口調でそう答える。
例え裏切り者と呼ばれようとも、この選択に悔いはない。
「ミストはこの世界の未来を救う為のカギなんです」
「どういう――ッ! いかん! 早くトドメを刺せ!」
2
「マッチョ先輩!!」
殴られたサミュエルが宙を舞った。
吹き飛ばされ派手な音を立てて巨体が地面に叩き付けられる。ラグナの顔が青ざめた。
まさか、死――
そんな考えが脳裏を過った瞬間、僅かにサミュエルが呻いた。
安堵の息を吐く。そんな様子を黒狗は相変わらずの嘲笑を張りつけたまま見続けていた。
「モノになるまで5年、いや3年後くらいか? お前の周りの人間を殺す黒狗の名を忘れるな。憎んで憎んで憎み抜いて、手足の1、2本無くして泥水を啜ってオレを殺しに来いよ。ハハ、ハハハハハハハハ!!」
頭が沸騰しそうになった。
眼の前の男の相手を嘲る表情も。
挑発的な言葉も。
人の命を何とも思っていない様な残忍な眼も。
何もかもが不愉快だ。
ラグナは短剣を構える。こんな奴に屈したくない。
ミストを守る。今度こそ――
レオンを失ったと思った時の無力感は今でも覚えている。
理不尽に奪われるのは、もう嫌だ。
エルニド戦役の時の様な思いをするのはもうごめんだ。
胸を押し潰される様な思いは、もうしたくない!
「ダメ! ラグナ、逃げて!」
「嫌だ!」
「殺されちゃう!」
「うるさい! 絶対に守るんだ! 今度こそ!」
客観的に見てラグナに勝ち目はない。彼の行動は蛮勇と称されるものだ。
時としてそれは状況打開の切掛けになるが、今この場においては何の力にもならない。
「ふふ、はははは。互いを庇いあう男と女。美談だなァ」
「黙れ!」
「ククッ、黙らせてみろよォ」
一歩。
また一歩。
近づいてくる黒狗にナイフの切っ先を向ける。
ナイフを握る震える手を見て黒狗は眼を細めた。
そして、もう一度ラグナの眼を見る。
圧倒されそうになるが、それでもラグナは黒狗を睨みつける。
「……コイツ、ムカつくなァ」
一息で黒狗とラグナの間合いがゼロになる。
「コレを、どうしたいんだァ?」
「う、あ……」
手を掴まれて恐怖で慄く。
だが、黒狗はそんな事は意にも介さない
ゆっくりと自分の胸にナイフの切っ先を運んで行く。
「やめろ!」
「ハハハハ……」
「やめてよ、コルト!!」
「レミン、テメェは引っ込んでろ!」
――ずむり。
切っ先は皮膚の壁を突き破り、肉を貫き、内臓に達していく。
――刺した。
――刺した?
――サ シ タ ?
剣は習っていたが、人を傷つけたいと思った訳ではない。
初めて人を刺した。
手に人を刺した感触が残る。
気持ち悪いものがハラワタからせり上がってくる。
堪らず膝を折り、その場で嘔吐した。
そんなラグナの様子を黒狗は蔑むように見下ろした。
「何かを守ろうってのに、相手を殺す覚悟すらねェ。
ククッ、そういう中途半端がよォ――」
それを黒狗は容赦なく蹴り踏みつける。
「ムカつくんだよォ!!」
何度も何度も踏みつけて痛めつける。
激しい怒りを隠すことなくひたすら相手を蹂躙する。
「やめて! お願いやめて!!」
ミストの悲鳴の様な懇願も耳には届かない。
「どうして、どうしてこんな酷い事を……!」
「どうして――? 今『どうして』って言ったか?」
グルリと首を回してミストを見据える。
怒り。悲しみ。虚しさ。憎しみ。
嘲笑という仮面が剥ぎ取られ、この世のすべての負の感情を煮詰めた『悪』その物だった。
「オレの気が済むから、それだけさァ! お前達エルニド人は人間なんかじゃねェ! オレ達ホムンクルスと同じ人の皮を被ったバケモノだァ! 殺してやる、1人残らず! お前等エルニド人を皆殺しにしてやるよォオオオォォォォッ!!!!」
感情のままに荒れ狂う憎悪の声。
そして、黒狗は殺意に満ちた眼で足元に転がっているラグナを見下ろした。
息が荒い。血塗れになった体は立つ事すらままならない。
だが、それでもその眼には微かな光が灯っていた。
お前なんかに負けるものか。
ラグナの眼はそう語っている様に見える。
「もう殺す」
黒狗は静かにそう宣告すると、体内に埋め込んである高純度聖霊石にありったけの魔力を注ぎ込む。術式を展開して球体を形作る炎の紅い外炎が青白く変化していく。
今までとは比較にならない熱量。
風に乗って運ばれる熱波にミストは思わず顔を背けた。
「コルト!」
「下がってろ、レミン! 巻き込まれるぞッ!」
圧倒的な死の気配。
あんな物を受けたらラグナは骨も残らず焼き尽くされだろう。
「やめろ、黒狗! 指令を忘れたか!? 『生きたまま確保』するんだ!」
「知った事かッ!」
「黒狗!!」
レオンの諌言も、指令という言葉も何の意味を成さない。
そこに在るのはただ、『破壊』する事に拘る『バケモノ』の姿。
禍々しい炎を前にしてミストの思考は断片的になっていった。
死ぬ。
誰が――――ラグナが。
どうやって――――あの炎に焼かれて。
助ける方法は――ない。
助ける方法は――――ない。
助ける方法は――――――…………あのホムンクルスが死ねば……!
どうして、どうしてこんな事をするの?
あなたはどうしてこんな酷い事を笑って出来るの?
あなたは私達に酷い事をするのが楽しそうだけど、私達は生きてるんだよ?
ちゃんと、生きて笑って泣いて怒って喜んで。
そんな些細な事を大切にしているだけなんだよ?
なんでそんな大事なものを壊して嬉しそうに笑ってられるの?
どうして苦しくならないの?
どうして――――…………、………憎い。
ラグナを殺そうとする、あの男が――――憎い。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い
大事なものを壊そうとするあんな奴……、消えてしまえ!!
「ダメだ、黒狗! それ以上追い詰めるな、書き換えられるぞ《・・・・・・・》!!」
「知った事か、消えちまェよ!!」
黒狗が青白い炎の塊をラグナに目掛けて落とそうとしたその時――
コルトの右肩から先が粉々に砕けた。
「あ?」
信じられないものを見たかのように眼を見開いた。
「が、あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
この場において誰よりも強いホムンクルスの絶叫が夜闇に木霊する。
砕けた部分が再生しない。それどころか砕けた部分から徐々にヒビが広がり肉体を構成している粒子が拡散していく。
「コルト、しっかりして! コルト!!」
レミンがすぐさま倒れて痙攣するコルトに駆け寄り解析術式を展開する。
それをフォローするようにレオンはアイレスを牽制した。
「レミン、黒狗の状態は!?」
「拙いよ、自己再生が出来ていない! 体を構成している粒子が収束出来ていないんだ……! このままじゃコルトが……」
最後の言葉は出てこない。
その言葉を口にしたら現実になってしまいそうで怖い。
「どうしよう……、コルトが……いなくなったら……僕は、ボクは…………私は……!」
また独りになってしまう……!
「しっかりしろレミン!!」
レオンの喝にビクリとレミンの体が震えた。
「コイツの核となる聖霊石は無傷だ! まだ間に合う! 現時刻を以って任務は中止! 直ちに負傷者を回収して引き上げる!」
「了解!」
ダメージの影響で錯乱するコルトを抱き上げてレミンが展開してあった転送術式に走る。
チラリと倒れているラグナを見た。
本当ならこれから起こる事の為に、ラグナを此方側に引き込みたかったのだが黒狗がこうなってしまっては仕方がない。
まあ、いい。まだ猶予はあるのだから、今は大人しく退くとしよう。
転送術式の入り口に乗り転移しながら、もう後戻りできない事を噛み締めた。
3
「ひとまず、全員無事じゃな……」
「全然無事じゃないですよー。体中が痛くて痛くて……」
「その程度でどうこうなる様な鍛え方はしておらんつもりじゃがのう」
師匠の言葉に空いた口が塞がらなくなった。
確かに、ドSの師匠のお陰で体の頑丈さには自信がある。
『オラ休むなお嬢様! 止まったら逆さ吊りにして肥溜に突っ込むぞ!』
『サーイエッサー!』
『声が小さい、タマどっか落としてきたのか!?』
『サーノーサ―!!!』
『ふざけるな! 誰が倒れていいといった!? 起きろ起きろパンツ上げ!!』
『サーイエッサー!!!』
やめよう。今思い出すと吐血して死にそうだ。
「マッチョ先輩は?」
「顎が砕けておるだけで死んではおらぬよ」
「師匠の腕は?」
「ふむ。これは仕方あるまい。今はそれよりほれ、女子が泣いておるぞ」
師匠の視線の先でミストが泣いていた。
レオンの事。あの黒狗とかいう危ない奴の事。ミストの事。
分からない事は沢山あるけど、ホムンクルスに襲われて全員生きているって事は運がいいんだろう。襲われてる時点で運が悪いとか言っちゃいけない、凹むから。
痛む体を起してミストの所へ足を進める。
どうやら血塗れというバイオレンスな見た目に反してそれほど重傷という事ではないらしい。
「ラグナ……」
「無事だったか?」
「…………、うん。私は無事……だったけどラグナが……」
「まあ気にすんな」
「気になる! 私なんか放っておいて逃げればよかったのに……!」
「ハッ、バーカ。そんな選択肢はじめからなない!」
「どうして……!」
「そんなのに理由なんざ必要ねえだろ。俺は俺のやりたいようにやっただけだよ」
本当の理由は言葉に出せない程恥ずかしい為絶対に言わないでおこう。
今決めた。そう決めた。
騒ぎを聞き付けて徐々に人影が麓に集まってくる。
遅すぎんだよと思うの半分、あいつらに見られなくて良かったと思う気持ち半分。
フウ、と溜息をついて気持ちを切り替えた。
これから自分が選ぶべき道が、いや自分がどうしたいのかはおぼろげだが分かる。
だが、今は何も考えずに休みたい。
明日になれば嫌でも残酷な現実と向き合わなければならないのだから。




