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s.s.01(外は雨)

   冷たい雨とニュートリノ


 その日わたしは自殺をした。


   *


 この書き出しは少しおかしい。何故なら、まだ、わたしは自殺をしていないからだ。

 だから、その日、わたしは自殺しようとした、が正しい。


   *


 日取りは前々から決めておいた。

 人は生まれる時は選べないけれど、死ぬ時は、場合によっては選ぶことが出来る。

 それは非常に人間らしい選択だと、思わないでもない。

 そのうち文化は自殺を認める事になるだろう。


   *


 昨夜、わたしはお寿司を食べた。食べ納めにお寿司を食べた。

 食べ納め、とは少し俗っぽくて嫌な表現だが、最後の晩餐にお寿司以上に相応しい食べ物が思い浮かばなかった。

 マグロやウニよりハマチが美味しかった。ハマチはわたしの好物だった。

 もう、ぜんぶ過去形。


   *


 わたしが自殺に選んだのは、近所の九階建てのビル。

 御近所に迷惑をかけるのはあまりよろしくないと思うが、飛び降りた先が人通りのない道であるから選ばせてもらった。高さも申し分ない。それに、十年前にも一人飛び降りていると云う噂もあった。二人目が出ると、さすがによろしくない噂が立つかもしれない。家賃が安くなるかもしれない。だったら感謝されるかもしれない。

 それは勘違い。


   *


 わたしが自殺を決意したのは男に振られたからだ。

 とても分かり易い。

 けれど、振られたのはもう一年以上も前の話だ。だから、わたしさえ黙っていれば、自殺の原因を、ありきたりの言葉で適当に書いた遺書に求めるだろう。

 カレの事を愛しているから、迷惑はかけたくなかった。

 未だに愛しているから、迷惑はかけたくなかった。

 少し難儀。


   *


 その日、目が覚めると外は雨だった。

 がっかりした。

 運動会でもないから、雨天順延なんてしない。

 雨天決行。

 カレンダーにつけられた赤い印。


   *


 カレにさようならを云われたあの日を、はっきり憶えている。

 もし、あの時、泣いてすがっていれば、カレは思いとどまってくれただろうか。

 分からない。

 少し考える。

 でも過ぎたことだ。

 私はカレに捨てられたと思っている。

 別れの理由はどうでも良い。

 それ程ありきたりの理由だったから。

 だが、もし、カレがひょっこり現れて、やり直したいと云えば、いつだって受け入れられる。

 その場でカレに抱きついて、深いキスを交わしたい。

 些細な夢。

 馬鹿みたい。


   *


 歯を磨いて顔を洗って、少し空腹を憶えたが、何も食べずに着替える。

 もう、何も食べるつもりはない。

 冷蔵庫は空にした。ゴミは全部、昨日のうちに出した。

 本棚も整理したし、床も掃除した。

 大掃除は楽しかった。

 風呂場もトイレも洗面所も台所も、全部ぜんぶ、綺麗にした。

 携帯電話のメモリもコンピュータの中身さえも、初期化して真っ白にした。

 とても満足。

 いい気分。


   *


 わたしは髪を梳かして、一番気に入っている紺色のスカートと、少し色あせた空色のブラウスを着る。それから焦げ茶色したダッフルコートを着込んだ。

 机の上の二通の遺書を取る。何度も書き直した、二通の遺書をとる。

 一つは故郷の家族へ。もう一つは小学校以来の親友、ユッコへ。

 貸した本の督促状。

 死人の本なんて気持ちが悪いだろうが、返すにも返しづらいだろう。だから督促状。他にちょっとした世間話。

 最後に運転免許証の入ったパスケースを取り、ブラウスの胸ポケットに仕舞った。これで身元は直ぐに分かる。

 カレには迷惑をかけたくはなかったが、知っている人は知っている。

 このパスケースはカレからのプレゼントだった。

 カレから初めて貰ったプレゼントだった。

 男の人から貰った初めてのプレゼントだった。

 小さな、わがまま。

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