第一九話
1
「お見事です。初めてであそこまで正確な射撃を見せていただけるとは、正直思っていませんでした」
「ふふ。当然だよ君ぃ。狩猟とは貴族の嗜みだよ」
操縦手――ホルスの賛辞に戦車長と砲手を兼任していたイアウォイは機嫌よさげに笑う。
「死んでいるでしょうか?」
『黒狗』の雷鳴を知っている副砲撃手――グスタフは不安から沈痛な表情を浮かべるが、イアウォイはそれを鼻で笑った。
「死んでいるであろう。仮に生きていたとしても、あれだけの砲撃を受けて無事でいられる人間などおらんよ」
この程度で『帝国最強』とは笑わせてくれる。それとも、この戦車が強すぎるだけか。
粉々に吹き飛ばしたエントランスを見て自身が持った力の強大さを認識する。
帝国最強と目されるホムンクルスですら一撃の下に跡形もなく葬り去ってしまうとは。
これが力。これこそが最強の――
堪えていても笑いが込み上げてくる。
イアウォイとしてもこの威力は予想以上であった。
この『戦車』さえあれば、帝国を手中に収めることなど、造作もない。
「もっと、もっと……。ホナーディ商会からコレを買い揃えて数年後にはこの国を手中に……」
背後で堪えきれない笑いを漏らすイアウォイを他所にホルスは強化ガラスを張ったスリットから周囲の視認を続ける。
あれだけの威力の榴弾をまともに喰らい、生きているとは思えないが、自分たちが敵にまわしているのはあの最強と名高い怪物なのだ。警戒はしておくに越したことはない。
「…………む?」
舞い上がった土煙の中で僅かになにかが動いた。
「どうした?」
「いえ、何かがいた気がして……」
「ほう? 流石は帝国の魔導技術の粋を集めて作り出した不死身のバケモノだ。存外しぶとい」
疎んじる言葉とは裏腹に、嬉々とした表情で次弾を装填する。
その様はさながら新しい玩具を手に入れた子供のようである。
極上の獲物を探し求めキャタピラーが地を進む。
やがて収まりかけていた土煙の中にはっきりとした影を視認する。
砲塔を回して、大まかな照準を合わせる。そうしていつでも撃てるようにトリガーを握りしめた。
赤く眩い弧月が闇を照らす。
筋繊維の糸で辛うじて繋がっている左腕は地面に引き摺られ、やがて千切れた。
顔は右半分の頬から下顎まで抉れ、眼球は衝撃で破裂している。
折れた足は180度回転しながらも、その歩みを止めはしない。
血が一滴も流れない体は、アレが人間ではないことを物語っていた。
「バケモノめっ!」
狙いを定めて、トリガーを引く。砲撃はコルトの耳を掠め、引き千切り筋肉を剥ぐが、それだけだ。
その隙に人間の皮を被ったナニカの体が元に戻っていく。まるで巻き戻しを見ている気分であった。
そして、
「あっは♪ 」
笑った。
「あははっ、はははははははは! はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
哄笑が夜の練兵場を覆い尽くす。
理解不能な相手への恐怖が、異常性がジワジワと骨髄にまで染み渡り、生存本能を刺激する。
この男は敵に回してはいけない。
そんな本能の囁きかけをイアウォイは『支配者としての矜持』が強引に捻じ伏せた。
「次弾を!!」
「もうやっている!!」
ホルスの催促に対して反射的に怒鳴り返す。
先ほどは異様な雰囲気に気圧されて照準が僅かに逸れた。同じミスは繰り返さない。
砲身の軌道を修正。黒狗の胸部に照準を合わせる。
「放射!!」
突き抜ける轟音と共に榴弾を射出する。
ゆっくりと歩み寄ってくる黒狗に対してそれは真っ直ぐと向かっていく。
「……!?」
それとほぼ同時に黒狗は猛然と突撃する。
砲弾は左肩を掠め、腕を砕く。それでも尚、疾く――ただ疾く。
戦車の懐へと疾駆する。
「ハアアアアアアアアッ!!」
裂帛の声を張り上げて、電光石火の踏み込みで懐に飛び込んだ。
刃筋を立てて、刀身を装甲に滑らせて離脱する。
赤く輝く愛刀を一瞥して、敵に視線を戻した。
「フン、固いな……」
装甲を削ぎ取ったと思ったが、戦車の表面を少し斬って融解させただけだ。中身には及ばない。だが、
「そうでなくっちゃなァ」
黒狗は更に凶悪に笑う。
つまらない任務。
地位に甘えてのさばっているだけの絵に描いたような愚図。
弱さを盾にのさばる強者にすべておもねるだけの弱者。
なによりここには黒狗の闘争本能を満たすだけの獲物がいない。
弱者は勝手に殺し合っていればいい。
ミリスとセンがいなければ、そう思って歯牙にもかけないような小物だと思っていたが、
「こんな派手な喧嘩が出来るなら、悪くねェ」
だが、足りない。
もっとだ。もっと。もっと。もっと――!
燃え尽きるような命のやりとりを――ッ!!
「バケモノだ……」
グスタフは恐怖で声を上ずらせて、そう呟いた。
核である高純度聖霊石『ラクリマ』からもたらされる不死性と軍用魔導ですら霞むほどの桁違い威力を誇る『源流魔導』がその強さの根源だ。
戦車は地上戦最強の兵器であるという自負はある。120mmの戦車砲だけではない。
重量50トンの鉄の塊が最大速度70km/hで突撃してくる。
一度圧倒されてしまえば歩兵が抵抗できる術などなく、ただ蹂躙されるだけ。
ホムンクルスといってもベースは人間である。
砲弾に腕を砕かれようものなら、普通は痛みと恐怖で動きが鈍るだろう。
だというのに――、あのバケモノは止まるどころか、逆に加速してきた。
どこか大事な神経が切れているとしか思えない。
「なんだ、あれは……? 神代の怪物か……!?」
「あれが、帝国最強のホムンクルス……、『黒狗』コルト・アサギリ……!」
「オラァッ! どうした、まだやれるだろォ!? ぶっ殺してやるからかかって来いよォ!」
響き渡る粗野な声。暗く歪んだ笑み。
気に入らない。気に入らない。気に入らない。
何故あのバケモノは私を敬わない。このトウランの領主は私だ。
「……如きが、舐めるなァァァ!!」
無限軌道が大地を蹂躙して、黒狗に向かって猛然と突撃する。
加速して向かってくる巨大な鉄塊を前に黒狗は腰を落とし一気に飛び上がった。
懸架装置に着地。駆け抜け様に一太刀浴びせて再び離脱して向き直った。
「ありえない……。なんなんだアレはッ!!」
カタログスペック上では互角。
連邦はその火力に耐えうるだけの耐久性と火力を兼ね備える古代文明の兵器を技術復元させたというのに。黒狗は源流魔導すら使わずに戦車を圧倒している。
これが最強のホムンクルス――コルト・アサギリだというのか……。
「何をボーっとしている! 奴をハチの巣にしろ!」
「は、はい!」
イアウォイに激を飛ばされ、グスタフは搭載されている機銃の引き金に手をかける。
「妙な歩き方を……!」
緩急つけた独特の歩き方の所為で狙いが上手く定まらない。
闇雲に撃ってもあのホムンクルスには当たらない。油断も慢心もなく、慎重に狙いを定める。
だが、黒狗の姿がブレた。いや、分裂した。
「バカな……!」
緩急自在の動きで残像を残しながら幻惑する。蛇行しながら戦車に近づいてくる。
「戦場は隠し芸大会じゃねえんだよッ!!」
機銃の掃射。残像の本体がわからないのなら、その全てに銃弾を撃ち込めばいい。
だが、本体に到達するまで少々のタイムラグは否めない。
その間隙を縫ってコルトは加速して一気に間合いを詰める。急所以外の銃撃はすべて斬り払い、再び戦車の上へと取り付いた。
車体を斬るのはダメだ。分厚い装甲に守られて中身まで届かない。
ならば、――――装甲に光刃の切っ先を押し当てる。鋼鉄の装甲はバターのように溶けて深々と突き刺さる。
「ウオアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
そのまま力任せに横に凪ぎ、大きな創部を作り上げた。
2
「クソッ! 取り付かれた!!」
「振り落とせ!」
貫かれた刀によって隔壁が大きくひしゃげた。そして、その隙間から攻撃的な眼が此方を覗き込んだ。逆立った黒髪と同じ色の瞳。端正な顔立ちを醜く歪ませて舌なめずりをした。
コイツは殺せることを楽しんでいる。
意識が釘付けにされる。恐怖が思考を、判断力を、感情を――全てを塗り潰していく。
「――――ッ、何をしている、早く!!」
イアウォイのヒステリックな叫びでホルスとグスタフは我に返る。
だが、遅かった。
戦車の中にグスタフの脳漿が飛び散る。生温い鮮血がイアウォイとホルスの顔に張り付いた。
「グスタフ!!」
「う、あ……あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「クッソォォォ!!」
恐慌状態に陥るイアウォイに構わず、ホルスは限界までペダルを踏み込んだ。
制動する戦車に対して黒狗は姿勢を低くして張り付いている。
それでいい。急ブレーキで地面に叩きつけてやる!
グスタフは死んだ。死んでしまった!
いい奴だった。軍人としては臆病すぎるきらいのある男だったが、その分優しく善良な男だった。『トウランを新兵器の実験場にする』という非人道的な任務に対し最後まで難色を示していたのも彼である。そんな彼が何故こんな無残な殺され方をされなければならない!
ホルスは煮えたぎる怒りを腹の中に収め、更に戦車を加速させる。
最高速度に達した――――同時にブレーキを深く踏み込む。急な減速の勢いに負けて黒狗は空中に投げ出された。
落ちる。落ちていく。最強のホムンクルスがこんなにも簡単に。
そうだ。これでいいのだ。
地面に落ちたら踏み潰してやる。再生するなら何度でも何度でも! 死ぬまで殺し続けてやる! グスタフの仇だ!
戦車を切り返して、落下予想地点に突撃しようとする刹那――黒狗と視線がぶつかり、全身に寒気が走った。
笑っている。
直後。激痛が全身を駆け巡り、何も分からなくなった。
何の任務を帯びていたのか。いや、それ以前に自分が誰で、自分は何処にいるのかすら分からない。
ただ、一つだけはっきり感じているのは口の中一杯に広がる鉄の味。
何故だろうか。急に眠くなってきた。
この任務が終わったら久しぶりの休暇だ。生まれたばかりの娘に顔を忘れられてないといいのだが。妻にも大変な時期に傍にいられなかった埋め合わせとして、とびっきり贅沢をさせてやろう。
なにをしようか。楽しみだ……。
血が溢れてくる口を穏やかに綻ばせる。
ああ、本当に凄く……楽しみ……だ……。
3
「ひ、あ……ああ……」
いつの間にか戦車の中は血の海になっていた。何がなんだかわからない。
まずはグスタフが頭部を抉られ、次に投擲された大太刀がホルスを串刺しにしていた。
ホルスの遺体に突き立てられていた刀は一瞬で消失。再び黒狗の手元に戻る。
月を背負って死を撒き散らす怪物はゆっくりと歩み寄る。死が――やってくる。
撃たなければ殺される。
「私は支配者だ……。ソルエンもそう言っていた。こんなところで、こんなところで終わるはずがない……」
うわ言のように何度も何度も繰り返し、震える手で次弾を装填していく。
目を逸らしたくなるような禍々しいバケモノに慎重に、慎重に照準を合わせる。
そして乾坤一擲の砲撃は発射された。
榴弾は寸分の狂いなく黒狗に向かって飛来していく。
次の瞬間、黒狗の後方で二つ、爆炎が巻き起こる。
キルゾーンに突入した砲弾は黒狗に斬り払われていたのだ。
「……………………」
言葉を発することが出来なかった。
戦車の砲撃を斬り払うなど、人間の反応速度では不可能。神業といっても過言ではない。
「次弾……、ダメだ……。どうせ当たらない……」
『最強のホムンクルス』
イアウォイはやっとその通り名の意味の真の意味を理解する。
この戦車の戦力は帝国の魔導歩兵に対し絶対的なアドバンテージを握っている。
当然だ。兵器とは人を効率的に殺す為の道具であり、その運用目的も当然生命を断つことに終始する。そんなものに人が対峙すれば末路は決まっている。
だが、それは奴も同じだった。
人の姿を成しているがあれもまた、『人を殺すために作り出された兵器』なのだ。
歩兵サイズの小回りが利く砲台。不死身に近い再生能力。原始的な武器で砲弾を斬り払う確かな技量。
そして何よりも生きることを棄てた、あの自らを省みない圧倒的な異常性。
手を出すべきではなかった。あんな怪物相手に勝てる者など存在するはずがない。
「ひ、ひひ……ひひひひひ……」
力づくで固く閉じたハッチをこじ開けられた。月明かりの中、此方を覗く眼は殺意でぎらついている。
もうダメだ。
怪物が真紅に輝く刀を無造作に振り上げたその時――
「ストップ。コルト、そこまでだよ」
突如現れた金色の髪の闖入者が魔力で作り出した矢を番えて向けていた。
おひさしぶりです。投稿遅れてしまい申し訳ありません。
ハーメルンでの投稿と並行して書いてはいたのですが、なかなか納得いけるものが書けず書いては消してを繰り返していました。
もし楽しんで読んでいただけたなら幸いです。
近いうちにハーメルンとのマルチ投稿を考えています。
もしよろしければ、そちらで書いている二次創作も含めよろしくお願いいたします。




