第24話 今日休む。
――翌朝。
美雪がいつもの時間に部屋をノックする音で、貴樹は目を覚ました。
「おはよう、貴樹」
「ああ、おはよう。……大丈夫か?」
心配していたが、いつもの時間にメイド服を着て現れた美雪を見て、貴樹はほっとした。
「私の心配するより、自分の成績の心配しなさいよ。……ちゃんと起きたのは褒めてあげるけど、宿題チェックは甘くならないからね」
「う……わかったよ。顔洗ってくる」
「うん」
話していても、特にいつもと変わった雰囲気はなかった。
一晩経って落ち着いたのだろうか。
貴樹は手短かに洗顔を済ませて、一度自室に戻る。
「とりあえず英語の宿題出して。朝ごはんの間に見とくから」
「美雪は食べないのか?」
「うん、今日は食べてきてるから。ほら、早く」
美雪はそう言って手を差し出した。
その手に、鞄から取り出した宿題のテキストを渡す。
「じゃ、飯食ってくる」
貴樹はそう言うと、美雪を残して部屋を出た。
それからしばらくして、美雪が一度帰る音が聞こえた。
先に宿題にチェックが付けられて、学校に行ったあとで細かく指導されるのだろう。
今日の英語はあまり自信がなかったから、きっと厳しく言われるだろうと覚悟した。
◆
(……ん?)
その日の昼食後、5限目の世界史の授業を受けているとき、ふと貴樹は少し離れたところの美雪に目を遣った。
「……すぅ……すぅ」
そこでは、片肘をついて少し俯き、頭を揺らしている美雪がいた。
(……珍しいな、美雪が授業中居眠りって)
というよりも、これまで一度も見たことがなかった気がした。
しばらく見ていたが、一向に起きる気配はない。
そうするうちに、年配の先生も気づいていたのか、そっと彼女の席に近づくと、指で机をとんとんと叩いた。
「――!」
その音で目が覚めたのか、一度頭をカクンとさせたあと、美雪はハッと前を向く。
そのあと周りをそっと窺う様子が、なんとなく可愛く見えた。
(……疲れてんのかな?)
テストが終わったあとだから、そんなに疲れるような生活はしてないはずだ。
ぼーっと考えながら、貴樹は美雪から黒板へと視線を戻した。
◆
「なぁ、美雪。……今日授業中寝てたろ?」
放課後、貴樹は自分の斜め後ろを歩く美雪に、少し振り返りながら声をかけた。
突然言われた美雪は驚いた様子で声を上げる。
「みっ、見てたの――⁉︎」
「そりゃ、見えるって」
「そ、そっか。……ちょっと眠くなっちゃって、つい……」
視線を泳がせながら答えた美雪に、貴樹は心配そうな顔をした。
「……また寝不足か? ちゃんと寝ないとダメだろ」
「うん……。ごめん」
「ま、昼飯の後って眠くなるけどな」
貴樹も苦手な教科が午後にあるときなど、どうしても眠くなってしまい、たまに寝てしまうことがあった。
ただ、目ざとく見つけられては、あとで美雪にガミガミ言われるので、最近はできるだけ寝ないようにしていた。
「……話変わるけど、玲奈は……すごいなぁ。もうクラスに溶けこんでたもん」
休み時間に見かけた玲奈は、早くも何人かのクラスメートと仲良くしていた。
一緒にそれを見ていた貴樹も頷く。
「ああ、相変わらずコミュ力たけぇな」
「本当……」
それに関しては、美雪も素直に感嘆する。
玲奈は自分たちが小学校の頃もクラスの中心だった。
顔も可愛いし、成績もスポーツも優秀。
男女問わずに人気者だった。
それに比べて、成績だけは美雪の方が良かったけれど、それ以外は全て完敗だ。
「……はぁ」
その頃のことが頭をよぎり、美雪は小さなため息をついた。
◆
「ピピピ……ピピピ……!」
翌朝、珍しく貴樹は自分のセットしてあったアラームで目を覚ました。
基本的にいつも美雪が起こしにくるから、そのアラームが鳴ることは滅多にないが、それでも頼りきりにはせずに毎日アラームはセットしていた。
「……ん……」
目を覚ましてアラームを解除する。
時刻は普段美雪が来る時間をもう過ぎていた。
「……珍しいな」
そう呟きながら、布団から抜け出して、大きく伸びをすると、顔を洗いに部屋を出る。
――結局その朝、美雪は来なかった。
学校に行く前、スマートフォンを見ると、美雪からシンプルなメールが届いていた。
『おはよう。今日休む。ごめんね、宿題も見れなくて』
貴樹はそのメールに『わかった。無理するなよ』とだけ返信して、ひとり学校に向かった。
――この高校に入学して以来、ひとりで登校するのは初めてのことだった。
◆
放課後、貴樹は学校から美雪のぶんもプリント類を預かって帰る。
彼女の家の玄関を開けようとするが、鍵がかかっていた。
美雪には自分の家の合鍵を預けているが、逆に自分は持っていないから、とりあえず渡すものはポストに入れる。
そして、一度家に帰ってから美雪にメールを入れた。
『大丈夫か? 預かったプリントとか、ポスト入れてあるから』
すると、しばらくして返信があった。
『ありがとう。風邪引いたみたい。明日も行けないかも』
『わかった。何か要るものあったら言ってくれ』
『うん。今は大丈夫』
体調が悪いと言ってきたこともあって、あまり長くならないように、そこで貴樹はメールを送るのをやめた。
(それにしても……美雪が休むって、小学のころ以来だな)
小学校の頃は休みがちだった彼女だが、中学校になって以降は休むこともなくなり、元気そのものだった。
とはいえ、いくら体力があっても風邪を引くことはあるだろう。
回復した頃に小言を言われないようにするために、貴樹は宿題を終わらせておくべく机に向かった。
◆◆◆
――結局、美雪はその週、ずっと休んでいた。
毎朝、彼女からメールで状況の連絡がきていたが、体調が回復しないことと、貴樹に迷惑をかけていることの謝罪が主だった。
貴樹も彼女を心配しながらも、ひとりで通学していた。
――金曜日、期末テストの成績が校内に貼り出された。
貴樹はひとりでそれを見る。
学年1位の場所には、定位置となる美雪の名前が変わらずに記載されていた。
そして、貴樹は34番。
1学年4クラスで150人くらいだから、貴樹にしてみればそれほど悪くない順位ではあった。
(……ん?)
なんとなく順位表を眺めていると、ふと気づく。
転校してきたばかりの玲奈の名前が、学年5位のところに記載されていたからだ。
「――玲奈ちゃんすごーい!」
「そんなことないって、たまたまだよー」
後ろで女子が話しているのが聞こえた。
振り返れば、その玲奈が友達たちと見ているのが目に入る。
「転校していきなりこれなら、玲奈ちゃん1番も狙えるんじゃない? 今まで清水さん以外、だれも取ってないんだよ?」
「へー、そうなんだ……。美雪、前から凄かったもんねぇ……」
「あ、そっか。玲奈ちゃんって、清水さんと知り合いなんだっけ?」
「うん、小学校が一緒だったから……」
「そうなんだぁ」
そこまで聞いたあと、貴樹はその場を離れた。
(玲奈も小学校のときから頭よかったもんな……)
転校してすぐならテスト範囲も違うだろうし、引っ越しとかで勉強時間も取れていないだろうから、それでいきなり5番というのは相当だ。
(それにしても……美雪大丈夫かな……。心配だな……)
水曜日から今日まで休んでいるから、3日間。
正直、これほど長い間、彼女と顔を合わさなかったのは記憶にないほどだ。
休みの日は会わないこともあったけど、それでも2日に1回くらいは押しかけてきていたからだ。
毎日会っているときは、小言がうるさいと思うこともあったけれど、彼女が居ないとぽっかりと穴が空いたような気分にさせられる。
(明日は様子を見に行こう……)
平日は風邪が感染るとダメだから、と言って会ってくれなかった。
とはいえ、ここまで長引くと心配で、どうしても顔が見たくなる。
明日は無理やりでも押しかけようと決めた。
いつも彼女が自分にそうしていたように。




