第2話 山奥での暮らし
傭兵部隊を脱隊してから俺は山奥で狩りをし野宿する生活を繰り返していた。
先輩兵士から没収したお金で町で暮らしてもよかったが、継続して収入が入る状態でもないのにそんなリスクを冒したくなかった。
そこで、先輩兵士から没収したお金で武器屋で狩猟用のナイフだけ購入し、山奥でサバイバル生活を送る事にした。
山奥に篭ってからは薪や弓など生き残るのに必要な物資は魔法又はナイフで作成し、日中のほとんどを食糧調達に使う事が多くなった。調味料や調理器具などどうしても必要な物資の調達で町に立ち寄る事はあってもそれ以外は山奥から出る事がなくなった。
傭兵生活自体に良い思い出はなかったが、体術や剣術、弓術が鍛えられたおかげか、サバイバル生活には役立ったため、その点では意味のあったことだと思えた。
その一方で、話し相手がいないからこそ嫌でも転生してからこれまでの苦難の日々を思い返さずにはいられなかった。
転落人生の始まりは教会管轄の魔法学園に通い始めてからだ。幼少期から物覚えが早く読み書きや会話ができるまでに時間がかからなかったためか、浮かれた親によって放り込まれたのだ。早々に魔法を習得させてゆくゆくは宮廷魔法使いにまで出世させ、養ってもらおうという魂胆が透けて見えていたが、前世では存在しなかったものを学べるだけあって入学を拒否する理由もなかった。前世でも良い大学に入り良い会社に入ることだけが全てという価値観しか知らなかったし教わらなかったため、今世でもその繰り返しかと幼い頃から内心では辟易していたが…。
魔法学園入学後はありとあらゆる魔術を習得し、同時にこの世界での一般常識も習得していったが、優秀な成績を取れば取るほど嫉妬の対象となり、いじめ被害に遭うまでにさして時間はかからなかった。出る杭は打たれるがこの世界でも常識だったようだ。
最初のうちはいじめ被害に遭っても受け流していた。しかし、いじめ行為はエスカレートしていった。もちろん、辞めるよう相手に話すこともあれば大人を頼ることもした。だが、止むこともなければ大人が助けてくれることもなかった。
我慢の限界が来ていじめをしてきた人間全てを単独で全員倒して謝るまで痛めつけたら事情も聞かれずに俺が悪者にされて終わりだった。相手がどんなに陰湿な嫌がらせをしてきたとしても公然と暴力を振るった側が常に悪者にされるのは前世も現世も変わらなかった。
いじめてきた相手全てに暴力を振るってから学園からは追い出され、親からは出来損ないと言われ捨てられたのは十歳になった頃だった。以来、傭兵部隊に入隊して食い繋いできた。
傭兵生活を送る中で体を鍛え、戦う術を学んだり、少ないながらももらった給料を今後の貯蓄にも充てていたが、そんな中で目をつけてきたのが先輩兵士達だった。指示されたことを卒なくこなす俺が先に出世していくことを危惧した先輩兵士達はありとあらゆる嫌がらせをしたり俺の給料をカツアゲしたりとやりたい放題だった。だから俺は先輩兵士に力を示し、人を虐げたらどんなしっぺ返しが来るかをわからせたかったが、集団のルールと年功序列の中では個の力などまるで意味をなさなかった。
組織に所属する事はどこに転生したとしても損しかないのかもしれない。
転生直前の夢を見るようになった今では転生してからも同じような条件や経験を繰り返すという言葉の意味をようやく理解できてきた。
今こうして山奥でサバイバル生活を送るまでの間、他人の人生を生きるか、生きるためだけにしたくもない仕事をしてきたと考えると、普通の人間らしい生活は送れないものの今自分の自由意志で生活している事はとても貴重な時間に思えた。転生する前も何もかも捨てて自然の中で過ごしていたら競争とか勝ち負けとか気にせず自分のしたいように生きる事ができたのだろうか…?
焚き火の爆ぜる音や川の流れの音を聞きながらぼんやりと考えているとガサガサと音がし、熊が姿を現した。
「グルル…」
唸り声を上げながら俺を睨みつける熊。前世の俺なら否応なしに殺されていただろう。野生の熊と身一つで戦う術など前世の学校では習わない。だが、今の俺は威圧されても痛痒にも感じなかった。権力を持ってるクズ人間のご機嫌取りをしていた時と違って、自分の本来の力が試される、誰も成果を奪う人間はいない。そう考えると不思議と気持ちが高揚した。
「何だ?俺を食べたいのか?」
俺がそう挑発すると問答無用とばかりに熊が突進してきた。俺は両足に魔力を込め、身体強化をかけて飛び上がった。更に熊の背中を踏み台にして再度跳躍。熊から間合いをとって着地した。
着地した俺に対して熊が更に突進してきた。攻撃魔法を用意する余裕を与えてくれない事にヤキモキしながらも熊の突進を再度避けた。安物でも良いから剣を買っておけば良かったと思いつつ俺は狩猟用ナイフを抜いた。
突進が意味をなさないことを学習したのか、熊は後ろ足で立ち上がって前足の爪で俺を攻撃してきた。剣があれば無防備な胸元に飛び込んで心臓を突き刺して仕留めるところだが、ナイフだけだとそんな致命傷を簡単には与えられない。どうしようか…。
そんな時、前世で得た知識の中に、宇宙空間に生身で放り出されると血液が沸騰して即死する話があったのを思い出した。大掛かりな攻撃魔法を用意する猶予は無いが特定の領域の気圧をゼロにするのはどうだろう?
そんなことを考えている間にも熊が渾身の一撃を繰り出してきたので俺は体をかがめて避けた。いくら傭兵部隊で鍛えてきたとしても長時間熊と戦うのは避けた方が良さそうだ…考えるよりも実行する必要がある。
俺は踵を返して焚き火へと走り、調理用の鍋を引っ掛けていた竿を回収した。そのまま熊の周りを円を描きながら走った。細かい術式を設定する余裕は無い。そのため、描いた円に魔力を流し込んだ後は頭の中で円の内側の気圧を下げて真空状態を作ることをイメージして魔法を発動させた。
その瞬間、魔法円の中にいた熊のあちこちから血が吹き出し、雄叫びを上げながら熊は絶命した。サバイバルを始めた頃は獲物を倒すたびに達成感や高揚感があったが、サバイバルを続けていると対峙した生物の命を終わらせた事に対する罪悪感が込み上げることの方が多くなっていた。
「ごめんな、俺だって死にたくは無いんだ…。せめてお前の体だけは感謝しながら食べさせてもらうからな…」
もう動かなくなった熊の遺体に手を置き、殺してしまったことの謝罪と感謝を述べると、俺は全身に身体強化をかけ直して異空間に熊の遺体を収納した。流石に狩猟用ナイフで解体するには図体が大きすぎるため明日解体用に肉切り包丁でも買わないとなと思いながら焚き火の側で横になった。
翌朝目を覚ました俺は転移魔法で最寄りの町ファウストへと移動した。いつものように調味料を調達した後で以前狩猟ナイフを購入した鍛冶屋へと立ち寄った。
「よう、坊主!朝からどうした?ナイフが折れたか?」
快活な声で俺に声をかけてくる店主の男。確かに俺は未成年だが仮にも客相手に坊主呼ばわりはどうなのだろうか?そう思いつつも俺は返答した。
「いや、熊を倒したから解体用に肉切り包丁が欲しいんだ」
「ははははは、冗談はよしてくれよ!!大人ですら数人がかりの熊をどう倒すってんだよ!!」
笑い飛ばして信用してくれない店主。別に信じてもらう必要性を感じなかったので俺は話を進める事にした。
「で、包丁は売ってくれるのか?くれないのか?」
「まあ、欲しいってんならそこにあるから好きなの持っていきな?」
店主に指差された先を見ると、確かにいくつか包丁が置いてあった。その中から刃渡り50cmほどの肉切り包丁を手に取り、これを購入する事にした。
「これにする。いくらだ?」
「5000ルビーだ」
値段を聞いた後俺は店主に小銀貨5枚を渡して肉切り包丁を購入した。店主も俺が本気で包丁を買うとも思っていなかったようで、俺に質問してきた。
「まさか本当に買うとは思ってなかったぜ、ガキの悪戯とか冷やかしかと思ってな。本当に熊倒したのか?」
「倒した。信じてもらおうとは思ってないけどな」
「だったら、近くの肉屋にでも持って行ったらどうだ?遺体を解体して買ってくれるかもしれないぜ?」
店主にそう言われても俺はあまり気乗りしなかった。別に俺は誰かに褒められたくて狩りをしているわけではないし、金儲けがしたいわけでもない。それこそ、熊一頭ともなれば、一人なら何ヶ月も食い繋ぐだけの食糧になる。それに、魔法学園や傭兵生活の中で社会や大人が信用できなくなったからこそ店主の情報も疑わずにはいられなかった。
「考えておくよ。それよりも、さっき市場に調味料を買いに行ったらやたらと騒がしかったが何かあったのか?」
「何だ、知らねえのか?明日この町に星の聖女様が来るらしいぜ?」
店主からの話を聞きながら俺の頭は魔法学園時代に習った一般常識を辿っていた。転生後のこの世界、ネオはいくつもの国が覇権を握り、常に争いが絶えない。今いる国、ステラもまたその一つだ。星の聖女を救済の象徴として掲げ、教会の戒律を守ることこそが絶対と謳う。言うなれば、聖女とやらを象徴として他国に戦を仕掛ける実にくだらない考え方だ。
戦争の象徴として祭り上げられる偶像を押し付けながら戦争する国の考えにはそこまで興味が持てないが、件の聖女がどんなやつなのかは気になったため、店主から追加で話を聞いてみた。そして、店主の話によると、明日の昼頃に件の聖女が広場に来るらしい。店主に礼を言って店を出ると、既に噂が広まり、聖女の話しか聞こえてこなかった。
そんな喧騒を背に俺は山奥へと戻り、熊の解体を始めるのだった。




