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第二話



発光聖霊石に魔力を込めて夜闇が光に照らし出される。

そのままミストはベッドに倒れ込んで枕に顔を埋めた。


「…………」


ラグナが約束を覚えていなかった事に憤りを覚えていた――いや、悲しかったという方が的確だろう。

ミスト・クリステンセンには7歳以前の記憶がない。

親に捨てられたのか、両親と死別でもしたのか気付いた時にはエルニド領内に行き倒れていた。

『ミスト・クリステンセン』という名も記憶を失い、彼女に便宜上名付けられた仮の名前。

過去と言うバックホーンがない以上、仮初のものを剥ぎ取ってしまったら、彼女には何も残らない。

過去というものが人間を形作るとしたら『ミスト・クリステンセン』という人間は空っぽになってしまうのではないだろうか。

そう思うと不安で、人間関係に一歩踏み込めなかった。

身寄りがなく、得体の知れない自分を受け入れてくれた大好きな人たち。

優しい人達に対して線引きしてしまう自分が嫌いで嫌いで仕方がなかった。


そんな出口のない苦しみにのた打ち回っていると、決まってラグナとレオンが外へと連れ出してくれた。


他愛のない会話。三人で暗くなるまで沢山遊んだ。


一歩踏み込む事の出来ないミストに対してラグナとレオンはいとも簡単に境界線を乗り越えて手を取ってくれたのだ。

一緒に遊ぶ内に感じていた隔たりが溶かされていった様な気がした。

ラグナとレオンに長年抱えてきた悩みを打ち明けると彼らは軽く笑い飛ばし、レオンは「空っぽなら詰め込んでいけばいい」と言い、ラグナは「これから何年経っても、この日は三人で過ごそう。そうすりゃこれから『ミスト・クリステンセン』の思い出を沢山作っていけるだろ」と言ってくれた。

そんな些細で、それでいて大きな事がどれだけミストには嬉しかっただろうか。

彼らの言葉を思い出すと、今でも心が温かくなる。

だが、ラグナは忘れてしまっていた。

レオンがエルニド戦役で殺されてしまって、『約束の日を三人で過ごす』という約束は叶わなくなったが、それでも毎年ラグナはこの日ミストと一緒に過ごす事を忘れなかったというのに。

自分にとって大事な事だったのに、忘れてしまったのか。

約束を忘れてしまっていたラグナに憤りを感じていると同時に自分にも憤りを感じている。

そんなに大事なら自分から打ち明ければ良かったのに、彼女は怒るだけで自分からアクションを起こしていない。

求めるだけで自分からは何もしない。

子供の頃の約束にただ縋るだけで、ラグナに甘えるばかり。


このままではダメだ。


ミストはベッドから跳ね起きて顔を洗う。


話さないで分かって貰おう、という考え自体が我儘なのだ。

ラグナと一緒に過ごしたい。子供の頃、ラグナが軽い気持ちでしてくれた約束が自分にとって大切なものならばラグナにその事を伝えて自分から傍に行けばいいだけの話なのだ。

黙っていても伝わる絶対的な絆。

それは確かに美しく見えるのかもしれない。

だが、それは見方を変えれば相手を『絆』という『柵』で縛りつけているだけなのだ。


それは違う。

ミストの望んだものはそんな物ではない。

一緒居たいと願うのなら、『絆』を結び続けたいのなら。

互いに一緒にいる為に、常に歩み寄り続けるしかない。

近づいては離れて行く水面の木の葉のように、『絆』とは常に変化し続けるのだから。


怒った事を謝って、約束を忘れた事を謝って貰って、わだかまりをなくしてからいつも通りラグナと一緒にいよう!


そう決めて扉を開けて外へと一歩踏み出したその時。


《もうすぐだよ、ミスト……》

「…………え?」


誰もいない筈の背後から声をかけられた。

低く、冷たい。それでいて何処か懐かしい声。

ミストは驚愕して反射的に振り替える。

彼女の背後にいたのは影が人を象ったような白い虚像。


「誰……?」


悲鳴を辛うじて呑み込んで恐る恐る尋ねた。

白い影はミストの問いに答えずにそのまま言葉を繋ぐ。


《……もうすぐ、もうすぐ……君に会える……》


それだけ言って白い影は霧散してしまった。


一体何だったのだろうか……?

今のは白昼夢?


まるでキツネに摘まれたような出来ごとにしばらくその場を動く事が出来なかった。



魔導の使い手同士の闘いの基本は白兵戦だ。

聖霊石で鍛えた武具に魔力を流し込み強度、斬れ味、魔導属性付加などでアドバンテージを握る事があってもその根底は変わらない。

単純に魔導の撃ち合いをしても、彼我の魔力量に差がない限り決着がつかないからである。

だからこそ魔導を戦闘に使う者達は須らく優れた武技の使い手でなくてはならない。


黒狗は床を蹴り、地を這う様な低い体勢から一気に上空へ跳ねた。

空中で反転して大太刀が迸る。

黒狗の大太刀とアイレスの直剣が受けた。

魔力を込めた剣同士が反発して弾き飛ばされる。

黒狗は後方へと飛び退き、再び刀を構えた。


「まだまだァ!!」


狭い道場内だというのに構わずに巨大な太刀を振り回し連続で斬りかかっていく。

一撃一撃を必殺と呼ぶに相応しい程の重い攻撃にアイレスは歯を食いしばった。


アイレス・ニーソンは共和国騎士団の中で最も優れた騎士だった。

並の実力では入団すら許されない騎士団の中でも『剣鬼』の二つ名をつけられる程に。

だが、彼はもう若くはなく、動きも全盛期に比べると遥かに落ちる。

対する黒狗は本来不利である筈の長刀での狭い室内戦闘にも関わらず勢いに任せて邪魔するものはすべて薙ぎ払い迫ってくる。

体を旋回させ隙だらけの背中を晒す。

アイレスはチャンスとばかりに一歩踏み込もうとするが寸での所で留まった。

足を狙った黒狗の太刀が空を斬る。

もし、一歩踏み込んでいたら斬り飛ばされていただろう。

アイレスの背筋が寒くなる。

命のやりとりの場で自分の命を囮に此方を殺しにかかって来た。

笑いながら、いとも当然のように。

防御を捨てた攻撃一辺倒の剣技。

防御の為の一手を攻撃につぎ込む捨て身の突撃。

殺されない為には攻撃の一手を守りに回すしかない。

攻撃と防御。極端に、それでいて見事な均衡が出来あがった。

黒狗の攻め手はどんどん速く、力強くなっていく。

腕の骨が悲鳴を上げる。受け方を間違えれば折られてしまうだろう。

斬り結ぶたびにアイレスは後退を余儀なくされた。

黒狗の純粋な戦闘能力はアイレスの上をいっている。

守ってばかりでは数刻も経たない内にこのバランスは決壊してしまうだろう。

アイレスは思う。

これは拙い、と。


右右左上右左左左下上左。

黒狗は高い身体能力に任せて斬りつける。

アイレスは巧みな剣捌きでコルトの太刀筋を偏向していく。

殺し合いの中でも黒狗はひたすら狂ったように笑う事をやめなかった。


生きるか死ぬか。

殺すか殺されるか。

ギャンブルはレートが高ければ高いほど楽しいものだ。

黒狗にとって自分の命すら殺し合いを楽しむ為のチップでしかない。

正気の沙汰ではない。

だが、その狂気こそ黒狗――コルト・アサギリが最悪のホムンクルスと恐れられる所以だった。

袈裟に斬りつけアイレスの防御を力任せに抉じ開ける。

返す手で左腹部を狙った。

アイレスは下手に避けようとせず、敢えて踏み込む事でやり過ごす。

コルトの腕とアイレスの手首が激突した。

弾かれた様に互いに間合いをとり仕切り直した。


「ククッ、ハハハハハハッ! 楽しいなァ、最高だァ!」


右手に刀を持ったまま左手で顔を覆い狂笑した。


「若きホムンクルスよ、お主の目的はなんじゃ?」

「オレ達の目的ィ? ククッ、簡単な事さァ、本国よりさる重要人物の確保を命じられている」

「さる人物……?」

「標的の名は『ミスト・クリステンセン』」

「――――ッ!?」

「ハハハッ、顔色が変わったなァ! 知り合いかァ!?」

「あの子をどうする気じゃ!?」

「さあなァ。実動部隊のオレが本国の考えを知る必要はねェ。人体実験の素体にされるんじゃねェの? 奴らホムンクルスの臨床検体テストボディとしてはアホみたいに優秀だからなァ。ククク、ハハハハハッ!」

「――――ッ、血も涙もない悪鬼共め!!」


烈火の如き怒りを見せるアイレスに黒狗は嘲笑で返した。


「ククッ、ハハハハハハハハ! 何言ってんだ? オレ達ホムンクルスは涙を流さない。血も流れていない。なにせ『バケモノ』なんだからなァ! 話は終わりってなわけでェ……消えちまぇよ、剣鬼アイレス!!」


そして再び刃が激突する。

ぶつかり合い、回転して、打ち合いを続ける。


認めよう。

自分では眼の前の狂犬を倒すには力不足である、と。

だが、アイレスは負けるわけにはいかない。

出来の悪い弟子である『ラグナ・マクレガー』の親友である彼女を。

エルニド戦役の戦火から守り切れなかった『レオン・ナイトレイ』のように死なせたくはない。

あの笑顔を眼の前の悪鬼に壊させる訳にはいかない。


聖霊石同調。

魔力流入。

術式展開。


受け手とは別の無数の刃が黒狗を襲った。咄嗟に蜻蛉返りをうって攻撃を避けようとするが、物量が速さを上回る。

黒狗の左腕は肘から斬り落とされ、腹部を深く斬り裂かれた。


「ハ、ハハ……。それがテメェの術式かよ……」

「左様。『万華鏡』……。これがこの術式の名じゃよ」


万華鏡。

アイレスの最も得意とした魔導術式。

源流魔導の様な派手さは無いものの、一振りで幾重にも重なる斬撃を発生させ、敵を惑わし切り刻む様は驚異の一言に尽きる。


黒狗は片膝を着いた。

いくら黒狗の戦闘能力が優れていようとも右腕だけで『万華鏡』を使ったアイレスに勝てる道理はない。

アイレスは勝ちを確信した。だが、


左碗部損傷確認。

損傷部分解。

修復まで残り3秒。


「……ハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」


黒狗が笑うと床に落ちた左腕は消えていく。

同時に光る粒子が左肘に纏わり付き、集束して輪郭を形成。

腕の再生を確かめるように開閉して動作を確認した。

アイレスの表情が驚愕に染まり、思わず一歩引いた。


「面妖な……!」

「言ったろ、バケモノだってさァ。けどなァ痛覚は残っているから、痛ェモンは痛ェんだ。だからよォ……楽に死ねると思うなよッ!」


黒狗は憎悪に顔を歪ませて聖霊石に魔力を注ぎ込み術式を展開する。

太刀を覆っている魔力を紅蓮の炎へと変換した。

怒りに呼応するように炎が猛り狂う。


長らくこのような感覚を忘れていた。

根源的な恐怖心。

アイレスの士気が挫かれそうになる。


帝国のホムンクルスは未だに机上の空論とされている源流魔導を行使する。

エルニド戦役で大量の犠牲を払って手に入れたホムンクルスのスペック情報だった。

眼の前のホムンクルスが扱う源流魔導の属性は『火』。

源流魔導には5つの属性が存在する。

『水』『地』『雷』『風』『火』。

『火』は5つの属性の中でも最高の攻撃力を持ち、破壊活動に特化した属性。

まともに立ち向かえば途端に灰燼とされるであろうが、勝機はある。

火は破壊活動に特化し過ぎるあまり隠密性に欠ける。

エルニド戦役で使用したような大掛かりな力は使えない筈だろう。

彼らの行っているのは共和国に対する領土侵犯。

ここで騒ぎを大きくするという事は緊張状態にある共和国と帝国の戦端を開くという事他ならない。

だが、


「消えろォッ!!」


遠間から刀を振り下ろし、走った炎が道場内に広がり退路を絶つ。


「なっ!?」


炎に包まれアイレスは驚愕した。

眼の前のこの男は事態の隠蔽の事を欠片も気にしてはいない。

恐らくは自分を見た物は悉く抹殺するつもりなのだろう。

狂った思考に歯噛みする。

その間隙を縫うように、黒狗は間合いを詰めて突きを放った。

アイレスは上半身をずらしてやり過ごす。右足を軸に回転し、アイレスの右腕に押し当てた。


「腕ェ……、貰うぜェッ」


いかん!


そう思った時にはもう遅かった。

押し当てられた刀身は滑りアイレスの右腕が手首一つ分、短くなる。


「ヌウウウ!!」


切り落とされた腕は黒狗の刀が帯びた炎で燃えていく。

血のでない切断面を押さえて二、三歩下がった。

その様子を見て黒狗は余裕の笑みを浮かべている

勝負あった。

最早アイレスにこの窮地を乗り越えるだけの体力は残っていない。

しかし。

このままでは終われない。

例えこの先あの子供達を守り続ける事は出来ずとも、彼らにこの危機を知らせなくてはならない。

それが敵わないならせめて。

この悲劇を生みだすだけの怪物を――


『なんだ!?』

『燃えてる!? オイ、誰かありったけの水を持って来い! 火事だ!』

『先生は!? アイレス先生は無事なのか!?』


外からの喧騒が2人の耳に届く。


「オイオイ、騒がしくなってきたなァ。始末する奴らが次から次へと増えて大忙しだァ」


そう言いながらも、黒狗は嬉しそうだ。

殺せる事が楽しくて仕方がない。

彼の口調はそう語っていた。


アイレスの顔が青ざめた。

外にいる者達に黒狗の姿を見せる訳にはいかない。


残った力を振り絞り聖霊石に魔力を込めてまだ人のいない裏口の扉を破る。

そのまま裏庭の森へと逃走した。

黒狗が戦闘狂なら表の無抵抗な人々よりも狩り甲斐のある獲物を選ぶであろう。

そう信じて、アイレスは自らを囮に使う。


すまぬな、アイラよ。


共和国騎士としての任を全うしている経った1人の肉親である孫の顔が脳裏に過る。

剣技を仕込む意外に祖父として何もしてやれなかった。

しかし、元であるが、先祖代々から続く騎士の誇りにかけて。

無抵抗な人々の楯となるべく最期まで戦う。


誇りと情を無くしてしまえば、騎士は殺人者と成り下がるのだから。



「……逃げたか」


崩れ始める建物の中でコルトは呟いた。

コルトは炎で死ぬ事は無いが、このまま倒壊に巻き込まれれば身動きが取れなくなる。

早めに脱出しなければならない。


「ククク……、そうだァ逃げろ……。ふふ、ふふふ……はははははは……」


このまま外にいるエルニド人共を殺すのもいいが、逃げた剣鬼を追うのを優先させる。

コルトの『真の目的』を達成させ為には、逃げたアイレス・ニーソンをこのまま泳がせる必要がある。


任務内容を態と漏洩して(・・・・・・)、アイレス・ニーソンを殺す一歩手前まで追いこんでから逃がす。


ここまでは驚くほど上手くいっている。

後は対象と接触してしまえば、


「さて、オレも向かうとするか……」


それだけ言って身を翻して姿を消した。



夜風に吹かれ寒さに身震いをした。

先ほど起きた不思議な出来事を『幻覚だ』と自己完結してからミストは足早にラグナの元へと向かう。

さっきから妙な胸騒ぎがする。早くラグナに会いたい。

確証はないが、ラグナの顔を見れば自分の中に蟠る不安を拭ってくれるような気がした。


「久しぶりだな」


背後から掛けられた声に彼女の足がピタリと止まる。

心臓が掴まれた様な感覚に襲われた。

ゆっくりと。

ミストは声が聞こえた方向を振り返る。

そこには金髪の小柄な少年と黒いフードを目深に被った長身の青年が立っていた。


「……………………誰?」


ミストは彼らに見覚えのない事を確認してから恐る恐る尋ねる。

すると長身の青年が肩を竦めた。


「まあ、5年ぶりだからな。声だけで分からなくても無理はないか」


そう言って長身の青年は被っていたフードを脱いだ。

眼を見開く。その顔は見間違えようはずもない。

無造作に長く伸ばした赤毛を縛り、端正で品のあった顔つきは苦労をしたのか少し頬がこけている。

二度と会えないと思っていた懐かしい友との再会にミストは嬉しさのあまり涙を浮かべた。



「レオン……? レオン・ナイトレイ!? 生きてたの!?」

「ああ。改めて……久しぶり。元気だったか、ミスト?」



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