第十二話
1
ミリスの家に入って直ぐ、独特の癖のある臭気にレミンは僅かに顔をしかめた。
なんだろう? この匂いは、もしかして薬草……?
「ちょっと、待っててね」
ミリスはそう言って早足で奥に入っていく。暫く慌ただしい音が聞こえた後、早足で戻ってきた。
「えーっと、さっきの音は何?」
「気にしない気にしない」
明らかに何かを誤魔化そうとしているミリスの態度にレミンは不審なものを覚える。もしかしたら町を牛耳っている奴らと揉めた自分たちを罠にはめる
気かもしれない。警戒のレベルを上げようと考えた。
「ハッ、どうせ部屋に散乱してるモンを慌てて見えない所に詰めてきただけだろォ?」
片づけられない女、ミリス・ネレイディアの表情が固まる。どうやら図星だったようだ。レミンは反応に困り、曖昧な笑みを浮かべてそっと目を逸らす。
羞恥で顔を真っ赤にしたミリスの肩はわなわなと震えていた。
「アンタには年頃の乙女の繊細な心情を汲んで黙っててあげようって思うような優しい心はないの!?」
「くくく、悪いなァ。生まれたときにどっかに落としてきちまってよォ、必死に探してんだが見つからねぇんだ、コレがァ」
「アンタ本当に性格悪いわね!!」
地団太踏むミリス。彼女の反応に対してコルトは恭しく一礼した。
「お褒めに与り恐悦至極ゥ」
仕草とは裏腹に口調はやたらと挑発的である。人を馬鹿にしたような態度にミリスの堪忍袋の緒が切れた。顔を真っ赤にして更に地団太踏んでいるミリスを見かねたレミンが鋭い視線を送るとコルトは肩を竦めて引き下がる。
「ごめんね、悪い奴じゃないんだけど……、なんていうか、その……」
必死に言葉を探して目が泳ぐ。
「……………………、天の邪鬼なんだ!」
二重にも三重にもオブラートに包んでもまだ苦しいフォローにミリスは胡乱な表情をするが、レミンの「よし! ボク今すごくいいフォローをいれた!」と言わんばかりのドヤ顔だったので、追撃を断念した。
目の前の眼つきの悪い男を詰る為に自分にとっての理想の王子様の心証を悪くしたくない。
その一心でなんとか溜飲を下げようとするミリスは敵を威嚇している猫が毛を逆立てるようである。
「……………、けど珍しい」
少し思案してからレミンはコルトに聞こえない程度の声で呟いた。
「なにが?」
レミンの真意の見えない言葉に首を傾げたその時。部屋の奥から10歳ほどの少年が覚束ない足取りで出迎えた。
「ねーちゃん、おかえり!」
「セン! まだ熱があるのに寝てなきゃ駄目じゃない」
「で、でも……微熱程度だし……」
センと呼ばれた少年が言いきる前にミリスは駆け寄り額に手を当てる。
「ほら、まだ少し熱があるみたいだし。薬を飲んで休みなさい」
「えー、でも……あの薬にがい……」
「セン」
「…………はーい」
有無を言わさぬミリスにセンは俯き口を尖らせる。いかにも渋々といった様子でセンはミリスと眼を合わさずに部屋の中へと戻って行った。
「まったく、もう」
「弟さん?」
「はい……。病弱なのにやたらとアクティブで……。今朝も熱があるのにベッドから脱走して友達のところへ行こうとしてたんですよ。本当にもう、困っちゃいますよね」
ミリスは苦笑いを浮かべている。病弱な弟が元気である事が嬉しいような、心配なような複雑な気持ちなのであろう。
「あの年頃の男の子にジッとしてろって方が酷だよ」
「そんなもの?」
「そんなものだよ」
「そういうレミンさんも小さい頃にヤンチャだったクチ?」
ミリスの問いにレミンは眼を伏せる。
思い出すのは遠い昔。無口で仕事が忙しくても必ず自分と遊んでくれた父。綺麗で優しかった自慢の母。
そんな2人に囲まれて温かく満たされた毎日を送っていたのをおぼろげだが覚えている。
だが、安穏の日々は突然終わった。父は殺され、母は目の前でズタボロになるまで犯された後、同じ様に殺された。そしてレミン・メルストンは帝国に攫われてジュバザ・アハットの傍仕えの奴隷、そして対立する者を殺す為の暗殺者に仕立て上げられた。レミンの意思など関係なく自分が女である事を呪って日々を過ごした数年間。この頃の事は思いだすのもおぞましい。
鎖に繋がれ人形扱いされ続ける事に耐えかねて鎖を切って逃げだした。
しかし、所詮籠の鳥であったレミンに異国でのあてのない逃避行を続けられる技術は無かった。案の定行き倒れて死を待つばかりとなった。
自分に向けられた路傍に転がる石を見る様な体温のない視線は今でも忘れられない。
もうダメだ。そう思ったその時
――コルトがボクを掬いあげてくれた。
ジュバザに高額の身代金を払い、半ば脅すような形でボクを解放させた。
彼はボクを助けた理由を黙して語らない。けど、ボクはそれでもいいと思っている。
例えコルトがボクを必要としていなくても、ボクは――――
「レミンさん?」
「え? あ?」
意識が現実から乖離される様な感覚から一気に引き戻さて思わず膝をついた。
「大丈夫?」
「う、うん。ゴメン、ちょっと立ち眩みしただけ……」
「ハッ、やわな奴」
曲がりなりにも友達なのに、その言い草はあんまりではないか。目の前の思いやりの欠片もない捻くれ者の事をどんどん嫌いになっていくのを実感する。コルトの言葉にミリスは鋭い一瞥を送る。それを知ってか知らずかコルトはレミンに眼もくれず踵を返した。
「ちょっとアンタ、友達が体調崩してるっていうのに何処行くつもり?」
「行くとこあんだよ」
心底鬱陶しそうに答えるコルトにミリスの怒りはますます募っていく。
「レミンさんはどうするつもり?」
「寝てりゃ治る」
「この冷血漢ッ!!」
「ご生憎様ァ。こちらとら血も涙もないモンでなァ」
「コルト……」
一度も振り返らずに行こうとするコルトはやっとレミンの方を見た。
「テメェは大人しく寝てろ。その状態でチョロチョロされても目障りだ」
2
「なんなのアイツ!! 本ッッ当にムカつくッッ!!!!」
レミンを客間のベッドに運んだ後、ミリスは憤慨した。いい加減限界だった。
あの人を嘲るような口調も、冷たい言動も何もかもが不愉快だった。
友達が体調を崩したというのに、自分だけ観光に出かけてしまうなんて思いやりがないにも程がある。体の弱い弟を持つミリスだからこそ、余計にコルトの自分勝手な行動が腹立かった。
「そんな風に言わないで」
レミンは青白い顔で微苦笑を浮かべる。
「ごめん」
唇を尖らせながら謝罪した後「けど」と逆説的に繋ぎ、目尻を吊り上げる。
「本当に言っちゃ悪いけど、よくあんなのと友達やっていられるよね」
レミンの心の広さに脱帽である。もし自分だったらあんな性格破綻者お願い下げである。
「ごめんね」
「別にレミンさんが謝る事じゃ……」
「ああ見えて優しい所、あるんだよ?」
「まーさーかー」
絶対にレミンの買いかぶり、もしくは寛容さオカン級である彼のポジティブ解釈に違いない。――けど、そんな優しい所も素敵!
「なんだかさ、態と敵を作る言動をして自分を追い込んでるような……そんな気がするんだ……」
「えー? どうしてそう思うの?」
「うーん……」
しばらく思案した後、翡翠色の瞳を柔らかく細めた。
「女の勘かな?」
「ふーん。女の勘……………………、女の勘!?」
驚愕のあまり猫の様な眼を真ん丸にしてレミンの爪先から頭のてっぺんまで見回した後、真っ平らな胸に視線を落とす。
「何処見てるの?」
「え? いや、だって……」
未だに二の句が告げられないミリスに対してレミンは悪戯っぽく笑った。
「コルトには内緒だよ?」
3
しばらく歩き一服した後、コルトは武具店へと足を運んだ。薄暗い店内を歩きまわり中に在る武具を冷やかしていく。そして、懐かしい物の前で足を止めた。
反り返った独特の形状。さり気ない金細工を施した拵。鈍く光る刃紋。
トルキアが滅んだ今となっては殆ど見る事の出来なくなった打刀である。
珍しく感傷的になっていたが、直ぐに頭を振って下らない、と鼻で笑い飛ばした。
既に終わったことなのだ。足を止める事は許されない。一刻も早くアレを取り戻す。
「何かお探しですか?」
突然声をかけられて振り向くとそこには自分の頭一つ分程、小さい店員が立っていた。
コルトが何かを言う前に店員は「ああ」と、得心したように唸った。
「それに眼を付けるとはお目が高い。この店自慢の一品でございます。武の国と呼ばれた『トルキア』の生んだ芸術であり、そして強力な武器であります。エルニドの原理主義者達や帝国でも一部の人間は彼らを蔑んで『蛮族』や『猿』などと言う者もいますが、私はそうは思いません。彼らは芸術的にも、武力的にも、そしてなんと言っても技術的にも非常に優れていると推察できます。だってそうでしょう? この刀という武器は、製造法はあの古代文明にも劣らない程のオーバーテクノロジーが使われているのですよ!」
店員は熱の入った語りは尚も続く。
「必要以上に華美な装飾をせずとも明るく冴える刃紋の美しさといったら……。まさしくトルキアが美徳とした質実剛健の精神を表していると言っても良いでしょう。勿論美術品としてだけでなく、武器としても非常に優れた性能を持っています。少々癖はありますが、正しい運用法を用いれば鉄ですら斬り裂くことも可能です。製鉄の段階で炭素量の少ない柔らかい鉄と固い鉄を組み合わせることで切れ味が鋭く折れ難いものへと――」
「オイ」
「はい、なんでしょう」
「そのうんちくはいつまで続くんだコラ」
苛立ちを隠さずに言う。自他共に認める程の短気な彼が良く我慢したものである。店主は我に返り咳払いを一つした。
「そうですね、失礼いたしました。本日は何をお求めでしょう?」
「………………、あるものを探している。高純度の聖霊石で鍛えた剣だ。魔力を通すと翡翠色に光る」
「高純度の聖霊石ですか!? 流石にそれは……」
店主は言葉を濁した。
当然である。魔導を行使する際に使用する普通の聖霊石はこの帝国にも生活に溶け込んでいる程普及しているが、それが軍用魔導に使う聖霊石や高純度の物となると話は違って来る。それらは非常に高価であり、特に高純度聖霊石となると宝石の様な美しさから、少量買うのに帝都で一カ月は過ごすだけの金額が必要となる。ましてや剣を鍛えられる程の質量となればそれこそ億は下るまい。そんな国宝級の品がこんな場末の武具店に流れて来る筈がない。
「そうかよ」
「お力になれずに申し訳ありません」
心底申し訳なさそうに一礼する店主にコルトはメモを差し出した。
「もし、手に入ったらこの住所に手紙を寄こせ。言い値で買う」
コルトにしては珍しい、嘲りが一切ない切実な言葉であった。
店主はメモを受け取り恭しく礼をすると、コルトは踵を返して武具店を後にした。
コートのポケットから煙草を取り出して火を付ける。
険しい顔で吸って曇天の空を見上げながら煙をはいた。
エルニドに侵攻した際の戦利品の中にアレはなかった。そんな筈はない。エルニドの魔導原理主義者共はアレが目当てだった筈だ。帝国内の目ぼしい都市もくまなく探してそれでも見つからなかった。恐らくだが、エルニド戦役に参加した部隊の中に戦利品を着服した者がいるのであろう。その事については責める事はしない。戦場にモラルを期待するほど、お行儀よくない。
残る可能性は辺境に流れている場合、個人的な財産として所有されている場合、そして考えたくはないが国外へと流れている可能性。
雨粒が一つ頬をうった。
何に代えても、どんな汚い手を使ってでも必ず見つけ出す。
それがコルト・アサギリが人間だった頃に彼女に立てた、たった一つの誓い。
誓いを果たした後は余生にすぎない。気の済むまで暴れて消えていくのみだ。
口元が凶悪に歪んだ。
底知れない怒り。人間を辞めて知った暗い愉悦。そして、埋めきれない虚無感。
覚めない夢、終わらない悪夢を繰り返し続けて黒狗は無軌道に生きていく。
これまでも。
そして、これからも。




