第十五話
すみません、めちゃくちゃ時間が空きました(汗)
ようやくできましたので、楽しんでいただければ幸いです。
1
痛い……、痛い……。痛い……!!
動いているけど、いつ止まるかわからないポンコツの心臓。
ねえ、しっかりして! ねえ、セン、セン……!
大泣きしているたった一人の肉親。
地上を溺れる様な苦しさと、胸を抉られるような激痛を――僕は一生忘れる事は無いだろう。
常に死と隣り合わせだった。
生まれつき心臓が弱く、「長くは生きられない」と言われてきたセン・ネレイディアは幼い頃から「何も出来ない」ことが当然だった。
少し動けば発作が起きる。心臓が痛くなり、息が出来なくなって周りから敬遠される。
誰かの手を借りなければ一日を無事に乗り切る事すら出来ない弱い自分。
他人に迷惑ばかりかけて、何かを返す事すら出来ない弱い自分。
そんな自分を哀れに思い、たった一人の肉親である姉は自分の人生を犠牲にするほどの借金を背負ってまで僕に新しい心臓をくれた。
ラクリマ――そう呼ばれる高純度聖霊石で出来た心臓は僕の体によく馴染んだ。
自分1人で立てる自由。
行きたい所へ行ける自由。
食べたいものを食べられる自由。
誰も享受している当たり前の幸せを手にする事が出来た。姉さんの人生と引き換えに。
そして使われるようになった可哀そうという言葉。
ふざけるな。
喉元から出そうになったこの言葉を何度飲み込んだだろうか。今や思い返すのも虚しいくらいだ。
僕は僕の境遇を悲観してなんかいない。
体のことでハンデのことも自分なりに受け止めているつもりだ。それなのに、どれだけ前を向こうとも可哀想なんて言葉で簡単に線引きされてしまう。
違うだろう。長く生きられないと言われた僕は例え細くても長く生きられる心臓をもらった。姉さんが自分の人生を賭してくれた大切な心臓だ。
普通の人より出来ることは限られているけど、それでも自分にも何かが出来るのだと、そう思えることの嬉しさの方が大きいんだ。大事なのはこれからどうしていくかだろう。可哀想なんて陳腐な言葉で勝手に線引きして僕の人生を採点するな!
お願いだから……、僕を、憐れまないで……。
可哀そうなんて言葉で僕を、縛り付けないで……。
2
「う……、ん……」
見慣れた天井が視界に入り、自分が家のベッドに寝ているのだと理解した。
頭の芯にかかった靄が徐々に晴れてきて、ベッドから飛び起きる。
なぜ僕はここにいる? あの時、集団リンチを行っていた町の人たちの間に強引に割って入って領主の私兵に殴られたところまでは覚えているのだけど……、そこから先の記憶がどうにも曖昧だ。
「やぁっと起きやがったかクソガキめ……」
反射で声のした方に目を向けた。黒髪の目つきの悪い男がじっと自分を見据えていることにセン・ネレイディアは僅かに慄いた。圧迫感からセンは汗まみれの手でシーツを握りしめる。深淵を思わせる漆黒の双眸はセンの緊張を知ってか知らずか尚、センを見つめている。
「あなたは……?」
「コルト・アサギリ。バケモンだ」
「どういう――痛ッ?」
彼が言った言葉が気にかかり、問いただそうとした瞬間、殴られた頬骨が痛んだ。どうやら噛み合わせが悪くなっているようで、噛み締めると顎に激痛が走る。
「姉ちゃんは?」
「あの女は自分の部屋でオネンネ中だ」
ミリスは頑固にセンの傍にいると言い張っていたが結局疲れには勝てず、途中で寝落ちした。コルトが彼女の部屋のベッドまで運んで放り込んだのだが、その際にレミンが若干面白くなさそうな顔をしていたのは完全に余談である。
シスコンと言っても差し支えのない程度にミリスを慕っているセンはひとまず安堵の息をついた。
同時にだんだんと冷えてきた頭が気絶する前に自信が引き起こしたことを思い出させる。
領主の私兵であるならず者たちに歯向かってしまったのに、何故自分はこの程度で済んだのであろうか? その答えを持っているであろう目の前の人物に恐る恐る話しかける。
「領主の私兵たちは……?」
「ああ、奴らなら死んだよ」
「え?」
何気ないことをサラッというような口調にセンは一瞬自身の耳を伺った。
「オレが殺したァ」
発言と同時にコルトの端正な顔はグニャリと醜く歪んだ。
センは息を飲み、目の前の人殺しに怯えるように黒髪の男を凝視した。
「…………な、んで……?」
長い逡巡の末、やっとの思いで絞り出した言葉は何処かぎこちない。
「目障りだったからなァ。ゴミ掃除ってところだ」
「そ、そんな理由で……」
「なに面喰ってんだよォ? 帝国の国是は弱肉強食。強者が弱者を蹂躙するのは当然のこと。仮に理不尽に殺されたとしてもよォ、弱ェ奴が悪ィんだよ」
まるで当然のことを言うように、コルトは平然とそう言い切った。
センは自分の感覚とはかけ離れた冷酷さに絶句。しばらく二の句が告げられなかった。
その反応に構わずコルトは立ち上がり冷徹な目でセンを見下した。
「テメェもよォ、弱ェ癖に首突っ込んでんじゃねえよ」
センは怒りで顔を真っ赤にした。
同じ町の人間を同じ町の人間がリンチする。そんな歪んだ光景を無かった事にできるはずがない。なによりコルトが自分を弱いといった事、それが何よりも許せなかった。
何も知らないくせに――!
「…………だったら、どうしたらよかったのさ! あの場で目を閉じて、耳を塞いで、無かった事にしろって言うの!?」
「そうだ」
「――――ッ!? あなたって人は……ッ!」
その一言で頭が沸騰した。コルトに掴みかかろうと腕を伸ばした瞬間、センの首が締め上げる。――地上で溺れる事には慣れているセンは負けじとコルトは睨み返す。
「その怒りは義侠心からかァ?」
「……だったら何さ!?」
「いいねェ、最高に反吐が出る」
ギシリと。
センの首に込める力をさらに強くする。頸動脈を圧迫されて脳に酸素が行かなくなる。
気が飛びそうになった次の瞬間コルトは手を離した。
床に転がったセン咳き込み、一心不乱に肺に酸素を取り込んだ。
「ほらよォ、テメェはこんなにも弱ェ」
圧倒的な力の差を見せつけたコルトは床に跪いたセンを見下ろす。彼の黒い眼の中には地獄のような炎が燃え盛っていた。
「意味ねぇんだよ、力のねェ奴の戯言なんかよォ……ッ!」
コルトは絞り出す様な声で告げる。その形相は怒っているのか、泣いているのか。どちらにも見える。
「弱いと、奪われるんだよォ。何もかも、何もかも何もかもよォ……ッ!」
切れ長の眼を見開いて力いっぱい拳を握って見せる。
あの時、力がなかったから蹂躙された。略奪された。そして――目の前で誰よりも大事に想っていたあの子も無残に殺された。
彼女の断末魔が今でも耳からこびりついて離れることはない。
奴らが憎い。世界が憎い。すべてが憎い。
そして何より力がなかった自分が憎い。
力があれば――力が欲しい……!
人造人間化するために細胞の一つひとつを分解して改造する粒子改造。
それに伴う気が狂いそうな苦痛の中でも、彼女の遺品である『カゼノアサギリ』を探し出して同朋達の――彼女の眠るトルキアの地に還すという目的のためなら自我を保てた。
そして――そのためだけにオレは生きている。
「でも……!」
窒息寸前まで首を絞められた影響でむせ返りながらも、尚反駁の言葉は生きていた。
この町は歪んでいる。
力で抑圧されて理不尽に流されて、間違っていることを間違っていると言わず、抗うべきものに抗えない。ただ息を潜めて平伏しているだけ。
そんなのを生きているとは言えない。
そんな人形の様な人生を送るために姉にもらったこの心臓があるわけではない。
だからこそ――
「誰かが間違っているって言わなきゃいけないんだ!」
センの言葉を吟味するようにコルトはしばらく黙っていたが、やがて黒いコートを羽織り、背を向けた。
「身の程を知れってんだよ、クソが……ッ」
苦々しげにつぶやくと悔し涙を浮かべるセンを一度も振り返ることなく、ドアの向こうへと向かい扉を閉める。
「矛盾してるね」
暗闇から姿を現したレミンを一瞥して鼻で笑った。
「盗み聞きとは随分いいご趣味だなァ?」
コルトの投げた皮肉を「聞こえちゃったんだよ」と軽く流して苦笑する。
「現状を悲嘆しながら、自分たちが弱いことを言い訳に何もしようとしない人を君は嫌っている。なのに、その君がセン・ネレイディアの姿勢を批判するの?」
この歪な町で生み出された理不尽な流れに飲み込まれず、確たる自分を貫こうと抗う。
それは『黒狗』コルト・アサギリが高く評価する人間の傾向である。
しかし、セン・ネレイディアはそういった条件を満たしているにも関わらずコルトは彼に理不尽ともいえる仕打ちをした。
「ねえ、コルト。ひょっとして君は彼を死なせたくなかったんじゃないの?」
驚愕に染まる。
「…………………………………そう、なのか?」
「いや、聞いているのはこっち……」
長い逡巡の末にやっと紡ぎだした言葉に思わず突っ込みを入れた。
どうも、彼はこの町に来てからというものの様子がおかしい。
ナーバスになっているといえば一言で済むのだが、まるで自分の本心在処がわからず、どうしたらいいのか掴み兼ねているようである。
「コルトってそういう悩みとは無縁かと思ってた」
「人を脳筋みてぇに言ってんじゃねえよ」
「そうだね。君はちょっと、その…………イッちゃってる以外は普通の感性を持ってるもんね!」
言葉を選んだ割にバッサリいったレミンにコルトの顔が引きつる。
「テメェはオレに喧嘩売ってんのかァ? 安い買い物にはならねえぞコラァ……?」
「いつも誰かさんが暴れまわった後始末をしてるのはボクなんだけどなぁ」
「んぐ……ッ」
微笑を浮かべて悪戯っぽい口調でそう言ったレミンにコルトは思わず言葉が詰まる。
舌打ちをしてから不機嫌ながらも、どこか罰が悪そうにソッポを向いたコルトの様子が可笑しくてくすぐったそうに破顔した。
コルトもしばらく仏頂面をしていたが、しばらくすると力が抜けたのか、安らいだ笑みを浮かべた。こんな気分はいつ以来であろうか。レミンの思わぬ毒舌に閉口しつつも、不思議と悪い気分ではなかった。
次の瞬間だった。
コルトとレミンは目を見開き窓から外を伺う。
「囲まれてるね。30人くらいかな?」
身を隠しているつもりであろうが所々でボロが目立つ。真夜中の静寂の中では彼らの蠢くような気配がよくわかる。恐らくは素人であろう。
コルトは彼らを嘲笑した。
「レミン、あのガキを縛り上げておけ。うろちょろされると面倒だ」
「了解。コルトは?」
「まったく、ゴミが一塊になると掃除が楽だよなァ。さっさと片付けてきてやるよ」
3
「ごめんください、どちらですか、領主の私兵をさせてもろてるアンドレといいます、お入りください、ありがとう!」
言うやいないや扉を蹴破られて私室で眠っていたミリスは飛び起きた。
階段から下のリビングを見渡すとモヒカン頭を筆頭に暴力の大安売りといった面子がぞろぞろと入り込んでくる。
「邪魔するで!」
「邪魔するんだったら帰りなさいよ!」
「ほな、サイナラ――っていくかぁ! しょーもないことやらすな!」
「自分が勝手にやったんじゃないの!」
「じゃかましゃあああああ!!」
至極まっとうな突っ込みを怒鳴り声がぶった切る。
「おうおうおうおう!!」
アンドレは定番の脅し文句を叫びながら、猛然とミリスに迫り胸ぐらを掴み上げる。
「今日、よそもんの一人とやりおうて部下の一人が怪我しよった。そのよそもんが自分家に入ってったって言う目撃証言が幾つかあんねん。そいつだせや」
確信したような口調で告げられた内容にミリスは驚愕を無理やり押さえ込んで無表情を通した。まさかこんなに早くここを突き止めるとは思ってもなかった。この町におけるホナーディ商会の情報網を侮っていたかもしれない。
「さあ、しらないわね」
息をするように嘘をつく。ミリスはとある事情から領主の私兵に手を出されることはないが、レミンは違う。いくら彼女が強いといってもこの人数が相手では囲まれてお終いだ。そうなればこの男たちは彼女を慰み者にした後、奴隷として売り飛ばすくらいのことは平然と行うであろう。ミリスは唇を噛み締めた。
「とぼけても無駄やで! おい、入ってこいや」
アンドレに促されこの町の警察官史であるオスカルが何人か手錠でつないだ町の人間を引きずってくる。その中には見知った顔も何人かいた。
「ワシのマブダチが取調べしてくれたらこいつらが洗いざらいはいてくれたわ。いやーわしは鼻が高い! 身から迸るほどの領主様への忠誠心、惚れ惚れするで、ホンマに」
口では褒め称えてはいるが、その弁舌の陰からは彼らへの軽蔑の念がありありと見て取れる。ミリスは悔しさで口を噛み締めながらオスカルに鋭い視線を投げつけた。
「ほんっとに、こういうときだけ仕事が早いのね……」
「我々の仕事をしたまでさ」
痛烈な皮肉を飛ばすもオスカルは浅ましい笑みを浮かべて言う。
「プライドとか、ないの……?」
「はっ、馬鹿か。清く正しく生きて殺されるのと楽してやりたい放題とじゃあどっち選ぶかなんて決まってるだろ?」
「それよりもや、ワシの部下をグリルで焼いた魚みたいにしよってからに! この落とし前ェ、デデンデン! どないしてつけるつもりじゃ、アホンダラァッ! 今すぐあいつらの居場所を吐けや」
「お断りよ!」
気丈にも言い返すミリスにアンドレは怒りを抑えきれず締め上げる。
「調子に乗んなや小娘……ッ。ワシ等はオノレには『危害加えんな』て命令されとるけどな、可愛い可愛い弟に関してはなんも言われてへんねんぞ?」
唾が飛ぶような至近距離で凄まれ、一瞬怯む。気丈に振る舞っていたとしても、彼女もただの女の子なのだ。暴力や恫喝が怖くないということなどない。それでも彼女はたった一人の弟のために弱い姿は見せられないのだ。ミリスが怯えればセンも怯える。
自分はどうなろうとも、あの子だけは前を向いて歩いてほしいから。
「弟の心臓部分に埋まっとる『ラクリマ』? ええ金になんのやろ? 自分の代わりにそれで落とし前つけたってもええねんぞ?」
「ざ、けん……な……」
「さよか。なら、自分を落とした後に勝手にもろてくからええ――ブベッ」
意識が飛びかけたその時、大嫌いな男のフライングニードロップがアンドレの顔面に綺麗に決まった。




