姉の身代わりに嫁いだ辺境で、私は私になれた
私は、いつも「妹」だった。
評判が良く、社交的で、美しい姉、ユースタシアの妹。
それが、私だった。
私はいま、姉の代わりに辺境伯の次男の元へ嫁ぐため、馬車に揺られている。
ゆっくりと流れる景色。馬車は都を出て草原を行く。
特別な感情は湧いてこない。ただ胸の奥を刺すのは、人生への少しの諦めのような、後悔のような、そんな小さな棘であった。
*
少し前の話になる。
「やあ、ユースタシアの妹さん。お姉さんはいるかい?」
庭先を掃いていると、声をかけられた。
見知った顔。姉のお客様だ。
オフィーリア。それが私の名前。
けれど、誰もそうは呼ばない。名前を呼ぶのは家族くらいだ。
「ええ、おりますわ。呼んでまいりますのでおかけになってお待ちください」
私と姉は都で一番の大店、トルド商会の二人娘。
だから我が家にはさまざまなお客様がいらっしゃる。父や、姉あてに。仕入れ元の商会や、お得意先の貴族様たち。
「あら、いらっしゃいませエフォートさん。そちらの商会は順調?」
呼ぶ前に姉が降りてきて、お客様と話し始める。
私はお茶の準備に向かう。いつものことだ。
家はこういう形で順調に回っている。私がでしゃばることなんてない。帳簿の処理がせいぜいお似合い。そう生きてきたし、そう信じていた。
そんなある日、お父様が家族を集めた。
大事な話があると。
「今日はユースタシアへの縁談をもってきた。テオドール辺境伯家の次男、アルバート様だ。どうだ、良いご縁だろう」
大店の娘が貴族に嫁ぐのはそう珍しいことではない。関係性の構築はどちらにも利点がある。
テオドール家は東の地方領を任される辺境伯家。帳簿から取引内容を知っている。主に農作物の仕入れ元として、我が家とも長らくの大きな取引がある。我が家にとって良い……言い換えれば都合の良い取引先である。
「次男の方なの? 領地を継げもしないじゃない。私いやよ」
姉ははっきりとした性格だ。
我が家は貴族ではない。商会は順調で辺境伯家に嫁がねばならないという事情もない。姉の気持ちは理解できる。
そもそも、姉には想い人がいる。ファルマー宰相補佐。王宮の仕入れや出納を司る方で、仕事のつながりで出会い、交際は順調なはず。お父様も知っているはずだ。
好きな人と一緒になれることは、貴族に対して平民が持つ数少ない利点でもある。
「そうは言うが……大事な取引先だ、そう無碍にするわけにもいかん」
「じゃあ、オフィーリア、どう? あなただって我が家の娘、先方も次男ならこちらも次女でちょうどいいんじゃない?」
私の意見は求められない。この様な大事な話であっても。いつもの姉。いつもの家族の会話。
風が吹けば花が散り、そしていずれ地に着くように。誰に悪気があるわけではない。これが自然なことであった。
「そうか。都で評判のユースタシアをぜひにとのことだったが……ふむ。それもそうだな」
父は商人。中央に実務的な影響力のあるファルマーさんと辺境伯を天秤にかけて、ファルマーさんに秤は傾いたのだろう。
「オフィーリア、行ってくれるか」
全く気分の良い話ではない。
確かに私も結婚の話が出てもおかしくはない歳。それでいて良い人もいないし、家のためにもなる話だ。
だからといって会ったこともない人に嫁げと言われて良い気分はしない。まして姉が嫌だと言ったからなんて。
しかし、これは姉を贔屓した話ではない。父はいつだって商会の事を第一に考えている。それは娘の私がよくわかっている。
だから、お父様の言葉は無理強いではない。しかし、だからこそ恨む先もない。
姉と違い私には断る理由はない。父も、母も姉も、そんな私が断るとは微塵も思っていない。
なぜなら、それが私の人生の形だったから。
「……わかりました」
私の人生は、私が決めるものではない。
私もそう思っていた。
*
馬車がついに辺境伯のお屋敷に到着した。
丸三日の旅であった。
秋口の風が、草と土の香りを運ぶ。
広い庭園を馬車で幾分もかけて通り抜けて、やっとたどり着くお屋敷。
何もかもが都の中央の家とは異なっていた。
先方は妹に替わるという申し出を快く飲んだ。
貴族とはそういうものなのだろう。結婚とは家と家を結ぶもの。それが姉から妹にすげかわったところで些細な問題なのだ。
父とテオドール辺境伯は旧知の仲。私は初対面。もちろん、結婚相手のアルバート様もだ。
「おおこれはトルド殿、ようこそいらっしゃった。お初にお目にかかります、ご令嬢。私がヴィルヘルム・テオドールだ」
豪胆な、大きな声。辺境伯は軍人の家系。それに違わぬ体格をしている。
「お初にお目にかかります、テオドール辺境伯。オフィーリア・トルドと申します」
上手く笑えただろうか。
「長旅で疲れただろう、さ、中で休まれると良い。アルバートも首を長くして待っておったぞ」
テオドール辺境伯は馬車から降りる私の手を取ってくれる。
見た目は軍人然とした方だが、紳士的な振る舞いをされる。
でもやはりこの方にとって私は私ではなく父の娘なのだろう。
屋敷の中に入り、応接間に通される。
中に、くすんだ金髪を持つ青年が待っていた。
細身で、長身。テオドール辺境伯に比べると華奢に見える。
こちらに歩み寄り、膝をつく。
「初めまして、オフィーリア・トルド嬢。私がアルバート・テオドールです。お初にお目にかかります。この度は我が申し出にお応えいただき感謝いたします」
私の手を取りご挨拶をされる。礼儀正しい貴族の青年。
ああ、この屋敷に着いて初めて名前を呼ばれた。結婚する相手の名前を覚えておくなんて当たり前のことだけれど、少し嬉しかった。
「オフィーリア・トルドです。テオドール辺境伯家に名を連ねられるなど商家の身に余る光栄でございます」
形式的なものであるが、その後の初顔合わせは和やかに進んだ。お父様の用意した結納品は手抜かりがなく、辺境伯はご満悦。
アルバート様は実直な方という印象だった。まだ軽くお話をした程度だが、少なくともこの縁談を大切に考えてくれていることは確かなようだった。
特別な期待はない。いや、期待しないことにしている。しかし私も人並みの緊張はする。彼の気遣いはそれを幾ばくか溶かしてくれた。
式は少し先に都の大聖堂で執り行われる。その間私は婚約者としてこの家で辺境伯家の流儀や作法などを学ぶために滞在する。
お父様が帰路に着いたあと、少し時間が空いたので三階のテラスから夕暮れに沈む風景を眺めていた。
庭園の木々の影が伸び、やがて宵闇に落ちることを予告している。そこを風が駆け抜け、影を揺らしていく。
ここに生涯暮らすことになるのか。
いや、アルバート様は次男だからゆくゆくは家を出るのだろうか。
そんなことを考えていると、アルバート様がいらっしゃった。
「オフィーリア殿。我が家はいかがですか。おくつろぎいただけそうですか」
「ええ、もちろんですわ。皆様にも歓迎いただきまして」
考え事をそらすように、器用ならざる笑顔を作る。
社交は姉の役目だった。慣れない仕草だ。
「そう言っていただけると私も嬉しい。辺境伯領というのは案外やる事が多いものでね、兄や父は国境防衛の任のため砦に詰めていることが多いのです。その代わり、屋敷や領地の経営が私の領分なのですよ」
防衛については明るくなかった。辺境を任されるということは、そういうことなのだろう。
領地の経営という事は、我が家との商いを司る方という事か。
帳簿の記録を思い出す。
「皆様大変なお役目を務められているのですね。それであればアルバート様が商家との繋がりを堅固にされようというのも納得です」
まさに良縁。家にとっては。
「……君は私との結婚をどう思っている?」
唐突な質問。
意図は。どう答えるべきか。
わずかに間が開く。
「光栄なことだと」
無難な手本を口にする。少し唇が震えたかもしれない。
「そういうことではなく、だな。家と家の打算のための犠牲者だと感じていないかと思ってね」
感じていないかと言えば嘘になる。ただ、犠牲というより、それが人生ではないか。そのなかで掴める幸せを掴んで生きていくものではないのか。
そこに嫁ぐのならば、本音であっても口に出すべきことではないのではないか。
それも貴族の身にある方が、あえてそれを問うだろうか。
「いや、突然すまなかった。覚悟をもって来てくれた君に対し、大変に失礼な事を申しました」
私の無言を抗議と受け取ったか、アルバート様が頭を下げる。
「気を悪くしないで聞いて欲しいのだが……私は都に滞在することも多く、そこで君の姉君の話はよく耳にした。しかし君の話は聞いた覚えがない」
ああ、また姉の話か。この方も。
「その事からも、その、君はあまり表立って活動したり主張する方ではないとお見受けした。そんな君がわざわざ姉宛ての、しかも会ったこともない辺境に住む次男坊との結婚に立候補するとは思い難い」
些かの逡巡。少しの間をおいて続ける。
「逆に姉君も含め、断るという可能性は理解できる。……つまり、押し付けられて嫌々来たのではないか、と心配になってな」
私は目を丸くして、アルバート様を見つめてしまった。
実の家族が誰一人として気にしなかったこと。
私本人ですら当然と思っていたこと。
それを、まだ家族にもなっていない方が心配してくれている。
自然と、涙が頬を伝った。
「ああ、やはり嫌だったのか。どうか泣かないでほしい。君さえ良ければと思っていたが、そういうことであれば考え直さねば」
アルバート様がうろたえる。
「いえ、そうではなく……ただ、嬉しくて」
良くも悪くも……いや、はじめは良い気がしなかったのは確かだ。
けれど、今の私はただ嬉しくて泣いていた。
夜風と夕闇が、二人を優しく包み込んだ。
*
「昨日は申し訳なかった。不徳のいたすところでした」
翌日、アルバート様は会うなり頭を下げた。
「昨日も申しましたが、あれは嬉し涙ですわ。こちらこそ突然涙を見せるようなことをして、失礼しました」
本当に謝られるようなことではなく、恐縮してしまう。
「それで……今回の話は本当に進めて良いのですね?」
「はい。ご心配いただきありがとうございました。アルバート様がお嫌でなければ、ぜひ」
この方は真摯に私との結婚について考えてくれている。
少なくとも、私の家族よりも。
「今日の夕方ごろ、兄上が一時帰宅する。夕食のときにオフィーリア殿を紹介しようと思うが、特に予定がないならその前に一緒に出迎えるか?」
私に、どうしたいかを聞いてくれる。
彼にとっては当たり前のことかもしれない。でも私には新鮮な感覚。
「ご迷惑でなければ、お出迎えしたいですわ」
「わかった。家の者にも伝えておく。兄上、フリードリヒは根っからの軍人だ。少し面食らうかもしれないが気にしないでくれ」
アルバート様から忠告いただく。
軍人の方とはあまり面識がない。テオドール辺境伯のようなタイプだろうか。
夕刻に差し掛かった頃。
馬車ではなく、自ら馬にまたがりフリードリヒ様がお帰りになった。
「戻ったぞ。馬を頼む。まずは着替えたい」
早足でエントランスに入られる。
背の高さはアルバート様と同じくらいだろうか。しかし体格が相当にがっしりとしていて、兄弟と言われなければわからない。
切れ長の目に近いアルバート様と似た目の形なのだが、厳しい目つきという印象が強い。
「兄上、お帰りなさい。紹介したい人がいるのだが」
アルバート様が声をかける。
「ああ? アルバート、後にしろ。ん?」
私に目を向ける。
「私の婚約者のオフィーリア殿だ。紹介したい」
アルバート様から目で合図をされる。
「あ、お初にお目にかかりま……」
「後にしろと言っている」
挨拶を遮り、フリードリヒ様は歩き出す。
「兄上!」
アルバート様が後を追う。
婚約者が歓迎されるばかりではない。アルバート様が特別なのだ。
わかってはいた。わかってはいたが。
「……失礼いたしました」
二人の背中に届くか否か、小さな声を振り絞る。
いないような扱いをされることは慣れている。だから涙は出てこない。
しかし、しばらくその場から動けずにいた。
夕食時。
フリードリヒ様の久々のご帰還を祝し、皆での食事会。私も末席に連なった。
「アルバート。さっきは悪かったな。紹介しろ」
皆が席についての開口一番、フリードリヒ様が言った。
「兄上……まあ、後だ。こちらはオフィーリア殿。私の婚約者だ」
立ち上がりご挨拶をする。
「お初にお目にかかります。オフィーリア・トルドと申します。先ほどはお急ぎの折に失礼いたしました」
「商売人の娘だったな。我が家のためになるのだろうな?」
値踏みするような目。少なくとも礼を欠かないように気をつけるつもりはなさそうだ。
「フリードリヒ。物言いに気をつけよ」
テオドール辺境伯が見かねてたしなめる。
「は。失礼したな。我らが家名に恥じぬよう、せいぜい励むことだ」
「兄上!」
「かしこまりました」
家と同じ。
無表情で礼をし、席に着く。
皆様には少し違和感があっただろうか? 皆が私を無言で見ている。
「あ、いえ。これからよろしくお願いいたします」
笑顔で誤魔化した。
誤魔化せただろうか。
食事の後、アルバート様が部屋に来てくれた。
「申し訳なかった。兄上はいつもああでな。あれで特別悪気があるわけではないのだが……普段はいないし、気にしないでくれ」
「大丈夫です、気にしておりませんわ。似たような扱いには慣れておりますので」
嘘だ。
慣れたものではあるが、気にならないはずがない。
アルバート様が、私の右手を両手で優しく包む。
「その様には見えない。どうか、私相手には無理をしないでほしい」
「私は平民の身分ながらテオドール家に加えていただく身なのですから。……本音を言えば、少しだけ、堪えましたけれども」
「その様な事まで言わせてしまって、すまない。至らぬ私のせいだな」
アルバート様が、私を優しく抱きしめてくれる。
肩に触れる温かい手のぬくもりが、私の鼓動をいくばくか早める。
「私は、軍人の家系に生まれたが、兄上の様な武芸や戦の才能は無くてな。だがそれは役割の違いだと思っていた。君の家との縁談だって、役割を堅固にするためのものだった。君に実際に会うまでは」
すぐ近くから聞こえる声には、自嘲のような響きが含まれていた。
「貴族としては失格なのかもしれない。しかし、君が声を震わせるのを。本心ならざる言葉を紡ぐ姿を。見聞きするたびに胸が締め付けられるのだ」
アルバート様は、二、三度小さく首を横に振る。
「今日は疲れたろう、ゆっくり休んでくれ。兄上にはきつく言っておく」
私は、受け入れることが決断だと思っていた。
けれど、それがすべてではない事をこの人は教えてくれた。
翌日。
フリードリヒ様と廊下で行き違う。
私は端へ避け、礼をする。
「おう、昨日は悪かったな」
声を掛けられる。
「いえ」
目を伏せたまま、最低限の返答。
「まあ、そう閉ざすな。昨日アルバートのやつが苦言を呈しに来た。あいつがあれほどの迫力でものを言うとは思っていなかったぞ」
「えっ」
思わず顔を上げる。
「あいつは昔から頭は切れるが軟弱だった。俺に歯向かうなどしたこともなかったが、なかなかどうして。お前が来たお陰なのだろう。お前との婚約というものをみくびるものではなかった。あいつを強い男にしてやってくれ」
フリードリヒ様は、ひとしきり言いたい事を言うと豪快に笑いながら行ってしまった。
アルバート様。
まだ出会ってたった三日。私のお陰などではなく、商家の娘と結婚するという決心が彼を変えたのだろう。
見てくれではなく、本当の意味での優しさと責任感をお持ちなのだろう。そして、無理をしてでもその立場にふさわしくあろうとされている。
彼がかけてくれる思いやりに、私も応えたい。いや、応えねば。
*
それからしばらく経った。
「何か、困り事はありませんか」
アルバート様は、毎日気にかけてくださる。
だけれど、言い方がいつも事務確認みたい。お気持ちはよく伝わるのに。
これがこの人なんだとわかってきた。
「お気遣いありがとうございます。何も問題ありませんわ。皆様よくしてくださってますもの」
いつもなら、そうか、といって会話が終わる。
今日はアルバート様が何かを言いたそうに立ち止まったままだ。
「……なにかございますか?」
「その……こういうことに器用でないので格好の良い誘い方ではないかもしれないが……少し、外を歩きませんか」
「はい、アルバート様」
彼の腕に軽く腕を絡ませる。
ぎゅっとする勇気はまだ出ない。不器用同士。
「私も、同じですわ」
庭園は、秋の柔らかな日差しに満たされ、赤や黄に染まった木々のアーチができている。
歩きながら、アルバート様は木々を紹介してくれた。夏になると実をつけるもの、春には花の咲くもの、この辺り特有の花。
「草木の話ばかりですまないな」
「あら、とっても楽しいですわ。都でこんな立派な庭園はなかなか見られませんもの」
心からの笑顔が溢れる。本当に、このような庭園は王宮か、王立公園くらいではないだろうか。何よりアルバート様と二人きりでお話できることが嬉しかった。
「君は、花が好きなのか」
「ええ。お花が嫌いな人はそうはいませんでしょう。アルバート様は?」
「そうか。私は……そうだな。嫌いではない。美しさ、可憐さ、強さなど感じるところはある。ただ、どうしても私には領地の産物に見えてしまう部分がある」
言わなくともよい本音をつい出してしまう。正直な方だ。
「ふふ、私より商人の素養がありそうですわね」
「商人、か。もしかしたら貴族より向いていたのかもしれないな」
アルバート様が私の顔を見る。
「少し、つまらない話をしても良いか」
「はい? なんでしょう」
二人でベンチに腰掛ける。
少し離れた噴水の音が響く。
アルバート様が地面を見ながら話し出す。
「私は、貴族だ。だから家のために妻を娶るというのは自然なことだと思っている。領地、領民を守るということも。辛いことがあろうとも、それが我々だ。だが、君は違う」
「はい。ですが、それは納得して来ておりますわ。それは、想像しきれていない事もたくさんあるでしょうけれど」
「そうだな、繰り返しのようになってすまない」
アルバート様が私の目を見て続ける。
赤茶色の真剣な瞳がまっすぐ私を映す。
「私は君に幸せになってもらいたい。はじめは貴族の責務として、平民から嫁ぐ妻を不幸にさせてはならないというくらいの思いだった。しかし、今は君を幸せにしたい。君に裏表なく笑顔でいてもらいたいのだ。だが――」
再び、地面に目を落とし、膝に立てた腕にあごを乗せる。
「貴族でない生まれの君に貴族である事を強いて、どう幸せになって貰えば良いのか。これがわからないでいる。辺境の貴族しか知らぬ見聞の狭さを今ほど呪わしいと思ったことはない」
まっすぐな言葉だった。
本当に不器用な人。本当に。
こんな、ついこの間まで会ったこともなかった、ただの商家の娘に。
――ありがとう。
「私だって、嫁いだ先の旦那様も幸せになってほしいに決まっています。それがアルバート様ならなおさらです。だから、二人で幸せを掴んでいきましょう」
笑顔で応える。
不思議だった。
こんなに自然に、心からの言葉を話せるなんて。
「しばらくは、作法で失敗してもかばってくださいね」
私は、人生を「そういうもの」だと思っていた。
この人も、人生は、貴族は「そういうもの」だと背負っていたのだろう。
私の棘を抜こうとしてくれるのならば、私もこの人の棘を抜いてあげたい。
笑顔が見られるように。そして、笑顔を向けられるように。
*
一ヶ月ほどが経った。
まだまだ覚えることだらけだけれど、お屋敷の方々とも打ち解け始め、生活が整ってきた。
領地の事情もわかってきた。特産物に対して私の家の影響が思いのほか大きいことも含め。
館には花瓶に活けた花が増えた。
アルバート様が、私のためにと。
今日は冷えるので、テラスの脇のお部屋でお茶を頂いている。この所作一つ一つにもルールが細かくある。これも勉強。
お相手はアルバート様。普段はお忙しくされているが、今日は時間があるそうだ。
「茶を頂く度にたわいもない話をするのも芸がないな。そうだな……今日は君の意見を聞かせてほしい。我々の結婚の領地経営への影響について、だ。どう思われる」
私は驚いた。
この方は領地経営について私に意見を求めている。私、自らの意見を。
「よろしいのですか? 私などが口を出して」
「もちろんだ。君が物事をよく見ているのは話をしていればわかるさ。外から来た者にしか見えぬものもあるだろう」
「では……商家と辺境伯家、利害は明白ですわ。競合に取られない仕入れ元、裏切らない販売先。先般のお話では防衛にも費用のかかることでしょうし、関係が堅固になれば領地運営は安定するでしょう。ただ……」
「ただ?」
「考えたくはありませんが、私の家が傾いた場合や、何か強い変化があったときに安定した関係が故に動けなくなるかもしれません。元の取引の構造が尾を引き、私の家に都合の良い面が少々強いかと」
実家の帳簿を思い出す。両者の取引に自由があるのはトルド商会の方だ。
なにより、商家で生まれ育ち、隆盛も、没落も、そばで見て来た。我が家は父がうまくやっている。しかし、明日は我が身というのは変わらない。
そのために客先の側として何ができるか、どうすべきか。準備のいる話だ。
「ありがとう。やはり君は言わないだけでよく見えている。聡明な女性だ」
「いえ、そんな……」
「オフィーリア、私は君の家との関係を考えて結婚を申し込んだのは間違いない。だが、君ならば、その幸せはそんな人質や置き物の様な扱いにはないのだろう」
アルバート様が私の手を取る。
「どうかこれからも、私に君の力を貸して欲しい」
この人はオフィーリアとして私を必要としてくれている。いえ、私を引き出してくれる。
認められ、この人のためにもっと頑張りたい。これまで感じたことのない感覚だった。
「喜んで」
私は変われる気がした。ここで、この人と。
アルバート様で、良かった。
*
しばし後に私は都へ戻り、結婚式の当日を迎えた。
私の家族、今日から正式に家族になる方々、皆勢ぞろいだ。父も、姉も、フリードリヒ様も。
「オフィーリアよ、弟をしっかり支えてくれよ」
フリードリヒ様がやってきた。
「あいつはお前のお陰で変わったよ。昨日もお前の自慢を散々聞かされたぞ。あいつはお前を買っている。今後を楽しみにしているぞ」
そう言って、去っていった。認めていただいたという事なのだろう。
本当に悪い人ではないのだろうけれど、兄弟そろって不器用なところはそっくり。
「押し付けちゃったみたいで、ごめんね」
今度は、姉が声をかけてくる。
今更の話だが、悪びれずに言う。姉は、姉のままだ。
「いえ。その代わり、うちの品は高く買っていただきますよ」
「うちの品」と言った私を、姉は驚いたように眺める。
「あら、私も負けていられないわね、アルバート・テオドール夫人」
これが私の静かな戦いの始まり。アルバート様……アルバートとの将来への。
「これはトルド商会が今よりもファルマーさんのお役に立てるようになれる、お手伝いですわよ?」
姉に耳打ちする。
「国の防衛の助力となれば名誉が得られます。そうすれば今よりも大手を振って王宮の仕事に手を出せるはずです」
「なるほどね。それにしても……環境が人を変える、か」
妹が自らの意見を説いて事を優位に運ぼうとするなど、姉は考えてもいなかったようだ。呆れたように笑う。しかし、どこか嬉しそうだ。
「今は、お譲りいただいて感謝していますわ、お姉さま」
私は、私。オフィーリアだと。やっと言えた気がする。
「オフィーリアの姉君ですね」
アルバートがやってくる。
「はい、あの子をよろしくお願いいたします」
まだ、都では私をユースタシアの妹という人は多いだろう。でも、ここに、ユースタシアをオフィーリアの姉と呼んでくれる人がいる。
だから、私は共に歩んでいくことができる。
まだ、一歩目だけれど。
ー エピローグ あるいはプロローグ ー
辺境伯領に戻り、新たな生活が始まった。
冬が過ぎ、春に差し掛かろうとしている。
庭園の草木も葉をつけ、気が早い花はつぼみを開き始めている。
私は、アルバートのために、いや、私たちのために動きはじめている。
過去五年分の物とお金の出入りを精査した。
収穫量のこと、卸値のこと、費用のこと。
帳簿の扱いは得意だ。数字から見えることはたくさんある。
私は一つの確信を得ていた。
「商会を作りましょう、アルバート。領地の売上を三割増しにできますわ」
紅茶をいただきながら、話を切り出す。
領地経営についての話はもう毎日のようにしているので互いに驚きはない。
「新たに? この領地にかい? 君の話はいつも新鮮な驚きをくれる。話していて飽きないよ」
「私もよ、アルバート。私も楽しくて仕方ないわ。領地の作物は豊作になると安く買い叩かれているのに、不作でも高くは買われていないでしょう。これは販売先が偏っているからなの。トルド商会とかにね」
もう、実家の商会を私の家と言うことはやめた。
私はこの辺境伯領に責任を持つ者の一員なのだから。
「興味深い申し出だが、私は君のご実家に不義理を働くつもりはないよ?」
「だから商会なのですわ。商会同士ならそれは取引です。相場を作るのがあちらからこちらになるだけですわ。古くからのお付き合いですから優先はして差し上げましょうね」
大量に一箇所に押し込むから安く買い叩かれる。保存や加工の手を持ち、売り先を分散させられれば安定する。
「買っていただく側から、売って差し上げる側になる、と」
アルバートは領地経営を担っているだけあり、利に聡い。彼も苦労をしてきた身だ。
「はい。姉は王宮の仕入れに深く関わる方と懇意にしておりますわ。トルド商会は近いうちに中央の仕事を多く請け負うことになるでしょう」
姉に言った言葉は嘘ではない。あの人は商機を逃さない。
ただ、こちらはその商機を知っている。それが強みになる。
私たちのために姉に差し向けた、商機。
「お姉さまの悔しがる顔が目に浮かびますわ」
王宮への依頼分は用立てが必須。こちらの特産品を避けては通れなくなることを意味する。
ささやかな、私の復讐。
「怖いお人だ」
アルバート様が私の横に座りなおす。
「あら、私の力を貸して欲しいと言ったのはどなたでしたっけ」
私はアルバートと一緒に歩むと決めた。
だから、その道は私も一緒に切り拓くのだ。
いたずらっ子のような微笑みを返すと、アルバートは私の腰を引き寄せ、顔を近づける。
「君に出会えてよかった」
「私もよ」
私はそっと目を閉じて身を任せた。
暖かくなってきた風が、二人を祝福するかのように花の香りを届けた。
お読みいただきありがとうございました。
不器用な二人の、愛と成長の物語、です。
じんわりと落ち着いたお話にしてみました。
お気に召しましたら評価や反応をいただけると嬉しいです。




