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雨氷の花火

作者: 藤泉都理

【ふくら雀】





 求愛しているのか。

 対抗しているのか。

 羽を膨らませて綿毛を飛ばそうとしているのか。

 同じ姿になりたかったのか。




 背景は薄い黄緑をざっくばらんに塗って。

 中央には綿毛の蒲公英とふくら雀が描かれている。

 本物と同じ。

 ううん、本物より、かわいくて、みずみずしくて、いきいきしている。


『かわいいだろう?』


 絵を大事に抱えて快活に笑う年上の彼を見て、恋に落ちた。

 けれど。

 だれにも知られてはいけないからこの恋は。

 塗りつぶそうって決めたんだ。

 










(2022.5.18)


【花火の跡】





 もしも。

 照り降り雨の中で花火を打ち上げたとしたら。

 雨が凍えるように冷たかったとしたら。

 天空に大きく広がった瞬間に、雨粒が当たった花火も瞬時に冷えて凍るんだ。

 花火も熱を冷ましたいから。

 花火自身の熱を。

 花火大会実行委員の熱を。

 花火師の熱を。

 見物客の熱を。


 だから雨から晴に変わるまでの時間。

 花火が望むまま。

 ほんの短い時間だけ。

 次には解凍されて、また夜空を彩る。

 でもそうはならなかった。

 凍ったまま。

 海や地面に落ちもしないで。

 凍った部分が空をくり抜いてしまう。




 花火の跡がいつまでも空に残ったままになった。

 朝も昼も夜も。

 いつまでも。






 花火は望んでいないのに。


 ただほんの少し時間、冷やしたかっただけなのに。











 あれ、このおはなしって。

 だれかに聞いたんだっけ。

 それとも自分で考えたんだっけ。












 知らないのですね。

 家に短期滞在することになった天使は言った。

 短い金髪に紅の瞳。縦ロールが似合いそうな少女はまさに天使のように可憐だった。天使だけど。


「天使はおとぎ話の存在ではありませんので、姿もきちんと見えて、あなたの頭の中だけに呼びかけたりはしません。まあ、特殊な能力は使えたりしますけど」


 はあ。

 疲れたと言わんばかりに、天使は溜息を吐いた。


「人間界の短期滞在が義務ですからこうして降りてきました。まあ。本当はサボろうとしたんですよ。なんやかんや理由をつけて。でも、あなたがあまりにもうるさいので来てあげたんです。だから」


 天使は言った。

 だらりと。ソファの上で仰向けになって。


「天使の仕事の中に恋の橋渡しも含まれているので。面倒この上ないのですが。ほら。さっさと好きな方の名前を言いなさい。どうにかしてあげますから」

「さっさとお帰りくださいませ」


 小学六年生少女、弌夏いちかは死んだ魚の目になって言った。

 

 好きな人なんていないし。

 いたとしても絶対こんな天使には相談できない。

 絶対だ。











(2022.5.25)


【黒の濃淡】




 もう帰りましょうか。

 家から出て十分も経たないのに天使は弌夏に背を向けた。

 天使が学校も休みだからどこかきれいな場所に連れて行けと呪いをかけるようにぶつぶつとしつこく言ってきた(弌夏の母の後押しもあったが)結果にもかかわらず、だ。

 はいはいさようならそのまま天空にお帰りください。

 冷たく言った弌夏も天使に背を向けて歩き出そうとして。

 止めた。

 くるりと回転して、だらだら歩く天使を追い抜き家へと一直線に向かった。

 が。

 天使に手首を掴まれて急停止させられた。

 弌夏は天使を引きずってでもこの場を離れようとしたが、さすがは天使なのか、全然動かなかった。

 弌夏は諦めて天使へと、二人の方へと身体を向けた。


 逃げたわけではない。

 家の用事を思い出しただけなのだ。


鈴村すずむら、さんだったよな。こんにちわ」

「私たち、あなたが体験学習で行った中学校の美術部員だったんだけど、覚えてる?制服を着てないとわからないわよね?」


 どちらともに物腰がやわらかく短髪の少年と少女は中学三年生の美術部員で、弌夏が先日、小学校の体験学習で中学校に行った時に美術部を案内してくれた生徒でもあった。


「こんにちわ。あの。覚えています。田中吉斗たなかよしとさんと、川田かわだかのんさんです、よね。体験学習の時はお世話になりました」


 弌夏は二人に向かって小さくお辞儀をした。


「名前も覚えててくれたんだ。嬉しい」

「そりゃあいやでも覚えるよな。おまえの作品、黒筆だけで描いた廃墟の建物ばっかだし。怖かったよな。ごめんな」

「ふんだんに想像が広がる廃墟を黒の濃淡だけで表現したいのよ」

「はいはい。がんばれー」

「まったく。ねえ、鈴村さん。これから画材屋に行くんだけど一緒に行かない?魔法のお店みたいで面白いよ。そっちの子もよければ」

「おう、行こうぜ」


 きらきらと輝く笑顔を向けられた弌夏はすみませんと謝った。


「行きたいんですけど。家の用事を思い出しちゃって、これから帰るところなんです」

「そうなんだ。ざんねん。また機会があったら行こうね」

「じゃあな、気をつけて帰れよ」

「はい。さようなら」


 弌夏は小さく手を振りながら、二人が角を曲がって姿が見えなくなるまで見送った。

 黙って三人のやり取りを見ていた天使がふむと一言呟くと、弌夏が天使にお願いがあるんだけどと言った。天使は小さく首を傾げた。

 

「お願いですか?」

「そう。空に連れてってよ」











(2022.6.1)


【氷変化菊】




 意外にも天使はすんなりといいですよと言ってくれたので、弌夏は家に戻って母親に天使に空に連れて行ってもらってくると言った。

 あらそうなの、じゃあいってらっしゃい。

 母親がおっとりとした口調で言って、手を振って弌夏と天使を見送った時。

 お願いね。

 こしょり、母親は天使の耳元でささやいた。

 ひらり、天使は気だるげに手を振って弌夏の後を追い玄関を出て行った。






「天使って翼がないんだ」

「ええ。試験に合格してないですから」

「そもそも試験を受けてないんじゃない?」

「よくわかりましたね。ええ。面倒で一回も受けていません。翼がなくても天使の輪があれば自動的に飛んでくれますから」

「本当に面倒くさがり屋なんだ」

「そうなんですよ」

「ふ~ん」

「だから今のこの状況ってすごくレアなんですよ」

「ふ~ん」

「ねえ。弌夏さん」

「なに?」

「もしも私がこのまま弌夏さんを天国に連れ去ったら、どうします?」

「どうするもなにも、だって他の天使が地上に送ってくれるんでしょ」

「私以外に天使がいないと想像してください」

「めんどい」

「そして天国に連れて行ったら私はもうあなたを地上に帰しません」

「へ~」

「その時、あなたが一番会いたいと頭に浮かんだ人はだれですか?ああ、言わなくても結構ですよ。思い浮かべるだけでいいんです」

「………ねえ」

「はい」

「花火、今、出してくれない?」

「冷たい花火ですか?」

「うん」

「音が大きい花火ですか?」

「うん」

「形も大きい花火ですか?」

「うん」

「私はどうしていましょうか?」

「目を、つむってて」

「はい」


 弌夏をお姫様抱っこして飛んでいた天使が雲の中から出て、指をパチンと小さく鳴らせば、ドンドンと身体の内側まで震えるくらいの大音量の花火が果てしなく青く静かな空を大きく彩った。

 赤、黄、黒、白、緑、紫、橙。

 星が尾を引いて放射状に飛び散ることで夜空に描き出される打ち上げ花火、菊の花の中でも、花びらの先の色が変化する変化菊。

 天使は目をつむったまま何度も何度も指を軽快に鳴らした。

 その度に天使と弌夏の姿をかき消すくらいに巨大な変化菊が開いて、流星みたいに四方八方へと飛んで行く。

 花火は弌夏に当たるが、冷たさをまるで感じなかった。

 身体がただただ熱かった。


 弌夏は声を殺して泣いた。


 小学生と中学生という、埋まりようのない年齢差。

 子どもと子どもだけれど、決して同じ子どもではないのだ。

 弌夏にとっては大人に近い存在。

 しかも、相手には恋人がいる。

 伝えられるわけがない。


 だから塗りつぶさなければいけないのだ。

 消せないのだから、違う色で何度も何度も塗りつぶし続けたのに。

 こんなにもあっけなくはがれてしまう。


 くるしい、いたい、あつい。

 どうにかしたい。

 でも、だれにも言えない、言いたくない。


 からかわれたとしても。

 否定されてたとしても。

 肯定されたとしても。


 自分が、自分の気持ちを否定しそうで。

 笑って、否定しそうで。

 




(声を殺す必要なんてないのに。ばかですね。なんのためにこんな上空で、こんな大音量を出していると思っているんですか)


 天使は薄目で弌夏を盗み見た。

 弌夏は涙を流しながら、一心に花火を見ていた。

 どうして身体に刻みつけるように見ているのか。


 天使は不意に花火を止めたくなったが、弌夏が止めてと言うまではと思い留まり、ただ指を鳴らし、花火を創り続けた。


 指先に痛みを感じながら。

 痛覚は遮断しているはずなのに。











(2022.6.2)


【幼なじみ】





「わかりやすすぎ」

「なんだよ?」

「嬉しそうにしちゃって」

「そりゃあ画材屋に行くから当然だろ」

「はあ」

「なんだよ?」

「私たち何年幼なじみやってると思ってんのよ?」

「十年そこら」

「そう。十二年付き合ってる私にも嘘をつくわけ?」

「嘘って」

「そりゃあ、吉斗とゆえかをくっつけたキューピッドには言いにくいかもしれないけど」

「だからなんだよ?」

「吉斗は恋人がいるし、好きになった相手は六年生とは言え小学生だし」

「………気のせいだし」

「気のせいですか」

「そうだよ気のせい。頬を染めて、目を潤ませて輝かせて、俺の絵を言葉をなくすほど感激しちゃってくれちゃってたから、嬉しくて。ああ、すげえ嬉しくて。だから。それだけだよ。嬉しかっただけだ」

「つまり強く心を掴まれちゃったと?」

「おーまーえーなー」

「吉斗。私はさ、幸せになってほしいわけよ。吉斗にも。ゆえかにも」

「幸せだし、ゆえかは俺が幸せにするし」

「本当に?」

「ああ」

「ならいいけど。さ。吉斗」

「なんだよもう」

「恋人がいても、結婚してても、恋に落ちるのは悪いことじゃないんだよ。悪いのは、不誠実な対応をとること。だよ」

「おまえ何歳だよ?」

「同じ十五歳よ」

「俺が浮気をするってか?」

「するわけないじゃない」

「そりゃあどうも」

「ねえ」

「ん」

「んーん。やっぱ、いい。時間が必要な時もあるわよね。いろいろ」

「なんだよ」

「ん。ただ、私は責めないってことだけ覚えててくれればいいわ。吉斗が考えて。一生懸命考えて出した答えなら。背中をバンバン叩くわ」

「かのんは俺に甘いよな。かなり」

「そりゃあ、最初は弟のつもりで接しちゃったから。私よりすんごく小さかったし、可愛かったし」

「かのんがでかかっただけだし」

「まあね。今も、だけど」

「そのうち追い抜くっての」

「ふふん。背を追い抜いたって私には追いつけないわよ」

「すぐに追い抜くわ」

「まあたーのーしーみー」

「言ってろ」

「ふふ。ほら、入るわよ」

「わかってる」











(2022.6.3)


【天使の涙】





「ねえ、呆れてる?」

「呆れていますよ」

「だよねえ」

「告白する。フラれてすっきりする。中学生になってから。高校生になってから。大学生になってから。社会人になってから。どれだけ一途で臆病なんですか」

「だって」

「川田さんと友人になって、田中さんとの繋がりができたというのに。彼女とは別れたという情報も得たというのに。あなたはもだもだもだもだ。厄介ですねまったく。青春真っ盛りの恋は諦めがつかない」

「本当にその通りです」

「しかも告白するまで私に名前を言わなかったですし、やっと白状したかと思ったら、相談に乗ってと泣きついてくる。おかげで何年地上にいなければならなかったと思うんですか」

「えー。十三年です。けど。でも、気に入ってたでしょ。地上の暮らし。ぐだぐだしてても文句を言う人いなかったし」

「その点についてはまあ」

「お母さんの料理も好きだったし」

「その点についてもまあ」

「私をお姫様抱っこして飛ぶのも好きだったし」

「その点についてはあなたの勘違いですね。年々抱えるのに苦労しましたから」

「でもぶつくさ文句は言いながら連れて行ってくれた」

「少しは天使らしい働きをしないと、比較的快適な場所を奪われますしね」

「へへ」

「今日は晴れ舞台なんですから、もう少し凛々しい顔つきにならないといけないんじゃないですか」

「うん。なるよ。勝手に。でも、天使の前では、無理かな。力が抜ける。天使の脱力感がうつったんだよ、多分」

「怖いですか?」

「うん。怖い。ね。信じられないんじゃなくて。なんだろう。なんか。ほんと。ずっと、想い続けてきたせいかな。自分が、怖い。負担になるんじゃないかって。すごく。気持ちを受け入れられて嬉しくて。すごく嬉しかったのに。ずっと、ずっと。今日だって。嬉しい気持ちだけにならない」

「それは仕方ありませんね」

「うん。だよね」

「そうですよ。彼と一緒にどうにかしていかなければならない問題ですから。ゆっくり。もしかしたら、ずっと持ったままかもしれないし、いつの間にか消えているかもしれない。どうなるかはわかりませんが。確かなのは、あなた一人ではどうにもこうにもできないってことだけです」

「天使もいるし」

「私は今日で天空に帰りますよ。居心地は確かによかったですが、そろそろ自室の綿ベッドも恋しくなってきましたし」

「まじ?」

「大マジです。働き過ぎましたから当分お休みです。なので、あなたが生きている間はもう地上には来ませんよ」

「まじ?」

「大マジです」

「うん。ああ。そっか。うん」

「ここは涙が追加されるところではないですか?」

「うん。私も追加するかと思ったんだけど。どうしてかな。引っ込んだ。天使がいつでも力を抜いていてくれるおかげかな。悲しくない。ああ。そっか。天空で今日もだらだらしてるのかなって思ったら。私も力が抜けそうだし。うん。寂しくないね」

「あらあら。私は本当に働き過ぎましたね」

「本当に。うん。本当に。ありがとう。本当に」

「弌夏」

「うん」

「じゃあ、ごほうびにブーケをください。取りには行かないので、私のところまで正確に投げるようにしてくださいね」

「うわ。今日一番で頑張らないと」

「はい。頑張ってくださいね。私はゆるゆる見ていますから。本当はソファがあればいいんですけど」

「お子様スペースにあるけど」

「じゃあそこにお邪魔しますよ」




 ご両親が来たので失礼しますね。

 天使は新婦の控室から出て、広間へと向かった。

 もう列席者たちは席に着いているのだろう。

 人でごった返していた広間は今やスタッフが厳かに通り過ぎるだけで、静寂に包まれていた。

 カーペットが敷かれた床の上をのろのろと歩いて会場へと向かっていた天使はふと、立ち止まって、小さな卓の上に置かれた二枚の絵を見た。

 一枚は、綿毛の蒲公英とふくら雀。

 もう一枚は。


「見えているわけないんですけどね」


 もう一枚は、打ち上げ花火の変化菊に紛れながらも決して埋もれることのない、黄金の輪を頭上に頂き、純白の翼をたおやかに広げる天使と、天使に守られるように抱えられる少女。

 背景は赤、黄、黒、緑、紫、橙を濃く、淡くと無造作に塗られて、花火は水色と白色で描かれていた。


 雨氷の花火。

 天使は呟き、会場に入って行った。











(2022.6.6)



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