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第十一話


少女は逃げていた。肺から空気を絞り出し、限界以上の速さで右足と左足を交互に深い森の地を蹴る。

追撃者は腐った血肉を飛び散らせながら獲物を追ってくる。

奴らに理性や知性はなく、あるのは生きとし生けるものすべてを破壊する衝動だけ。

歪みと呼ばれる亜空間の入り口から這い出るグール達は死の気配を纏いながら獲物を襲い、生きたまま食らう。

急所を狙う知能もない。最初の一撃で絶命できたならまだ幸せであろう。しかし初撃で死ねない場合、グールに襲われた対象は生きたまま食われる苦痛を存分に味わい尽くさなければならない。


追われる少女はそのことをよく知っていた。恐怖に掻き立てられて彼女は必死に走る。

奴らの気配がすぐ背後に迫ってきているのを肌で感じても振り返らない。

振り返ってしまえば恐怖で足が止まってしまう。


「あ――、ああっ!」


不規則に地に張っている木の根に足を取られ派手に転んだ。すぐさま起きあがろうとするが、グールの一体が少女の足首を掴む。


「このッ!」


闇雲に振り回した剣はグールの体を両断することなく、途中で止まる。刀身を捕まれ抜き差しならない状態から殴り飛ばされる。

直ぐ様、起き上がろうとするが、痛みと恐怖で立ち上がる事がままならない。そうしている間にグール達は彼女の周りを囲った。


「あ……、ひ、あ……」


歯の根が合わぬほどの震えの所為で上手く声が出せない。

全身は醜くひしゃげている。鼻が曲がりそうな異臭で吐きそうになる。辛うじて人の形をしているが、それを人と呼ぶよりも『バケモノ』と言った方がしっくりくる。奴らはそれほどにおぞましい。


「来るな、来ないでよ……」


少女の哀願の声も虚しくグール達はジリジリと彼女との距離を積める。これから『食事』を始めるつもりだろう。


「いや……、だ、誰か……」


目の前のグールと眼があった。引き裂かれた体から刺さった剣を抜き無造作に投げ捨てる。赤く光る眼は少女を舐め回すように見た後、ゆっくりと眼を細める。

笑ったのだ。


「いやああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァッ!!!!!!」


恐怖が弾けた。

少女の絶叫が合図となりグール達は我先にと獲物に食らいつこうと口が裂けるほど大きく開く。

その直後だった。

何処からともなく飛来した火球がグールの目の前で爆発。爆炎によってたちまち顎から上を消し飛ばされた異形の存在は力無く倒れた。少女に群がっていたグール達は反射的に炎が飛来した方向に眼を向ける。

そこには心底不機嫌そうに煙草を吹かす黒髪の青年が立っていた。その攻撃的な眼は更に険しくなり、一気に煙を吐き出す。


「コルト、火加減間違えないでね。火事になっちゃうから」


そう言うのは青年より少し後ろに立っていた金髪で翡翠色の瞳の少年。

彼の進言にコルトは煙を吐き出してからくわえていた煙草を携帯灰皿の中に捨てた。


「安心しろよォ。こんな雑魚共相手ならショボい火力でもツリがくる」


獰猛に笑い右手に粒子を収束させる。

召還した鍔のない大刀に炎を纏わせて攻撃的な眼を殺意でぎらつかせながらグール達を見る。

グール達は危険を察知したのか標的をコルトに変更して雪崩れ込む。


「ウジャウジャと――」


無数の炎が圧縮されて剣を象る。川に流された灯篭の様に不規則正しく並んでいた炎刃の切っ先は一つ残らずグール達に向く。


「気味悪いんだよォッ!!」


怒声と共に一斉に射出。炎刃は高速で虚空を走る。突撃してくるだけのグール達に何かする暇を一切与えず、一瞬で腐った体を穿ち焼きはらっていく。

灰となった異形の存在を一瞥してつまらなそうに鼻を鳴らす。コートのポケットから取り出した煙草をくわえて火を付けた。


「煙草の吸いすぎは体に悪いよ?」

「体に悪いから吸うんだよ」


レミンの苦言に対して煙を吐きながら憮然と答える。


「意味がわからないよ」

「理解する必要はねーよ。これはホムンクルスにしかわからねー感覚だ」


なんだよ、それ。と、レミンは内心ムッとした。何となくコルトと感覚を共有出来ないと切られたことに心が不快にざわめく。確かにコルトをはじめとしたホムンクルス達の嗜好は不健康もしくは両極端である。

飲酒、ジャンクフード、徹マン、女遊び。酷いものでは麻薬に手を出す者も存在し、コルトの場合は煙草を好む。

因みに両極端な者の代表格は兎に角派手好きな『花孔雀』――シグルド・ナンブである。

ホムンクルス部隊に籍を置く唯一のニンゲンであるレミンには彼らの感覚が理解出来ない。

けど、だからと言って最初から『理解出来ない』と突き放すことないじゃないか! 不服である。極めて不服である。 むくれるレミンを余所にコルトは奥へと分け入り、残っていた異形を焼き払う。一掃したのを確認してから『歪み』の前に立ち、大刀を振り下ろす。空間の歪みを打ち据えた。

亜空間の入口は異形が最も多く群がっている。相当な遣い手でなければ接近は困難である反面、その強度は酷く脆い。

ガラス並に脆い異空間からの出口は粉々に砕け散った。

大刀を粒子に変えて身体を構成している粒子に同化させる。

そして元の場所へと戻り、気絶している少女に近づいた。猫の首を掴むように吊り上げる。


「オラ、起きろ」

「んにゃ!?」


コルトは気絶している少女にデコピンをかます。メキョッ! というデコピンにはあるまじき音が響いた。


「その起こし方は紳士的とは言い難いね」

「フン、何が紳士だ。アホくせェ」


デコピンをかまされた少女は涙目で悶絶していた。

たかがデコピン。されどデコピン。

普通なら豆鉄砲程度の威力でしかないがコルトの怪力――とは言ってもかなり力加減しているのだが――でのデコピンならば、スリングショットで鉄球をぶつけられるのと同じくらい痛いのである。


「だ、誰よあんた達!?」


状況を飲み込めない少女は目を白黒させて、ジタバタと暴れる。コルトは面倒くさくなり、彼女を掴んでいた手を離した。


「ふんぎょ!?」


当然、重力の法則のまま落下する。女性にあるまじき奇声と共に地面に激突した少女は思いっきり目の前の無礼な男を睨みつけた。


「な、なにすんのよ!?」

「ごめん、大丈夫たった?」

「ごめんで済んだら警邏部隊は――」


謝るレミンに噛みつこうとした瞬間、少女の心拍数が跳ね上がった。雪を思わせる白い肌。清潔感のある短い金色の髪。そして整った顔立ちから覗く翡翠色の瞳はまるで宝石のようである。

王子様みたい……。

人生最大級のときめきが少女を襲う。


「本当にごめんね。怪我は無い?」

「はい! この通り全力全開で元気そのものです!!」


少女はすぐさま立ち上がりレミンの手を握る。怪我がない事を確認したレミンは「良かった」と言ってはにかんだ。透ける様な眩しい笑顔を前に少女は脳殺寸前である。


「ボクはレミン。あっちはコルト」

「は、はい! 私はミリス・ネレイディアです。危ないところを助けて頂いて本当にありがとうございます!」

「助けたのはボクじゃなくてコルトだよ」


やんわりと訂正を入れるレミンだが興奮気味のミリスの耳には届いていない。


「えっと、ボク達旅行者なんだけど、宿を探してるんだ。この近くにないかな?」

「それなら! 是非私の家に!!」


赤面した彼女はレミンの手を握る。


「え、でも……悪いよ」

「いえいえいえ! 気にしないで! 部屋は余ってるし、助けてくれたお礼もさせてください」



ガンダラ地方。南部の連邦の国境にあるこの地方にある最も連邦に近い町。それがこのトウランである。連邦との国境には『東の果ての死海』と並ぶ魔の領域と呼ばれるデウギリ山脈がそびえており天然の要塞となっている。


曇天の空のもとをコルト、レミンはミリスに連れられ彼女の家へと向かっていた。


「辛気臭ェ町だなァ、オイ」


町を見回して言い放った第一声がそれだった。レミンは咎める様な視線を送るが、当のコルトはどこ吹く風である。


「こっちにも色々あるのよ……」


渋い顔で言葉を濁すミリスに興味を示すことなくライターを手の中でもてあそんでいると、突然大きな音が耳に届いた。


『今月の上納金がこれっぽっちってのはどういう事だ、ああ!?』

『ひ、ひいっ! すみません、すみません!』


一目でチンピラだとわかるガラの悪い風貌の男が数人がかりで屋台の店主らしき青年の胸倉をつかみ上げて恫喝している。よく見れば辺りには店の備品らしき椅子や机の残骸が散らばっており、チンピラ達が暴れまわった跡だと想像するのは難くない。


『3日前にイアウォイ辺境伯に収めたはずなのですが……』

『ああ、確かにな! だがよ、こっちはそれと別口だ! テメエ等誰に許可をもらって店を構えてやがる!?』

『え? あ……』

『ここで商売する奴はワシらホナーディ商会にショバ代を払う、この町じゃあ常識だろうが! 素人かテメエは!』


机を蹴りあげて更に恫喝の声を荒げるチンピラ。その様子を見てコルトは鼻で笑い、レミンとミリスは心底不愉快そうに眉を潜めた。


「あれは?」

「この町を牛耳っているホナーディ商会の私兵……。権力を笠に着て盗み、殺しにやりたい放題……、最低な奴らよ……」


気弱そうな青年は青い顔をしてせき込むと必死になってチンピラを押し退けた。


『痛ってえ! 殴りやがったな、ホナーディ商会に所属する集金係のこの俺を殴りやがったな!!』

『え、いやあの……』


何処から見ても殴った様には見えない。だが、状況の主導権をチンピラ達が握っている以上、何も言い返す事が出来ない。


『あーあーあー、こりゃ折れてやがる。この落し前をどうつけるつもりだ、オイ!』


チンピラは怒声を上げながら近くにあった椅子を蹴りあげる。青年は更に身を竦ませ、即座に手を地についた。


『も、申し訳ありません申し訳ありません! どうか、どうかお許しください! わ、私に出来る事なら何でもさせて頂きます』


青年の言葉を聞いたチンピラ達はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる。


『何でも? 何でもっつったな、オイ?』


言質を取る様に青年に迫る。黙って何度も頷く青年を見てチンピラ達は一斉に彼を取り押さえた。


『なら、腕一本だな』


青年の右手を無理やり伸ばし、長ドスと呼ばれる刃物を抜き放つ。恐怖で引き攣る青年の顔を堪能するように覗きこむと下卑た笑みを浮かべた。

助けを求めるように青年は周囲を見回すが


――誰か助けろよ。

――無茶言うな。

――そんなことしたらこっちに矛先が向く。

――可哀そうに。運が悪かったな。


返ってくるのは同情や諦念の視線や、自分が標的にならなかったという、安堵の表情だけであった。


『た、助けてください……。お、親父が病気なんです……。もう、三日も何も食べてなくて……。僕が、僕が働けなくなったら……』

『そうかよ』


ゆっくりと長ドスを振り上げる。


『や、やめてくれ……』

『それは可哀そうに、なぁ!!』


力任せに振り下ろし、腕を切断しようとした次の瞬間。

銀光が閃き、長ドスを持ったチンピラの体を拘束した。


『あ? …………、い――いぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!!』


鋼の糸が全身の肉に食い込み激痛が走る。チンピラ達は恐れ慄いた。


「うるさいから、喚かないでよ」


冷たく言い放ったのは助けに入ったレミンである。

翡翠色の瞳を細め、無感情にチンピラ達を睨み据えている。


「ヒィ、ヒィ……!」

「下手に動かない方がいいよ。ちょっと手元が狂ってしたら君の体が輪切りになっちゃうからね」


持っていた武器を取り出そうとしていたチンピラ達に淡々と言うレミン。

その圧倒的な威圧感にチンピラ達は凍りついたかのように固まるが、数拍してから我に帰る。


「た、たった一人で何が出来るつもりだ!」

「キミ達こそ良く考えたら?」

「なに、――――ッ!?」


臨戦態勢に入るチンピラ達は自分達の体に緩く糸が巻き付けられている事に気がつく。


「キミ達がボクを殺すのが先か、ボクの糸で生け作りになるのが先か。よく考えて決めた方がいい。応戦か、撤退かを、ね?」


バクン、バクン、と男達の心臓はうるさいくらいに脈打っている。この町で暴虐の限りを尽くしてきた彼らは今、狩る側と狩られる側のヒエラルキーが逆転に直面していた。

自分達はこの町での『絶対者で支配する側である』。そんな絶対性を覆すこの少年は危険であると、肌で感じていた。


「お……、俺達にこんな事をしてただで済むと――」

「いっでええええええええええッ!!」


最後まで言い終わる前にレミン無言では糸を絞めつけて、拘束されていた男から悲鳴が上がる。

糸が更に深く肉に食い込み、血が飛び散った。血塗れになって痛がる仲間を前に士気は挫かれる。


「で、どうするの? この場から去るなら追わないけど?」


チンピラ達は苦渋に満ちた表情で武器を収める。それに伴いレミンも鋼糸での拘束を解いた。退き下がるチンピラ達を追う事は無く、鋼糸を収めた。


「覚えていろッ!! テメーは『黒狗』先生に始末して貰うからな!!」



「ああ?」


興味なさげに一服しながら、事の推移を見守っていたコルトは怪訝な顔をした。

帝国軍のホムンクルスである黒狗は自分の事だ。それなのに自分以外に黒狗を名乗る者がいる。これはどういうことか。


煙草を咥えていた口元が凶悪に歪む。


「くははッ、退屈な任務だと思っていたが……。暇つぶしになりそうなモンがあるじゃねえかよォ」




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