第一話 わたし引っ越しします
家族:婚姻によって結びつけられている夫婦、およびその夫婦と血縁関係のある人々で、ひとつのまとまりを形成した集団のこと。
家:人間が居住する固定式あるいは移動式の建物のこと。同じ家屋に居住する人々又は血縁関係を基礎とする集団のこと。
座敷童子:座敷や蔵に住む神と言われ、見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらす、家人に悪戯を働くなどの伝承がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
※約三年ぶりの投稿です。その間は、小説とイラストの勉強をしていました。なんとかイラストも描けるようになりましたので、復帰をいたします。
……もうすぐ会えるね。……待っていたよ。この時が来るのを……
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トンネルが続く新幹線の窓に映るマスクをした自分の顔が、人形のようだとわたしは感じていた。
「まもなく越後湯沢です。お降りのお客様はお忘れ物のないようお仕度ください……」
そんな車内アナウンスが流れる中、わたしはぼうっと窓の外を眺めている。向かいの席にはお父さんとお母さん。
窓に映る表情は怒っているわけでもない、悲しくもない、嬉しくもない、楽しくもないただの無表情。不安そう?……いやそんなわけじゃないけど、もしかしてそうなのかな。
これからよく知らない土地へ引っ越すというのにどこか他人事のような、何かに手を引かれて連れて行かれるだけの自分が居て、心はそこにないような……、自分ではない別の自分を見ているような気がして、窓に映る顔は鏡ほど鮮やかに映るわけではないから、自分の顔が白くガラスに透けて映り込み、余計に人形が窓に映っているように感じていたんだ。
そんなとき、お母さんが話しかけてきた。
「ほんとごめんね、あゆ。急に引っ越しが決まっちゃって。あゆだって六年生だもの、せめて区切りの良い卒業まではと考えていたのにね~」
二人掛けの座席を対面にした向かいのわたしを見てというよりは、通路側に座る隣のお父さんにトゲのある視線を送りながら話をしているように見えたちゃうんですが。
「お母さんだって不安だらけなのよ、慣れない土地でやっていけるかどうかだもの。都会より自然たっぷりはいいけど、昔ながらの人間関係だってあるじゃない?
私の実家のお義姉さんもうちの母親との仲は今だに微妙だし、地域に馴染むのも大変だったみたい。それに比べて、お父さんはいいわよ。自分の故郷に帰るんだものね……」
あっ、やっぱりそうだ。
今日は夏休みが始まって八月最初の週末。
お父さんの生家へ引っ越しの真っ最中。夏休み明けから田舎の小学校へ転校する。上越新幹線はトンネルがまだまだと続いてる。トンネルと抜けるとまたトンネル。暗闇を抜けるたびに緑が濃くなって大きな山が近づいてくる。こんなことに住み慣れた都会から田舎へ田舎へとなっていくのを感じる。
それと友達にも急な別れを告げてきたけど寂しさはあんまり感じなかった。春まで感染症のおかげでマスク越しの友達や先生の表情がよく判らないし、給食もずっと黙食の時になっちゃって。そのせいかどうかよくわかんないけど、学校に楽しさを感じなくなっていたからかも。
お父さん達はせっせと計画を進めていたようだけど、わたしが引っ越すことを聞いたのはつい最近だったし、あまりに急なことで驚きよりも戸惑いが先で、実感……そうリアルな事って感じが湧かなかったのかもしれない。
「新しい小学校、おじいちゃんの家から遠いのかな?」そう訊ねるとお父さんが自分の出番とばかりに答える。
「え~っと、小学校は近いけどね……」
お父さんが少し前屈みになりわたしに話しかけようとしたら、お母さんがそれを遮るように話しを始めた。
「あゆは覚えている? おじいちゃんの家。五年前におばあちゃんが亡くなってから行ってなかったわよね。旅館みたいに大きい家だったでしょ。敷地もほんとに広いの。
お母さん初めて行ったときは、お父さんが実はおぼっちゃまなのかと思ったくらいよ。お手伝いさんが出てくるのかと期待しちゃったけど残念なことにいなかったのを覚えているわ。
でも私、実はあの家がすこし怖くて……古い上に無駄に広いじゃない? 使ってない部屋がいくつもあるし、よくわからない部屋もたしかあった。夜は敷地が広すぎて外灯をつけないとホント真っ暗けよ。おまけにあの時代劇にでも出てきそうな古びれた蔵!……私、昔あの家でさあ……」
「こらこら、子どもの前でやめろって」
今度はお父さんが話を遮った。でも私はこういうのには慣れているんだ。子どもの前でするような話じゃなくても喋っちゃうのは今に始まったことじゃない。
お母さんはもともと明るくおしゃべりで、わたしには大抵のことは普通に話してくれていた。でも、今の話は大分前に少し教えてくれていたことを思いだした。
なんでも、わたしがまだ生まれたばかりの頃、お父さんの実家に出産の挨拶に行った際、座敷の隣の仏間でお母さんが少し目を離したときに、小学校高学年くらいの和服姿の女の子がわたしのそばに、ちょこんと座ってわたしを見ていたというのだ。
わたし自身は、もちろんまったく記憶にないのだけれども、それはまるで座敷童子かなにかのようだったとお母さんから以前聞かされていた。
お母さんはそのときが昼間だったこともあり、誰って感じで怖さなんかより驚きの方が大きかったそうだし、すぐに見えなくなっちゃったみたいで周りからは産後疲れだなんだのと、そんな馬鹿なとも言われたみたい。
でも、それを思い出すとやっぱりあの家でこれから暮らすとなるとすこし気が進まないのかもね。
それにそれ以来、家族全員でおじいちゃんの家に泊まりに行くことはなかったし、わたしもなんとなくおばあちゃんの葬儀に町の人が大勢訪れていたこと、玄関の広い家だったことくらいしか覚えていないんだ。
どちらかというとおじいちゃんとおばあちゃんが何度かわたし達の家を訪問してくれていたぐらいの関係だったし。
詳しくは知らないんだけど、本当はお父さんのお兄さんが、生家を離れて家を建てていて、田舎の不便さや年寄り二人暮らしの頼りなさから、そちらでおじいちゃん達が一緒に同居する話が出ていたので、田舎の家を離れておじさんの家に引っ越しを進めていたのは実はおじいちゃん達の方だったらしいんだ。
ところが、何かしらの理由で折り合いが悪くなって、その話はおじゃんになったってお母さんからは聞いた。たぶんそんな肉親の経緯もあって実家を訪れるのがいくらか気まずくなっていたんじゃないかなとか思っちゃう。
わたしだって子供だけど今頃の子はそれなりに理解できちゃうんだぞ。ネットでいろんなことの検索なんて楽勝だしね。老人介護問題だっけ?
それから何年か経ち、おばあちゃんが亡くなって、いつまでもおじいちゃんが一人で暮らしていることについてはおじいちゃんの体への心配も多くて、お父さんとおじさんが相談した結果、マンション暮らしの私たち一家が実家に戻ることになったんだそうな。
そんなこんなで車中の微妙な雰囲気をお父さんが取り繕うかのように、ふいに明るく話しだした。
「あゆ、おじいちゃんの家は広いから探検できるぞ。小川や畑もあるし、昔はきれいな池もあったんだ。アニメにでてくる古い家みたいだし、そうだ夏休み中に池を復活させるのもいいな!」
「お父さん、ちっこいまっくろいのがもしかしているの⁉」わたしが返すとすかさずお母さんが……。
「やっぱりお化け屋敷じゃない……やだやだ。暗くて汚いのは嫌よ。そうだトイレ、和式だったかしら? リフォームしてよ、リフォーム!」
あ~、まただ。お母さんがお父さんとの話に割り込んできた。いつもの事かと黙って二人のやり取りをみていたが、ふと視線をまた窓の外にむけると、やっぱり白っぽい自分の顔が映り込んでいて自分では無いように感じる。
トンネルに入った瞬間だったから車外が暗くなっていて一層そう感じたな。
そうか座敷童子かあ……こんな風に白っぽくてぼうっとしてるのかな、ほんとにいるのかな?
わたしだってさ、お化けは怖いけど、おとぎ話に出てくる座敷童子やススワタリとかは悪い妖怪じゃないと信じているもん。そう本で読んだし怖くない、こわくないぞっと……。
新幹線の駅に降りると、夏の日差しが眩しい。でも、都内とは空気がちがう。ムッとしてべとべととまとわりつくような空気じゃなくてサラッとして気持ちがいいな。それに構内から上をみあげると青空がきれい。ちょっと嬉しくなっちゃった。
改札まで行くとおじいちゃんが車で迎えに来てくれていた。
「あ、おじいちゃん!」
少し遠くからでもすぐにわかって、お父さんより先におじいちゃんをみつけて指さした。そんなわたしの声に手を上げて優しく微笑みながら答えてくれた。
「あゆちゃんか?おおっ、大きくなったな」
おじいちゃんは総一郎という。七十代後半だけど、まだまだ元気で町で何かの役員もやっていると車内で聞かされていた。
介護とかが必要なわけでもないんだけどが、いくつか病気はあって一人暮らしは不安も多いらしいし、そのしわの多い顔を見て、そっか……今回同居することになったのだと思い直すのでした。
わたしがおじいちゃんに駆け寄るとお母さんとお父さんたちが続き、お母さんはぺこりと頭をを下げた。
「お義父さんこれからよろしくお願いします」
「聡子さん、わざわざ悪かったね。こんな田舎に来てもらって。俺一人だから気を遣わないでくださいよ」
「ありがとうございます、おうちに畑もあるんでしょう? 野菜作りとかすごく楽しみなんです。いろいろ教えてくださいね」
お母さんが新幹線の中の会話などなかったことのように笑顔で答えています。この切り替わりの速さに、わたしもお父さんも慣れているから何も口は挟まない。うんうんとうなずきはするが、盛り上げるようなことも、盛り下げるようなことも言ってはいけないのが、家族円満の暗黙ルールなのだ。
ねっ、わたしって賢いでしょ?
「さあ、車は向こうだから暑いし早く乗りなさい。それにマスクはとってもいいよ。街中を離れた村……いや、今は市だったか。んっ、家のあたりの人らはもうしている人もほとんどおらんからな」おじいちゃんがそう説明してくれると、お母さんが相槌をうつ。
「へ~都会は、これでもかってくらい蔓延を繰り返していて、まだつける付けないが半々ぐらいなのに随分と違うんですね」
「んっ、元の集落の範囲だと感染した者も一人もおらんでな。なにせ、人の出入りはほとんどないから。はっはっはっ」
……そんな、ど田舎なのねと二人のやり取りを聞いていてがっかりするわたしでした。もうすぐ中学生になるわたし。青春真っただ中に入るけど、いったいどうなるんだと叫びたいよ。いやホント。
その後、おじいちゃんの車に乗って家に着くまでの道のりは田んぼが多くて、稲がすくすくと育っていた。遠くにはたくさんの山が見える。次第にわたしは、とても残念な田舎暮らしの未来を忘れ、次第に生き生きとした感情がどこからか沸いてきて少し嬉しくなっている。
何といっても本当に空が広い! 田舎って好きかも!!
それというのも都会のビルに押しつぶされそうな圧迫感やどんよりした空と違い、ホントに抜けるような青空とまばゆい太陽の光が包んでくれいたからです。
「この塀の向こうが実家だよ」
街中を過ぎ、そろそろかなと思っていると、助手席に座ったわたしにお父さんから話しかけられ前を見る。田舎の小道に沿いながら伸びる白く長い塀が印象的だった。竹が塀沿いにうっそうと茂っていた。
しばらく進んでも家の入口は見えて来ない。曲がり角を左に曲がり、木々に覆われた先に小さな屋根が突き出しているのが見えた。次に見えたのは門だった。古い大きな門は閉ざされ、その横に車が入れる別の入口があった車はそのまま敷地内を進み、そこから奥に母屋が見えてきて、おじいちゃんは玄関前に車を止めた。
やっとおじいちゃんの家に辿り着いた。本当に広い……緑の葉が茂った木がいっぱいで木陰の下は草もいっぱい! うるさいくらいの蝉の大合唱が聞こえる。
「さあ着いたぞ、長旅ごくろうさんでしたな」
おじいちゃんが運転席から、お父さんお母さんも後部座席から、助手席にいたわたしもシートベルトをカチャカチャとはずし、リュックを持って降りようとしながら再度あたりを見回すと確かに畑もあり敷地内に木々が多くて広い。
家は木造の二階建て? お父さんが言っていたけど、冬は二階から出られるくらい雪が積もるらしい。ほんとかな?
古くて大きな家。窓から透ける障子はあちこちが茶色くなりところどころ破れているのがみえた。家の横には写真でしか見たことのない昔ながらの蔵ってものが二つあった。玄関前に庭らしき場所はあるけど雑草だらけ。石とコンクリートで作られた池だったと思われる場所と畑以外はぐんぐんと草が伸びていて、玄関前以外はわたしの膝にまで届きそうだ。ふわりと吹く夏風に草がサラサラと音を立てている。
新しく住むことになったお父さんの実家は、草木がうっそうと茂っている家です。やっぱり、おじいちゃん一人では手が行き届いていないんだろうな。この家は確かにお化け屋敷と言われても仕方のないたたずまいでした。
みんなが車から降りようとした時だった。車外の明るい夏の日差しが目をかすめるように瞬くと鳥や蝉が鳴きながら一斉に木から飛び立つ。
一瞬あまりのまばゆさに目をとじたけど、凝らして見るとそこには先ほど手入れが行き届いていない家じゃなくて、古いけど手入れの行き届いた庭や池の中に赤い鯉が泳いでいる。そんな風景が一面に広がり、まるで違うところに来たような感じだった。
わたしだけではなくおじいちゃんもお母さんもお父さんもこの変化に動きが止まっているようだった。
「あれ……この家、こんなにきれいだったかしら……?」
お母さんが呟く。思わず出た言葉だったんだろうけど、確かに家全体が甦ったような。障子も白く広い縁側から家の中にも明るく日の光が差しこみ、さわやかな風が吹き込んでいるのを感じる。ただ、それはほんの一瞬のこと。
皆の目が夏の光になれたのかすぐに古びた屋敷が目にとまっていた。それはその場にいた全員が、同じ蜃気楼か幻を見たかのような不思議な出来事だと感じていたのかもしれない。
わたしは声にこそ出さなかったけど、でもなぜかその光景を見たことがあるような気がしていたんだ……。
「……見たか、おい今の?」お父さんが不思議そうに言う。
「夢でも見ていたみたいな? 日陰の車内から出て眩しかったからじゃないの。でも暑いわね。」お母さんも怪訝そうに周りを見渡しながらも返事をしている。
そんなお父さんたちの会話の他におじいちゃんの小声が聞こえてきた。
「……カ・エ……」
おじいちゃんが、一瞬顔をこわばらせて誰にも聞こえないくらい小さな声でぽつりとつぶやくのがわたしには聞こえていたんだ。その言葉の意味はよくわからない。
でも、おじいちゃんの見つめる先を思わず見ると、肩口より長く伸びたサラサラ髪の和服姿の女の子が、まどろむ光の中で玄関の中へすっと入ってゆく姿をわたしは一緒に見てしまった気がした……。
「おじいちゃん、いまの……」
「ん、どうした。あゆ」
「いや、なんでもないよ。あはは」
ほんとはすごく気になったけど、おじいちゃんも普通に答えてくれたから、思わずはぐらかしちゃった。気のせいだよね、今の。
新幹線でおかしな話を聞かされたせいだと、自分に思いこませるわたしがいたのでした。
一話が長めの回もありますが、よろしくお願いします。