第63話 そ、そ、そんなことないよっ!
「え……と。なんの教科からやる?」
暖房が入った瑞香の部屋で、優斗は彼女の勉強机に座る。
そのすぐ横にスツールを持ってきて、瑞香は彼の横に座った。
出迎えた時には着けていなかった頭の白い飾りも、いつのまにか装着していた。
そして、先ほどまでは気づかなかったが、ほんのりとラベンダーのような香りが優斗の鼻口をくすぐる。
それは瑞香が自分を落ち着かせるために準備したものだが、優斗には逆にそれが気になって、顔が熱くなった。
「じゃ、じゃあ、苦手な古文を……」
「わかった。ちょっと待ってね」
瑞香が勉強机の前の本棚から、参考書を探そうと立ち上がって手を伸ばす。
当然、机の前にいる優斗に近づくことになり、ちらちらと白いフリルが彼の肩に触れる。
同時にラベンダーの香りがより強く漂ってきて、頭がくらくらとさせられた。
優斗はふと瑞香の顔を覗き込むように見上げる。
すると、それに気づいたのか、瑞香は頬を染めたまま、優斗と目を合わせた。
「ど、どうしたの……?」
「あ……。ううん、なんでもないよ」
「そ、そう……。えっと、これかな……」
慌てて目を逸らした優斗の前で、瑞香は古典の参考書を手に取った。
優斗が苦手にしている国語を重点的に教えようと思っていたから、ちょうど良い。
「それじゃ、先に漢文からしよっか」
優斗の前に参考書を広げると、瑞香はそれを覗き込むように彼の横から身体を寄せた。
◆
「前から思ってだけれど、やっぱり優斗って地頭はいいんだね」
区切りのところまで解説をしたあと、瑞香は自分のベッドに腰を下ろしながら感想を漏らした。
説明していても、思っていたよりも理解が早い。
最初は自分も含めて緊張していた感があったが、すぐに切り替えて勉強に集中できていたのも、彼の良いところに思えた。
「そうかな? 瑞香の教えかたがわかりやすいからじゃない?」
何の気なしに優斗はそう答える。
事実、わかりやすく教えてくれていると本心から思っていた。
しかし、瑞香は顔を真っ赤にして、両手を振って否定した。
「そ、そ、そんなことないよっ! ふ、ふつうだって。美雪さんならもっと上手だと思うし……」
その姿に内心ドキドキとしつつも、少し目を逸らして答えた。
「だ、だって、僕の理解度に合わせてくれてるってわかるから……。あと、その花みたいな匂いで落ち着けたってのも……」
「あ、これ……ラベンダーの香水なの。リラックス効果があるんだって」
「へぇ……。……でさ。きょ、今日の瑞香って、なんでその服……なんだ……?」
改めて優斗が尋ねると、瑞香は顔を伏せて答えた。
「……このまえ、美雪さんと行ったって聞いたの」
「行ったって……? ああ、あのメイド喫茶の話?」
一瞬なんのことかわからなかったが、美雪と言ったといえば、そこくらいしか思いつかなかった。
「……で、優斗が興味ありそう……だったって……」
あまりにも恥ずかしくて、瑞香はだんだんと消え入りそうな声で、独り言のように呟く。
「あ……。うん……」
意味がすぐに理解できなくて、優斗は曖昧な返事を返した。
(……だからって、真似してそんな格好しないよな……。勉強のモチベーション上げるため……? 何考えてるんだろ……?)
瑞香の意図がよくわからない。
勉強を教えてくれているのは、美雪に頼まれてのことだ。瑞香は余裕で合格圏内にいるから、ということだろう。
もちろん、自分も合格したいから、少しでもそのサポートをしてくれるなら、とてもありがたいことではある。
しかし、そのために自分が興味ありそうだからと、わざわざメイド服を準備して着てみせるという行為は理解できない。
ましてや、あの普段大人しい瑞香とくればなおさらだ。
ふたりともしばらく無言だったが、その沈黙に耐えられなかったのか、瑞香が口を開いた。
「わ、私……飲み物持ってくるね……」
瑞香はベッドが立ち上がると、小走りで部屋を出ていく。
優斗の横を通り過ぎたあと、またあのラベンダーの香りが強く香ってきた。
優斗はひとりになったことで、緊張感を和らげるために大きく深呼吸をする。
「ふぅー。……ヤバ。瑞香ってあんな可愛かったっけ……?」
従兄妹ということもあり、小さい頃は親同士の交流が盛んだったこともあり、幼馴染のようにいつも公園で遊んでいた。
中学校に入って部活が忙しくなると、あまり会うこともなくなり、親戚の集まりで会ったら挨拶する程の仲だった。
これまでは全くと言って良いほど、意識することなどなかった。
(……もし、中央合格したら、美雪姉さんやあの先輩だけじゃなくて、瑞香とは同級生か)
ずっと違う学校だったけれども、志望校に合格すれば、もうひとりの従姉弟である美雪と同じ学校になるだけでなく、いま勉強に付き合ってもらっている瑞香とも同じになるのだ。
もしかすると、同じクラスになる可能性だってある。
(……どんな高校生活になるんだろ……?)
まだ想像もできないが、少なくとも自分ひとり別の高校に行くよりも魅力的に思える。
そのためには、なんとしても合格しないといけないと、優斗は気合いを入れ直した。




