第十話
1
ベンジャミンの遺体を目の前に立ち尽くす。鮮血に濡れた体は徐々に赤の面積を拡大させて地面に滴り落ちる。相対するのは白仮面の男。
『わかっていた筈だ。血生臭いこんな時代で、自分の守りたい者を守るためには、手を汚さなければならない時がある事を』
「うるさい!」
『何故ベンジャミンは死ななければならなかった? 彼が殺される理由など、何一つ存在しないというのに』
「黙れ! 貴様が殺した癖に、どの口でそんな!!」
『結局、貴様の認識の甘さがベンジャミン・メルストンを殺したのさ』
「黙れええええええええええええええええええええ!!! 殺さなくても守ってみせるさ! 俺はもう誰も死なせない!!!」
『あの時、私を見殺しにした癖に良く言う』
「レオン!?」
白仮面の下にあった顔は忘れもしない。レオン・ナイトレイ。
その姿はあの時の様に腕は吹き飛び、足は明後日の方向へと曲がり、全身血塗れで今にも死にそうであった。
『守りたいと言いながら殺す覚悟もない。目の前で大事な者を傷つけられても、本当に何も思う所がないのか?』
「思わない訳ない! それでも、簡単に殺すなんて言わないでくれ!」
『あの時、君が私の手を離したから私はホムンクルスにされてしまった』
傷は粒子の収束と共に消えていく。それは人間をやめた怪物の特徴であった。
『君には誰一人守る事なんて出来やしないよ』
残酷な事実を突き付けられる。ラグナは必死に否定の言葉を探すが、何一つとして言える言葉がないという事を強く認識させられるだけであった。
『そして、何よりも守りたかったと思った者を守れず、すべてを失う事になる』
ドチュッ!! と、生々しい音がラグナの耳に届く。反射的に振り向くと黒狗の姿があった。あの夜に圧倒的な暴力で自分達をまとめて殺害しようとした狂戦士。彼の足元を見てラグナの心臓は凍った。
『くくく……、傷つきたくないなら端から温かい所に引きこもっていろよォ』
肩まで伸ばした金色の髪をドス黒く濡らして苦しげに息をする。自分が誰よりも守りたいと願った少女の姿があった。
「ミスト!?」
『ラ……、グナ……』
ラグナの方に必死に手を伸ばすミスト。黒狗はそんな彼女の様子に構わず、切っ先をミストに向ける。
「やめろおオオォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!」
瀕死のミストを助けるべく、ラグナは走る。だが、黒狗はラグナが向かって来る様子を嘲笑ってからミストの心臓に深く、深く刀を突き立てた。
血を吐いて絶命するミスト。ラグナは何も、出来なかった。
何も出来ない、何の覚悟も決まっていない、口先だけの弱い自分。
『ま、気にするなァ。コイツは弱いから死んだ。それだけだろォ?』
「あ……、ああ……あああああああああああああああッ!!」
血を吐くような叫びを上げる。だが、時計の針が戻る事は無く、目の前には残酷な現実だけが存在する。
『ははははは、あはははははははははははは!! あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!』
黒狗の刀から青い炎が迸り、辺り一帯を覆っていく。
ベンジャミンも。レオンも。ミストも。すべて呑み込み灰燼に変えて黒狗は狂ったように笑った。
『さァて、殺し合おうぜェ。……どっちかの息の根が、止まる瞬間までよォォォォォォォォォッ!!!!』
2
「ラグナ!」
「うわああああああああああああああああああああああ!!」
「ラグナ!!」
「あああ……、あ……」
怯えた目で辺りを見回したラグナは、いま自分がいる場所がテルミナの森であった事に気付く。現実感のない空間から一気に引き戻されてラグナは荒い息をした。昨夜、ベンジャミンと襲ってきたレムレース達を弔った後、気を失う様に意識を失ったのだった。
「ラグナ……?」
案じるようにラグナを覗きこんだミスト。握ってくれていた手の体温を認識して夢だった事に心底安堵した。
「うなされていたけど、大丈夫?」
「ああ。大丈夫」
「顔、土気色だけど?」
「大丈夫だって言ってるだろ!!」
言ってからハッとする。ミストの表情は凍っていた。
「ごめん……」
「ううん。私こそ、ごめん……」
「少し、頭冷やして来る……」
立ち上がり速足で少し離れた川まで向かう、冷水が流れる川で顔を洗い、少し掬って飲み干した。溜息をついて少しずつ気分が落ち着いてくるのを自覚する。
なにやってんだ……。心配してくれたミストを怒鳴りつけるなんて。アイツだって傷ついてない訳ないってのに……最低ぎるだろ俺……。
余裕をなくしている事を自覚してしまう。無理もないだろう。
つい最近まで安穏と暮らしていた者を急に命のやりとりの中へと放りこまれてどうにかならない方がおかしい。例えそれが自分で選んだ道であったとしても、感情を理性でコントロールするにはラグナはまだ若過ぎた。
《随分参っているね》
「――――!?」
背後から掛けられた響く声に反射的に振り向く。
「っとにお前っていきなり出て来るよな……」
《それが私という存在だよ。近くて遠い。何処にも存在しているが、何処にも存在していない。それが『私』という存在なのだよ》
昨夜現れた白い影は陽炎のように揺らめく。
「訳わかんねえ……。それで、結局お前は何なんだよ?」
《答えられない》
「あ?」
白い影への不信感が募る。立ち位置をハッキリさせない者を無条件で信用できる程ラグナはお人好しではないつもりだ。まして今の状況では尚更である。
《もったいぶっている訳でも隠しているわけでもないよ。ただ、私がこの世界の『歴史』に干渉するには制限があるという事だよ》
「どういう意味だよ?」
歴史。干渉。この白い影の言っている事は訳がわからない。
白い影は何も答えずまた揺れる。
《深く干渉すればするほど、私の消耗も激しくなるという意味だ。だから、私は君たちに道しるべしか残せない。だが、私は君たちの味方で、帝国の敵だということは理解してほしい》
「…………、わかった」
《信じてくれるのかい》
「とりあえずだけど。ベンさんが襲われてるって情報くれたし……」
《ありがとう》
白い影は更に揺れる。まるで水面の波紋の様に揺れ方が段々と激しくなってきている。
《時間が無くなって来たね。本題に入ろう。ラグナ、君は力が欲しいかい?》
「何を、いきなり……?」
《時間がないんだ。早く》
「…………」
以前の自分なら迷わず欲しい、と答えたであろう。
毎日の稽古から剣の腕が上がることが嬉しくて、楽しくて、仕方がなかった。
だが、今は怖い。強さを手に入れる事で人を殺す技術を手に入れる事が本当に怖い。
「わからない」
《どういう事だ? 君はラグナ・マクレガーだろう? ミスト・クリステンセンを守る為にエルニドを発ったのでは――》
「うるさい!」
堰を切ったかのように涙が一気に溢れだした。
「わからないんだよ! どうすればいいか全然分からないんだ!! ミストを守る為にはどうすればいいんだよ!! 敵は殺せって! そんな事出来るかよ! あいつらだって人間だろ!? 大切な人だっているんだろ!? それなのに簡単に――!!」
《いい加減にしてくれないか》
ビクリと体が震えた。唇がただ震え、気持ち悪いものが腹の底からせり上がってくる。
《私は子供の駄々を聞く為にここにいる訳ではない。君が子供でいられる時期は、帝国の走狗達がミストを狙ってきたあの夜にもう終わったんだ》
「…………」
《自覚がないなら教えてあげよう。ここが君の分岐点だ。このまま安寧を求めてミストを見捨てるか、それとも彼女を守る為に悪魔に魂を売る覚悟を決めるか》
「……!?」
《本当に覚悟があるのなら、人を捨て、剣をとれ。自分のエゴを通したいのなら、力を追い求めろ。決めるのは他でもない、君自身だ》
「…………」
力なく項垂れる。心の中は惨めさで一杯だった。
《今夜返事を聞こう。それまで良く考えるといい》
しばらく項垂れて動けなかった。やがて覚束ない足取りで立ち上がりミストのところへ戻っていった。
3
銃。古代文明の技術から鉄の塊。ベンジャミンや彼の家は跡形もなく消え去ったというのに、これだけは消滅せずに残っていた。使い方はなんとなくだが、わかる。
攻撃したい対象に口を向けて真ん中にある突起を引き絞ればいいのだ。
ミストは銃から視線を外す事が出来ずにいた。
こめかみに銃口を押し付けて引き金を引く。
たったそれだけの方法でこの悪夢を終わらせることが出来る。
それはとても甘美な誘惑の様に思えた。
何もできずに傷つけるだけならいっそ自分の手で……。
そう考えて銃へと震える手を伸ばす。
死ぬのは怖い。だが、失うのはもっと怖い。
グリップを掴むまであとあと少し。ミストは血の気の引いた白い手を強く握りしめた。
「生きなきゃ……」
『悲しんでくれる人間がいるうちは人は死んではいけないのだよ』
「約束、したから……」
エルニド自治区を追放されてから俯いてばかりいた。
優しかった人たちが急に冷たくなって自分が根底から否定された気がした。
それでも――ラグナだけは味方で居続けてくれて、ベンジャミンは励ましてくれた。
彼らの事を本当に大事に思うのなら、もう俯くのはやめよう。
『自分なんか』という言葉を使わずに、前を向いていこう。
頑張ろう。頑張ろう……。
そう思う事が、きっと最初の一歩なのだ。
涙を拭い、顔を上げる。そして、ラグナが帰ってくるのを信じて待っていた。
4
「ただいま……」
「おかえり、ってなにかあった?」
青い顔をしたラグナに問いかけるも答えは無言。態度で何かあったと言っている様なものだった。或いはミストを『見捨てる』覚悟を決めたのか。
「…………」
それならそれで仕方がない事だと思う。ここまで自分の所為で無理をさせ続けてきたのだ。エルニド自治区を追放され誰もが自分を見放したというのにラグナだけは傍にいてくれた。それがどれだけ心強かったことか。それだけで、それだけで十分だから。
だから――――――お願いだから、私の事を嫌いにならないで……。
5
「私、負けないから」
気丈な眼差しで彼女はそう言った。ラグナはミストの言葉に思わず固唾を飲む。
決意の端に隠し切れない痛みが見え隠れする。
置いて行かれた。頭の片隅で真っ先に出てきたのはそんな言葉だった。
「もう自分なんかって言って卑下しない。貴方の好意に甘えてるだけじゃなくて、自分の身を守る為に戦う」
「戦うって、どうやって……?」
至極真っ当な疑問が震える唇から滑り落ちる。
ミストは自分の様に剣の訓練を重ねてきたわけではない普通の女の子である。
そんな彼女がどうやって戦うと言うのか。
ラグナの疑問の答えはミストの手にあった。
ベンジャミン・メルトストンが使っていた古代文明の遺産――銃である。
「……ベンさんは消えちゃったけど、こうして私に戦う力を残してくれた」
枕につけそうになった『私の所為で』という言葉をミストは辛うじて呑み込んだ。
そうだ。自分の所為だ。だが、だからこそミストには立ち止まる事は許されない。
「駄目だ! お前、そんな――」
「私の事だから!」
ラグナは反論しようとすると、ミストは強い口調で遮った。
「私のことなんだよ。だから、私にも背負わせてよ……。お願い、だから……」
ラグナだけに背負わせて自分は何もしない。何も出来ない。それは違う。
何も出来ないと言って、目を閉じ、耳を塞ぎ、逃げているだけだ。
自分のことだ。自分が狙われているのだ。だったら自分を守る上で生じた重さを自分が背負わずに誰が背負うというのだ。
ラグナ1人を苦しませはしない。もし、彼がまだ自分の傍にいてくれるというのなら、自分も罪を背負おう。
「1人で、抱え込まないでよ……」
「お前に言われたくない」
憮然と答えるラグナに苦笑しつつ、冷たい頬に両手を添え、抱きしめた。
確かな温もりが伝わり、恐怖がそっと解けていく様な気がした。
ラグナもミストを痛いほど強く抱きしめる。
ラグナの頬に涙が一筋落ちる。
傷ついて、怯えていたのは自分だけじゃない。
この温もりを失いたくない。答えはシンプルなものだった。
『命』を奪う事には強い抵抗がある。もし再び目の前に命のやりとりをする状況が降りてきたら、迷うかもしれない。
だが、
「守るから……! ミストは、俺が……守るから……!」
罪がなんだ。命がなんだ。
守る為に殺す事が罪ならば、その十字架を敢えて背負おう。
失う事を恐れ、失いたくない者を奪いにくるというのなら。
――俺は悪魔にでもなってやる。
もう二度と、大事な人を失いたくない。
「じゃあ私たちは共犯だね」
泣き笑いの様に崩れた顔を上げた彼女が愛おしくて。
ラグナはより強くミストを抱きしめた。
5
漆黒の闇の中でラグナは立っていた。目の前には白亜の虚像が立っている。
夢か。なんとなくだが、そう理解できた。
《落ち着いているね》
「夢の中まで入り込んでくるのな、お前」
《私は何処にでもいて、何処にもいない存在。だが、安心したまえ。夢の中の私はいるだけで何も出来はしない》
「そうかい。で、言ってた通り答えを聞きに来たのか?」
《その通りだ。今一度、聞こうか。力が欲しいか? ラグナ・マクレガー、君はすべてを破壊し、すべてを守る事の出来る、絶対たる力を欲するか?》
一拍置いてからラグナは揺るぎない眼差しを白い影に向けた。
《ほう? いい眼になったな。昨日までの腑抜けぶりが嘘のようだ》
「別に。ただ、腹括っただけさ」
《それはどんな覚悟だ? ミストを見捨てるという覚悟か?》
「逆さ。昨日アンタは俺に悪魔に魂を売り渡す覚悟があるか、と聞いたよな? んで、足りない頭で考えたんだけどさ――」
シニカルな笑みを浮かべ照れを隠す。
「やっぱり俺はミストを守りたいんだ」
気負っていた感情を一気に吐き出すように息を吐く。
ラグナ・マクレガーは、エルニド戦役で人の死を見過ぎた影響で人の生死に敏感だ。
この人の命が軽い殺伐とした時代の中で殺人に対する嫌悪感は誰よりも強い。
だが、それでも見ず知らずの他人の命より、ミストが笑顔でいられる事の方が大切なのだ。
「結局さ、そういう事なんだと、思う」
だから、戦う。
誰に恨まれても、罵られても。
ラグナ・マクレガーは剣を振るい続ける。
白い影は揺れた。
《ラグナ・マクレガー。君はたった今、『トルキアの遺産』の適格者と認定する》
「トルキアの遺産? 適格者……?」
《テルミナへ行け。そこで君はとある武器を手に入れる》
オウム返し聞くも白い影は質問を無視して話を進める。
《ホムンクルスの源流魔導にも対抗しうる強力な魔剣。星の記憶より力を得るその剣の銘は―――――――――カゼノアサギリ》
―――――――――――第二部 完―――――――――




