中学卒業後、バイトで生計を立てている杏奈
#5
中学卒業後、バイトで生計を立てている杏奈・ロズムンド・ダーレイを、俺は少しうらやましく思う。
簡単にいえば彼女は自由だ。
週四労働をそつなくこなし、のこりの時間を好きに使っている。
杏奈は弾き語り動画の投稿者〈Rozmund〉だ。
見るからに外国人という美少女が歌っているものだから注目され、なかなか再生数がある。
レパートリーは昭和の歌謡曲や、演歌や、教科書に載るような唱歌。
しっとりしたギターと味のある歌声で、特に年配者に好評だという。
どのくらい広告収入があるんだか。
そんな恵まれた状況だが、杏奈はオリジナル曲で勝負したいらしい。
動画五本のうち一本のペースで自作を発表する。
きびしい視聴者に「小難しい」「湿っぽい」「歌詞が固い」「いつものでいい」とコメントされ、いつもの五分の一くらいの再生数にとどまるらしいが、創作欲は尽きない。
最近は主に歌詞できとらとの共作がふえてきて、〈Rozmund〉の新スタイルを目指しているようだ。
彼女の創作方法がユニークなので紹介する。
冬の放課後。
手編みの茶色のマフラーをした須田きとらを連れて、俺が駅北商店街のお食事処兼居酒屋『くろのす』の前に帰ってきてみると、店先に小ぶりなバイクが停まっている。
二十年くらい型落ちだというその紅白色の中古二輪を見た時点で、俺ら二人は「あっ」となる。
「――ただいま」
カランカランとドアベルを鳴らす。
すこし身構えつつ入店するやいなや、半球型のヘルメットがすぐそこのカウンターから豪速球で投げつけられる。
飛んできたヘルメットの意味は「お前と私で二人乗りするぞ」。
(きとらが選ばれる場合は手渡し。意味のわからない格差だ)
「さあ隼人。どこ行くと思う?」
席を二つ使って右にギターケースを立てかけ、すでにライダー用防寒具を着こんで、杏奈は溌剌としている。
「今日は金曜だから……遠出でしょ?」
「うん。今晩から日曜まで付き合ってもらう」
「いいですよ、予定ないんで」
「で、どこ行くと思う? ヒントは『イニシャルがBの場所』だ」
「B……? ……バグダッド?」
「違う」
そんな会話の途中、厨房から俺の親父が出てきた。
ねじったタオルを頭に巻き、色あせた紺のエプロンを腰に巻いている。
無愛想で汗っかきな中年料理人だ。
「あいよ」
愛想なく杏奈の席にやきとり丼(税込六〇〇円)を置く。
「ありがとう。いただきます」
杏奈が頭を下げ、七味をかけまくって食べはじめる。
親父は土まみれのじゃがいもみたいな顔にさらに皺を寄せ、なぜか俺を睨む。
なにが言いたいのかわからん。
こちらもとりあえず睨み返す。
会話はない。
と、ここでいきなり円城惇がやかましく入店してくる。
「きとら先輩と二人きりィ!!」
「ひぃっ!?」
おどろくきとらの背中にガバッと抱きつき、頬ずりしながら言う。
「ああ幸せです、ああ幸せ! 二人がいなければ私たちでふたり! 女だけふたり! We are together! あ、シャンプー変えました?」
「や、やめて、ひゃっ、そこ……!!」
円城はきとらには強い。
きとらがイチャイチャかまってちゃん攻撃に弱すぎるだけともいう。
「今日は付きっきりで高貴な心を教えてくださいね? 和泉式部の恋路のゆくえが知りたいです。昔の春画に女どうしがあったかどうかもです。ああ、ほんとにきれいな髪ですね……むふふふふふ」
……美少女を摂取している。
しかも腕をからませて首を締めていたから、きとらは円城に抱かれながら「うっ、うげげっ」とうめき苦しんで、やがて真っ白に燃えつきてしまった。
少女と少女の絞め技SM……うーん、あんまり俺には刺さらない。
安全に配慮して風営法のお店でやっててくださいって感じだ。
そんな喧噪はさておき。
杏奈が、この冬のツーリングに選んだ目的地は――
「――琵琶湖だ。一晩かけて琵琶湖まで走るぞ」
「は……あ……!?」
具体的な地名が出てきて読者諸君はおどろいたかもしれない。
ただし俺は別の意味でたまげていた。
日本最大の湖沼・琵琶湖のある滋賀県といえば、知らない人もいるだろうが、冬は雪が降る。
隣県の岐阜羽島から米原にかけて、豪雪で新幹線が止まったって話を、毎年聞かないだろうか?
ってか先週もニュースになってたよね。
で、二輪の天敵は路面状態だ。
ふつうの雨でもスリップしかねない。
ましてや冬は、除雪されてたり降ってなかったりしても、路面凍結がありえる。
気温が下がる日没後は特に危ない。
というわけで、免許のない俺でもわかる。
雪国へ、
寒い夜に、
バイク二人乗り?
心中したいの?
死に物狂いで説得して、滋賀へは電車で行くことになった。
よく言われる「才能とは、好きなことを延々つづけられること」というのは、たぶん正しい。
俺にはできない。
野球をしていたときも、毎日寝るまでボールやバットと戯れるなんて無理だった。
杏奈は才能があった。
琵琶湖に来てから一日中ギターを弾いていられた彼女は。
しずかな湖畔の砂浜。
レジャーシート代わりの新聞(今朝キオスクで買った)を敷く。
そこにあぐらで座り、杏奈はずっと即興演奏していた。
目に見えた自然を感じたままにギターであらわし、何時間たっても飽きないのだ。
たしかに琵琶湖は広大できれいだったけれど、とにかく冷たい風が周囲の山地から吹きおろして演奏の指がかじかむだろうに。
俺は横に立ってブルブル震えていた。
たまに走り回って体を温めた。
ギター演奏を聞き、雑談の聞き手にもなった。
いつものことだが向こうの自慢風ひとり語りが多い。
『この楽器は普通じゃないぞ。ナイロン弦のクラシックギターだから、ジャカジャカうるさいスチール弦のフォークギターとは値段も格も違う。正倉院の琵琶とおみやげのウクレレくらい別物だ。覚えとけよ?』
とか、
『やっぱり雪月花、花鳥風月、飛花落葉をたのしめなきゃ、人間はダメだ。日本のあちこちに行って古代以来の四季のパワーをもらって、初めて自由になれる。人間のつくった世界に居たら、人間のことだけ見て人間にしばられるんだ。あたしみたいに古代風に生きれば自由になれるのに、なんでみんなやらないんだろうな? なあ隼人?』
とか。
他の話は寒すぎて忘れた。
さいわい積雪はなかった。
重いねずみ色の空は粉雪が舞っていた。
杏奈はスマホですべてを録音している。
即興のメロディを帰宅してから聴きなおし、編曲し、雑談や自然音をヒントに歌詞を考え、あらためて動画を撮るのだ。
スマホはハンカチを下に敷いて、杏奈の二メートルほど前方に置かれていた。
これで風に揺れる砂の音まで記録できるんだとか。
ホンマか?
そんなこんなで夕暮れ。
土曜日が終わってしまう。
俺はテント設営をしていた。
寒いのに野宿だ。
杏奈天皇のご命令だから逆らえない。
松の防風林の近くで固定杭を打つ。
手袋をしていても、かじかんだ手は痛む。
夕食の準備もしなければ。
松林をぬけて県道を南へ行ったところのコンビニで買える。
昼のサンドイッチもそこで買った。
夜はカップ麺にして温まろうと強く思った。
俺のスマホがそのとき尻ポケットでふるえた。
ヴ、ヴヴッ、ヴヴッ――この小刻みなバイブは、とある通知のために設定した。
WEB小説家「市川林々」が連載を更新したときのふるえ方だ。
まったく無名の市川林々はネットの片隅でまるで文豪のような作品を書いていた。
『花の嵐』。
戦時中の華族の三人兄妹の物語。
上の兄は極右思想にしたがい、厳しく〈非国民〉をとりしまる憲兵隊長。
下の兄は日本が敗戦したほうがいいと信じ、政権転覆をくわだてる極左ゲリラ。
そいつらにふりまわされる末の妹がかわいそうでしょうがない――という波瀾万丈のストーリーだ。
最近の章では下の兄が毛沢東に会って協力をとりつけていて、スケールがデカい。
市川林々の正体は須田きとらだ。
俺ときとらだけがこの秘密を共有している。
そして砂浜では、杏奈のスマホも通知をうけてピカピカ光っていた。
俺のスマホと同時に。
……あれ?




