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第八話


薪を置き、鉈の刃を軽く食い込ませる。そして振り上げ一気に割った。汗が一筋頬を伝う。ラグナは世話になったベンジャミンの家の薪割りをしている真っ最中だった。

ベンジャミンはそんな事はいいと言っていたがやはり世話になり助けてもらった礼をしないのは気持ち悪い。彼はこう見えて義理堅いのである。


「お疲れ、様」


疲れたであろう頃会いを見計らったかの様に現れるベンジャミン。

彼が持ってきた飲み物を受け取り一気に飲み干した。


「ミストは?」

「寝てます。今夜は徹夜で森越えですからもうしばらく寝床をお借りします」

「構わ、ないよ」

「色々あって疲れたんだと思います。普段あれですけど、1人で抱え込みがちな奴ですから」

「彼女の事を、よく、わかっているんだね」

「付き合い長いですから」


照れを隠す様に笑う。


「疲れてる、なら、もっと、ゆっくりしていっても、いいんだけど?」

「ありがとうございます。けど巻き込む訳にはいきませんから」


ベンジャミンの提案は本当に有り難い。

だが、敵が丁寧にもベンジャミンを巻き込まないとは限らない。いや、それどころか彼がラグナと敵との戦闘に介入して敵対する者を1人殺してしまっている。自分達が離れなければベンジャミン自身も任務のついでに報復として消されてしまう可能性だって考えられる。自分達が去ってしまえば態々優先順位を変更してまでベンジャミンに危害を加える理由もないであろう。


「君達、が、何に追われているのかは、私は、聞くつもりはないよ」

「…………」

「だが、これだけは覚えておいた方がいい」


ベンジャミンの眼光が鋭くなる。これまでの柔和な雰囲気が霧散し、まるで凍てついた刃のような雰囲気を纏う。圧倒されそうになり、息を呑んだ。


「戦いの最中に敵に情けをかけるのはやめなさい」

「――――ッ!?」

「昨日の戦闘。少し見ただけだったけど、君が人の命を奪う事に抵抗を覚えている事はすぐにわかったよ」

「…………」

「その優しさは貴重だよ。しかし、その美徳は殺し合いの場では破滅を呼び寄せる」

「なっ――! そんなこと!」

「私は!」


反論しようといたラグナの声は語気を強めて抑え込まれた。穏和な印象であったベンジャミンが声を荒げた事に驚き絶句した。


「私は、知っているんだよ。敵に情けをかければ、自分の大切なものを喪う事になると……」

「…………」

「少し、私の話を聞いてくれるかい?」


無言で首を縦に。驚き半分。そして、ベンジャミンの悲痛な表情を前に拒否する事など出来ようはずもない。ラグナは黙って彼が話すのを待った。


「私は、連邦の兵士だった」


連邦。トラヴィス大陸南部に位置する遺跡都市ジャ・タンカを宗主国とした自治共同体。

古代文明の遺産である技術を出土・復元する事で繁栄を築いており、冷戦中で同じく技術大国の帝国とは違うベクトルでの高い技術を誇る。ベンジャミンの持つ『銃』も古代文明の遺物を出土・復元したオーバーテクノロジーの一種なのであろう。


「国内に侵入して諜報活動を行う帝国軍の工作員を捕縛・尋問する事が私の仕事でね、その為にはどんな残酷なやり口も辞さなかった。だけど、ある日ひょんなことから捕まえた工作員に私の娘と同じ年くらいの子供がいる事を知った。以来、良心の呵責に苦しむようになって……。命乞いをされて、私は――その工作員を死亡扱いにして、逃がしてしまったんだよ……。その結果、何が起こったと思う?」

「……なにが、あったんです?」


ベンジャミンは震えながら俯き頭を抱えた。


「妻と子が殺された。よりにもよって私が見逃した工作員によって……!」

「――――ッ、そんな……、そんなことって……!」

「当然なんだよ。そいつは帝国の兵士で、私は連邦の兵士。互いに敵同士。私の甘さが、私が何よりも守りたいと願った家族を死に至らしめた!」


もし、あの時いつも通り敵の命を度外視した尋問を行っていられたなら。

もし、良心の呵責など抱かなかったら。

もし、あの工作員に自分と同じ年くらいの子供がいると知る事がなかったら。


誰よりも、何よりも、何に引き換えにしても守りたかった家族を失わずにすんだだろうか。


そんなIFの結末を一体幾千の夜に渡り想像してきただろうか。

今となっては思い返す事も虚しい。


「何もかも失ってからでは遅いんだよ、何もかも……。遅すぎるんだ……」

「でも、その為に人を殺すなんて……! 敵にも家族や大切な人がいるんでしょ! なんでそんな、簡単に! どいつもこいつもなんでそんなに簡単に……、死ねとか、殺せなんて……!」

「殺したくないなら彼女、ミストを見捨てるしかない。敵を殺さずに誰かを守り切るなんて、夢物語だよ」

「――――ッ、あんた!」


ラグナの怒気を前にしてもベンジャミンは表情を崩さない。

しばらく互いに睨み合っていたが、やがてベンジャミンは軽く息を吐いて立ち上がった。


「どの道を選ぶにしても決めるのは君自身だ。けどこれだけは覚えておきなさい。闘いの場で武器をとるという事は味方か、敵。そのどちらかが死ぬという事だということを。それだけは努々忘れてはいけないよ」


立ち去る背中は一度も此方を振り向かない。

歯を食いしばり、握った拳に爪が食い込み血が流れた。眼を反らしようのない重大な選択を迫られている。どうしようもない息苦しさばかりが彼の心を締め付けた。


「それでも、それでも俺は……!」


絞り出した言葉は誰の耳にも届く事は無かった。



テルミナの森。ベンジャミンの家から1キロ程離れた岩場で生き残った白装束達は襲撃の時間まで情報収集を行っていた。

データベース照合…………ヒット。

ベンジャミン・メルストン。

元連邦軍憲兵特佐。表向きは技術職であるがその実態は帝国軍工作員を取り締まる暗部に所属。ND1049に死亡確認。遺体は同僚である連邦兵によって彼の妻と共に埋葬された。


「どういう事だ?」

「わからん。しかし、死んだはずの人間が生きていたという事は軍では珍しい事でもあるまい」

「しかし、当時遺体も確認されている。記録と照らし合わせても間違いなく『ベンジャミン・メルストン』という人間は死亡している。在り得ない事だ」

「考えるな」


今まで黙っていた男がそう断じる。


「奴の正体がなんであれ我々の任務は変わらない。『鍵』である少女の確保。そして邪魔者の排除。考えるのは上の仕事だ」


男は感情がないかのように淡々と告げる。


「古代文明の遺産を使いこなす者がいる以上、迂闊には手を出せない。が、奴と交戦しなくてはならない理由もない。捨ておいてもいいだろう。それより今夜だ。闇に乗じて奇襲をかける。各自それまで監視を続けつつ待機」

「「了解」」



誰もが寝静まった夜中。

深い闇から滲み出るようにレムレースは現れる。夜闇は彼らの隣人。師は彼らの友。

音を立てずに忍び寄る死の気配を運ぶかのように。

気配を殺し、白い仮面を被った三人はベンジャミンの住む家へと足を踏み入れる。

階段を上り静かに扉を開ける。右手にはナイフを握り布団を捲る。


「――――ッ!?」


仮面の下の表情が強張った。

布団の下には標的の姿は無く、代わりに巻き藁が一つ置いてあるだけであった。

自分達が欺かれていた事に気がついたときには時すでに遅し。

突然背後から首を締め付けられる。

首から鈍い音と短い断末魔を上げて沈黙する。

隣の部屋からベンジャミンを抑えに向かっていたリーダー格の男が部屋に飛び込んだ。


「ベンジャミン・メルストン……!?」

「遅、かったね。待ち、くたびれたよ……」


軽い挨拶をかわす。まるで旧友を迎え入れるかのように穏やかに。


「何故……」

「愚問、だよ。君達暗部を、取り締まるのが、私の専門、分野。ならば君達の思考くらい読めて、当たり前」

「バカな……! どうやって監視の眼を掻い潜った!?」

「教える、義理は……ない!!」


一瞬で間合いを詰めてナイフによる一撃を見舞う。

リーダー格の男はそれを受け止めて応戦をする。眼にも止まらぬナイフの斬り合い。

互い圧倒的な手数を出しながらも白刃は一撃として両者の体を掠める事は無い。

ナイフ戦の技量は一見すると互角。だが、ベンジャミンは奥の手を出していない。

自分と敵の戦闘技術が互角の場合、勝敗を分けるのは如何に相手の意表を突くかであるとベンジャミンは考える。

そして、それらの手を前もって複数準備しておくのがベンジャミン・メルストンの常套手段である。左の袖口に仕込んだ真っ黒に塗ったナイフ。

力加減ひとつで手元に飛び出るようになっている。夜闇が保護色となり相手からは見えないであろう。

首筋を狙って来るナイフを弾く。そして、首を攻撃して意識を上に持っていく。

左の袖口から黒いナイフが飛びだす。握り絞めると死角を通り腹部を狙った。


――ガキン!!


火花を散らし、両者の動きが止まる。


「……決まったと思ったけど、さすがに厄介だね」

「貴様は私達暗部の思考が読めると言ったな? ならばその逆も然りだ」

「…………本当に厄介な」

「なに、本当に厄介なのはこれからさ」


音もなく背後から襲い来る別のレムレースの一撃を辛うじて躱す。

どうやら探索を終えてターゲットであるミストが既にこの家にはいない事はバレているようだ。


「さて、我々の任務は君と交戦する事ではない。私としてはこのまま我々を見なかった事にしていつもの日常に戻ることをお勧めするがね」


部下を殺害された事。任務の邪魔をされた事は業腹ではあるが、今はそれよりも任務優先である。もし、部下を喪った上に任務失敗という事態になればアハット少将による制裁は逃れられまい。生き延びるためには失態を補う程の功績をあげて足元を固めなければ。

小さな事に拘泥していれば最優先事項を取り逃してしまう。


彼の提案を吟味するようにベンジャミンは止まり、溜息をついた。


「確かに、君の言う、通りだね。君達には、私と敵対する、理由はない」

「そうだろう? ならば――」

「返事はNOだ」

「なに?」

「君達に争う理由は無くても私には帝国に少々恨みがあってね」


怜悧な瞳でレムレースの男たちを射抜く。腰を低く、両手にナイフを構えた。


「嫌がらせをさせてもらう」


リーダー格の男の顔が怒りで朱に染まる。


「…………、バカが。見逃してやると言っているのに!」


その言葉が合図となり部下の男と同時にベンジャミンに襲いかかった。



ラグナはミストの手を引き、暗い森の中を走っていた。


「ベンさん、大丈夫かな?」

「大丈夫さ。連中の狙いは俺達だ。なら、無意味にベンさんと戦うなんて事はしないはず」


幻覚の魔導術式万華鏡を駆使して監視の眼を掻い潜った彼らは真っ直ぐにテルミナの街を目指す。一抹の不安は過ったが、ベンジャミンの実力を知っている以上、白装束達は自分達を追って来るはずである。この暗闇と万華鏡を併用すれば逃げ切る自信はある。

連中もバカではない。街中で戦闘を行えば嫌でも目立つ。そして、暗部である彼らが目立てば共和国の警吏が介入してくる。万が一にも他国の領内での戦闘が表沙汰に出れば領土侵犯として帝国の弱みとなる。

故にテルミナの町に入ればラグナ達の勝ちだ。


出来れば戦闘は避けたい。

命の奪い合いなど、真平御免だ。戦わずに済むならそれに越した事は無い。


不安定な足場を蹴り、浅い丘を越えた向こうにテルミナの町の街灯が視界に入る。

あと少し。

弾む息を呑みこんだその時。突風が吹いた。

明らかに異質な気配に野鳥は眠りから覚め、騒ぎ始める。


ミストは息を呑む。

帝国のホムンクルス達が襲撃してきた夜。

自分の部屋に現れた白い影。

あまりに現実離れしていた事象にそれが白昼夢だと思い込んでいたそれが彼らの前に姿を現したのである。


ラグナはミストを庇うように前に立ち、剣を抜いて切っ先を白い影に向ける。


「誰だ?」


一挙手一投足さえも見逃さない様に気を張りつめて警戒する。

白い影はラグナの問いに答えずに陽炎のように一度だけ揺れた。


『いいのかい?』

「何がだ」

『戦っている。彼、ベンジャミン・メルストン』

「――――ッ!?」


愕然となった。彼がレムレースに狙われる理由は自分達を捕えるという任務よりも重要であるというのか。

少し考えてからラグナはその考えを否定した。

ベンジャミンの家族は帝国の暗部によって殺害されている。帝国の暗部にはベンジャミンと戦う理由は無くとも、ベンジャミンには帝国の暗部に復讐する理由がある。

彼が攻撃を仕掛ければ帝国の暗部はベンジャミンを障害と見なして排除にかかるであろう事は簡単に予想できる。

予想できた筈だ。それなのに、自分の見積もりの甘さにラグナは薄い唇を嚙んだ。

戻るべきか?

いや、ちょっと待て。

今この場では目の前に行き成り出された情報を鵜呑みにする事が一番危ない。

ましてやその情報を持ってきた者が得体のしれない奴だ。信用性はかなり怪しい。

こんな時こそ冷静に――


「戻るわよ!」

「ってオイ!!」


あまりに猪突猛進でシンプルな答えにラグナは思わず突っ込んだ。

自分はボケ担当のはずなのに! というどうでもいい事は頭の片隅に追いやって踵を返したミストの前に立つ。


「待てよ。待て待て、この猪娘! 目の前に出された情報が正確かどうかすらわからないのに迂闊に動くんじゃない」

「それでも、私の所為で襲われてるかもしれないベンさんを放っておくわけにはいかないじゃない!」

「それにしたってベンさんが危ないって情報を持ってきたコイツが帝国の刺客かも知れないんだぞ!?」

「けどね、ラグナ。もしこの人が帝国の刺客だとしたら態々私達の前に姿を見せるかな?」


ラグナは怪訝そうに眉を寄せる。


「私ならね、目の前に立たずに一番最初に不意打ちするわ。周りは遮蔽物だらけで、オマケに今は夜。最初から前に立つよりもその方が楽だもの」

「…………、確かにお前に言い分は理に敵ってるけどさ、それ自体が罠って可能性も――」

「そこまで疑ってたらキリがないじゃない。アンタが私の為に色々考えてくれてるのは分かってるつもりだけど、やっぱり私見捨てたくない。我儘だってわかってる。けど――それでも――」


それ以上上手く言葉に出来なくて、口を噤む。

思い出すのはベンジャミンの出してくれた温かいスープの味。

自治区を追放されて、傷ついた心にあの温かさと優しさは染みわたった。

一時でも安らぎをくれた人を見捨てるなんて出来はしない。


「…………、わかったよ」


ミストの必死な様子に根負けするようにラグナは両手を上げて降参のポーズをする。

彼だってベンジャミンを見捨てたくはないのである。


「一応聞いておくぞ。アンタは俺達の敵じゃないんだな?」

『私に敵対の意思は無い。此方としてもミストを帝国に渡したくないのでね。私の事は信用しなくてもいいが、先ほどの情報だけは真実だ』

「…………、わかった」


疑っていても何も始まらない。

今だけこの胡散臭い謎の物体の言葉を信用するとして踵を返してベンジャミンの元へと向かう。


『これだけは覚えておきなさい。闘いの場で武器をとるという事は味方か、敵。そのどちらかが死ぬという事だということを』

『何かを守ろうってのに、相手を殺す覚悟すらねェ。そういう中途半端がよォ、ムカつくんだよォ!!』


脳裏を過るのはベンジャミンと黒狗と呼ばれたホムンクルスの言葉。

今でも黒狗を刺した時の感触が手に残っている。


――覚悟……。俺に人を殺す事が出来るのか……?


剣の鞘を握り締め自問自答するも答えを返してくれる者はいない。

自分の中で答えが出ないまま、彼は夜の闇を駆けて行った。



ラグナとミストが去った後、白い影の揺れが激しくなる。


『やはりまだ安定しないな。私が歴史の表に出るのはまだまだ先になりそうだ』


ラグナ達が向かった森を見て彼は小さく笑った。


『あれが今代のラグナか(・・・・・・・)。中々に面白い素材だ』


ラグナ・マクレガー。

魔王としての道を歩む『黒狗』コルト・アサギリを討つ事を運命づけられた男。

そして、トルキアの至宝を継承し、システムの器となるべき人間。


『さあ、共に歴史を紡ごうか……。私の可愛い操り人形達よ……』


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