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第76話 す、すごかったんだからっ

「今日は雪子さん来るのか?」


 体育祭の日の朝、貴樹はいつものように電車で登校しながら、隣に座る美雪に聞いた。

 土曜日ということもあって、電車はいつものように混んでいない。

 仕事だと思える乗客はあまり見なくて、そのぶん同じ高校の生徒が目立つ。


「うん。後で来るって。貴樹のほうは?」


 美雪が聞き返す。

 とはいえ、答えはだいたい予想がついていたけれども。


「んー、うちは仕事だからなー」


「そっか」


 貴樹の両親は共にショッピングモールで働いているから、客の多い土日は基本的に仕事だ。

 それでも中学生の頃までは、イベント事や部活でのサッカーの試合にはどちらかが顔を出したりしてくれていた。

 ただ、貴樹にもその大変さは分かっていて、高校で部活に入らなかったのはそれも理由のひとつだった。

 もちろん、部活に精を出していては、学業が厳しくなりそうだというのが一番の理由ではあったが。


「ま、高校にもなってだから、別にどうってことないけどよ」


「まーね。それに私がちゃんと見てあげてるから、心配しなくても良いわよ」


「なんだよそりゃ」


 貴樹が苦笑いしながら美雪の顔を横目に見ると、貴樹を見ていた彼女と眼鏡越しに目が合った。

 しかし、美雪はすぐに目線を逸らす。


「……い、いつも見てるってこと! アンタのこと」


「そ、そっか」


 照れながら言った美雪は、そのあと黙ってしまった。

 付き合っているし、お互いのことをよく知っている。とはいえ、それでもこういった場でストレートに言うのはまだ恥ずかしい。


 しばらくふたり無言で電車に揺られていると、次の停車駅に停まったとき、瑞香が乗り込んできたのを美雪が見つけて声をかけた。


「おはよ、瑞香ちゃん」


 するとすぐに向こうも気づいたようで、ペコリと頭を下げた。


「おはようございます、美雪さん。先輩も」


「ああ、おはよう」


 貴樹も返事を返すと、瑞香はふたりの前の吊り革に掴まった。


「座らないの?」


 周りの座席を見回して、美雪が言った。

 どう見てもガラガラだし、ふたりの両脇も空いているからだ。


「はい。たった2駅ですし、いつも立ってますから」


「そう。……それで、準備はばっちり?」


「準備ってほど、なにも準備してませんけど」


 美雪が聞くと、瑞香は困ったような顔を見せた。


「えー、二人三脚出るんでしょ? 作戦とかないの?」


「作戦……ですか?」


「うん。良い感じに転んだフリして抱きつくとか、胸を押し付けるとか……」


 不思議そうに聞き返した瑞香に、美雪は含み笑いを浮かべた。


「えええっ、そんなの……無理ですって」


「そのくらいしないと、さらっと終わっちゃうでしょ? チャンスはしっかりとモノにしないと」


 力説する美雪を見て、瑞香は黙ってしばらく考えていたが、ポツリと尋ねた。


「……それで美雪さんは去年良い感じに……?」


「え……?」


 一瞬、ぽかーんとした美雪は、去年の体育祭のことを思い出して、すぐに顔を真っ赤に染めた。


「そ、そ、そうね。す、すごかったんだからっ」


「何がだよ。ゴールまでの最長記録作ったことが、か?」


 胸を張る美雪に、貴樹が横から冷静に突っ込んだ。

 たった数十メートルの距離にどれだけ時間をかけたのか。

 ほふく前進で進んだほうがまだ速いというレベルで、それを全校生徒が見ている前で披露したのだ。

 もっとも、その一件で校内における美雪の知名度が更に上がったという一面もあったのだが、もちろん意図したものではない。


「や、やぁねぇ。今年は最短記録作るんだから……」


「へいへい、うまく行くといいな。……って訳で、作戦どころかまともに歩けなかったコイツに聞いてもダメだぜ?」


 貴樹は美雪の頭をポンポンと叩きながら、瑞香に笑って言った。

 美雪が隣で不満そうな顔をしていたが、口を開くと墓穴を掘りそうで何も言わなかった。


「なるほど……?」


 瑞香は分かったようなそうでないような、そんな曖昧な返事を返す。

 そして美雪に聞かれた「作戦」について考えてみた。

 確かに、普段から会話はできても触れることはできないのだから、これは合法的に接触するチャンスでもある。

 となると、さっき貴樹が言ったように、時間をかけてというのもひとつの手ではある。


(もしかして、美雪さんはそれを狙ってわざと……?)


 天才的頭脳を持つ従姉妹だ。

 照れ隠しをしているものの、本当はそれも作戦だったに違いないと確信した。

 それに、時間がかかったにしても、目的通り彼を射止めているではないか。

 となると……?


(私も最長記録更新、狙ってみる……?)


 呆れられるのと紙一重ではあるが、意識してもらわねばモブと同じだ。

 受験勉強の頃とは違い、最近はあまり会話もできていないから、ここで新しいキッカケを作るしかない。


 瑞香はそう心に決めて、右手を強く握りしめた。

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